ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

少女達の反撃 後編

 自分が素人であるからかもしれないが、やはりこの行動に意味がある様には思えない。少なくとも、命と尊厳を懸けてまで為すべき事とは思えない。背後から迫りくる気配に死の恐怖を感じつつも、シルビアはそんな事を考えていた。振り返ってみても何もいない。だが確かに誰かが居る。誰かが自分を追ってきている。ここで足を止めてしまえば終わりだが、背後から迫る恐怖が足をもつれさせてくれる。
 それでも彼女に指示された通り、大通りを通りながら地図に記された印を回っているが、これにどんな意図があるのかは全く読めなかった。通っても特別な音が聞こえた訳でも無し、魔法陣が浮かび上がるでも無し。何かをしている気にもなれないので、それをやり遂げようと必死になる事も出来ない。自分は只逃げているだけ。決まった道を必死に走っているだけ。
―――次の道を左、突き当りを右。
 幸いにも、自分を追っているのはあの大男ではない。というかあの大男であればとうの昔に追いつかれているだろう。そうなっていないという事は、あの大男はまだ自分達を見失っているという事であり、現在の追跡者はそれ程足が速くないという事でもある。速くないと言っても、一瞬でも足を止めれば追いつかれてしまうが、それでもマシだろう。脇腹が痛くなっても、足が痛くなっても、酸欠になっても……走ればいいだけなのだから。
「―――あッ!」
 躓いた。何に? 足元にはそれらしき物体は何もない。どうにか次の足は間に合ったが、一度失速してしまった以上、背後との距離は縮まってしまった。距離にして十メートル。後もう一度躓こうものなら追いつかれてしまうだろう。
 地図に記された印は後一つ。あそこさえ通る事が出来れば、自分の仕事はそれで終わり。だが……この違和感は何なのだろう。何かに躓いた時から感じているこの……妙な気持ちは―――


 その時、自分の目の前に現れたのは、何かに躓く自分の姿だった。


―――え?
 何かが出っ張っている訳では無い。しかし目の前に現れたもう一人の自分は、確かにそこで躓いていた。背筋を伝う悪寒。持ち上がった足を無理やり別の場所に着地させると……先程まで出現していた自分の姿は消えて、躓く事も無かった。無理やり着地場所を変えた事で足を捻ってしまったが、それでも躓くよりはマシだ。追いつかれてはいない。今のは……一体?
 いや、考えるのは後だ。先程の現象が何であれ自分は助かった。指示通りこの印を通れば全てが終わる!
「ああああああああああッ!」
 脇腹が痛い。足が痛い。今すぐ地面に突っ伏してそのまま眠ってしまいたい。しかし走らなければならない。生きる為に、死なない為に。己の利用価値を潰さない為に。シルビアは印まで後数メートルという所で、跳躍。着地の事など一切考えないまま、印を通り過ぎるように飛び込んだ。




 敵の数は十五人。その内一人は魔術の心得があり、一人は正気を失っている状態。残りは……武器をもっただけの素人である。数は力とはよく言うが、こんな愚図の集まりで彼女達を捕まえようと思ったのは間違いだ。誰が指揮を執っているかは分からないが、確かにその包囲網は完ぺきだった。一人を突っ込ませて獲物を炙り出し、あてもなく獲物が逃げ回っているところを包囲する。狩りの仕方としては模範的で、こちらに自分が居なければ、通じていたのだろう。
―――街を見下ろしながら、男はつまらなそうに息を吐いた。町全体を見渡せるこの場所を放置する判断は理解できない。夜目が利く人間であればこの場所は昼と変わらず利用できるというのに、何だってここを放置したのか。誰が指揮を執っているのかはやはり分からないが、指揮官と魔術の心得がある奴はここから獲物を見て、全体に指示を下していた方が良かったのではないか?
 ……そうならないように仕向けたのは、自分なのだが。こうも見事に引っかかってくれるとは思わなかった。監視すら付けないのはちょっと意外だったが、まあそれはいい。彼女のお蔭で敵の総数を把握できた。包囲網を掻い潜るようなルートを渡してやったとはいえ、よくぞ走り切った。人を褒めるのは苦手だが、今回ばかりは素直に称賛するとしよう。
「後は俺の仕事だな……まあ、お前がやってくれたんだ。俺もやる事はしっかりとやろう」










――――――――痛い。全身が痛い。
 衝撃を余す事なく全身で受けてしまった。腕も痛いし、何より胸から飛び込んだので胸が痛い。もしも自分の行動に意味が無いのなら、今までの疲労も相まって、もう動く事は出来ない。たとえ捕まりたくなかったとしても、体が言う事を聞かない。
 そんな状態が五分以上も続く中、背後にあった気配は既に消えていた。音もなく、前触れもなく。自分が跳躍する瞬間までは確かにあった気配が、今は何処にも存在しない。振り返って確認してやりたいが、体は少しも動く様子を見せない。鍛えても居ない素人が限界まで走り続けたのだから当然だ。呼吸をする度に脇腹が痛くなって、どれだけ落ち着こうとしても心拍は跳ね上がるばかりで。振り返る余裕など無い。呼吸をして意識を保つので精一杯だ。
「……一応確認しておくが、生きてるか」
「……………殺人鬼、さん?」
 うつ伏せの状態では顔は見えない。しかし自分のすぐ近くには、確かに『闇衲』が立っていた。
「ああ。お前を利用するだけして、失敗したら見捨てようかなと思っていた殺人鬼だ……しかし、良く走り切ったな」
 その声音はいつもと変わらない冷たさだったが、どうやら褒めてくれているらしい。喜んでも、いいのだろうか。
「リア、に……『お前なら出来る』って…………言われましたから」
「成程。アイツの方がお前の運用をよく分かっているという事か。俺も見習……う必要はないな。立てるか?」
 答える必要は無いだろう。喋るだけで無駄に疲れる。それに言葉を紡ぐ暇があったら、呼吸をしていた方が意識が保ちやすい。恐らくは隣にいる『闇衲』の手が体に触れた。服の中にも感触が潜り込んでくるが、少しくすぐったいだけで嫌悪感は無かった。
「……ふむ。まあ、大丈夫だな。少し休憩したら良くなるだろう。リアの所にも行ってやりたいが、五分くらい遅らせても問題はあるまい」
 隣にいるだろう『闇衲』の座り込む音がした。
「……あの。私の利用価値、下がっちゃ―――いま……したか?」
「―――少なくとも、まだ捨てる選択をする程下がっちゃいないさ。生きたいんだったら、この調子でこれからも頑張るんだな。お前を拾った俺達の判断は間違ってはいなかったと思わせるくらいには」


 ……期待しているぞ?












「遅ーい!」
 ああ、本当に遅い。 呼吸の速さからおおよその休憩時間を割り出していたが、何故かシルビアの回復速度は異常に遅く、お蔭で余計に十五分掛かってしまった。真横に指を指して、首を振る。
「知らん。こいつに言え」
「殺人鬼さんがちゃんと運んでくれないからじゃないですかッ」
 動けないから運んでくれと言われたので、言われた通り運んでやっただけなのだが。どうして文句を言われなくてはならないのだろうか。自分は頑張ってくれた彼女を労う気持ちでやったのに。
「安全に運んでくれとは言われてないぞ。それに髪を引っ張った方が俺も楽だしな」
「……あー、シルビア。言い忘れてたけど、パパって無駄に細かいから。しかもわざとだから気を付けてね」
「―――リア。本当に遅いよ……」
 強い力で引っ張ったつもりはないのだが、シルビアはしきりに髪を気にしていた。触ろうと手を上げたら大袈裟に避けてきたので、トラウマになってしまったらしい。その様子を見ていたリアが、多少軽蔑するような表情でこっちを見ていたが無視する。女でも男でも容赦はしない。これっぽっちも反省はしないし、どんな異論も認めない。これが自分のやり方だ。
「それで、指揮官様は殺したのか……って、聞くまでも無いな」
 答えはリアが座り込んでいる場所。見る限り無駄のない肉体を持った男性が、何が起こったか分からないような表情で絶命していた。死因は……
「おい、どけ」
「やーだッ……ぁぁぁッ!」
 反抗期があまりにも早すぎるが、取り合えずリアを蹴っ飛ばしてその体が隠していた場所を見つめる。決め手は刺殺……いや、彼女は自分が来るまでずっとナイフを圧し潰していたし、万が一にも生きている事は無いだろうが、決め手は出血死かショック死だろう。局部は切り取られて、全ての耳と指が口の中に突っ込まれている。局部が左目の中に突き刺さっている事も含めて、中々センスが良い。指摘する事があるとすれば、指を切る前に爪を剥がして無理やり呑み込ませるとか、そういう一工夫が欲しいが、この国はもうすぐ去る事になるので、そういう工夫は次回に指摘するとしよう。それに、指揮官が単独で動いていたから良かったものの、複数人で動いていればこんな事は出来なかった。その幸運と、手際だけは素直に評すべきだ。
「お前にしてはよくやったじゃないか。俺ももう少し手間を掛けるべきだったな」
 そう言ってはみるが、直ぐにシルビアへ何かしらの危害が加えられてしまうのは約束と違うな、と考え直す。少なくとも利用価値があるまでは殺さない……傷も可能な限りつけないつもりなので、遊ぶ余裕は無かった。近くに女性が居たらそいつと繋がった状態のまま殺すなり、色々やりようはあったのだが……如何せん奴らは包囲網に集中しすぎていた。ナイフでは掛かる手間にも限界がある。仕方ない。
 余談だが、遊び心を忘れないでいる事はとても大事だ。遊び心を持ってさえいればつまらない人生でもそれなりに楽しいと思い込める。
「じゃあまあ、指揮官の死体を発見した所で、帰るか」
「え、ちょっと待ってください! 私達を襲った人がまだ……」
「……ひょっとして、家の付近で訳の分からない事を叫んでいた奴の事か? そいつだったら足切って、その足で顔を殴り飛ばしたら死んだぞ」
 最初から興味など無かったらしい。それだけ言うと『闇衲』はリアの手を引いて、来た道を引き返すように歩き出す。
「どうした? 来ないのか?」
「い、いえ。……あの、手、繋いでもいいですか。リアみたいに」
「…………不幸な事に手は空いている。意味の分からない所でお前を失うのも嫌だし―――取れ」
 その手を取った先にあるのは、血塗れの世界。本来ならば足を踏み入れる処か、その存在すら知る事の無かった世界。しかし、この世界に来てしまった以上、もはや手段も平和も選んでいる暇はない。たとえその選択が、己の命を縮める事になろうとも。
 仕方なさそうに差し伸べられたその手を、シルビアはしっかりと握りしめた。











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