ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

少女達の反撃 前編

『闇衲』とずっと一緒に居るから忘れがちだが、そう言えばこの世界には魔術があった。人間が雷を纏って家に突っ込んできても、決しておかしな事ではない。只、殺人鬼が魔術に対して全くの素人であるから違和感を感じているだけで、きっとこれは普通な事なのだろう。
「女……女だ、女ァッ!」
 撤回しよう。異常である。男の目つきはおよそ正常な人間であるとは言い難く、焦点が合っていない。涎が垂れていればそれこそ狂人と言えるが、生憎と垂れているのは涎ではなく赤い液体である。一体誰のモノなのかは知らないが、恐らくは外をうろついている男共だろう。この男の駆ける様はまるで猪の突進の様にも見えた。家にもそれくらいの速度で突っ込んできたし、きっと轢かれてしまったのだろう。
 何が『襲撃の際には魔術がぶち込まれる』だ。ぶち込まれたのは魔術を纏った正気じゃない男だった。殺人鬼も所詮は人間、予測の全てを当てる事なんて出来ない事は分かっているのだが……それでもこれは不味い。ぶち込まれたら消える魔術と、残る人間。どちらが厄介かなんて言うまでもない。
「り、リア。どどどどど、どうしようッ」
 反射的にシルビアはリアの背中に隠れて、正面の男の様子を窺う。自分だって本当は背中に隠れたい気分なのだが、今、あの殺人鬼はここには居ない。シルビアがこれでは頼れるのは自分だけだ。やらなくては。
―――殺人の心得その一。まずは対象を良く知る事。
 木造の家に生身で突っ込んできたにも拘らず、男の体には木片一つ刺さっていない。幾ら正面の男が筋骨隆々であったとしても、そんな事があり得る訳が無いので、これについては恐らくあの雷の効果だと思われる。突っ込んできた際の速度もきっとあれによるモノだろう。あんな脚力が人間に出せていい訳が……『闇衲』が同じくらいの速度を出していたような気もするが、それは気のせいに違いない。身内補正という奴だ。
 纏めると、この男は雷を纏う事によって身体能力を飛躍的に上昇させている。そしてその巨体からも分かる様に、一度速度が乗ってしまえばこの男から距離を取る事は出来ない。直線の勝負はまず勝ち目が無いと見ていい。しかし『闇衲』の存在を気にするのであれば、まず他の仲間も近くに潜んでいると思われるので(あの『闇衲』が敵に気付かれるように家を出ていく筈が無い)、変に路地裏なんかを使おうモノならそれに捕縛される。策なしに飛び出すのは危険だ。
「シルビア。机の上にあるその紙、読み上げて!」
 家の中であれば、誰かに聞かれるような事はまずない。正面の男は既に正気を失っているので数えないものとする。
「えっと―――」
「女ァァァァァァァァァァァァァァ!」
 当然と言えば当然だが、敵は待ってはくれない。大男は脚力を爆発させて一気に肉迫。少女の細腕など簡単に粉砕できてしまいそうな両腕を伸ばして、突っ込んでくる。重心を見極めて投げ飛ばすのが最適解? いや、あの雷に直で触れるのは愚の骨頂。
「アアアアアアアアア―――!」
「―――うるせえんだよバチバチバチバチ! 叫ぶかバチるかどっちかにしろ!」
 机の上にある紙を懐に隠すと同時に、リアは机の端を掴み、大男の頬へと叩きつけた。その直後に雷撃が机を一瞬にして塵に変えてしまうが、それでいい。男は勢いを逸らされて、再び壁に突っ込んだ。
 とても少女とは思えない怪力に、シルビアは愕然とした。
「す、すごい……」
「シルビア、取り合えず外に出るわよ」
「え、でも……」
「いいから! 私を信じてッ」
 机も壊れてしまったので、もうさっきの手は使えない。困惑するシルビアの手を取って、リアは夜の街へと躍り出る。
 地図だけでは何も分からないと言ったが、あれは撤回しよう。『闇衲』の残した『生き残る術』はその時にならないと意味を成さない。まだ何の事件も起きていなかったあの時に分かる筈が無かったのだ。この国の地図と危険な場所を示す印。これが何を意味するのかなんて。
「大丈夫。足は捻ってないよね?」
 言いつつリアは足元を一瞥。走り方には特に問題は見受けられないので、大丈夫か。
「う、うん。それにしても、こんなに狭い場所通ってて大丈夫なの? さっきの人、建物何か関係なしに突っ込んできそうだけど」
 それは言えている。先程の男に障害物は意味を成さないだろう。だからこそ視界から外れる事が重要な訳で、それ故に小道を使っている。全てはこの地図の示すままに。危険な場所を示している印は、きっとあの男の仲間が潜伏している場所だろう。
「あれは陽動役みたいなモノだから問題ないわね。問題があるとすれば次の手順は―――シルビア、貴方に懸かってる」
「私……に?」
 リアは一旦足を止めて、気配を確認……大丈夫だ。自分が分かる限りでは、周囲数メートルに人の気配は無い。
「いい? やる事をやればパパは絶対助けに来てくれるんだから、失敗しちゃだめよ。子供教会を忘れる為にもね」
「……分かった。頑張ってみる」
 口元を引き締めて頷くと、リアはにっこりと微笑んだ。年相応の明るい笑顔は、きっと教会では見られなかったモノ。自分は『イチ番』等と持ち上げられていたが、彼女も『ゼロ番』とされるだけはあって、相当な美人である。同じ女性なのに、少しだけドキッとしてしまった。
「じゃあ手順を説明するわよ。と言っても複雑な事は何も無いわ。この小道を抜けると大通りに繋がるけど、その時にシルビアは……ごめん。地図はそっちに渡しとくわね。シルビアは大通りを通りながらこの印を回って。危険な方の印と間違えないでね。全部回れば、多分終わり。後はパパが何とかしてくれる筈」
「何とかって……体格差が違い過ぎるよ。殺人鬼さんでも……勝てないんじゃ」
「細かい事は気にしない! とにかくこの印を全力で回って。それがこの紙に書いてある手順の全てだから、それだけを考えて。私は……紙には何も書かれてないし、取り合えずシルビアのサポートはするけど、一緒には居られないから」
「…………うん」
 足が震える。どうしてだろう。一緒には居られないという言葉に孤独を覚えたのか、はたまた失敗してしまった後の事を想像してしまったからか。どちらかとは言わない、きっとその両方だ。自分は運動も武術も魔術も出来る訳じゃない。リアの様に強くは在れない。それでも彼女の期待には応えたくて、でも最悪の未来が脳裏を駆け巡って。
 大通りに向けて一歩踏み出すごとに身体は重くなる。まるで体が自分のモノではなくなってしまったかのようだ。行きたくないと本能が拒絶する。全てから逃げたいと体が暴れる。そんな自分の背中に、リアの手が回った。
「……シルビア。いいかしら。子供教会によって攫われて、人生を壊された私達が生きる為には、もう手段と安全を選んでいる暇は無いのよ。大丈夫、怖くないわ。貴方は絶対に死なないから。貴方を殺せるのは私か『闇衲パパ』の二人だけ。だから―――」
 言葉が切れると同時に、シルビアの背中が押し飛ばされた。背後で聞こえたのは、折れた心を奮起させる責任知らずで根拠のない、魔法の言葉。
「頑張れ、お前なら出来る!」













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