ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

譲れないモノ

 リアに与えられた仕事は、少年への裏切り行為と、孤児院の破壊。仮にも殺人鬼を父と慕う者として、『闇衲パパ』が少しばかりの面倒事を片付けるまでには全ての仕事を終わらせたい。子供教会が壊されている事を伝えるのは簡単だ。恐慌状態を装えば、信用など簡単に勝ち取れる。まさか子供教会を壊している者と自分が繋がっているなんて……いや、正確には繋がっていた、か。これから裏切るというのに現在進行形ではおかしな事になる。
 流れに身を任せる事の意味が、ここに来てようやく分かってきた。最早深く考える必要はない。『闇衲』の練り上げた作戦は、個人が見通せるレベルでは計り知れない複雑さがある。何故とか、どうしてとか。そういう事を気にするだけ無駄なのだ。為すべきことを為せば、自ずとその全容は見えてくる。自分はただそれに従うだけ。川の流れに身を任せるように、目を閉じて信じればいい。それだけで全ては解決する。
「あ、あの……すみません! すみません!」
 城は流石にリスクが高い。何せ火を放たれた直後だ。どんな人物が訪れようとも疑わしく思うのは仕方のない事で、幾ら少女じぶんと言えど、拘束は免れないだろう。それを踏まえると、自分はその城の真横に位置する詰所に駆け込むのが正解だ。
「……何だ、貴様。こんな真夜中に出歩いて。本来ならば拘束するところだが、今日は特別に見逃してやる。さ、両親の下へ―――」
「違うんです! 火が……教会に火が―――!」
 呼吸は加速。動悸は激しく、目は限界まで見開かれ、膝は震えて。目の前で起きた事が信じられないとばかりに早口で語れば、必然的に舌噛みは発生する。今にも過呼吸で倒れかねない少女の訴えを、一体誰が聞き流せるだろうか。深夜に出歩くこと自体は、不審な行動かもしれない。だが緊急事態という名目の下に利用すれば、これ程までに有用な隠れ蓑は無い。不審に思われることも厭わない程の事態が、この国で起きたという事なのだから。
「教会……まさか、子供教会かッ?」
「こど、も……? 何の事か、分かりま、せんけ―――ど! あっちの方から火、火……」
「火……? 教会からは何も見えないが、もしかして誰かが火を放とうとしていたって事か?」
 こくりこくりと頷くと、騎士は血相を変えて詰所の階段を上っていった。同僚を叩き起こしに行ったのだろう。下手に動くと作戦に支障をきたすので、怪しまれずに離脱できる時を狙っていたがここしかない。リアは身を翻して孤児院へと走り出す。その直後に背後から聞こえたのは、荒々しいという言葉すら超越しかねない騎士の怒鳴り声だった。
―――これでまずは一つ、か。
 後は孤児院の方で『闇衲』と合流、もとい孤児院の破壊をするだけだ。『だけ』と言える程簡単ではないような気もするが、早く終わらせるに越したことは無い。その方が『闇衲』にとっても操作しやすい状況になるだろう。問題があるとすれば、その度合いだけだ。
 確か『闇衲』は壊した後は火を放つとも言っていた。何故火を放つのに壊すか、そもそもそれに何の意味があるのかは置いておいて、どれくらい壊せばいいのだろうか。全てを壊すのは到底不可能だし……一応、破壊の度合いを予測する方法はあるのだが、そのやり方は『闇衲』以外に出来そうにない。それをやるならば、リアはそれ以外のやり方を強制されるが―――これが国殺しに関わってくるのならば、やるしかない。
 まず、あの少年が子供教会を破壊し始めてから少し遅れて、リアは詰所へ駆け込んだ。詰所と子供教会の距離は推定五百メートル。騎士の足の速さなど知り様がないとはいえ、重い鎧を装備しながら走った時の速度など高が知れている。あの少年が特筆すべきモノのない、平均的な身体能力だったとしても、騎士達が到着するまでの時間から逆算すれば……最低評価でも三割、最高評価で五割くらいだ。自分の考えが正しければ、最低評価を前提として動くのが最適だろう。
 確信は無いが、『闇衲』が言っていた誰にも存在を気づかれずにノーリスクで孤児院を破壊する方法とは、同時に重要個所を潰した上で、その破壊方法、度合いを完璧に合わせる事で、全てあの少年が一人でやったと錯覚させる事なのだ。だからわざわざ壊した後に火を放つなんて指示をしてきた。何度も言うが確信はない。なぜならば、疑問が残るから。
 しかしそんな疑問に悩み、歩みを止める事はない。リアが指示された仕事は孤児院の破壊だ。決して自身の内から湧き出てきた疑問を解決する事ではない。信じるのだ、『闇衲パパ』を。








 孤児院は夜には門に鍵を掛けていた筈だが、今夜に限っては鍵など掛かっておらず、開け放してあった。孤児院から召喚された子供は皆死んでしまったので、保護する理由が無いという事だろう……ああ、正確には『リア以外の』だが。
 こん棒を握りしめて、孤児院へと足を踏み入れる。もう二度と来る事は無いと思っていたが、まさかこんな形で帰ってくる事になろうとは。人生とは皮肉なモノだ。
「ただいま」
 院内へ入るなり、そう言ってみる。深い意味は無かった。只ここに来てそう言うと、孤児院に居た頃の事を思い出して―――吐きそうになる。玄関横に立ててある花瓶に、思いっきり棍棒を叩きつけてやった。
 するとその音に驚いたのか、院長室から大慌てで彼女―――リシャージ・クラムが飛び出してきて、
「……おかえりなさい、エニーア」
 慈母のような笑顔で、そう返してきた。本当は慈しみ処か何も感じていない癖に、この女は本当に演技が上手い。こんな女の演技に騙されて、皆……皆……機械となってしまったのだ。
「その名前で呼ばないで。私はリア。エニーアなら何処か遠くの大陸に……分からないけど、居るんじゃない? 多分」
「いいえ、いいえ。私にとって貴方はエニーア。それこそリアなんて名前は知らないわ。貴方の言葉を借りるなら、何処か遠くの大陸に居るんじゃないかしら?」
「……正しくは何処か遠くの世界よ、院長。私は人生を壊された事を今でも恨んでる。アンタを殺してやりたい、世界を殺してやりたい。ずっとそう思って生きてきた」
 今日に至るまで、殺意が濁った事など少したりとも無かった。この国だけは必ず殺すと心に誓っていた。特に院長……リシャージ・クラムと、双王は。
「それは貴方の使命じゃないわ。貴方はね、子供を作る為に生まれてきたの。何十何百の子供を作るの、貴方はその母親。父親もいっぱい居て、子供もいっぱい居る。それって女性として、凄く幸せな事だと思わない?」
「骨の髄まで男の煩悩に侵されたいのなら、確かに幸せな事かもしれないわね。でも生憎、私は子供なんて興味はないし、もう生涯のパートナーは見つかっているから」
 モノは言い様である。リアは只『闇衲』の事を暗に示しただけなのに、彼女の反応を見るに恋人か何かだと勘違いしたらしい。この結果が全てを物語っている。彼女が見ているのはリアではなく、この子宮だけ。この忌々しい体質が無かった所で、結果は変わらなかっただろう。
「……エニーア。私はね、貴方の為を思って言っているのよ? 貴方は孤児院に居た子の中でもとびっきりの美人さんだから、たくさんの男の人と触れ合った方がいいと思うの。どうせ大した男じゃないんでしょ? その人」
「かっこいい、とは言えないけどね。少なくとも彼は私を見てくれる。私の体質でも子宮でもなく、私という人間を見てくれる。普段は恥ずかしいし、揶揄からかわれるだろうから言えないけど……大好き」
 自分が『闇衲』を道具として利用している関係なのは分かっている。他でもない自分から言いだした事だ。でも、彼といる間だけ、只の女の子になれるのは事実だった。
 彼に頭を撫でてもらった時は心が癒された。
 家を出て分かれ道に行くまでの短い時間だったけど、手を繋いでくれた時は本当に嬉しかった。表面上の感情は希薄かもしれないけど、それでも『闇衲』は自分を愛してくれている。娘として。
「あの人は『貴方の為』なんて一切言わない」


『俺は心も未来も読めるが、人生は読めない。お前の為になるかはお前次第だろう』


「あの人は理想を押し付けない」


『俺は父親だが、飽くまで道具だからな。主人に口出しする権利はないし、父親としても娘には自由に生きてもらいたい』


「あの人は―――私を大切にしてくれる!」


『父親として、当然の事だな』


 それは誰にも見せた事のない、リアの本音。親を奪われ世界を奪われた少女の、心の底から生まれた言葉だった。
「……じゃあ貴方はどうしてここに来たの? 私の理想を拒絶して、子供教会を拒絶して。それなのに貴方はどうしてここに来たの?」
「分かり切った事を聞かないでよ。私はアンタを殺しに来た。孤児院を壊しに来た。もうアンタ達の夢を見るのは懲り懲りなんだよ!」
 ナイフを突きつける。思い残す事など何もなかった。彼女を殺して孤児院を壊して、それで終わり。もう夢に見る事も……無いだろう。これから見るのはきっと、楽しい夢の筈だ。
「―――分かったわ。貴方が望むのなら、好きなだけ壊せばいい。でも……出来れば私は、最後にして? 逃げないと約束するから」
 嘘だ。隙を見て彼女は逃げる。そして騎士団にこの事を報告するだろう。そのリスクを考えると、最初に殺すべきは彼女。そして孤児院だ。順番を間違えてはいけない。
「……そう。じゃあ望み通り、最後に殺してあげる」
―――けれどそれは、彼女が生きようとしていた場合の話。その眼が死期を悟っているのであれば、話は別である。
 リシャージの横を土足で通り過ぎた後、リアは手始めに絵画を壊し始めた。飾られている絵はどれも男女の交わりの様を描いたモノばかり。作られた孤児の機械化は、既にこの時から始まっていたのだと思うとやるせない。もっと早く気づいていれば、あの子だけは……
「自分の行いを正当化する訳じゃないけど、私は貴方達を本気で愛していた」
 絵画を壊した程度では終わらない。壁も床も天井も部屋も硝子も柱も壊さなければ気が済まない。作戦が駄目になるのはまずいので、飽くまで三割を満遍なく振り分けるだけ。
「少子高齢化問題を解決する為に、貴方達は攫われた。それが自国民に迷惑を掛けない最善の方法だと誰しもが思っていたから。でも当初、私は反対した。攫われる子供達の気持ちはどうなるのか、子供を攫われた親の気持ちはどうなるのかって。王様はこう言った。『ならばお主がこの世界での母親となり、子供達を育て上げればよいのではないか』。そうすれば私に懐いた子供は、たとえ子供教会に送り出されることになっても元気にやっていけるだろうって……貴方は分からないかもしれないけど、性行為ってね、お互いに愛が無いと成立しないの。特に受ける側の女性は、愛が無ければ只痛いだけ。痛くて苦しいだけ。それを知っていたから私はそう言ったの。でもそんな事……男性である王様には伝わらなかった」
 床は埃一つ見えないくらい綺麗に掃除されていて。自分が棍棒を叩きつけなければきっと、これから先もずっと綺麗なのだろう。
「男って従順な女性が好きなのかしらね、私は脅迫された。孤児院の経営をお前がやらなければ、お前を殺すって。怖くなった私は引き受けた、引き受けてしまったの。それが全ての間違いの始まりとも分からずに」
 教育者としてはリシャージは優秀だ。どの子供の部屋も整理が行き届いている。整理の癖もそれぞれ違う為、個室の管理は子供達に一任していたのだろう。自分が荒らさなければ、この部屋はずっと綺麗なまま、いつか別の子供に使われる事だろう。
「貴方達をどれだけ愛しても、結局は子供教会に行かせなければならない。作り笑いも必死だった。我が子の様に育てた子供が、結局只の機械になってしまうなんて。貴方の心が荒んでしまったように、いつしか私の心も死んでいった。一体何度『逃げて』と伝えたかったか。何度真相をぶちまけてやろうと思ったか。でも出来なかった。殺されたくなかったから」
 あまりにも綺麗すぎた。大勢の子供を抱えていた場所とは思えないくらい手入れが行き届いていて、その奥には確かな愛情が注がれていて。リシャージがこの孤児院を、この孤児院に住む子供をどれだけ愛していたかが分かる。自分が壊さなければ、勿論―――
「……最後に貴方に会えて本当に良かった。貴方にも教えたものね。悪い事をした人は地獄に行くって。私はどうやら、地獄に行かないといけないみたい」
「―――嘘吐き。アンタの言葉は嘘と矛盾ばっかり。真実なんて一つも見えやしない」
「……ええそうね。私は嘘吐き。貴方達を騙して破滅させた張本人。今までの言葉も全部嘘。貴方が情けを掛けてくれるかもしれないと期待したのよ」
 こんな所だろう。三割を前提として動いたので、一部を見ればまだ綺麗である。全体を見れば……とてもみすぼらしいが。
「私の人生を壊した罪、償ってもらうから」
 リアは指先に火を灯した後、火薬玉から伸びる線に火を点ける。時間にして三十秒後、この孤児院は爆音とともに燃え上がる。
「それ、持っといて」 
「ええ」
 これで自分の仕事は終了だ。後は『闇衲』と合流するだけ。これから消えゆく孤児院に未練はない。罪悪感も無ければ後悔も無い。リアはずっとこの孤児院と院長に苦しめられてきたのだ。人生を壊され、友達を壊され、心を壊された。この孤児院に価値があるとすれば、それは刹那的な価値だけである。華やかに散っていただく事で生まれるだけの、しょうもない価値だけ。
「アンタのした事を許すつもりは永遠にない。これから先もずっとね。でも……私がここまで立派に成長できたのはママのお陰。ありがとう、ママ」
「……………………身体に気を付けてね、リア―――」


 刹那。耳をつんざく轟音と共に、孤児院が燃え上がった。










 興味本位で盗み聞きはするものではない。あまりにも恥ずかしくて顔が真っ赤になりそうだ。多少の語らいは予想していたが、あそこまでリアが素直に感情を吐露させるとは思わなかった。やはり彼女も、なんやかんやで育ててくれた恩義は感じていたという事か。考えてみれば確かに、リシャージがあそこまで育てなければ、『自分』との出会いは無かった訳だし。そういう意味ではこちらも、彼女には感謝しなければいけないだろう。
―――ありがとう、リシャージ・クラム。
 彼女の想いを引き継ぐつもりはないが、自分はこれからも彼女を守り続けよう。リアを守れるのは、もう自分しか居ないから。




「リア―――帰るぞ」


 

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