ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

人の心、闇知らず

『……こんな些細な事で揉めるのは時間の無駄だろうからな、お前に合わせるという事でどうだ。合図も連絡も要らないから、お前は実行すべきと思った時間に実行しろ。俺達はそれに合わせる。それ以外に言うことは無いが……強いて言う事があるなら、人気が無い時にやるべきだな』
 その言葉通り、ラガーンは深夜に作戦を決行した。幸運にも今日は曇り。月の光すらも遮られた今、作戦が失敗する事はないだろう。こうして堂々と子供教会まで向かっても、誰にも会わなければ何も邪魔してこない。正に完璧、正に奇跡。まるで神すらも自分を応援しているかのようだ。『神すら崇めるトストリス』も、神に見放されてしまってはお終いとも言える。この憎しみが神罰とは言わないが、神を足蹴に人を見下すこの国には報いを受けてもらう。彼女達を殺した……罪のない人間を殺した、その罰を。
 武器など所持している訳も無いが、それは大丈夫だ。孤児院に居た頃に何処かでくすねた短剣が一本あるし、松明程度ならばその辺りのモノで作成出来るから、破壊には困らない。問題があるとすれば、松明の灯りで騎士に気付かれる恐れがある、という事だけである。上手く行けば騎士達がここに来る頃には既に教会は手遅れになっている。とはいっても、通報されれば話は別だ。しかし、その通報もあり得ない。この事を知っているのはあの二人だけなのだから。
 子供教会に足を踏み入れた瞬間、ラガーンの頭から言葉という概念が消え去ったような気がした。視界に飛び込んできたこの光景を、自分は一体何と表現すればいいのだろうか。
 四肢を拘束された少女が一人、二人、三人……駄目だ。自分の本能が数える事を拒絶している。少なくとも、数十人の少女が器具に繋がれ、横たわっている。近くに寄ってみても少女たちは反応すらしなかった。普通の人間ならば、視界に何かが入った瞬間に目が動きそうなものだが。この少女達にはそれが無い。身体を触ってみても反応が無い―――これ以上触ると何か間違いが起きそうなのでやめておこう。目を逸らしながら少女の体なんか触っていたら、そうなるのは時間の問題だ。奥の方へ移動すると、今度は四肢ではなく両手だけ拘束を掛けられている少女の姿が見えてきた。拘束の仕方に関しては性行為の際の体位の問題なのだろう、何にしても度重なる強姦で少女達から意識は消えている。
 ただ与えられた役割の為に機能するだけとなってしまった彼女達は、まるで機械のようだ。二階の方も似たような状況である事は想像に難くない。一階にもちらほらと見られるが、一部の少女たちは服を着た状態で拘束されている。二階はきっと、そういうアクセントを加えられた少女で満たされているのだろう。
 これ以上見ているとこっちの頭がおかしくなりそうなので、早々に準備に取り掛かる。まずは少女達を繋いでいる器具を短剣で切断。拘束器具としての役割を破壊して、たとえ鎮火されても、もう二度とここが子供教会として使われない様にしておく。少女達は……運び出せればそれが何よりだったのだが、もう生きているとは言い難い上に、これだけの人数を一人で運ぶのは不可能だ。まだ少なからず人としての意識を残している少女が居るならば、その子だけは運び出した方がいいだろうが。
「……ごめん。俺じゃお前達を助けられない」
 何も関係が無い事なんて知っている。自分に全く責任が無い事も知っている。彼女達はいわば自分の先輩。自分より早く召喚された者達だ。だからラガーンが何をした所で手遅れな事に変わりはない。それでも……やはり、助けたかった。
 一階を手早く終わらせて次は二階。やはりと言うべきか、二階は予想通りだった。もう見たくもないので、さっさと終わらせよう。
 ところでさっきから気になっていたのだが、器具の鎖は鉄製ではないのか? あまりにも簡単に切断できてしまうので思わず疑ってしまうが……どう見ても鉄にしか見えない。鉄以外の何に見えるかと言われると……何も見えない。
「――――――こんな所で、何をしているんですか」
 空気に溶け込んでしまいそうな程に小さい声を、ラガーンは確かに聞き逃さなかった。少女達から目を逸らすように首を巡らせると、奥の方に数人は入れそうな小さな牢屋があり、声はそこから聞こえていた。
「……お前は?」
 襤褸衣で全身を覆う人物は、体つきを見るに少女だろう。子供教会に男性が居るというのもおかしな話だし。
「―――さあ。名前は奪われました。私はもう、自分が誰なのかが分かりません……貴方は?」
「……俺にも名前は無い。便宜上の名前としてはラガーンだけど、本当の名前は―――奪われたままだ」
「そう……ですか。では私も便宜上の名前として、シルヴァリアと名乗っておきます」
 少女は襤褸衣から僅かに顔を出して、力なく微笑む。子供教会を訪れてから初めて出会った人間は、まるで泡沫の夢のように切なく、美しかった。その肌は白霜のように真っ白で、その瞳は夜の帳よりも暗く底が無い。少女を見ていると、自分が抱いていた憎悪を、一瞬だけ忘れられるような気がした。
「何でお前は器具に繋がれていないんだ?」
「……ゼロ番の脱走から始まり、外では何やら事件が起きているようです。私は元々王様へ献上される物だったようですが、その色々のせいで先送りが続いて―――今では私と一緒に連れてこられた子の末路を見つめながら、特に幸せでもない余生を送っています」
 ゼロ番、という言葉が妙に引っかかったが気に留めないでおこう。話しを聞くに、どうやら子供教会に入って生き残っている者は、その逃走したゼロ番と彼女だけらしい。既に逃走したゼロ番はこの街の何処かで潜伏していると見て間違いはないので、探しようがない。しかし彼女はずっとこの教会でただ一人。奇跡的な偶然によってその命を繋げ、人として生き永らえていた。機械としてではなく、真っ当な一人の少女として。
 であれば見捨てる理由など無い。ラガーンは鉄格子を切り裂いた後、シルヴァリアに短剣を手渡した。「……これは?」
「俺はこれからこの教会に火を点ける。本当は全員助けたかったが、お前以外は助けられなさそうだ。だから俺が火を点ける前に、お前はここから出ていけ。出来たらゼロ番と合流しろ」
「どうしてこんな……事を? 私を助ける道理何て、貴方には―――」
 シルヴァリアがそう言いかけた、刹那。一階の入り口が蹴破られ、何者かが侵入してくる音が聞こえた。


「……ん? おい、見ろ! 器具が全部切断されているぞ!」
「誰かいるというのか?」
「二階に行くぞ!」


―――何故騎士がここにッ? まさかあいつ等が裏切った……いや、それはあり得ない。だって裏切る理由が。
「俺は俺がやりたいからやるんだ、お前の為じゃない。俺は報復の為にここに来た、お前はその報復の対象じゃないから助かった。それだけだ」
 考えている暇はない。裏切ったかどうかなんて今は問題ではない。問題は予定より早く騎士が来たという事だけだ。ここで捕まれば報復は失敗。自分も孤児院の皆と同じ末路を辿るだろう。だから何としてでもここは逃げなければならないが。
「……」
 シルヴァリアを逃がす為には、囮になる必要がある。『闇衲』の嘘を暴こうとした時の様に、全力で。しかしあの時はポッポが死んでしまった。だから今回は何としてでも生き延びさせる。それこそ自分の命に代えても。
「騎士が二階に上がってきた瞬間に俺は火を投げつける。逆上した騎士達の視界からはお前が消える筈だから、その間に逃げろ」
「貴方は……どうするんですか」
「俺は大丈夫だ。本当は逃げたいが、仮に捕まった所で抜け出せる当てがある。気にするな」
 階段を上がってくる音が聞こえる。後数歩で作戦は否応なく開始されるだろう。
「三、ニ、一―――そらっよ!」
 騎士達に松明を投げつけると同時に、ラガーンはその集団に渾身のドロップキックを放った。真ん中に居た騎士がよろめいて、階段から転げ落ちる。
「な―――!」
「シムルバス!」
 成程、あの騎士の名前はシムルバスと言うのか。しかしあんな落ち方をしたのでは、当分は意識を失っているだろう。
「さあ、来い!」
 徒手の心得などまるでない。それでも彼女から少しでも視線を逸らすべく、ラガーンは両手を広げて身構えた。




 

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