ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

攻国戦  殺/死

 『闇衲』には特殊な力は無い。正体不明と言われ続けてきたのも、技術によるもの。それ故に『闇衲』は、魔術の知識に関しては殆ど素人である。あの男の両腕を覆う魔力を剥がす方法など知らないし、有効な対策も知らない。せめてもの対策は対魔術コートのみ。それもあんな風に使用されているのでは、効果は薄いだろう。
 肉迫してナイフを振るえば分かる。あれは鎧だ。刃物を防ぐための鎧。こちらのナイフを難なく受け止められているのは、あの魔力の鎧があるからだ。闇衲は動きを封じ込めるようにナイフを振り続ける。攻撃にパターンがあるように、防御にもパターンがある。
 顔に打ち込めば仰け反って躱されて。
 胴に打ち込めば手首を抑え込まれるのと同時に、返しの掌底が放たれて。
 足に打ち込もうとすればすかさず前蹴りが飛んでくる。
 この男もきっと自分の攻撃のパターンを読んでいるのだろう。どれ程早く薙ごうとも、奴の目は片時もナイフから離れない。その長さから間合いを測っているのだろう。その関係上、このまま戦いが続けば不利になっていくのはこちらである。完璧に読まれるようになってしまった時が敗北の瞬間だ……が。
―――切替スカルト
 真一文字に閃いた一撃を、男は余裕をもって躱した。その眼には多少の失望が見受けられたが、その余裕は少しばかり早い。返しで放たれた一撃に対応する様に、闇衲は勢いを殺さずに一回転。逆手に持ったナイフを、男の首筋に突き立てた。
「顔への攻撃は、躱すのではなく防ぐべきだったな」
 首筋には驚く程あっさりと、刃が滑り込んでいく。どうやら男は両腕以外に鎧を作っていなかったようだ。男の首筋から乱暴にナイフを引き抜くと、男の体はその場に倒れ込んだ。
―――血が出ていない、だと?
 首筋を裂かれれば誰だって死ぬ筈だ。現に男の体は死んだようにその場に崩れ落ちている。だが……出血していない。それ処か、ナイフに血の一滴も付着していない。一体どういう事なのだろう。そんな人間がこの世に存在するとは思えないが、念の為に距離を取って―――
「僕はこっちだ、殺人鬼」
 背筋に走ったのは悪寒ではなく、殺意。その直後の事だった、闇衲の背中を強固な手刀が貫いた。
「グッ……フ!」
 武器を背中の方に仕込んでいれば、もしかすると攻撃を防げたかもしれない。だが、今更その辺りの事を騒いでも仕方ないだろう。後の祭りという言葉もあるのだから。
「いやあ驚いたよ。まさかカウンターを貰う事になるなんて思ってなかった。保険のつもりだったんだけど、うん。掛けておいて良かったね」
「……何を、した?」
「教える訳ないでしょ。冥土の土産に……なんて油断すると思ってる? 君が死んでくれたら教えてあげてもいいけど、君が生きている間に教える事は何もないよ。何されるか分かったモノじゃないからね」
「…………警戒、するんだな。随、分―――と」
 声は段々と弱弱しくなっていく。程なくすればこの殺人鬼は絶命するだろう。そうなればコイツに殺された人々も少しは報われる。皆、何の理由もなく殺された人達だ、この男をリンチしてやりたいって思ってる事は間違いない。自分はその手伝いをしただけ。この男の魂がどうなるのかは、殺された人々次第だ。
「……さて、孤児院の方に行っている彼女も、ついでに殺しておこうかな」
 殺人鬼の後継者など作らせない。それがたとえ女の子だったとしても例外はない。『闇衲』の後を継ぎかねない者は全て処分する。
 魔術兵装を解除して、男は手を引き抜く。
「……ん?」
 抜けない。それどころか奥深くへと刺さっていく。死後硬直にしては、随分と力が籠っているような気もする―――
「甘い……ん…………だよ!」
 その音の正体を理解するのには数秒を要したが、それでも骨を握り潰されたという事実は信じがたいモノだった。一体あの身体の何処からそんな力が湧いてくるのか理解できない。だって、自分は確かに心臓を……
「貴様……心臓が無いのか?」
「……心臓? お前が死んでくれたら……教えてやってもいい、が。お前が生きている間に教える事は―――何もない!」
 掴まれた腕に更なる力が込められるが、肩から先の感覚は既に無くなっていた。しかしこのままでは埒が明かない。片腕を魔術で切断し、『闇衲』と距離を取る。この男がどんな存在であれ人間であると思っていた自分が馬鹿だった。この男は化け物だ。人間として生きられている以上心臓はあるのだろうが、本来の場所には無かった。探しようにも当てがない。幾ら自分でも、流石にあの男の攻撃を回避し続けながら心臓探しなんて曲芸は不可能だ。
 胸に突き刺さった片腕を放り投げて、『闇衲』はゆっくりとこちらに振り返る。恐怖を感じない筈の体が、僅かに震えていた。奴の手には相も変わらずナイフが握られている。
「喋り過ぎだな、お前は」
 男は再び『地』を発動させ身構える。何を言っているか分からないが、今度こそ大丈夫だ。肉迫する『闇衲』の刺突を往なして、返しの攻撃で顎を砕けばそれで終わりだ……
 いや、終わらない。『闇衲』は刺突を放つ直前に構えを変えて、ナイフを投擲してきた。それも弾き返されると分かっている筈の『顔』に。
 男が僅かに体勢を傾けてナイフを回避したのを、『闇衲』は見逃さなかった。そここそ付け入るスキであると確信して、左手に装備していた洋弓銃を放つ。
 これに驚かない男ではない。ナイフは囮だったのだ。むしろ回避こそ『闇衲』の望んでいた動きだった。この状態で間に合う行動は……防御のみ。ギリギリの所で防御は間に合ったが、その矢はあまりにも重かった。重心がぶれて体勢が崩れてしまう程には。
―――何だ、この矢は。
 反射的に片腕を再生させて立ち上がるが、『闇衲』には既に懐に入り込まれており、接近戦に持ち込まれるのは時間の問題だった……しかし。ここは一つ冷静になろう。
 一体どれだけの装備を持っているのか知らないが、確実に剣は持っている。そしてそれこそが『闇衲』の主武装なのだろうが、ここまで懐に入り込んでしまっては、むしろ剣は役に立たない。であるならば、この瞬間は偶発的に生まれた好機だと言える。
 剣は左腰にある。武器を扱っていない方の腕―――この場合は右腕だ―――はコートの内側に隠してある為分からないが(腕と武器が隠れていなければ洋弓銃にも対応できただろう)、その動きはコートの起伏などで確認できる。その動き的には、右腕は剣を抜こうとしているように見えた。
 しかし『闇衲』が実際に取りだしたのは鎖鎌。反撃を試みようとした男の顎が、素早く切り裂かれる。手首で素早く返された一撃は、どうにか腕で防御。形勢はあちらに傾きつつある。
「『衝律ヴィシュトゥース!』」
 距離を取る為に『闇衲』を吹き飛ばそうとするが、多少コートがはためいただけで、それ以上の事は起きなかった。
 対魔術コート……?
 その直後に腹部を蹴っ飛ばされたので結果的には距離を取れたが、まさかあのコートにそんな加工がされていたとは思わなかった。ただ腕を固めて物理攻撃に徹していた自分の判断は正しかったのだ……何て、気を抜いている暇はない。鎖鎌の本質は鎌ではなく鎖にある。
 やはり距離を取った直後に放たれたのは鎖だった。鎖鎌についている鎖の役割は、基本的には鞭と同じだ。相手の武器を絡めとったり、相手の体の一部分を縛って動きを封じたり。だが鞭との最大の違いは、撲殺できるという事だろうか。鎖の先端についている鉄球が頭に直撃しようものなら即死は間違いない。鞭の要領で振り回される鎖にはそれ程の破壊力があるのだ。
 鎖の先端がどの軌道で飛ばされるかを正確に予測し、防御。戦い方さえ分かってしまえばなんて事は無い。要は先端だけを見ていればいい……その方法は少しの応用で覆されたが。
 こちらへ飛ばされていた筈の鎖は、いつの間にか鎌へとすり替わっていた。そんな事は出来ないだろうと思っていたのは、左腕に洋弓銃を持っていたからだ。だがコートの内側にでも隠れたのか、左腕からは無くなっている。
―――切替スカルトが早すぎる。
 鎖を前提として動いていた事もあり、今から戦い方を変えるのは不可能。だが遠心力の加わった斬撃などまともに受けられる訳が無い。
 しかし、受けない訳にはいかなかった。よりにもよって脇を狙ってきたのだ、防がなければこちらがやられる。
 結果としては男の予想通り、まともに受けられる訳が無かった。刃は魔力の鎧を貫いて、不可侵領域を傷つけている。魔術兵装『地』は、頑強さを重視した兵装だが、モノには限度がある。これ程の威力の攻撃は想定されていない―――












「捕らえた」
 『闇衲』はあまった鎖を左腕に巻き付け、しっかりと引っ張る。右腕に装備した洋弓銃の狙いを、今度こそ外さない様に。












 一体どれだけの武器を隠し持っているのか知らないが、片腕を落とせば勝機は無くなる。再生が出来ると知られた以上はもうそんな隙は与えないだろうし、何より防御が薄くなるのはとても辛い。ここで取るべき行動は一つだ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
 接近する。それこそが今、自分の取るべき行動だ。張っていた鎖は緩められ、洋弓銃の照準はずれる。今しかない。『闇衲』の異常な切替の速さを考慮すれば、今しか勝機はない。それをあちらも分かっているのだろう、大きく目を見開いて、動揺していた。
―――魔術兵装『焔』。
 男は限界まで肉迫すると、重心を限界まで落とし。
「『鴻猟レルムグリューエン』!」
 命すら顧みない全身全霊の一撃を放った。













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