ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

立派な殺人鬼には 裏

「パパったらあったまいい~♪」
「だろ? まあ馬車引きの男は哀れだが、安全に戻るにはこうするしかない」
 馬車引きの男から服を剥ぎ取ってそれを自分が着て、元々着ていた服をリアに着せる。このようにすれば裸になる者はおらず、また馬車を引いている自分は馬車引きに見える。本当の馬車引き? 川に沈めておいたので見つかることは無いだろう。
「街の中に戻ったら馬車は捨てる。家から一番遠い所に捨てれば怪しまれることも無いだろう。いいかリア? 今夜の事は全て俺に任せてくれていいとして、お前に教えたい事がある。気を引き締めろよ」
「え、え? 何教えてくれるの?」
 そのまま馬車は門を過ぎる。本職の男から服を奪い取ったからか、特に怪しまれるようなことは無かった。城の放火と城下町内での殺人を関連付ける事など余程の想像力が無い限り出来ないので、別に幸運という訳でもないが。
「父が娘に何かを授けるのは親子の道理。そして殺人鬼が教えられるものなんて相場が決まっている」
 声を絞ってはいない。だが町の喧騒、馬の蹄鉄音も伴って、二人の会話は誰にも聞こえてはいなかった。人はこのような行為を大胆というが、案外こんな感じで会話をしていた方が盗み聞きはされにくい。こんな無警戒に喋るような二人が道徳的に不味い話をしているなど誰も思わないからだ。
「―――殺人術だ。お前にはありとあらゆる事を習得してもらうぞ。俺はお前の復讐の道具だが、これはお前自身の復讐だ。人生を壊されたお前の、お前による、お前の為の復讐だ。だからお前には、毒の調合、道具の効率的な使い方、武器の扱い方、体術、医術―――少しづつでいい。しかし仮に俺が死んだ時、せめて自分の手で目的を遂行できるくらいにはなってくれよ」
 少しだけ突き放すように言ってみたが、リアは目の端に映る虫程も気にしていなかった……成程。やはり彼女と自分は違う。彼女にとって殺しとは―――飽くまで手段なのだ。殺しを目的とした殺人鬼ではない。だから彼女にはもっと似合う言葉がある。何処に居ようとも自分を照らしてくれる黒い焔。それを宿す彼女は正に……そう。




              復讐鬼ハイスフォビア      




「という訳で早速やっていくぞ」
 馬車は一番遠い所に置く予定だったが、せっかくなので子供教会への嫌がらせに使わせてもらった。入口の前に横にして置いておいたので、今頃彼らは多少なりとも苛ついている事だろう。
 『闇衲』は張り切って柔軟をしているリアへと目線を向けつつ、首を鳴らした。
「体が硬いな。それじゃあまだ高度な技は教えられないぞ」
「……ねえ、私思うんだけど。一体どうしてこんな所でやらなきゃいけないの?」
 そう。リアと『闇衲』は隠れ家の中で訓練をしようとしていた。家の中を荒すのは確実。そしてその音によって目立つのも確実。悪目立ちしてしまえばいずれは子供教会も踏み込んでくるかもしれない。だがやるしかない。何せ殺しの修練だ。外でやるにしては少々闇が深すぎる。
「外に出て教会に見つかりたいなら出ようか。嫌だったら我慢する事だな……まあ、何だ。どっちで訓練するにしても、まずは体が柔らかくないといけない。お前は女性なんだ、その肢体は余すところなく凶器だ。誘惑にしろ潜入にしろ、体が柔らかいに越したことは無い」
「でもこん……な風に股を開くだけで、体が柔らかくなるとは思えないんだけど!」
「直ぐには、な。だからお前は復讐の進度に関わらず毎日柔軟をしろ。最低でも数か月以内には柔らかくなる。さて、柔軟やめ。暗殺はまだ早いから、まずは体術だ」
 机を脇にどけて、部屋の中心をなるべく綺麗に。こうすれば動きやすいし何より、生活が壊されるリスクはぐっと減る。
 まだ痛みが残っているらしく、リアは少々苦しそうに立ち上がった。股の辺りを少しだけ擦っている。
「殺しは戦闘から始まる。戦闘に入る前に対象を殺せる者は一流だが、それはまた別の話だ。お前は暗殺者になる訳ではないから、こっちも出来なきゃな。では構えろ」
 リアの拳が持ち上がった。が、甘い。
「隙だらけだな。それじゃ逆に殺されるぞ」
「む、パパは構えてすらいないじゃない! そんな人に構えがどうこう言われたくないわ!」
「殺す気も無い上、相手が素人じゃな。構えずとも制圧くらいは造作もない―――」
 その言葉が言い終わるか終わらないかの内に、逆上したリアが渾身の一発を自分の腹部へと放ってきた。多少不意を突かれたことを驚きつつも、取りあえずその一撃を喰らってみる。リアはしてやったりと言わんばかりの表情で、こちらの顔を見据えていた。腕は伸びきったまま、拳はこちらの体に密着したままで。
「力もない、技術も無い、スピードも無い。そんな拳が当たってもまるで痛くないわボケ」
 そこからどうなったのか、少なくともリアには一切認識が出来なかった。いつの間にかリアの体は回転し、片腕を『闇衲』に取られた。抵抗しようにも後頭部を踏みつけられている上に関節を極められて動けない。
「これで終わりだな。後は後頭部を思い切り踏み潰せばそれだけで終了だ。足の力が弱いというなら全体重を後頭部に落として終わりだ」
「――――――あ―――――ああああいい…………いいいああい!」
「ああ、すまん。離すの忘れてた」
 極められた腕が解放されるが、未だに腕が動かない。まるで恐怖が腕を縛っているようだ。
「まあ、これで分かっただろう? 今のお前は俺に構えさせる価値もないゴミクズって事だ。お前の価値などその程度、それこそ子供を産む機械以上の価値は無い」




 『子供を産む機械以上の価値は無い』。それはリアにとっては容姿を侮辱される事よりも、才能を侮辱される事よりも、大切な者を侮辱される事よりも腹立たしく、憎々しい。たとえそれを言ったのが仮とはいえ父親の『闇衲』だったとしても変わらない。
 それを言った奴を、リアは絶対に許さない。赦す気は無い。だからリアは―――




「…………ふざけんじゃないわよ」
「ふざける? それはお前の事か? 実力差も正しく認識できない癖に突っ込むなんて何考えてる。だからお前にはその程度の価値しか―――」
「それ以上言ったら殺す。パパを、アンタを、殺す」
「……ふむ」
 その殺意は本物だった。だからこそ『闇衲』はほくそ笑み、彼女の殺意を評価する。地雷をわざと踏んでみたが、どうやらこれは地雷などではなく……噴火だったようだ。甘っちょろい雰囲気の一切が取り払われた。もう一言付け加えてやれば、彼女はきっと訓練に対して、最高のモチベーションを保てるようになるだろう。
「俺はこれでも正体不明の殺人鬼。ただの小娘に殺される訳があるまい。が、俺もどうせこの世界の人間。結局お前には殺される運命にある。であるならば、訓練を受けたほうがいいとは思わないか? 一々俺の事について突っ込むような事はせず、自分の事だけを考えて訓練した方がいいとは思わないか? 俺が構えてないとか、俺が武器を使わないとか本気を出さないとか余裕持ってるとか寝てるとか起きてるとかそういうのを気にしないで! ―――俺を殺しを教えてくれる道具だと思っていた方が、いいとは思わないか? 『ゼロ番』」
「…………てめえ……」
「俺は父親だが、道具でもある。父として娘に何かを教えるのは当たり前だし、道具として未熟な使い手を仕上げる事は当たり前だろう?」
 殺しに対するモチベーションを保つのは簡単だ。殺しに直結する感情を常に持たせればいい。憎悪や悲哀、或いは孤独。それらを持たせ続ければ勿論、精神が圧し潰されるデメリットはある。だが殺人術の殺害において、負の感情の維持は絶対に必要だ。
 無で殺せるのならそれで結構。だが素人にそんな事は出来ない。最初から殺人鬼だった自分でさえ、最初は殺しを楽しんでいたのだから、出来る訳がない。
 故に、最初はこれでいい。自分を憎ませる事でやる気を出す、集中力を出させる。これから彼女は『闇衲』の一挙手一投足に注目するだろう。そして自分を舐めていると判断した場合は酷く激高し、やる気を出すだろう。
 全て計画通りだ。彼女の煽りに対する耐性が無くて助かった。もしもこうならずに先程のまま訓練を始めていたら、きっと事あるごとに話の腰を折られていただろうから。
「分かったわよ。もうパパが何をしてようと口は出さないわ。でも気を付けてね……気を抜いていると、いつかさっくり殺されちゃうわよ……私に!」
「俺の育てたお前に殺されるのならば結構な事だ。殺人鬼としてこれ以上の幸せはない」
 これが育児などと宣った日には世界中に存在する夫婦に罵倒されてしまうだろうが、これが殺人鬼式のやる気の出し方だ。
 誰も見ていないし、知ることも無いだろうが、是非参考にしてもらいたい。





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