ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

プライドなんて 裏

 死体安置所というよりかは死体放置所なこの場所に他の出口など無い。あるとすればそこの衛兵の背中側の扉だけ。二人は意図せずして袋の鼠となってしまったのである。
「……パパ、どうする?」
 咄嗟にリアを抱えて死体の中に隠れたまでは良か……ないが、この状況ではこれ以外にやりようがないので仕方がない。糞尿に全身が浸され、死体に侵され、虫に集られる。まるで死体になったようで至極不快である。特にリアはこの手の状況に耐性が無い。冷静を装っているが、誰がどう聞いてもその声は発狂寸前であり
、尋常でない程に震えている。
「……どうする、と言われてもな。困るというか何というか」
 殺すのは容易い。だがあの衛兵は言っていた。『こんな所に人なんかいない』と。その言葉はまるで誰かからここに人が居るという情報を教えてもらったようで、だからこそ半信半疑にここを訪れた。言葉一つからでも状況は容易に読み取れる。自分達を妨害する敵の存在も……
 やり過ごすに越したことは無い。ここで動くのは悪手だ。
「居る訳ねえだろ……全く。虫ばっかで動くモンなんか何一つねえじゃねえか」
 このまま動かなければやり過ごせる。だがそうもいかなそうなのは、自分の抱えている少女を見ていれば分かる。目の焦点がブレ始め、眉やら耳やらが震えっぱなしで。糞尿の匂いに精神を犯されて、集る虫に聴覚を犯されて。いよいよ彼女の精神は異常性を持ち始めている。発狂寸前というより、発狂中だがどうにか正気でねじ伏せている。
「あ………あ……あ……あ!」
「馬鹿、静かにしろ。気づかれるぞ」
 ああ無理だ。後数秒もすれば彼女は発狂する。そうなってしまえばやり過ごしは失敗。二人は抵抗も虚しく囚われるだろう。
―――仕方ない。
 衛兵が身を翻し、扉に手を掛けた時を見計らい、『闇衲』は音もなく立ち上がる――ー直後。気を引くには十分すぎる程の音が響き渡った。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「えッ」
 一人の少女から発せられている等誰が信じるだろう。その声量はもう人間が到達できるモノではなかった。それも含めて、ここは死体放置所。突如として背後からそんな声が上がるもんだから、衛兵はびっくりして背後を振り返った。
 その行動が自身の命運を決めたとは知らずに。










「死体を運び出せ! 実験素材が無くなるぞ!」
「一人一人だと面倒だ、まとめて袋に詰めて、外に放りだしておけ! 火が消え次第回収だ!」
「なんだこいつこの国の鎧……おい、まさかこいつが放火犯じゃないのかッ? こいつも放り出す? そうかッ!」








 糞尿と虫と死体と一緒に詰め込まれた生者は、総じて気がおかしくなるものである。衛兵達に放り出された袋が内側から膨張。適当に縛られていたようで、袋の口は簡単に解けた。そこから出てきたのは二つの死体……いや生体。『闇衲』とリアである。
「これでどうにか逃げ延びたわけだが……人としての尊厳は最低値まで堕ちたな。夜に放つ筈の火も今放ってしまったし……」
 ここまで崩れまくる計画も中々無いだろう。完璧に行くとは思ってなかったので良いのだが、ここまで来るといっそプランなど無い方がいいような気もする。が、自分は所詮道具だ。彼女の方向性を反対するような真似はしないし、その権利も無い。
 彼女は発狂が収まらなかったので気絶させた。まだ復讐を決めて年も経っていないような少女があんな場所に長時間いて耐えられる筈が無かったので、正しい事をしたと思う。多分。とはいえこのままの状態……全身糞尿塗れのままでは、たとえ意識が戻ったとしても再び発狂するだろう。それは困る。丁度国の外に出たのだ、川も近い。そこで体を洗うとしようではないか。
 『闇衲』は娘を抱き上げて、近くの川へと足を進める。この澄んだ川に糞尿がまき散らかされるのだと思うと……罪悪感はないにしても、良い気分ではない。
「ほら……起きろ!」
 リアを川の中へと放り投げると共に、『闇衲』もまたその身を川へと投げた。流れはそう強くない。流されることは無いだろう。
 それにしてもこの感覚。魂が昏い闇の底へと落とされるようなこの感覚。こここそ深淵。これより先は死あるのみ。全身を包む水は魂を運ぶ船の様。ゆらり、ゆらりと体を揺らして、落ちる魂をその先へ。なんと気持ちの良い事か。なんと心地よい事か。このままこの中に身を委ねて何もかも捨ててしまいたい。そんな思いが自身を満たす。
―――だが、もう戻れない。
 自分にはもうそんな権利はない。既に何もかも捨ててしまったから。だからこの身を委ねる権利も無い。きっと、きっとそれは永遠に来ない。
 光の支配する世界に手を伸ばす。そしてこの身を引き上げる。
「……まあ、そこまで綺麗にはならないか」
 こびりついた汚れは落ちやしないが、糞尿は少なくとも落とせた。臭いが残っているのが気になるが、それはまだ後の話としておこう。『闇衲』は川の前方へと目を向け、そこをじっと見据える。気絶させただけなので呼吸は止まっていない。なので川に放り込めば無理やりにでも意識が戻って起き上がってくる筈なのだが……筈なのだが。
「……………」
 筈なのだが……
「……………………おい」
 流石に心配になったので、彼女を落とした所に手を伸ばした。感触が……ない?
「パーパ!」
「ぬおッ!」
 背後から襲う突然の重さに、『闇衲』は再び水の底へと倒れた。潜水をする準備もしていないので、このままでは溺れてしまう。直ぐに体を跳ね起こして、顔を水面より上に持ち上げた。
「お、お前なあ……せっかく心配してやったのにそりゃ無いだろ」
「心配ッ? 人を川に落としておいてよく言いますね! あーはいはい助かりました助かりました! パパありがとねッ!」
 何故か敬語なうえにそんな目つきで睨まれながらお礼を言われても全く嬉しくない。嬉しいというより、ちょっと怖い。
「……まあ、私も発狂しちゃったし、これでお相子。ごめんね、パパ」
「―――そうだな。取りあえず陸に上がるか。臭いも消えてないし、これからどうすればいいのかも考えないと」
「……どういう事?」






 替えの服などある訳がなく しかし街に戻るとそんな状態は大変目立つ。目立つことを大変嫌う『闇衲』からすればそれを無視する訳にも行かず……結果から言うと、『闇衲』は裸になっていた。
「ねえ、私も脱ぎたいんだけど」
「目立つから駄目だ。子供教会の奴らが来たらどうする」
 外に出る人間を未だ一人も見かけないのが、不幸中の幸い。川に水汲みに来られるだけでもこっちは嫌なので、今は何気に幸運が発動している……のか?
 リアは口を尖らせ、こちらに詰め寄った。
「もっといい方法は無かったの? 朝に火を放つなんて予定外も良い所よ? それなのにどうして火なんて」
「お前が発狂したのがいけないと言っている。俺もそれだけは避けたかったが、少なくとも犯行は物言わぬ死体に押し付けられたし、これ以上いい方法は無かった」
 堂々と城から出るよりはマシだった事だけは間違いなく言える。
「お前がもし俺の立場だったらどうしてた? 俺の行動は間違いなく最善だったと思うが」
 『闇衲』の言葉に、リアは数秒考え込んで、目を逸らした。
「……ごめん」
「だろう?」
 とはいっても、何も損ばかりがある訳ではない。損がある以上得もある。不釣り合いだったとしても確かにある。
「……まあ、分かってくれたところで、改めて計画を進めていこうか。今夜、俺はもう一度火を放つ。死体安置所には既に放っちまったから……王様の寝室にでも放つか」
「え、もう一度火を放つの? ……流石にそれは不味くない?」
「何故だ」
「だって一度火を放たれてるのよ? 警戒は十分にする筈。それこそあの抜け道を使っても……」
 リアの言葉が途中で途切れるのも無理はない。その言葉を聞いても自分は、微塵も動揺していなかったのだから。
「……何か案でもあるの?」
「まあな」
 作戦部分は何も問題は無い。現状において最大の問題は、ここからどうやって誰にも注目されずに拠点まで戻るか、という事だけ。そこがクリアされれば後は何の問題も―――
「ん?」




 馬車が、あった。



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