ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

永劫輪廻の彼方から 裏

「……成程。確かにそれは収穫だな」
「でしょ? あの孤児院が男の子を誘拐するなんて……おかしいと思わない? パパはどう思う?」
 まさか誰かとこんな風に食事するなんて思ってもみなかったので、『闇衲』の料理のスキルは大変低い。何も出来ない訳ではないが、何かが出来る訳ではない。野菜を炒めたり、スープを作ったり……そのくらいである。リアは美味しそうに食してくれているが、その顔を見るとどうにも心が痛む。勝手な思い込みだが、何だか気を使われているように感じてしまう。そういう人間ではない事は分かっているのだが、性分だ。
「どうもこうも、事故だろうな。女子を再び攫わんとしたら、事故で男子の方が召喚されてしまった。送り返す魔術をこっちの世界で習得してる奴は……まあこの大陸には居ないだろうな。だが外に放りだしてしまってはそれこそ悪手。仮にも孤児を保護する施設だ、事実上孤児の男子を放り出す訳には行かないからな。だから孤児院に残らせているんだと思うが」
「でもさ、孤児院は私みたいな子を管理する施設な訳だから、結局最後は子供教会に送る訳じゃない? 普段の通りなら何の問題も無いかもしれないけど、男の子は……送れないわよね」
 男は子供を作れない。それは恐らく、リアの世界でも共通している事だろう。以前述べた通り、子供教会とは言わば、子供を生産する場所。子供を産める機械を他所から奪って、それを使って生産する場所だ。男などこの世界に居る者で十分。異世界の男に価値など無い。ある筈が無い。
 スープに口をつけた後、『闇衲』は頭を振った。
「―――記憶を持っているという事は、お前の世界にも魔術はあったんだろう? だったら分かるはずだ。魔術に道徳はない。使い手次第では文明が滅びる事もあると」
「……パパ。話の腰を折るようで悪いけど、私魔術の事何も知らないの。取り戻したのって、自分の記憶だけだから」
「……教えろと?」
「そう!」
 笑顔を弾けさせて、リアは頷いた。いや、自信満々にそんな事言われても困るのだが……いいか。仮に魔術を知っていても、その全容を知っているとは限らないので、どの道説明する必要はあっただろうし。
「まあ―――可愛い娘の為だ、教えよう。魔術とは体内の魔力を使って行われる技術で、過去の人間が創り上げた最大にして最悪の技術だ。決められた詠唱をすることで魔力に秩序を与え、意志を以てそれをコントロールし、現象として顕現させる。因みに魔術を極めた者は、一から詠唱を作り上げて魔術を創造する事も可能らしい。何故なら詠唱とは飽くまで無秩序な魔力を纏め上げる為の方法に過ぎず、魔術を極めた者は―――」
「パパ、そういうのは後で自分で勉強するから。私が言いたいのは、パパが暗に示している魔術の事よ」
 ……話の長いおっさんを見るような目つき。というか正にそれだが、この視線がまさかこれ程までに辛いモノだとは。話しを纏められない己の無力さと、話さなければよかったという後悔が同時に襲ってくる感覚。これを他でもない娘に向けられると、その威力は尋常なモノではない。
「……『交性グラールトラウム』。対称の性別を入れ替える魔術だ。使える奴が居たかは忘れたが、もし居るとするなら、間違いなく使うだろうな。どうでもいい補足として、入れ替えるのは飽くまで外見だ、精神は本来のそれと変わらない。つまり―――男でありながら犯される感覚を味わう事となる訳だな」
 出産時の痛みを男は耐えられないという話がある。嘘かどうかは置いといて、男の精神を持ちながらそんな苦しみを味わわせられるその子の痛みは、きっと他の何倍も濃い。それも一度や二度ではない、三度四度五度六度七度……絶え間なく、絶え間なく。いつまでもいつまでも味わい続ける。
 元々女性の人でさえやがては『子供を産む為だけの機械』として適切に機能するようになるのだから、きっとその子はそう間を置かずに壊れてしまうだろう。
「ふうん、そうなの。可哀想ね、あの子」
 淡白な感想を述べて、リアは手元の紅茶に口を付ける。自分がどうでもいい補足と敢えて言ったのはこういう事だ。王族でもない、それどころかこの世界の出身ですらない人間が勝手に死ぬだけなのだ。リアが口出しするようなことは無い。
「一応、お前と同じ境遇な訳だが、言いたい事はそれだけなんだな」
「だってどうでもいいもの。私の考えた作戦に関わってくる時があるとしたら第一ステップか、孤児院を狙う時だけ。そんな人の事を考える余裕なんて、私には無いわ」
 淡白というより冷淡。年相応の笑顔で食事を摂りながらもそう語るリアに、『闇衲』は苦笑いを浮かべる他無かった。
「確かにその通りだ。何かを殺すときは殺し以外を考える必要はない。殺しの刃が鈍る原因になる。何も教えた覚えはないが、よくぞその発想に至った」
 人はまだ殺してはいない。だがその思想は着実に殺人鬼のそれに染まりつつある。表顔は礼儀正しい少女。その裏顔が、まさか殺人鬼のそれだとは誰も考えつかないだろう。
 自分の言葉を聞いたリアが、ぱあっと顔を輝かせて、机から身を乗り出した。
「え、もしかしてパパ、褒めてくれたッ?」
「ああ、そうだけど……何だ、その頭は」
 リアは現在、何かをしてほしそうに頭をこちらに向けている。謎の期待が込められた視線が、『闇衲』の瞳を貫いた。


―――この角度、この状態。導き出される答えは一つしかないだろう。


「……頭突きでもしてほしいのか?」
「違うわよ! というか何でそんな発想になるのッ? 馬鹿なの?」
「親を馬鹿呼ばわりとは失礼な事だが、生憎察しが悪い方でな。してほしい事があったら口で言ってくれ」
 それは特異体質でも何でもなく、只恐ろしい程に察しが悪いだけだ。特に人間関連は。
「………………………あ」
「あ?」
「頭―――撫でてくれる?」
 リアは目を左右に揺らしながら、頬を染めて唇を嚙み締める。何だ、そういう事だったのか。口にするのが恥ずかしくて、だから仕草で気づいてもらおうと……『闇衲』は、ぎこちない手つきでリアの頭へと手を乗せて、ゆっくりと撫で始める。今まで何度か『娘』がどうこう言ってきたが、自分も『親』として成長する必要があるのかもしれない。彼女が復讐を達成するその日までに。
「パパの手……暖かいね」
「そうか? というか体温が分かるのか?」
「ううん、パパの手にこびりついた血が暖かいの。しっかりと洗ってるみたいだけど、私には分かるんだからね?」
 血の記憶、という奴か。確かにこの手は何度も血に塗れてしまった。落としても落としても落としても、消える事が無いくらい夥しい量の血を浴びた。もう何人殺したかも覚えていない。彼女はそれを言っているのだろう。
「ねえパパ。人を殺したらどんな気分になる?」
「……最初に人を殺した時は、吐いた。手の震えが止まらないし、動悸は加速、足は碌に歩けなくなるくらいガクガクになったな。何を食べても飲んでも戻して、殺した奴の怨嗟が夢の中で俺を蝕んで、いつもいつも誰かに視られてる感覚があった。だが同時に……凄く興奮したな。たった一つの命を奪っているからこそ味わえる、極上の興奮。死にたくなるくらいの代償と引き換えに、俺はそれを得ることが出来ていた」
 リアはしっかりとこちらを見つめて話を聞いている。まだ聞きたいのか、先程よりも一層身を乗り出していた。『闇衲』は一瞥の後、話を続ける。
「だが、そんなのは最初だけだ。後はもう作業。限界効用って訳じゃないが、俺はついに何も感じなくなった。一々殺した奴の事なんざ覚えちゃいないってのは本当でな。今じゃそもそも俺は人を殺したことがあるのか、なんていう当たり前の事さえ疑問に思えてくる始末だ」
 だが、リアが血の記憶について語った以上は、間違いなく人は殺している。自分でもそれは分かり切っていたが、何故だか信じる事が出来なかった。
「……ふーん。殺しってつまらないんだね」
「つまらないな。だけどお前は世界を殺す気なんだろ? 少なからず人を殺す気があるなら、たとえつまらなくても楽しくやらないとな」
 リアの頭から手を離し、『闇衲』は立ち上がった。「……お客様が家の前で待ってるぞ。俺は隠れるから、応対してくれ」











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