ダークフォビア  ~世界終焉奇譚

氷雨ユータ

 宵闇の中で  裏

 トストリス大帝国は双王と呼ばれる二人の王様によって治められている軍事国家だ。付近の大陸にある国家と比べてもその力は歴然で、一部からは『神すら崇めるトストリス』とすら呼ばれている程。しかしこの国は、最早力ではどうしようもない深刻な問題を抱えていた。
 それは若者の不足。トストリス大帝国に限った話ではないが、この国は現在、少子高齢化社会を迎えていた。
 理由は分からない。分からないから国は困っていた。対処のしようのない、物理的力ではどうしようもない問題に。このままではいずれ大陸から若者は消えて、軍事国家などと呼ばれている今も過去のものとなり、別の国に支配されてしまう。
 そこで国はある秘策を実行した。過去の人類が後世へと継いだ技術―――魔術を使っての、異世界からの誘拐を。あちら側の世界からすればたまったものではないが、そんな事情は知った事ではない。この国は名前も知らぬ別世界からひたすらに子供を召喚し続けた。記憶も奪って名前を奪って、そして管理する。孤児院で。
 孤児院に住むリアもその内の一人だ。今ではもう懐かしさすら覚える世界から召喚された、作られた孤児。
 他の子どもと違う点を挙げるとするならば、リアも、魔術を使えるという事だった。偶然か必然か、元の世界にも魔術はあったのだ。故に、記憶の奪還や名前の奪還。そんな事は容易い事だった。
 だがそんな彼女でも世界を渡る魔術だけは行使できない。記憶を取り戻せば取り戻す程、元の世界に帰りたいという欲求は強くなるばかり。しかし名前を取り戻し、記憶を取り戻しても、それでも元の世界には帰れない。自分にはその力が、無い。
 もう誰にも会えない。自分の知る誰にも会えない。会えるのは表面ばかりの笑顔を浮かべる院長と、誘拐されたことも知らないで、無邪気に生活する子供達。そしてたまに来る紙芝居の人。
 考えれば考える程、願えば願う程、想えば想う程、望みは遠くなる。理想は夢と潰えて、泡沫のように消えゆく。
 知っている。孤児院で成長した子供が、何処へ往くのかを。
 分かっている。女の子がどんな結末を迎えるか等。
 愛など無い。
 意志など無い。
 そこに彼女たちの人権は必要ない。
 あるのは男達の煩悩。溢れだすリピドー。そこにあるのは『欲』のみ。
 子供を作って作って作って作って作って―――死ぬまで子供を作らされる。異世界の者なので、誰にも文句を言われることは無い……そう、この世界の誰にも。近くで殺人が起こったとしても、全く知らない人であれば何の感慨も沸いてこないという人間も居るだろう、そういう事だ。
 知らない人間であれば何をしても良い。実力主義のこの大陸では、そんな非人道的行為がまかり通っている。
 犯しつくされて死んだ人間の瞳に光はない。ただこの世の絶望と虚無を見据えたまま、死に絶える。元の世界の事など知らないまま。自分は子供を作る機械でしかないと思ったまま。
 引き取り先が見つかった。そう言われた時のあの子の顔は今でも覚えている。希望に満ちた表情。これから人生を生きていくと決心したような、生命に満ち溢れた表情。
 この子供教会で彼女と再会した時、その瞳に希望は無かった。それどころか、意志すら無かった。語り掛けても返事はない。生きていても死んでいる。
 それを見た瞬間、リアの世界の全てが狂った。正義と悪、人間と機械。絶望と希望。
 願えば失い、想えば潰え、望めば空廻り。
 だから自分は……逃げ出した。世界の全てを憎んだまま。友達全てを犠牲にして、自分だけでも生き残るために。






「ゼロ番が居ないぞ!」
「クソ、器具に繋げるのを明日に先延ばしにしたせいだなッ。だがそう遠くへはいけない筈だ。探せ!」
 管理者達の声が、宵闇に包まれた帝国に木霊する。生殖者番号ゼロ番―――つまり自分だ。脱走から五分と経っていないが、まさかこんなに早く気づかれるとは思っていなかった。或いは、ゼロ番を冠る自分が逃げたからこそ気づかれたのかもしれない。
 孤児院に戻った所でこちらに送り返されるだけなのは分かっている。だが頼れるモノは居ない。逃走を手助けしてくれたかもしれない友人は、現在ここ―――子供教会にて器具に繋がれ、生殖活動に利用されている。
 院長個人もこの活動に賛成する人間の為、やはり個人としては頼れない。紙芝居の男は飽くまで中立を謳っているが実際はどうか分からない。それにそもそも、あの男の住んでいる場所が分からない。自分の今いる場所―――ゴミ箱の中だ―――も直に捜しに来る。それまでに何としても次の隠れ場所を―――
「…………夜に出歩いちゃいけないって…………教わらなかった、か………?」
 背筋が凍るような冷たい声。まるで生気を感じさせない声がリアの背中を舐める。
 いや、実際そいつには生気が無かった。肩口から腰に掛けて刻まれた深い傷跡。既に数分以上大量出血しており、このまま放っておけば数分と持たず死ぬだろう。
 リアはゴミ箱から僅かに顔を出して、男の顔を見据える。
「貴方は……?」
「―――正体は言えない、がな。……薄汚い殺人鬼………って言えば、分かるかな?」
 この大陸で殺人鬼という言葉が表す存在は一つだ。という事はまさか―――『闇衲』?
「……な、なあ…………………た、助けてくれないかね、お―――お嬢ちゃん。俺を…………たすけ、たすたた…………くれれば……………………………」
 全ての人間を恐怖させた殺人鬼が、今見るも無残な姿で助けを乞うている。言葉すら碌に出せなくなって、それでも尚必死でこちらに助けを求めていた。
「……いいですよ。きっと貴方は今、私にとって一番信頼できますから」










 今にも死にそうな男の言葉を頼りに、辿り着いたのは男の隠れ家。男性という種はすべからく物を散らかす生物だと思っていたが、この男の部屋は存外、綺麗に片付いていた。
 男をどうにかベッドまで運んだ後、リアは暖炉に火を付けた。血塗れの男を運んだ影響でリアの体も血まみれ。服の替えなど持ってはいないが、あの工場で支給されたのは最低限恥部を隠せる程度の簡素な服だけなので、問題が無いと言えばそうなのかもしれない。
「…………………………………………ま、さ………か。助けて、くれると……………は」
「貴方の為じゃありません。私の為です。勘違いしないで下さい」
 包帯を取って、傷痕に重ねるようにゆっくりと回していく。直ぐに包帯が血に染まるが、気にしないで回していくと、やがて傷痕は塞がった。
「薬草とかは調合できないので、これで勘弁してください」
「はは……は。別に、いいさ…………助けてくれたんだし」
 男は体をどうにか起こして、壁に凭れる。
「あ、体を動かすと血が噴き出しますよ。暫く安静にしてないと」
「……………………………………………………………ふう。気にしないでくれ。今死ぬかいつか死ぬかに大した違いは無い……それで、何が望みだ? 俺の叶えられる範囲なら応えてやろう、お前の命でな……フッ、冗談だ」
「殺人鬼なのに、善行をして良いんですか?」
「殺してばかりじゃ飽きるからな。たまには良いこともしないと」
 とある悪人はたった一度の善行で、後々に救われるチャンスをもらった……という話を紙芝居で聞いたことがある。何処の話かは知らないが、『闇衲』もその話に倣っているのだろう。そうでなかったとしても、人は刺激を好み、停滞を嫌う。刺激とはつまり、いつもの状態から逸脱した出来事だ。
 平和ボケした人間が刺激を求めるように、危険ボケした人間が平和を求めるように。悪人もたまには善を求める。求めざるを得ないのだろう。
「じゃあ、叶えられる範囲というのは……善行限定、ですか?」
「憎い奴を殺してほしいとか、気に入らない奴を殺してほしいとか、或いはこの家に暫く匿ってほしいとか、その程度の範囲だったら任せる」
 男は事情を知っているかのように窓から外を見つめる。度々通りかかる足音は考えるまでもなく子供教会の者だろう。家には入ってこないようだが、ここもいつかはばれる。そうなれば……またあのおぞましい施設に逆戻りだ。
 そして今度は二度と逃げられない。普通は一体一人が原則だが、一度逃げ出した自分には複数人があてがわれて―――他の皆以上の地獄を味わう事になる。
「だったら―――私の、パパになってください!」
 絶対に戻らない。あの施設には。その為なら自分は、どんなものも利用する。たとえそれが、殺人鬼だったとしても。
















 

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