ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

戦乱の兆候

 ―――こうした暮らしは、実に久しぶりの事だ。

 一度『鬼』となった者に安寧は訪れない。かつてのジバルでは、そんな話がまことしやかにささやかれていた。実際、只の人間でしか無かった自分がフェリーテを救う為に『鬼』となったばかりの頃は、自分を怖がり、誰一人として協力しようとは考えてくれなかった。娘であるウェローンだけは協力してくれようとしたが、当時のフェリーテには力の制限というものが一切無かったので―――こんな事を自分の娘に向けて言ってしまうのは酷だが、協力などあってない、戦力として数えられる様な存在では無かった。むしろ守らなければいけない分、戦力を下げている気さえした。

 アルドが来なければ、どうなっていた事やら。

 彼のお陰で好きな人が守られ、自分の居場所も守られ、間接的に娘も守られた。感謝してもしきれない。そんな彼を差し置いて平穏な暮らしをまた始めるなんて、最初はどうなのかと思っていたが―――やはり自分も元は人の子。こうして改めて身を置いてみると、案外悪くないのではないかと思い始める様になってしまった。

 いや、それ自体は当然だ。戦乱の中で生きた者は平穏を望み、平穏の中で生きた者は刺激を望む。まれに戦乱の雰囲気に呑まれ、戦乱を望み続ける者も居るし、アルドの様に、戦乱を望まずともその中にしか居場所を見出せない人も居るが、ディナントは違った。武人として戦いを純粋に好む一方で、無意味な戦乱などを嫌っていた。

 このまま娘と過ごせたら、などと。自分はどうしてそんな事を想ってしまうのだろう。アルドからの招集が掛からないという理由で、いつまでもここに居られたらどれだけ幸せなのだろう。こんな考えを抱く事自体、恩への仇になる事は百も承知だ。その上でディナントは……長い休暇を楽しんでいた。

「お父さん。お茶でも飲みませんか?」

「……オマエガ?」

「はい。お父さんが居ない間に、少しは上達したと思います。私の成長……見てくださいッ」

 自分が帰ってきた事で、ウェローンは常に上機嫌だ。数年ぶりに会った、しかも半ば強引に出て行ったから、普通であればぶん殴るなり、平手打ちをするなり、今までの報復をするべきだ。こちらもそれくらいは覚悟していた。アルドとは違って不死ではないので、流石に打ち首の覚悟は無かったが。

 だが実際に彼女がしてきたのは、「お帰りなさい」というただ一言。恨みの感情を微塵も感じさせない対応に、当初は言葉を失った。

「……オソわ、のカ」

「はい。茶屋に友達が居て、教えてもらいました。お父さんの口に合えばいいんですけど」

 忠義を選ぶか、家族を選ぶか。

 今までディナントは前者を選んできた。だからリスド大陸に渡り、アルドと共に五大陸奪還の為の道のりを歩んできた。だが、今は後者を選んでいる。慰安旅行の名目上今は一時的だ。しかし彼は個人の選択を何よりも大切にする。自分が『このまま一生ここに居たい』と進言すれば、間違いなく認めてくれるだろう。


 他のナイツがどう思うかは、さておき。 


 特にフェリーテには何を言われるか分かったものではない。彼女とはアルドを除けば最も付き合いが長い友人だ。始祖としての力を解放する事を嫌った彼女の事を守れなかった時から、それは自分の負い目となっているというのに。アルドへの恩を忘れて平穏に生きたいなどと言い出した日には、本当にどんな事を言われるやら。

 ―――いや。

 冷静に彼女の性格を考察すれば、何も言われない事など分かるだろう。しかし、それは決して何とも思われないという意味ではない。飽くまで言葉の上では何も言われないだけであり、その心の中ではきっと……これ以上は考えたくもない。特にアルドの心境。彼くらい自己評価が低くなると、ディナントの脱退という、自己評価とは何の関係もない所でネガティブになる可能性が高い。自己評価の低い人間は決して他人に悪口を言わない。言ったとしても、今度はそれを言った事自体を責める為に、百の悪口を自分に返す。

「……どうですか?」

 恐る恐るウェローンが尋ねてきたので、暫し口の中で吟味した後、素直な感想を返す。

「…………美味、なリ」

 精神が研ぎ澄まされる味、と言っても他人には伝わらない。何と言うべきだろうか。奥深い味わいと言っても、抽象的過ぎる気がする。上手い喩えが思いつかない。数年間もの間不自由な喋り方で通してきたせいで、語彙力が下がったのかもしれない。だからと言って『神尽』で再び喉を塞ぐ気にはなれないが。

「そう言えばお父さん。聞きましたか?」

「……?」

「どっちの国かよく分からないんですけど、同族殺しが出現したらしいですよ」

 同族殺し。

 魔人という存在は、魔人毎に何の血が混じっているかが異なっている。これはカテドラル・ナイツを見るだけでも分かるだろう。『竜』の血が流れているから『竜』の魔人。『雀』の血が流れているから『雀』の魔人。因みにフェリーテはあらゆる妖怪の血が流れているので(正確には大元)、『妖』の魔人。自分は後天的に『鬼』の血を宿したから『鬼』の魔人。

 遥か昔はこの種族毎に呼び方、集落を作っていたらしいが、人間との溝が深まるのに反比例して、種族間の溝が解消。やがて種族に拘らず、魔人は魔人と一括りにされる様になった。

 ここまで言えば分かるだろう。同族殺しとは、魔人による魔人の殺害の事を指している。

「…………ブッソう……ダナ」

「それも恐ろしく強いらしいです。お父さんも、外出する際は気を付けてくださいね」

 ジバルにまだそんな強者が居るとは考えづらい。始祖としての力を持っていたフェリーテを討伐しようとして、幾多もの強者が彼女に挑み、散っていった。中には討伐した名誉よりも、始祖としての力を奪い取ろうと考えていた者も居た様だが、結果は彼女が健在な今から察する事が出来るだろう。彼女を討ち取れたのはアルド只一人だけであり、彼との決闘の末、瀕死の重傷を負っただけで済んだ自分を除いて強者など……国を治める者達が、まさか同族殺しなどやらないだろうし。

 ―――何故か、気になった。

 どんな事件が起きても所詮は他人事。恐怖や不安を抱いたりする事はあっても、まるで自分毎の様に気になるなんてあり得ない。同族殺しに心当たりは……無い。残念ながらと言うべきか、幸いと言うべきか。

 無意識下にそんな外道を知っているのだとしたら、ディナントは直々に処罰しに行っているだろう。

 娘の淹れてくれたお茶を飲み干すと、ディナントは近くにあった無銘の刀を手に取り立ち上がった。

「何処かに用でも?」

「ア……ア。すコシ、気にな、事……あル」

 所詮は他人事とさっきは言ったが、無性に気になって仕方がない。『神尽』こそ持って行くつもりは無いが、『狐』か『蛟』のどちらで出没したかが定かでない以上、用心はするに越した事がない。鎧も着用せずに外へ出るなど久しぶりだが、この地域に居る剣客などたかが知れている。十分だろう。



「ディナントオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」



 玄関の戸を開けた瞬間、双翼を持つ魔人が、躊躇もせずに飛び込んできた。体格差こそあれ、かなりの速度で飛び込んできた魔人を鎧も無しに完璧に受け止めるのは難しい。背後の襖をぶち破り、二人はごろごろと部屋の中に転がり込んだ。

 騒ぎを聞きつけたウェローンが慌てて向かって来るも、既に事は終わっている。

「お、お父さんッ?」

 何が起きたかを正常に理解するには、数十秒を要した。天井を仰いだまま、ディナントは隣で倒れ込む魔人に尋ねた。

「……な、ヨウ……か。ユー、ヴァン」   

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