ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

屍山血河

 アルドはおよそあらゆる特殊能力に耐性があるが、それを打ち破れるだけの手段は持ち合わせていなかった。相手が真っ向から戦ってくれればよいが、神など高位の存在は一方的な状況を好む。その時点で、自分とは相性が悪いと言えるだろう。自分は『彼』ではない。八百万の権能など持ち合わせても居なければ、己の知識を素に武具を作る事は出来ない。

 そんな自分に許された唯一の手段。それは打ち破るというよりかは、未然に防ぐ手段と言った方がいいだろう。ただし弱点ばかりの、手段にしては頼りなさ過ぎるものだ。こんなものを手段とするなら、あらゆる秩序を介さないドロシアを供に据えた方がよっぽど手段として機能する。カシルマでも同じだ。

 この金色の剣の特性を知っている存在にはまず通用しない。まずは自分からこの剣を奪おうとしてくるだろう。そうなればそれはそれでやりようがあるが、ギルゾードが知らないでいてくれたのは、果たして僥倖だった。権能に一切の制限が掛かっていない彼を相手にするなんて、どう考えてもついででやる事ではない。明確に彼を倒す事を目標に掲げているならともかく、これはアルドにしては珍しい女がらみの決闘だ。そんな戦いに、全力を惜しみなく出す奴が何処に居よう。まだフルシュガイドとキーテンが残っているのだ。手加減するつもりもないが、消耗戦を展開する気も更々無い。

 一文字に素早く薙ぎ払う。首までの間には何の障害物も無い様に見えたが、『心歪』が不可視の中で存在していた。首元に当たる直前に防がれ、勢いがなくなった瞬間押し返され、胴を狙われたが、素早く逆手に持ち替え、胴への閃を絶っていたアルドには通用しなかった。しかし順手で放たれた一撃を逆手で受けるには中々の無理が要される。剣自体の耐久力に物を言わせて強引にガードした様なものなので、『殱獄』を持つ手がビリビリと痺れた。

 彼は押し切れると判断したか、暫くの膠着が発生する。ギルゾードの膂力は、権能を抜きにしてもアルドに匹敵していた。権能を封じても元英雄である自分に匹敵するとは、腐っても神だ。このまま逆手で対抗するには少々辛いが、どうやらあちらも権能が遣えない事で判断力を鈍らせている様だ。こんな初歩的な事に気付かないなんてどうかしてる。

「ハアッ!」

 押し切れると相手に錯覚させるべく、わざと力を抜いてから、全力で刃を押し返す。彼我の刃が弾けた間に、アルドも『殱獄』を順手へと持ち替えるや、その流れを殺す事無く踏み込み、心臓を貫いた―――

 ―――と思っていたのだが、どうやら直前で躱された様だ。こちらの刃は肩口に突き刺さっており、全く致命傷とは言い難い。しかし、そもそも不死者同士の戦いに致命傷など無い。骨を斬らせて骨を断つ様な戦い方になるのは分かり切っていた事だ。半身になって刺突を放ったお蔭で、がら空きの片腕は斬り落とせない。首を狙われたが、即座に屈んで回避し、それと同時に刃を引き抜く事で対応する。

 お互いが不死にも拘らずアルドが攻撃を避けているのは、癖みたいなものだ。己の耐久力を過信しすぎると碌な事が無い。加えてこの身体の不死は、厳密には不死でも何でもない。『死なない』というよりは、『異常に死ににくい』というだけなのだから。

 決定打を与えられないこの状況に焦れたのだろう、こちらが明らかにカウンターを返せる状況でギルゾードが突っ込んできた。大上段からの兜割りだ。屈んでいるこちら側からすれば、容易く流せる業である。アルドは『殱獄』を両手を使って真横に伏せた後、斬撃の流れに従ってその角度を徐々に斜めに。恐らくは渾身の一撃をサラリと逸らし、隙だらけの肩口に一撃を叩き込んだ。

「ぐうッ!」

 続いて二撃。三撃。鎖骨から腹部にかけてを薙ぎ払ったが、手応えが妙だ。アルドの剣閃はここまで鈍くない。

 というのも、こちらは骨をも断つつもりであるのだが、どうやら太刀筋が肉を通っている間にずらされているらしい。この勝負を終わらせるには、まず相手をバラバラに切り刻む必要があるので、こう何度も防御されると試合が長引くばかりである。

 この状況を展開すべく、アルドは武器の無いもう片方の手で彼の顔を掴み、躊躇なく握り潰した。そして抵抗させる暇もなく、顔面の皮を引き剥がした。

「…………ッ!?」

 お互いに不死だからこそ、出来る方法である。どれだけ惨たらしいやり方で手傷を与えようと、どれだけ深い傷を与えようと、不死だから関係が無い。この勝負は初めから耐久戦、どちらが先に根を上げて白旗を出すかだ。権能を封じた今、ギルゾードはアルドと同じ条件で戦う事を強いられている。つまり、痛みを感じながらに不死なのだ。

 お互いに同じ条件が揃っているならば、話は簡単。勝利するにはどんな強い攻撃をするか、ではなく、どんな酷い攻撃をするかが決め手となる。だから顔面の皮を引き剥がすなんて、神には効果の薄い攻撃を仕掛けた。普通の人間であれば、この時点で戦意喪失をする事になるから。

 その事をギルゾードも分かっている様だ、弱みには付け込まれないと苦悶の声を上げない。アルドは血塗れの顔を素早く殴りつけ、咄嗟にあちらが手で顔を覆った所で、肩から胴体にかけて×の字を刻み込んだ。

「ぐおぶぅ…………!」

 叫び声が上がりそうになったが、ギルゾードは己の舌を噛み潰してでも、強引に押し殺した。そのせいで漏れ出した声は悲壮的に、惨憺たる光景を想像させる酷さに変貌した。

「ハアッ!」

 十字の刻まれた体の丁度中心に合わせて刺突を放つ。神々の身体と言えど、肉の身体ならばこの剣の貫けない道理はない。背中の向こう側まで刃が抜けたのを感じると、アルドは刺さったままの『殱獄』を股まで下ろし、強引に引き抜いた。それから燕返しの要領で太腿を切り裂き、動きを封じた。

 ―――咲き開け、戦の如く。

 太腿を切り裂かれた事で機動性が低下したギルゾードは、なす術なくアルドの連撃を受ける事になった。血塗れになった顔の治癒はまだ終わっていない。権能に加えて視界まで封じられては、神々と言えども尋常な人間の如く無力になるしかないのだ。

 ―――綴り閉じろ、詩の如く。 

 肩口、脇腹、首、胸。ありとあらゆる方向から瞬く間に切り刻まれ、容易く肉の身体が分解されていく。骨を断つには達人の太刀筋を必要とするが、剣技一筋に生きてきた男にとって、それは通常の太刀筋だった。連撃とて、雑に撃っているのではない。一つ一つの閃を正確に、本気で振り下ろしていた。

 顔面の皮を引き剥がされた事もあり、今度は太刀筋がずらされる様な事は無い。 

「無形に極めし剣、開闢の一振りをここに―――!」

 ヒュオンッ!

 刹那の烈風と共に、一切の音が削り取られる。静寂の幕が下り、二人の戦いを僅かな間、停止させる。意図せずして起こった停戦を終わらせたのは、アルドによる血振るいの音だった。

「まだ立てるだろ」

 その言葉に応えて、肉塊となった筈のギルゾードが立ち上がる。これはお互いに死なぬ者の戦い。どちらかの気力が朽ち果て、微塵も起きる気が無くなった時にのみようやく決着する。或いは、ドロシアへの想いを彼が失くしてくれれば、それで戦う理由は無くなる。間違ってもこれは望んだ戦いではない。出来る事ならこんな所で命を消耗したくない。

 だが、自分が踏みとどまらなければ、ドロシアに迷惑が掛かる。彼女は今、必死にダルノアを探すべく協力を募ってくれているのだ。迷惑はかけられない。

「貴様…………卑怯だな。そのような真似をしていて、本当に我と対等に戦っていると言えるのかどうか」

「もとより対等に戦う気はない。私は才能も無く、特異な出生を持っている訳でもないからな。あるとすれば精々この不便な体と、傍迷惑な呪いだけだ。そんな私が、権能ありきのお前相手に馬鹿正直に戦うと思ったか?」

「勝算が無い訳ではあるまい」

「ああその通り。だがこの戦い、お前から仕掛けたものだ。こちらがしっかりと目的をもってお前を討伐しようと思っているのなら、真正面から戦うだろうさ。しかしそのじゃない。なら、真正面から戦う必要はない」

「……どういう事だ」

「騎士としての名残だ。私はお前の様な神には敬意をもって立ち向かう。故に、今の様に小細工を弄する気は一切ない。私に戦う気があれば……な」

 勿論例外はある。卑怯な手を使って全く関係のないダルノアを攫った宮本武蔵之介に礼儀を払うつもりはない。財の全てを投げ打ってでも殺す。アルドが言いたいのは、『相手が卑怯ではなく、敬意を払うに値する場合』の動きだ。決して全部が全部そうという訳じゃない。

 極力そのつもりで生きているからこそ、卑怯でも無く、敬意を払うに値していた筈のエインに不意打ちをした事は今でも覚えている。ただ、あの時はナイツを守りたかった。己の信念を曲げてでも、彼に勝たなければいけなかった。

 残心も程々に、アルドは再びギルゾードへ向けて『殱獄』を構えた。自分の体力的には、次の攻防で終わりにしたい。持たなくはないが、これ以上戦うと大陸奪還の方に支障を来す。

「まだ、ドロシアを諦めるつもりはないか?」

「無論だ!」

 再び、二人は同時に踏み込んだ。が、権能も無い肉弾戦では、僅かにアルドの方に分があった様だ。先に刃が命中したのは、アルドの方であった。

「らあッ!」

 ギルゾードの刃が触れるよりも早く、彼の身体を斜め下から両断。背中まで抜けるや踵を使って転回し、宙に浮かんだ上半身を分断。即時再生が始まるが、ギルゾードの様な再生型には欠点がある。それは『再生中、一切の攻防が不可能になる』事だ。上半身が再構築されるよりも早く彼の腰を蹴っ飛ばす。細やかに刻まれた上半身がそれに応じて移動する。再構築が完了する前に、今度は下半身を切り刻んだ。こうすれば、彼は一度たりともこちらには反撃できない。そして思うだろう……反撃するには、上半身も下半身も、同時に再構築するしかないと。

 それこそ、狙い目だ。賢ければ賢い程、再構築のタイミングを揃えようとする。案の定、その時は直ぐにやってきた。下半身の再構築が遅れた……と思いきや、上半身を切り刻んだ瞬間、再生速度が爆発的に上昇。分離の差異を失くし、完璧な再生を狙ってきた。

 今しかない。

「せやああああああ!」

 アルドは今まで権能を縛ってきた王剣を引き抜くと、ギルゾードの肉体が完全に再生する寸前、僅かな隙間にその刃を捻じ込んだ。直後、肉体が完全に再生した彼の全身を拘束するかのように金色の鎖が肉の内側から出現。指の第一関節に至るまでを瞬く間に拘束し、その動きを一瞬だけ鈍らせた。達人同士の戦いでは刹那の隙が命取りとなる。不死者同士の戦いでも同じだった。どちらかが不死でなくなった瞬間―――たとえその時が僅かだったとしても、それが勝負を決する原因になる。

 今、この瞬間。ギルゾードは内包する全ての力を喪失した。確信と共に背中をぶった切ると、深紅の液体が皮膚が切り裂かれると同時に噴き出した。

「ぐおぅ…………ッ!」

 手ごたえが違う。不死者はどれだけ流血させても死の気配を感じないが、今の彼は、死の気配をちゃんと纏っている。神の座から引きずり降ろされた証拠だ。今の彼は心臓一つの人間一人。アルドが今まで殺してきた生物と、何ら変わりない存在となっている。

「きさ…………まっ」

 それでもギルゾードは退かなかったし、降参もしなかった。フラフラの足取りでこちらに身を翻し『心歪』を振るわんとしてくる。アルドは敢えて動かず、その不可視の刃を受け入れた。

 だが、どうした事か。『心歪』は傷一つ付けられなかった。それもその筈、あの不可視の剣は時廻の権能を所有せし者が扱える剣。人の子となり下がった彼には、到底扱える代物ではない。

 動揺で動けないでいる彼の胸元を、無慈悲にもアルドの刃がばっさりと切り開いた。鮮血の噴水が目の前で勢いよく噴き上げる。

「もう終わりだ」

 殺す気は毛頭ないので、丁度よさそうな所で王剣を引き抜いてやる。これで再び彼は神の座に着いた訳だが、つい先程まで死にかけていたのだ。暫くは動けまい。

「私の勝ちだ。ドロシアはお前には渡さない。そこで暫く寝ていろ」




「ま…………待て。止まれアルドおおおおおお!」




 シターナを抱えてこの場を去ろうとしたアルドだったが……背後の気配が一向に倒れようとしないので、振り返る事にした。そこには胸をバッサリと切り開かれながらも倒れる素振り一つ見せない神の姿がそこにあった。

「しつこいぞ」

「…………本気を、出せ」

「どうして」

「―――貴様の剣戟を何度も浴びて、腹が立ったのだ。この我を前に、命を賭して戦う気が無い。手は抜いていないのだろう。それは分かる。だが、貴様の剣は全力じゃない。フェリーテを助けた時とは、比べ物にならぬいい加減さだ」

「本意な戦いではないからな」

「……貴様の本気は良く知っている。だが、もう一度だ。もう一度我に見せてみろアルド。女子の取り合いとは、古くからそれ程に全力であるべきだとされているのだ」

「……こんな所で本気で戦えると思っているのか? …………だけど、そうだな。分かった、本気を出そう。ただし、私の友人が帰ってきてからだ。それから戦おう。此度の戦いを前半戦とするなら、勝者は私だ、嫌とは言うなよ?」

 彼の返事を聞く事もなく、アルドは今度こそシターナを抱えて、去っていった。



 やはり神は、我儘だ。

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