ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

神との契りに無償は無い

 心臍の洞(出る時にシターナから名前を聞いた)から出た二人を待ち受けていたのは、宮本武蔵之介……ではなく、時廻の神、ギルゾードだった。彼はその名の通り時間を廻す能力を持っており、アルド達の追っている宮本武蔵之介の天敵の様な人物だ。彼に限った話ではないが、時間に関わる能力を持っている人間は彼に勝つ事は敵わない。時間に関して全ての権能は彼が所有している。今は亡き彼と戦った場合にどうなるのかは不明だが、まがりなりにも目の前の男は神である。如何にどれ程の実力者であろうとも、神を殺す事は容易い事ではない。アルドでさえ、その例外にはならないのだ。

 唯一例外があるとすれば、それは執行者か。奴等はあらゆる次元、あらゆる世界の法則を逸脱して動いている。全知全能の神でさえ、あの存在に権能を働かせるにはかなりの骨を折る事だろう。

「待っていたぞ、アルド」

「ギルゾード……よくここが分かったな」

「貴様の弟子とやらに協力を頼まれたのはいいが、貴様は他の神々まで頼ろうとしているな。それが気に食わないから、わざわざこうして我の有能さを示しに来た訳だ。そこの女は……」

「智慧の魔女だ。お初にお目にかかり光栄だよ、神様」

「……アルド、貴様も変わった友を持っているな。その女と付き合った所で、得るものは無いぞ? 貴様の性欲を処理するには、体力も持たなそうだ」

「余計なんだよお前は。シターナは協力してくれるから一緒に居るだけだし、得るものがあるかどうかは私が決める事だ」

「神の忠告には従っておくべきだと思うが。洪水神話を知らないのか?」

「それこそ得るものがない。神の教えなんぞに従ったって、戦争は止まらなかったよ」

 お互いに悪意はないが、今日のギルゾードは何かがおかしい。言葉が何処か刺々しいというか、何か隠しているというか。まだ何も言ってないが、こちらに用がありそうだ。でないとここまで彼が態度を辛くする意味が分からない。

「それで、何か用か?」

「ああそうだった。貴様の望み通り、貴様の友人を探してやるとしよう。が、貴様も知っての通り、神へ個人的なお願いをしてきたのだ。当然無償は許されん」

「お金でも欲しいのか?」

「幽世にお金が必要だと思うのか、貴様は。代償とは相手がそれを求めている事で初めて成立するものだ。貴様の育ちは良く知っている。神に対する供物に何が適当かを考えられる頭は無いだろう。そこで、我が直々に捧げものを要求しに来たという訳だ。簡単な話だろう」

 言葉は悪いが、行動自体は有難い事だ。彼に対するお礼はどうしようかと片隅で考えていたので、彼から欲しいものを提示してくれるなら、悩む必要が無くなる。自慢ではないが、『勝利』時代も含めてアルドは中々の財産を所有している。渡せないものなんてそれ程無い。聖遺物であっても十分な用意がある。


「貴様の弟子、ドロシアを捧げよ」


 ………………………………………………………………………………。

「すまん。何て言った?」

「貴様の弟子を捧げよ、と言った」

 抱きかかえたままのシターナに視線を落とすと、彼女はキョトンとしながら首を傾げる。

「どうかしたの」

「…………アイツ、何て言った?」

「お前の弟子を捧げろって言ったみたいだが」

 おかしい。智慧の魔女はあらゆる言語を理解し、相手に伝える事が出来る筈だ。なのに彼女の言っている事が理解出来ない。自分の知らない言語で物事を伝えるのは止めて欲しい。そんな意地悪をされても、意地悪とすら感じないのだから。

 深呼吸を挟む。まあ待とうではないか。取り敢えず、彼の発言を整理しよう。えーと…………ドロシアを、捧げる? やはり何を言っているか分からない。捧げるという言葉を人物に使用するなんてあり得ない。いや、人身御供という言葉があるくらいだからそれ自体はおかしい言葉ではないのだが、人間を要求する神はかなり過激な性格である事が多い。ギルゾードは確かに過激だが、自分とは幾らか親交があるから、実際はそこまでではない。だから人身御供なんて、これっぽっちも想定していなかったのだが。

「それは、どういう意味だ?」

 答えによっては、この場で彼を処刑する。神殺しなんてやった事もないが、執行者相手に打ち勝てたのだ。出来ない道理はないだろう。アルドの殺意を察知した彼は、それに応じる様に敵意を剥き出しにする。魚心あれば水心。その逆も然りだ。

「ふむ。どうやら勘違いをさせてしまったらしい。特に詫びぬが、補足は加えよう。聞いて驚くなよ? 我はな―――一目惚れをしたのだ」

「一目惚れッ? 人に娯楽程度の興味しか見出さないお前がまた珍しいものだな。して、それは一体誰…………あッ」

 詫びるべきはこちらだった。シターナもギルゾードも、アルドに通じる言葉を話していた。只、その内容があまりに受け入れ難かったから、アルドの脳内が勝手に理解不能な言語に変換していたのである。

 彼に向けていた殺意が一気に消える。応じて彼も敵意を消した。誤解は解けたが、これはこれで新たな問題が発生している事を忘れてはいけない。

「……何故、私に?」

「奴は貴様に惚れている。貴様の言う事ならば聞くだろう」

「…………成程。生きても死んでもいない。己の存在を自由自在に変えられる『無貌』の彼女なら、お前のお眼鏡にも叶うと言う訳か…………で、私が首肯すれば手伝ってくれると?」

「ああ。我は寛大だ。返事を待ってやるから、ゆっくり考えるがいい」

 彼の名誉の為に言っておくと、これでも良心的な方だと思う。悪質な神ならば先に伝えた用事を済ませた後に報酬を求める筈だ。そうすればこちらに逃げ道は無いから、確実に報酬を受け取れる。逃げ道を用意してくれたのは彼なりの良心だろうか。実に有難い。

 答えは悩むまでも無かった。

「―――断る」

 彼は最初から間違っている。それは彼女に関わる用件を自分に尋ねてきた事だ。彼女と過ごした時は妹よりも長く、己自身の人生よりも長い。そんなアルドに尋ねてくる、まして嫁としてよこせなど、言語道断。発言者が彼女ならばアルドは快く送り出したが、それ以外なら理由を聞くまでも無い。

「ほう? ならば我も、貴様の頼みは聞かないぞ」

「それは困るが、アイツを俺の独断でお前の所にやる訳にはいかない。アイツが俺に好意があるのは知っているが、それはアイツの意思によるものだ。個人の意思に介入する権利は、私にはない。自分の意思すら曖昧なままの私に、そんな事は出来ない」

「ふむ……交渉決裂か」

「そうだな。お前に協力してもらえないのは困るが、お前以外の神々が協力してくれるなら困る事はない。済まなかったな、変な事頼んで。どうかアイツがお前に頼んできた事は忘れてくれ。私はもうお前の事は当てにしない。行くぞ、シターナ」

 ギルゾードの脇をすり抜けようと歩き出した瞬間、シターナが気だるそうに口を開いた。

「怒ってるのか、お前」

 アルドは小さく頭を振った。

「怒ってないさ。只、神からの頼みだったとしても聞けない事があるだけの話だ。ドロシアがアイツに惚れたならともかく、逆は無い。それだけだよ」

 人はそれを『怒る』と呼ぶ。本人以上にシターナはアルドの感情を理解していた。彼は彼自身を除いて、物扱いする事を嫌う。難しいのは、己を物扱いする事に躊躇は無い癖に、己にはそれくらいしか価値が無いと悲嘆してしまう事だ。これだから人というものは難しい。






「待て」






 交渉は決裂した.。これ以上話してもお互いに得は無い。さっさと立ち去るのが礼儀というものだ。こちらには時間も無いし、ドロシアを要求する彼にとって、ここでの会話は無駄そのものである。アルドは何を言われても、彼女を彼女の意思なく引き渡す気はない。

「何だ?」

「渡す気はない、と。そう言ったな?」

「ああ。それがどうかした―――」

 アルドが振り返ろうとした瞬間、横から不可視の力が首を殴りつけてその首を捥いだ。死は呪いを経て疲労となり、第三者が死を認識するよりも早く身体を修復する。忘れてはいけないのは、決して死を無かった事にはしていないという事だ。つまり、アルドは己が死に至るまでの激痛を記憶している。その上で何事も無かったかのように、耐えているという事。

「―――何しやがる」

「我に限った話ではない。神々は傲慢で強欲なのだ。欲しいものが手に入らぬと分かれば、力ずくでもモノにする。貴様が大人しく頷いておけば、こうはならなかったものを」

 エイネが負担してくれた疲労は七回。数回と言い換えてもいいくらいの僅かな数字だ。この身体がどれだけの死に蝕まれているかを知っていれば、僅かと言うのも憚られるが、ともかくそう簡単には死ねない。限界を超え続けたこの身体が……崩壊してしまう。

「私と戦う気か?」

「その通りだ。一目惚れなど滅多にある事ではない。何が何でも、我はあの少女をモノにする」

「私にお前と戦う理由はないのは知ってるだろ」



「こちらにはある」



 何でもないその言葉は、どんな態度よりも戦闘の意思を明らかに示していた。こんな所で戦っても時間の無駄にしかならないのだが、一方的に殺されるのも御免被る。シターナを近くの木陰に下ろそうとすると、彼女が不意に耳元で囁いた。

「―――ッ」

「ん?」

 木陰に背中を凭れると、彼女は詰まらなそうな瞳をこちらに向けてから、目を瞑った。「早く終わらせてくれよ」と、そう言わんばかりに。

 ではお望み通り、早く終わらせるとしよう。彼女を置いた位置から十歩以上離れると、アルドは剣を構えた。

「乗り気ではない、とは言うなよ? あの少女を手に入れる為ならば、我は貴様を殺す事も厭わんぞ」

「ああ知っているよ。神々っていうのはいつも勝手なんだ。他人様の都合を無視して、己の欲求にばかり素直なんだ。しかしどうしてアイツを欲しがるんだ? お前だってまがりなりにも神なら、本質が見えている筈だろ」

「見えているからこそ、だ。ああも美しき存在を我は見た事が無い。あの者の愛を一身に受けられれば、どれ程この世界は色づくと思う?」

 問いに答える代わりに、アルドは全速力で踏み込んだ。





「ハアッ!」

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