ワルフラーン ~廃れし神話
少女を助け出すは影の者達
目も口も耳も塞がれて、精神的にも肉体的にも、ダルノアは極限の密室状態に置かれていた。猿轡は完璧に噛まされている上に、両手足には枷と重りが付けられて、一歩たりとも動けない。仮に自分が筋骨隆々だったとしても、これだけの重りを付けて移動する事は出来ないだろう。
―――寒い。
空気が冷えている。冷凍施設という訳では無い様だが、日の当たりは最悪だ。こんな所に何日も居ながら餓死しないのが不思議でならない。しかし、そろそろ限界が来ているかもしれない。最初から動けないだけだったが、そろそろ枷に着けられた重さに慣れてきて、自分の重さに違いないと錯覚してきた頃だ。意識があるのか無いのかも分からない。そもそも、生きているのかすら曖昧だ。
―――誰か、助けて。
頭に浮かんだのは、友人である彼の姿。自らを英雄と騙り、魔王と騙り、傷つけ罰し続け、そんな生き方が辛いものと知っていても、それ以外の自分に価値が無いものと思い込んで動き続ける。宮本武蔵之介と呼ばれる男が、自分を捕まえるや否や、語ってくれた事だ。
あの時の事を思い出す。
『限界が……来てるんですか?』
『行動に現れたのは初めてかな。それもここまで露骨に……だが、大丈夫だ。ここ最近が平和だったから私も気が抜けただけ。心配する事は無い』
あれ以降、一度も彼が弱さを見せた事は無いが、今でも彼の中に宿る苦痛は身体を蝕み続けているのだろう。そして彼が本当の意味で朽ち果てるまで、ずっと苦しめ続けるのだろう。そんな彼に助けを求めるなど拷問も良い所だが、真っ先に浮かんだ人物が彼なので、仕方がない。これは救済の悪循環なのだ。
彼と出会い、救ってもらった人物はまた彼を頼る様になる。しかし、頼ってしまった時点で彼は己を縛り付けている呪縛に苦しめられる事になるが、それでも助けを求められた彼は断わる事が出来ず、助けてしまう。すると助けられた人物は彼を頼る様に、時には思慕する事になるが、彼の痛みを理解する事は無い。
彼を助けたいと思っても、それはいつも空回りする。ダルノアには力が無かった。いつも弱者の側に居る自分が、強者の側に居る彼を助けようなどと思ってはならないのだ。どうせ助けられない。今みたいにこうやって、彼に助けを求める事しか。彼の重荷になるしかないのだ。
「…………大丈夫?」
そんな自分の孤独を慰める様に、温かい声が聞こえた。いや、聞こえるなんておかしい。五感の殆どを封じ込められていながら声が聞こえるなど、幻聴以外の何物でもない。そう思って首を振っても、声は否応なしに聞こえてくる。
「いや、ううんじゃなくて。私はここに居るからさ。ちゃんと返事を……」
「ん……んッー!」
「あ、猿轡してたのか。ごめん、見えてなかった。今外すから、動かないでね? バレたら面倒な事になるし」
何故か聴覚を無視して聞こえてくる声の言う通りに従うと(抗う気力は無い)、やはりというべきか視界は回復しなかった。自分は暗所に居たのだ。しかしお蔭でダルノアの身体を縛っていた重りと猿轡、耳を封じていた栓が外れ、相手方さえ話してくれるなら問題なく会話出来る様になった。誰かは知らない……厳密に言うと心当たりがあるが、感謝するべきだ。
「有難うございます」
「気にしなくていいわよ。私もパパの頼みで来たし」
やはりあの時の女性か。そう言えば名前を聞いていなかったが、名前を知ってしまえば戻れない気がしたので、聞けば教えてくれるだろうが、ダルノアは敢えて聞かなかった。名前を呼ばなくても会話は問題なく出来る。アルドさえも知らない彼女達との関係は、それくらいで十分だ。
「パパ……というと、あの人ですか?」
「そ。パパがね、貴方の臭いがするって言ったから来たの。まさかなあと思って来たんだけど、そうしたら本当に居たからさ。何かあったの?」
「……捕まったんです」
「見りゃ分かるわよ。見えてないけど。誰に捕まったのか教えてくれる? ぶっ殺してくるから」
…………今、何と言った?
「あの、今何て言いました?」
「え、ぶっ殺してくるって言ったけど。何かおかしな事言った?」
「いや、ぶっ殺してくるって―――そんな簡単に。相手は男の人ですよッ? それも剣を使ってくる!」
「剣じゃなくて刀ね。でもあれ、言ってなかったっけ。私達殺人鬼なの♪」
暗闇の中に居るせいで、彼女がどんな顔をしているか分からないのは助かった。もしも今、この瞬間、彼女の顔が見えていたら、きっとトラウマになっていたことだろう。たとえその表情がどんな風に変わっていたとしても、だ。こんな言い方をしたのは、暗闇の中で彼女がどんな表情を浮かべたか、見当がついてしまったからである。
「さ、殺人鬼?」
「そ。あ、そんな怖がらなくても、今は殺すのやめてるから安心して? 私もパパも、安住の地を探してるの」
「でも、あの時。男の人達を……」
「あれは仕方ないわよ。だって襲ってきたんだし」
確かにそうなのだが、あそこまで惨たらしく殺す必要は無かった。だって、彼等は彼等の欲求に従っただけであり、それだけで頭を吹き飛ばされたり手を折られたりされる謂れは無いだろう。ダルノアは心の中で恐怖したが、しかし、直ぐにその恐怖は消えてしまった。
思えば、彼も同じではないか。ダルノアの数少ない友人であり、最も頼りにしている男、アルド・クウィンツ。彼も解釈の仕方によっては殺人鬼であり、自分がそれを容認するのならば、彼女の事も容認してやらなければならない。どちらも、決して悪い人でない事は分かっているのだから。
こちらの感情に変化があった事を女性は敏感に感じ取ったらしい。不意に、尋ねてくる。
「随分早いのね」
「……私の友人にも、同じような人が居ますから。貴方と違う点があるとすれば、多分、楽しんでいるかいないかだと思いますが」
「あー確かにね。人を殺し続けるのって楽じゃないし、そいつの事は知らないけど、気持ちは分かるわよ」
「殺人鬼なのに、ですか?」
「殺人鬼って言っても、一生殺してなきゃ駄目なんて事は無いのよ。でも、基本的には正体に気付いた人は全員殺さなきゃいけないし、それがたとえ友達でも、親でも……殺さないといけないから、何処かで妥協出来なきゃ辛い所よ。私がこうして正気で居られたのはパパだけがずっと味方で居てくれるからだし。味方が得られなかったら……ま、いつかは壊れると思うわ」
「味方っていうのは、どんな風な?」
「腸まで愛してくれる人。自分がどんなにしょうもない存在になっても、どんなに醜くても、どんなに辛く当たってしまっても、自分の事を優しく抱きしめてくれる人。私で言う所のパパね」
「お、お父さんが……それに該当すると」
「ええ。私、パパの事が好きよ。世界で一番愛してる。容姿に問題があっても、性格に難があっても、私を愛してくれるもの。だから好き。父親としては勿論、恋愛対象としても、師匠としても、友達としても」
全く似ていないので本当の親子ではない事は分かっていたが、自分の思っていた以上に複雑な関係である事は間違いない。でなければ彼一人にここまでの関心を寄せられるものか。自分でさえ、アルドには一つか二つの関心しか無いのだ。
或いは、これこそが本当の愛だとでもいうのか。ならば、彼を救うには、誰かが同じ事をしないといけないではないか。残念な事に、ダルノアにその役目は重すぎる。如何せん、自分にはどうする事も出来ない関心がある。
「………………あの、名前。教えていただきませんか」
「私? 私はリアだけど」
「リアさん……リアさんには全く関係ない事なんですけど少し相談してもいいです―――」
ダルノアの言葉は轟音によって強制的にそこで打ち切られた。同時に今まで視界を遮っていた暗闇が晴れて、ある一点から強烈な光が差し込む。
「何をしている」
宮本武蔵之介が、そこに立っていた。
―――寒い。
空気が冷えている。冷凍施設という訳では無い様だが、日の当たりは最悪だ。こんな所に何日も居ながら餓死しないのが不思議でならない。しかし、そろそろ限界が来ているかもしれない。最初から動けないだけだったが、そろそろ枷に着けられた重さに慣れてきて、自分の重さに違いないと錯覚してきた頃だ。意識があるのか無いのかも分からない。そもそも、生きているのかすら曖昧だ。
―――誰か、助けて。
頭に浮かんだのは、友人である彼の姿。自らを英雄と騙り、魔王と騙り、傷つけ罰し続け、そんな生き方が辛いものと知っていても、それ以外の自分に価値が無いものと思い込んで動き続ける。宮本武蔵之介と呼ばれる男が、自分を捕まえるや否や、語ってくれた事だ。
あの時の事を思い出す。
『限界が……来てるんですか?』
『行動に現れたのは初めてかな。それもここまで露骨に……だが、大丈夫だ。ここ最近が平和だったから私も気が抜けただけ。心配する事は無い』
あれ以降、一度も彼が弱さを見せた事は無いが、今でも彼の中に宿る苦痛は身体を蝕み続けているのだろう。そして彼が本当の意味で朽ち果てるまで、ずっと苦しめ続けるのだろう。そんな彼に助けを求めるなど拷問も良い所だが、真っ先に浮かんだ人物が彼なので、仕方がない。これは救済の悪循環なのだ。
彼と出会い、救ってもらった人物はまた彼を頼る様になる。しかし、頼ってしまった時点で彼は己を縛り付けている呪縛に苦しめられる事になるが、それでも助けを求められた彼は断わる事が出来ず、助けてしまう。すると助けられた人物は彼を頼る様に、時には思慕する事になるが、彼の痛みを理解する事は無い。
彼を助けたいと思っても、それはいつも空回りする。ダルノアには力が無かった。いつも弱者の側に居る自分が、強者の側に居る彼を助けようなどと思ってはならないのだ。どうせ助けられない。今みたいにこうやって、彼に助けを求める事しか。彼の重荷になるしかないのだ。
「…………大丈夫?」
そんな自分の孤独を慰める様に、温かい声が聞こえた。いや、聞こえるなんておかしい。五感の殆どを封じ込められていながら声が聞こえるなど、幻聴以外の何物でもない。そう思って首を振っても、声は否応なしに聞こえてくる。
「いや、ううんじゃなくて。私はここに居るからさ。ちゃんと返事を……」
「ん……んッー!」
「あ、猿轡してたのか。ごめん、見えてなかった。今外すから、動かないでね? バレたら面倒な事になるし」
何故か聴覚を無視して聞こえてくる声の言う通りに従うと(抗う気力は無い)、やはりというべきか視界は回復しなかった。自分は暗所に居たのだ。しかしお蔭でダルノアの身体を縛っていた重りと猿轡、耳を封じていた栓が外れ、相手方さえ話してくれるなら問題なく会話出来る様になった。誰かは知らない……厳密に言うと心当たりがあるが、感謝するべきだ。
「有難うございます」
「気にしなくていいわよ。私もパパの頼みで来たし」
やはりあの時の女性か。そう言えば名前を聞いていなかったが、名前を知ってしまえば戻れない気がしたので、聞けば教えてくれるだろうが、ダルノアは敢えて聞かなかった。名前を呼ばなくても会話は問題なく出来る。アルドさえも知らない彼女達との関係は、それくらいで十分だ。
「パパ……というと、あの人ですか?」
「そ。パパがね、貴方の臭いがするって言ったから来たの。まさかなあと思って来たんだけど、そうしたら本当に居たからさ。何かあったの?」
「……捕まったんです」
「見りゃ分かるわよ。見えてないけど。誰に捕まったのか教えてくれる? ぶっ殺してくるから」
…………今、何と言った?
「あの、今何て言いました?」
「え、ぶっ殺してくるって言ったけど。何かおかしな事言った?」
「いや、ぶっ殺してくるって―――そんな簡単に。相手は男の人ですよッ? それも剣を使ってくる!」
「剣じゃなくて刀ね。でもあれ、言ってなかったっけ。私達殺人鬼なの♪」
暗闇の中に居るせいで、彼女がどんな顔をしているか分からないのは助かった。もしも今、この瞬間、彼女の顔が見えていたら、きっとトラウマになっていたことだろう。たとえその表情がどんな風に変わっていたとしても、だ。こんな言い方をしたのは、暗闇の中で彼女がどんな表情を浮かべたか、見当がついてしまったからである。
「さ、殺人鬼?」
「そ。あ、そんな怖がらなくても、今は殺すのやめてるから安心して? 私もパパも、安住の地を探してるの」
「でも、あの時。男の人達を……」
「あれは仕方ないわよ。だって襲ってきたんだし」
確かにそうなのだが、あそこまで惨たらしく殺す必要は無かった。だって、彼等は彼等の欲求に従っただけであり、それだけで頭を吹き飛ばされたり手を折られたりされる謂れは無いだろう。ダルノアは心の中で恐怖したが、しかし、直ぐにその恐怖は消えてしまった。
思えば、彼も同じではないか。ダルノアの数少ない友人であり、最も頼りにしている男、アルド・クウィンツ。彼も解釈の仕方によっては殺人鬼であり、自分がそれを容認するのならば、彼女の事も容認してやらなければならない。どちらも、決して悪い人でない事は分かっているのだから。
こちらの感情に変化があった事を女性は敏感に感じ取ったらしい。不意に、尋ねてくる。
「随分早いのね」
「……私の友人にも、同じような人が居ますから。貴方と違う点があるとすれば、多分、楽しんでいるかいないかだと思いますが」
「あー確かにね。人を殺し続けるのって楽じゃないし、そいつの事は知らないけど、気持ちは分かるわよ」
「殺人鬼なのに、ですか?」
「殺人鬼って言っても、一生殺してなきゃ駄目なんて事は無いのよ。でも、基本的には正体に気付いた人は全員殺さなきゃいけないし、それがたとえ友達でも、親でも……殺さないといけないから、何処かで妥協出来なきゃ辛い所よ。私がこうして正気で居られたのはパパだけがずっと味方で居てくれるからだし。味方が得られなかったら……ま、いつかは壊れると思うわ」
「味方っていうのは、どんな風な?」
「腸まで愛してくれる人。自分がどんなにしょうもない存在になっても、どんなに醜くても、どんなに辛く当たってしまっても、自分の事を優しく抱きしめてくれる人。私で言う所のパパね」
「お、お父さんが……それに該当すると」
「ええ。私、パパの事が好きよ。世界で一番愛してる。容姿に問題があっても、性格に難があっても、私を愛してくれるもの。だから好き。父親としては勿論、恋愛対象としても、師匠としても、友達としても」
全く似ていないので本当の親子ではない事は分かっていたが、自分の思っていた以上に複雑な関係である事は間違いない。でなければ彼一人にここまでの関心を寄せられるものか。自分でさえ、アルドには一つか二つの関心しか無いのだ。
或いは、これこそが本当の愛だとでもいうのか。ならば、彼を救うには、誰かが同じ事をしないといけないではないか。残念な事に、ダルノアにその役目は重すぎる。如何せん、自分にはどうする事も出来ない関心がある。
「………………あの、名前。教えていただきませんか」
「私? 私はリアだけど」
「リアさん……リアさんには全く関係ない事なんですけど少し相談してもいいです―――」
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