ワルフラーン ~廃れし神話
夢に飽く
協力してくれるのかくれないのか、どっちなのだろうか。そう言いたい気持ちはあるが、シターナはこういう女性なのだ。恐らく、アルドの知人の中でも最も怠惰な女性ではないだろうか。まあ、彼女の事情を考慮すればこんな風になるのも致し方ないのだが。
シターナはその昔、全能の魔女と呼ばれた女性だったらしい。アルドと出会う前の話なので、如何せん彼女から聞いただけの過去になるが、本当に昔はそう呼ばれていたそうな。少し前に無知全能のドロシアと比較したのは、彼女はあらゆる秩序に縛られていないが故に何でも出来るから。シターナは、通常通り秩序に縛られた状態で居ながら、何でも知っているから。こちらが言及しても居ないのに執行者という言葉を出してきたのがその証拠だ。その気になれば何でも知る事が出来る。それがあまりにもつまらないから、彼女は出来る限り知ろうとしていないだけなのだ。
では、どうして知ろうとしないのか。
つまらないとだけ言えばそれで済む事だが、それでは漠然としすぎている。唯一の友人であるアルドにも話されていない事だが、実は何となく予想が出来ていた。自分の境遇と照らし合わせてしまえば、案外推測は出来てしまう物である。
アルドは無表情で眠るシターナの頭を撫でながら、彼女が起きるのを―――いや、良い夢が見られる事を願った。彼女が自分に僅かにせよ関心を持ってくれたのは、もしかするとそういう事だろう。彼女は―――迫害されたのだ。全てを知る事が出来るその力を、疎まれて。
全能は人には遠すぎる故に、ドロシアは人間としてこの世界に居ない。そもそも生きてすらいない。しかし、それは彼女が真理以外の秩序に縛られていない存在だからであって、こんな言い方をしては何だが、人間としてではないのなら、それは許されている。だが、シターナはれっきとした人間だ。
過去の話と今の年齢が釣り合わないので加齢がずれていたりなどの齟齬はあるが、それでも彼女は栄養失調を起こしている時点で人間だと分かる。ここまで露骨に身体に異変を来しているのも、人間だからこそだ。アルドやドロシアでは、たとえ何も食べずともこんな変化は起こらない。自分に関しては流石に言い過ぎだが、餓死した瞬間に呪いによって疲労へと変換されるので、結果的には何も変わらない。
何が言いたいかというと、全能が人には遠すぎる様に、全知もまた、人の持つべき力ではないのだ。今は亡き彼が消えるべき存在としてかつて迫害されていたのもそれが理由。応用しているだけとはいえ、八百万の権能が行使出来るのは人間として異常なのである。
「………………ぅ」
小さな喘ぎ声。彼女がつまらないと呼ぶ夢は、その大半が反応の限りでは悪夢だ。これもまた、迫害されていたのではないかという推測を裏付けている。その時のトラウマで、彼女は今でも苦しめられているのではないかと。
最初に会った時、アルドは彼女の事を異常だと思った。生理的欲求の一切を無視してまで刺激を求める彼女が、果たしてどんな怪物なのかと疑った。しかし交流する内に、あの推測を立てられる様になって、それから段々普通に見えてきた。仮にそうだとするならば、彼女はアルドとは違った未来の自分。今を末路と言い換えるならば、そう思えてしまったのだ。
どんな人間も迫害されれば腐っていくし、否定されていけば自己を失う。やがて価値も失い、終いには命が無くなる。アルドがこうならなかったのは、イティスという唯一の味方が居たからだと言ってもいい。彼女だけが、自分を認めてくれたから、自分も彼女の肯定だけを励ましに生きてきた。一方で、シターナには誰も居ない。少なくとも、今は。
唯一の友人などと自称的に言ったはいいが、彼女からも否定が無い以上、それは暗に今まで友達が居なかった事を示してしる。こんな風に身体を預けられる友達が居なかったのだ。きっと、誰にも頼る事が出来ずに、かといって自分だけが自分を信じるなんて事も出来ずに、あの襤褸屋敷に居た時みたいに、隅の方で蹲っていたのだ。そうに違いない。
―――勘違いしないで欲しいが、アルドは同情するつもりは一切ない。同情なんてものは余計に人を憐れにしてしまうだけだ。自分が憐れなのかどうかは、その人自身が決める事であって、他人に決められたりするものではない。
それに同情してしまえば、アルドも彼女を見下しているという事になってしまう。友人と名乗るならばそれは許されない。今の所自分の持つ体質だけが彼女の刺激だというのならば、自分は決して同情などせず、傍に居てやればいい。女性の扱い方に慣れないという短所は、何も異性として意識している女性にのみ適用されるものではないのだ。こういう時に何が出来るかも、他でもない女性に支えられてきたアルドには分かる筈がない。分かるのならこんな苦労はしない。今は只、枕の代わりになってやるだけだ。
それから四五分程度が経過した。出し抜けに彼女が目覚めたので、アルドは目を見開いて、少し驚く。
「どうだ?」
「駄目だった。お前を代わりにしても、夢は退屈なままだったよ」
あまりにも短時間の睡眠は、仮眠と言っても差し支えなかった。眠る事すら億劫などと彼女は言っていたが、仮に眠ってみたとしてもこれだから手に負えない。どうしても彼女を眠らせたいと思うのなら、永眠しか無い気もする。その気はないのでしないが、もしも彼女が望むのなら…………その時は、自分が。
今の所は刺激があるお蔭で、彼女も『生きる事が億劫』とは言わないので、そんな事にはならないと思うが。
カウンターの上に金を置いて、アルドは再び彼女を抱き上げた。何も食っていない肉の身体は、あまりに軽すぎる。何時間でも何年でも持ち上げられるだろう。この程度の軽さは。一度食事した程度で体重が変わったらそれこそ特異体質だが、いつ餓死してしまうかも分からぬ彼女が心配で仕方ない。出来れば、そんな都合の良い特異体質であってほしかった。
「それで、どんな人を探して欲しいのか言ってみてよ」
「私の友人だ」
「お前は友人が多いね」
「こんな私と友達になってくれるなんて、有難い限りだ。その友人はな、お前と同じで異国の大陸出身者なんだが、宮本武蔵之介なる存在に攫われてしまった」
「宮本武蔵之介…………成程。天下無双の大剣豪か」
「知っているのか?」
「愚問だね。ただ、本物ではないかな」
「え?」
「お前も知っているだろうけど、一刀流という言葉はイットウサイ、二刀流という言葉はムサシが考案した流派から生まれている」
「ムサシ…………まさか、宮本武蔵之介というのは」
「うん。その通り。ムサシの名前という事だ。けれどムサシは大分前に死んでる。斬殺だね」
「斬殺……という事は、決闘か」
「察しが早くて助かるよ。何者かと決闘をして死んだ、とされている。その何者かっていうのが、君の友人を攫った宮本武蔵之介。二刀流の開祖であるムサシを殺し、天下無双の大剣豪を名乗る偽物だ」
決闘の上でムサシを打ち破った……ならば、あの男の実力は自分を遥かに上回っているという事になる。二刀流の開祖とされる男が自分を上回っている道理はないが、下回っている道理もない。そう考えるくらいが丁度良いだろう。
「そいつは今何処に居る?」
「…………」
「おい、シターナ」
「ここには居ないよ。いや、現世には居ないと言った方がいいね。ここまで言えば、お前なら分かるんじゃないのか?」
現世という呼び方は、アルドに一つの答えを与えていた。一般人が触れる事はない世界が、このジバルにはある。ここが人間達の住む世界だとするならば、その真反対にある世界は神々の住む不変の世界、
常世とも呼ばれるその世界を、アルド達は幽世と呼んでいる。
―――ドロシアが、危ない。
「何処の幽世に居るか分かるか?」
「狐の国から行ける所……お前の足じゃ、とても間に合いそうにないよ」
「やってみなきゃ分からないだろ!」
死ぬ事は無いだろうが、もう一度彼女をバラバラに切り刻まれるのは我慢ならない。シターナを抱えている事もあり、彼女の言った通り間に合わないかもしれないが、それは飽くまで通常、人間が使える手段のみを行使した場合に限られる。アルドは宝物庫から王剣を取り出して、地面に突き立てた。
「王権発動。超越せしは我が理。聞くべき、世界の法よ。黄金郷より生まれし我らが剣が、汝に命ずる」
「ああ、それか」
「我、世の住人なり。されど今は幽世に行くべし。それ故に、我は命ず。我の居場所はここにはなし。我の海内はここならず。受肉せる者とせば異端かもしれねど、我の在るかたは世ならず。やむごとなき者を助くべし。救ふべし。もとより英雄なる我にはそれのほかに許さる」
直後、王剣を起点に魔法陣が展開。異界言語が円陣を満たし、紡ぎ、回転する。抱き上げられているシターナも影響に入ってしまうが、特に嫌がっている素振りもないので、申し訳ないがこのまま一緒に連れて行く。
「須臾にして始まり、永遠にして終はる。さあ、王の号令は下りき―――移ろえ!」
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