ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

英雄交遊録

 これで正式に、宮本武蔵之介はお尋ね者となった。私怨ではなく仕事として、合法的にあの男を探す事が出来る。という事は、今までは使えなかった所も使えるという事だ。

 城を出たアルドは、取り敢えず周囲を見渡してみる事にした。しかし、何処にもドロシアの姿が見えない。幽世と現世の時間の流れは違うので、その差を引いた感覚から言って、そろそろ全員承諾とはいかずとも、返事は貰えたと思うのだが。一人か二人くらいは殺し合いを持ちかけて来てもおかしくなさそうなので、もしかするとそれに手間取っているのかもしれない。いずれにしても、アルドにはどうしようもない事だ。今から幽世との境界を切り裂いて侵入するのは時間が掛かり過ぎる。彼女と違って、アルドの移動手段は己の足だけなのだ。

 これを見越していたからマルポネロ達にも頼んでおいたとはいえ、返事くらいは全員分届けてくれなければ困る。アルドだって胡坐を掻いて待つ気ではないのだ。むしろ可能であるならば、即刻助けに向かいたいくらいである。手っ取り早い方法としてチロチンの『星の眸』があるが、あれは当時の自分が交わした契約のせいで、己の身を案ずるならば事実上の封印状態となっている。おいそれとは使えない。最終の中の最終。本当にどうしようもなくなった時用の手段だ。

 それを無視すると、アルドはもう一つ……ジバルで築いた関係ではないが、最後のツテを使う事になる。問題? …………は大ありだ。

 まず当人が現世をこの上なく嫌っているので、頼んだ段階でとても嫌な顔をされる事、そして確実に見つかる保障はない事。最後に埋め合わせを約束してしまうと、著しく時間を消費してしまう事だ。

 最後のデメリットは誰に頼んでも一緒だとは思うが、彼女のそれは通常の比ではない。退屈ではないものの、永劫の時間を疑似的に味わうならばあれ以上の無はない。お互いの為にも、使う事にはなりたくないツテである。

「…………」

 文字通り本当に嫌なので、それとなくアルドは街を縦横無尽に駆け巡ってドロシアの到着を待ったが、まるで彼女の気配を感じない。来ているのなら隠す意味が無いので、これは本当に来ていないと認識しても問題なさそうだ。いや…………問題はあるのだが。

「はあ……」

 多分、行く事になる。直感がそう告げていた。それでも足は躊躇するし、他に何か方法は無いのかと探るのが人間だ。結果だけ言うと、方法はあるにはあったが、どれもこれも現実的ではない。そもそも本意ではない。

 一例を挙げるとすると、フェリーテに接触してどうにかしてもらうとかだが、ナイツ達をこの件に関わらせたくないので駄目だ。また、ドロシアに過去へ移動してもらい、この事件をそもそも無かった事にする手もあるが、残念な事に、過去は『彼』の手によって固定されている。彼が命を賭してまで守っている自分の過去は、たとえ執行者と言えども介入する事は容易ではない。ドロシアにも同じ理屈が適用されるとから決して不可能な手段ではないが、それは命を捨ててまで自分を救ってくれた彼の度胸を馬鹿にする事になる。出来ないし、彼女もすすんでやるとは思えない。

 本意ではないという意味では、今、アルドが取ろうとしている方法も違いないが、他の方法と比べればずっとマシな事に変わりはない。やる事を直感したのはこれが理由でもあった。

 仕方ないと強引に納得し、アルドは足早に目的地へ―――その前に、チヒロの家に寄っておく。彼女はもう眠っているだろうが、治療を受けているキリュウの現状が知りたかった。道場の入り口を開けるのすら面倒で、一息に跳躍して庭に飛び降りると、縁側の所で目的の人物が横臥していた。

「…………上様の所へは、行ったのか」

 声をかけるより先に反応される。驚き、一瞬だけ身体が戦慄いたが、アルドは直ぐに調子を取り戻した。

「ああ」

「…………かたじけない」

「気にするな。体の方は大丈夫か?」

 出会った時、彼の腕には深い刀傷が刻み込まれていた。彼ほどの強者に手傷を負わせるとはどれ程の猛者かと思っていたが、今までの事象を整理すれば、該当する人物が一人だけ居る。そいつは現在、アルドの知り合いを一人拉致した上に、ドロシアを一度は切り刻んだ許されざる存在だ。

「胴の方は問題ない。腕は……」

 言葉に悩んだ末に、キリュウは自らの腕を突き出す事で答えとした。刻み込まれた傷は薄くなっていたが、それでもまだ鮮明に残っている。どれだけ深い刀傷だったのかはかり知れない。よく腕が切断されなかったものだ。

「強かったか?」

「―――ああ。敵わない。一度や二度首を切った程度では死なない様だ。貴様も、気を付けてかかれ」

 不死の類だろうか。アルドも似た様なものだが、そういう存在であればやりようがある。卑怯にも自分達は尋常ならざる生命力への対抗手段を幾つも保有しているのだ。自分よりも遥かに才覚のあるキリュウが及ばなかったのは、偏にその特異性が絶対的優位を生み出していたからである。しかしその優位は、誰よりも才覚の無い自分には通用しない。容赦をするつもりもない。

「お前への傷害行為、愛弟子の殺害、友人の拉致。宮本武蔵之介とやらは、確実に私が討つ。確認しておくが、生け捕りにする必要はないよな?」

 こくりと頷いたのを見て、アルドは空に浮かぶ月を見遣る。

「なら、話は早い。殺すだけだ。今までもこれからも、私はそれだけがずっと……得意な事の一つだからな」

 再び跳躍して、庭から大きく離れた。向かうは最後のツテ。出来れば本人の為にも使いたくなかったツテだ。似た存在であれば、既に弟子の中に居るが、彼女との最大の違い。それは厭世家である事か。

 アルドの良く知る魔女が無知全能の魔女だとするならば、今から向かう場所には無知無能の魔女が居る。全てを知る事が出来る故に何も知ろうとせず、何も出来ないが故に何もしない。そんな人物の所に向かっている。

 本来、そんな人物が協力してくれる道理は無いのだが、自分だけは例外的に彼女の興味を引いている。魔力を一切引き出せない体質が、主に。









 魔力を引き出せない。それ即ち、人間ではない。それが五大陸に定められた暗黙の秩序……もとい、基本原則だった。これが破られる様な事は今までになく、進んで破ろうとする者も居なかった。魔力とは空気と同じくらい大切なものだから、人間嫌い極まる囚人でさえ、そんな事をしようとは思わなかった。アルドだってそうだ。わざわざ行動の選択肢を狭める様な行為を誰がするというのだろう。

 自分だって、魔力を持ちたくなくてそう生まれた訳ではないのだ。

 それを絶対的不運とするか、これは最初から決まっていた事と諦めるのか。それはさておき。妹が普通に生まれた以上、血筋という訳ではない。やはり運命的な不運なのかもしれない。これのせいでアルドは人間として扱われず、虐められ、学校にも行けず、何より妹に迷惑を掛けてしまった。エヌメラに対して唯一優位を取れる状態とはいえ、それ以外に殆どメリットの無いこの体質は、アルドにとっては僅かな愛着も湧かない邪魔なものでしかなかった。

 この体質のお蔭で彼女との交流を獲得出来た事は事実だが、それを差し引いてもこの体質は糞だ。塵芥だ。何の役にも立たない体質ここに極まれりである。弟子達の前では平静を装っているが、どうせ特異体質になるのなら何かしらの利便性があるものが良かった。多少のメリットこそあれ、それを軽く凌駕するデメリットを抱えるのであれば、要らない子だ。常日頃そう思っている。こんな体質が無ければ、自分はもっと強い筈なのだから。

 到着したのは幽霊屋敷と言われても差し支えない様なボロボロの屋敷だ。入り口さえもまともに成立しておらず、半壊した入り口が斜めに掛かって、辛うじて密室じみた状態を作り上げている。幸いにも壁は虫食い状態ではないので、最低限雨風は防げるが、それでもまともな人間であればここに住もうとは思わないだろう。犯罪者が隠れ家として使用するのなら話は別だが、生憎と住んでいるのは厭世家の魔女……もとい、シターナである。彼女自身、こんな家に執着している筈もないので、礼儀作法などを気にしなくていいのは、こちらにとっても気楽と言えば気楽である。

 足を踏み入れた途端、早速畳を踏み抜いてしまい、アルドの片足が床下に落下する。断じて罠などではなく、単なる老朽化だ。慌てずに足を引き抜き、今度は大丈夫そうな足場に体重をかける。また踏み抜いた。木枠を歩けば大丈夫とは思わない方が良い。どうせ折れる。散々考えた挙句、何も玄関から入る必要はない事に気付き、一度外へ。それから彼女が居ると思わしき壁に向けて、徐に斬撃を放った。

 襤褸屋敷の壁は脆くも儚く崩れ去ったので、さも当然の如くそこから足を踏み入れると、隅の方で蹲っていた女性が、虚ろな瞳を持ち上げた。


「ああ…………何事かと思ったら、お前か」


 面識のない女性と顔を合わせると嫌な顔をされる事に定評のある自分だが、面識があるにも拘らず、ここまで嫌そうな顔を浮かべるのは彼女くらいなものだ。宝物庫から適当な道具を取り出して壁を修復。それから彼女の前に胡坐を掻いた。

「よう、シターナ。調子はどうだ?」

「いつも……最悪だよ。何を見ても感動しない、何を見ても面白くない。全てが退屈で退屈で……眠ってみる事すら、億劫で」

 きちんと身だしなみを整えれば美人には違いないのだが、彼女はアルドを除きその他一切に興味が無い。目に深い隈があり、髪がボサボサになっていようと、気にするのは他でもない自分だけである。その性質は厭世家を名乗るにはあまりに丁度良く、彼女の望み通り、近づく者は殆ど居ない。そんな物好きが居るとすれば自分だけである。

 彼女がどうしてこんな物臭なのかと尋ねられると、それは少し返答に困る。アルドと出会う前からこんな感じだったのだ。見ているといつ倒れるか分かったものじゃないので、無言で足を開くと、彼女もまた断りも入れる事なく横たわった。

「お前こそ、どうなんだよ。お前の体質、まだそのままみたいだぞ」

「……原因が、分からなくてな。半ば諦めてるんだが」

 そんな物臭魔女が唯一興味を持っている事、それはアルドの体質だ。この世界に居る事を許されていない様な体質は、彼女すらも心当たりがない。知る事が出来ない事柄らしい。全てに退屈している彼女にとってそれだけが唯一の刺激であり、それを持つ自分が唯一の友人、という訳だ。

 最初はそれだけの関係だったが、何度か交流を重ねている内に、彼女はアルド個人にも微妙に、本当にごく僅かに興味を持ってくれた―――体質に比べればカスみたいなものだが―――ので、そろそろ友人だと胸を張って言ってもいいだろう。どうせ何を言っても彼女は気にしない。

「ああ、やはりか。執行者とやらが関わってもどうにもならないとなると、いよいよそれは死ぬまで纏わりつくのかな」

「覚悟は出来てる。こんな体質に苦しめられたのは今に始まった事じゃないしな。お前としても、そっちの方が好都合だろ」

「私何ぞの都合を気にかけてくれるとは、英雄様も余裕があるようだ。一理あるけどね。この世界で唯一見つけた『未知』なんだ。易々と無くなってくれるのは困る」

 シターナの凄い所は、退屈というだけで食事も睡眠も一切行わない事である。正に刺激の為だけに生きている様な女性であり、その生き方には感心するのだが、如何せんそのせいで常に栄養失調である。服を着ているから分かりにくいだろうが、その下は骨が肌にくっついているくらいガリガリだ。自分が言うべき発言かは分からないが、別の意味で人間離れしている。

 取り敢えず、彼女にご飯を食わせない事にはお願いをする前に彼女が餓死するので、アルドは無理やり彼女を抱き上げて、何処かの食事場所に連れて行く事にした。



 全く世話のかかる女性である。












 時々思う事だが、シターナは一体どうやって今まで過ごしてきたのだろうか。こうしてアルドが時々食事を与えれば食うのだが、この女性は非常に極端というか、アルドとは違った意味で生まれる世界を間違えている。具体的に言うと、彼女は食事を強引に与えないと食べない。それも唯一気に掛けられている自分がやってようやくだ。これが興味も糞も無い他人相手ともなると、シターナは断固として食事を拒否する。自分が死んでもいいのかと答えても、『死にたくはないが陳腐なモノに染まるのはもっと嫌だ』と言って聞かない。

 こんな極端な性格であるならば、やはり彼女と友人になっておいて良かった。言っては悪いがここまで面倒くさい存在の相手は、自分にしか出来ないだろう。

「味はどうだ?」

「…………つまらない」

 味の感想ではない。美味いでも不味いでもなくつまらないとはどういう了見なのか。そもそも食事に愉しいとかそういう概念があるのかはさておき、彼女の言葉に耳を貸していると食事も進まないので、無理やりにでもアルドは彼女の口にスープを押し込んだ。

「……それで、お前の用を聞こうか。その為に私の所へ来たんだろ」

「今は食べる事に集中してくれ」

 彼女は不服そうな顔でこちらを見遣ったが、気にせずアルドはその口にスープを流し込む。分かり切っている事なので今更文句は言わないが、好奇心以外のあらゆるものが欠落している者を生かすのは一苦労だ。因みに多くの人々に最高の娯楽と言われている性行為についても、『退屈極まりない行為』と断じている為、娼館に連れて行く事も出来ない。ジバルであれば遊郭か。

 自分の存在だけが例外だとしても、彼女を楽しませる事は並大抵の所業ではないのだ。一緒に居て楽しい存在とは言い難く、恋愛対象ですらない。本当に只の友人だ。生命的に危なっかしくて見ていられないだけで。

 強引に食事を進めて十五分。何とか食事も終えて、彼女の血色も少しは良くなった所で、お望み通りアルドは本題を切り出した。

「人を探して欲しい」

 案の定、シターナはとても嫌そうな顔を見せた。

「嫌か?」

「嫌に決まってるよ……退屈だし。大体、眠る事すら億劫になる私に、そんな事を頼むお前もどうかと思うけど」

「そう言うと思った。だから―――」

「『私に出来る事があれば何でもするから、それと引き換えにと』でも言うつもりだね。悪いけど、お前に頼める様な事は無い……いや、頼んでも、断るだろう。君は」

 分かり切った風というより、彼女は分かり切っている。この怠惰な魔女の事をアルドは無知無能と言ったが、実際的な彼女の能力は全知全能。神々に等しい力を持っている。なのでどんなに未来を伝えられたところで天邪鬼にはなれないし、彼女がそうなると言えば、そうするのだ。

 彼女が無気力なのは、あらゆる事柄を―――アルドの体質を除いた全ての事柄に対して答えを得られるから。

 だからといって生理的欲求まで無視するのは話が別である。

「一応、聞いておく」

「面白い事を持ってきてくれ。これに尽きる」

 考えるまでもない。アルドは首を振った。  

「無理だな」

 元来、つまらない男なのがアルドだ。例外になっているとはいえそれは変わらない。つまらない男は何処までいってもつまらないのだ。退屈で、陳腐で、ありふれているのだ。無知無能の彼女を楽しませられる様な事柄など、用意出来る筈もない。ドロシアに頼めば、或いはといった所か?

「他には?」

「無い。しかしどうやら話を誤解しているみたいだから言っておくけど、私は嫌だとは言ったが、お前の頼みを聞かないとは言っていない。代替条件なんて考えるだけ無駄だと思うよ」

 彼女の言葉を理解しかねていると、再びシターナがアルドを背凭れ代わりに寄りかかってきた。体を支える事すら億劫とは恐れ入る。大した無気力だ。

「仮にも、お前はこんな私を気にかけてくれる友人だ。幾ら退屈とは言ってもね、魔女としての誇りと言うべきか……ああ、喋るのが面倒だ」

「ならいい。協力してくれるんだな?」

「ああ――――――ああ、そうだ。少し協力してくれないか?」

「何に?」





「お前を枕代わりにすれば、変わった夢が見られるかもしれない。少し、動かないでくれ」



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