ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

 牙なき英雄

 その後も慣れない事はあったが、祭りというモノ自体が基本的に楽しいので、女性の扱い方を知らぬアルドと言えどもチヒロに対する間違いを起こす事は無かった。この場合の間違いとは扱いを間違えるという意味であり、性行為などの事ではない。というか師匠の娘に手を出すとか、どう考えてもぶん殴られる未来しかない。手を出す勇気はない。それは強敵に挑むよりも凄まじい勇気が必要だ。

「美味しいッ」

 この綿あめなるお菓子はどんな原理で作られているのだろうか。ナイツを集めている時には無かったと思われるので、アルドが五大陸に目を向けている間に広まったのか。チヒロも言った通り、かなり美味しい。この綿みたいな物体の何処にそんな甘さがあるのか甚だ不思議である。ぺろりと食べ終えたアルドは、虚空の中に棒を放り込んだ。ジバルの景観を崩すのは良くない。宝物庫を使ってでもここは清潔を保つべきだ。

「次は何処に行こっか、アルドッ!」

「ふむう、そうだな……」

 食べ歩くだけでは流石につまらないか。先程の見世物小屋然り、何か参加出来るものがあればいいのだが、神輿を担ぐというのも、既に人が足りているだろうし、大道芸などはそもそも出来ない。身体能力に物を言わせてそれっぽい事は出来ても、飽くまでそれは動きであって芸ではない。恥ずかしい思いをするだけだ。

 何か彼女を楽しませられるものはないか、アルドは周囲を見渡しながら、自分にも出来そうなものを探していると、横の細道を通り過ぎようとした時に、一瞬見慣れた人物を見かけた。鎧こそ着ていないが、あれは間違いなく『鬼』の魔人、ディナントだった。見間違える筈があるまい、角があろうがあるまいが、彼を誘ったのは自分なのだから。

 隣に居たのは娘だろうか。確か名前はウェローン。仮にも英雄である以上、自分に恨みを持つ人間は……ナイツの親族も含めれば魔人もだが……ごまんといる。彼女もその内の一人だ。五大陸奪還という勝手な都合で彼女から父親を奪った。ディナントにしてみれば恩義に報いる為の加入なので何の問題もないが、恩義や忠義といったものは当事者間でのみ発生しているので、彼の娘が到底理解出来る筈もなく、結果としてアルドは恨まれる事になった。一度首を刎ねられたくらいというと、不死者特有の軽さが出てしまうが、一瞬だけ見えたあの少女が。鬼気迫る表情でアルドの首を刎ねたのだ。その怒りがどれ程かの想像には余りあるものがある。

「アルド、どうかしたの?」

「ん。いや、何でもない。知人を見かけてな」

「え、嘘? アルドの知人ってどんな人? 会いたいッ」

「やめておけ。あっちはあっちで楽しんでいるんだ」

 そう、アルドを忘れて愉しんでいる。このジバルにおいて頑張らなくてはならないのは自分だけであり、ナイツにいらぬ苦労を掛ける必要はない。ディナントの性格を考えれば楽しんでいるとは思わなかったが、娘に押し切られたか。大通りを繫ぐ横通路から一瞬だけ見えたという事は、少なくともここを歩いていればすれ違う心配はないだろう。娘への負い目もあって、アルドは二人から離れる様に歩き出した。たまには親子水入らずも良いだろう。下手すると、彼がもうこの大陸に戻ってくる事は無いのだ。邪魔な自分は早々に消えるのが彼と彼の娘に対する礼儀である。

「アルド」

 ある意味では解決出来る筈の物事に目を背けた情けない男への報いか、再び祭りを楽しもうと思ったアルドの前に現れたのは、キリュウだった。業務から解放されたのだろうか、今回の彼は鎧を着ていない。片腕を胸から出し、浴衣を着崩している。

「キリュウ……どうかしたのか?」

 チヒロの前に立って、アルドが用件を尋ねる。胸から出ている腕には深い刀傷が刻み込まれており、アルドはそれを気にしているのだ。まがりなりにも彼とは剣を交えた仲、彼がそう簡単に手傷を負う者でない事は殺し合いの果てに知っている。

 ただ、嫌な予感がしたのだ。彼の双眸から漏れるこの気配は、まさしく殺気。何が起こっているのかは分からないが、知己と遭遇した事を喜ぶ、とはいかない。

「そう警戒するな。そこの娘に手を出す気はない。貴様に用があるのだ」

「だったらその殺気は何だ。まともに話がしたかったら、まずはそれを消せ」

 キリュウが頭を振った。

「出来ない相談だ。またいつ宮本武蔵之介が来ないとも限らない。それに……貴様の答えによっては、実力行使に出る事もあるだろう」

 それは暗に、『事を穏便に済ませたかったら大人しく言う事を聞け』と言っている様なモノだった。彼がわざわざ自分を訪ねてくるくらいだからあまり良い話ではないだろう。そもそも、アルドという存在はあまり良い話に縁がない。大抵は手遅れだったり、手遅れ直前だったりと、それこそ誰かの恨みでも買っているのか最悪な状況ばかり運ばれてくる。

 その原因は偏に英雄という概念にあるので、あまり気にはしていないが。

 手振りだけでチヒロを隅の方に隠れさせる。周囲の人通りはまずまずだが、二人の異様な雰囲気を察したのか、徐々に人通りが少なくなっている。これならば多少の交戦も無事に済みそうだ。

「用を聞こう」

「城に来い。それだけだ」


 …………


「本当にそれだけか?」

 ならば交戦する理由が生まれるとは思えない。何かしら冤罪を吹っ掛けられていて、業務上仕方なく等であれば……いやしかし、それでもアルドは素直に応じるだろう業務は業務だ。こちらの勝手な都合で逆らっていいものではないし、冤罪という事であれば正攻法で皆が分かってくれる筈。ここは五大陸ではない。最初からアルドは英雄だったし、この大陸に根付いた文化は魔術ではなく妖術。フルシュガイドの時と同じにはならない。

「ああ。姫の事で話があるとの事だ。城に来い」

「それで、どうしてお前は力ずく云々を言い出したんだ?」

 キリュウが一旦殺気を解き、アルドに接近。何をするでもなく、耳打ちしてきた。

「貴様の事だ。姫の事で話があると言われれば逃げるだろう。だから実力行使に出る可能性もあると言ったまでの事」

 わざわざ耳打ちする程の事かとも思ったが、アルドは背後にチヒロが居る事を思い出した。恐らく彼はこちらの反応までを先読みして、こんな行動を取ったのだ。そしてその先読みは、恐らく当たっていただろう。

 姫の事で話がある、などと言われれば用件は一つだ。ヒデアキは冗談を言わない性格なので、いよいよ我慢がならなくなって自分を呼び出したと考えても不思議ではない。彼女の事は決して嫌いではないので断り辛いが、これからの奪還を考えると死ぬ可能性が大いにあり、契りを交わしてしまうだけ悲しませる可能性がある。だから今までのらりくらりと躱してきたのだが……彼が耳打ちをしなかった場合、誰に頼まれた訳でもないのにアルドは公衆の面前で結婚について色々言ってしまうだろう。するとどうだ。今でこそ人通りは無いが、彼と会った直前までは確かに人はいた。そしてあの時にそれを言えば、間違いなく結婚の事が広まり、周りの後押しのせいで余計断りにくくなる。

 最悪の状況だ。いや、最悪ではないのだが、とにかく面倒であった事は事実。マルポネロ然り、どうもアルドと交流を持つ人間は先読みが得意らしい。フェリーテの様に『覚』がある訳でもないのに不思議な話である。

 耳打ちも終わり、再びキリュウが殺気の鎧を纏った。

「では答えを聞こう。城に来い」

「断る」

 間髪入れなかった答えに、キリュウが目を丸くした。今の話の流れは明らかに肯定する流れだっただろうと、言わんばかりの瞳だ。

「姫様の事で何の話があるのかは知らないが、緊急を要している風には見えない。いや、緊急であれば私に選択の余地など無い筈だ。という事はつまり、今行かなくてもいいのだろう?」

「…………いや、来なくては駄目だ」

「何を隠してる?」

 今の反応では話が読めてきた。本当の要件は別にあるのだ。ただ、その要件を言えば自分が来ないと読んで、ヒデアキかキリュウどちらでも構わないが、どちらかが涙姫を使って呼び出す事を提案した。

 キリュウの手が刀に触れた事が、それを証明している。

「ならば、力ずくで連れて行かせてもらうぞ」

「理由は言えないんだな」

 アルドは虚空から『殲獄』を取り出そうとして、やめる。真理に固定しているとはいえ、あの刀は文字通り異次元の産物。使うのは卑怯というか、こちらの騎士道精神がそれを赦さない。今更何を言っているのかとも思うが、相手は手傷を負っている上に本意ではない戦いに全力を出す事はない。彼程度と舐め腐るつもりはないが、素手で十分だ。

「心剛理眼流、審撃!」

「天森白鏡流、創越掌!」

 互いの流派の誇りに掛けて、二人は同時に踏み込んだ。

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