ワルフラーン ~廃れし神話
英雄たる者、戦には
この近距離であれば武器を振るえない。しかしその状況はかえって好都合だった。被害を少なく済ませる事が出来るし何より―――攻撃が当たる。
アルドという英雄は何を得意としていたか。それは剣でもなければ魔術でもない。はたまた知略など学校に行っていない自分は論外だ。ではアルドが何を得意としていたかというと―――他でもない、それは持久戦である。
全盛期の魔人百万を相手にたった一人で立ち向かい勝利。今となっては他人事にしか聞こえない出来事だが、あれもアルドが持久戦を得意としていたから出来た事。何の才能もないアルドだが、続ける事だけには自信があった。だから剣の修行もずっと続けたし、英雄としての業務もこなす事が出来た。あらゆる存在から甚振られた事で、アルドは鋼の如き肉体を獲得する事に成功したのだ。
もう一度男の顔を掴み直し、壁に叩き付ける。それと同時に顎へ鋭い一撃が叩き込まれたが、アルドには通用しない。この男、どうやら腕力に自信がある様だが、全盛期の魔人はこの程度では済まなかった。ついでもう一発。もう一発。もう一発。
いつの間にか始まっていた拳打の応酬。それもその筈。これ程狭いと上手く攻撃が躱せない。必然、どっちが先に倒れるかの殴り合いが始まるのは当然の事だ。武蔵之介の持つ短刀は例外に当たるが、どうしてか使おうとしない。不意打ちでも狙おうというのなら、丁度良い。こちらも不死性を用いた不意打ちをするまでの話だ。
―――しかし、どれも軽いな。
剣が使える事と徒手が強い事は全く別の話だ。ここまで素人染みた拳を何十発と浴びせかけられて、アルドは確信した。この男、真に刀へ人生を捧げたものなのではないかと。剣に一生を捧げてきたからこそ、他の物には目がいかない。それ故、この様に貧弱な拳を繰り出してしまう。
だとするならばおかしい。自身の在り方については知っているだろうから、尚の事ここを選んだ訳が分からない。ここではお互いに武器が使えないというのに、どうしてわざわざこんな所で殴り合おうというのか。自分について下調べを行っていた場合、彼はアルドが天森白鏡流を習っている事も知っていると思うのだが。
果たしてその答えが分かったのは十五分も殴り合った後の事だった。一切の容赦なく拳を叩き込んでいるので、武蔵之介の顔面は既に原型を留めておらず、顔に限定しても数十か所の骨折と、失明が見られる。何かおかしいと思いながらも拳を止めないでいると、不意に武蔵之介の口から詠唱が零れた。
「返しよ! 『苦殻』!」
『苦殻』。自身の負った痛みを全て相手へと跳ね返す魔術だ。有名な反射魔術であり、学べば才能が無かろうとも行使可能である。魔力を引き出せない奴は別として。その欠点を挙げるとすればやはりその射程距離の短さか。一足一刀の間合いですらこの魔術の射程範囲外。有効範囲はほぼ密着状態。例えば今の二人の様な―――
そうか、そういう事だったか。
詠唱を止めんと放たれた拳が止まり、魔術の理に従ってアルドの身体が吹き飛んだ。忽ち彼の身体から傷が消え、流血が消え、欠損が消える。一方、反対側の壁に叩き付けられたアルドは―――全身には目に見えて打撲痕が生まれているが、失明や骨折と言った外傷は見当たらなかった。
「何ッ!」
武蔵之介が声に出して驚く。その間にもアルドは距離を詰めて、今度は一方的な連打をお見舞いした。
理屈は至って単純。アルドの身体の半分は剣の執行者のモノである。彼の身体はそこに在るもの―――世界によって構築された物質による物理攻撃しか通さない。自分に引き渡された事でその特性は半分死んでいるものの、しかしあらゆる特殊攻撃を半減出来る程度には未だに機能している。彼から痛みはアルドへと移動したが、アルドが許容出来る痛みはそれの半分。だから骨折も失明も、起き得ない。
連打の最中、遂に短刀が抜かれ、喉元を食い破らんと放たれる。瞬間的に拳を止めたアルドは両手を広げ、刺突が到着する直前に、彼の耳を叩いた。
「うがあっ…………!」
平衡感覚の失われた刺突は直前で狙いが逸れ、アルドの喉元を食い破らんとする望みは潰えた。無論、待つような事はしない。短刀を取り上げてから、流血状態の両耳を抑えて無防備な男に、渾身の前蹴りを叩き込んだ。この狭い空間で蹴りを放つとなると、必然この形になる。
武蔵之介の身体が宙に浮きあがり、屋根の返しで激突。再び落下してきた所を短刀で切り上げる。「むっ…………ぐッ!」
最初は真下から縦一文字に切り裂いたが、手応えが薄い。筋肉が厚過ぎて短刀が通っていない様だ。ならばと体中を素早く滅多切りにすると、虚空から小瓶を取り出し、男の全身に振りかけた。
それは通称『ヨルムン毒』とも呼ばれる薬で、一度でも体内に取り込んでしまったが最後、体の細胞が殲滅されるまで侵食し、死体は直に溶けてなくなってしまう。元々拷問用の薬なのだが、こんな時に使うとはアルド自身も思っていなかった。
ヨルムン毒を掛けられた瞬間、あれだけ攻撃を加えられてもまるで堪えた様子の無かった武蔵之介が、絶叫と共に暴れ出した。
「ガアアアアアアアアアアアアアア―――!」
思った以上にうるさかったので、喉を手刀で叩き潰す。一方的な蹂躙はあまり好ましくないのだが、無罪の少女を返さないこいつが悪いのだ。死体があれば最悪探知は出来るので、容赦をするつもりは一切ない。そもそもこれは、決闘なのだから。
「――――――! ――――――!」
声なき声が木霊する。流石に追撃した所で意味はない様に思えたので、アルドは彼の死にゆく様を見届ける事にした。こうして冷静になってみると、人間を相手にゴミ虫は言い過ぎた気がする。罪もなければ攫われる道理もない少女を攫ったこの男に殺意でも湧いていたのだろうか。
実際、今も殺意は湧いているが、その大本にあるのは、この男の動機が不明瞭且つ、不自然だという事だ。ドロシアから聞いた限りでは彼は英雄を探しているらしい。英雄とは、つまり自分の事だ。それの捜索方法が問題を起こすという傍迷惑なやり方なので、探している理由も、自分に対する挑戦だと考えれば妙は無い。わざわざ決闘を申し込んできたのだから、そうに違いない。
ならば何故、彼女を隠し続ける?
アルドには不思議で仕方なかった。ジバル出身でない事も魔術を行使出来る事も判明している。この男はアルド・クウィンツを知っている事は明白。ならばどうしてそこまで無意味な事をする。もうすぐ死ぬ人間には違いないが、それだけが不自然だった。
武蔵之介の身体が動かなくなった。脈を確かめるが、案の定、動かない。完全に死んだ。アルドは立ち上がり、見世物小屋へ戻らんと身を翻した―――
「隙ありいいいいいい!」
滅茶苦茶な飛び込みと共に振り下ろされた大上段からの剣戟。しかしその一撃は先程よりも鋭く思い。武蔵之介の身体から、外傷が綺麗さっぱり消えていた。こんな狭い所で剣を振るってくるなど予想外だ。それ以前に―――
何故生きている。
死亡は確認した筈だ。まさか偽装したとでも言うのだろうか。片腕を犠牲にして刀を止めなければ、胴体を分断されていただろう。
「ふむ…………英雄の名に偽りなし、という訳か」
武蔵之介は嬉しそうに口元を歪めて、後退する。唯一の出入り口はアルドがこの身を以て塞いでいるので出られはしない。死んだふりが得意という事が分かったので、今度こそは生き返る余地も与えず殺した方がいいだろう。
アルドが身構えると同時に、武蔵之介が二刀を交差して地面に突き立てた。直後、彼の全身を包み込む形で魔法陣が浮かび上がり、彼の身体を徐々に消失させる。すかさず王剣で無効化を図ろうとするが、そうだ。ここは狭くて満足に剣が振るえない。
まさかこの為に敢えてここを…………!
「……決闘は一時中断だ」
「逃げるのかッ! 一度決闘を申し込んだお前が!」
「不本意極まる。が、約束しよう。次に会った時こそ、完全なる決着をつけると。この宮本武蔵之介が引導を渡してやると」
言葉が切れると同時に、男の姿は消えた。この瞬間、アルドは二度は来ない好機を逃してしまった事実を許容した。
アルドという英雄は何を得意としていたか。それは剣でもなければ魔術でもない。はたまた知略など学校に行っていない自分は論外だ。ではアルドが何を得意としていたかというと―――他でもない、それは持久戦である。
全盛期の魔人百万を相手にたった一人で立ち向かい勝利。今となっては他人事にしか聞こえない出来事だが、あれもアルドが持久戦を得意としていたから出来た事。何の才能もないアルドだが、続ける事だけには自信があった。だから剣の修行もずっと続けたし、英雄としての業務もこなす事が出来た。あらゆる存在から甚振られた事で、アルドは鋼の如き肉体を獲得する事に成功したのだ。
もう一度男の顔を掴み直し、壁に叩き付ける。それと同時に顎へ鋭い一撃が叩き込まれたが、アルドには通用しない。この男、どうやら腕力に自信がある様だが、全盛期の魔人はこの程度では済まなかった。ついでもう一発。もう一発。もう一発。
いつの間にか始まっていた拳打の応酬。それもその筈。これ程狭いと上手く攻撃が躱せない。必然、どっちが先に倒れるかの殴り合いが始まるのは当然の事だ。武蔵之介の持つ短刀は例外に当たるが、どうしてか使おうとしない。不意打ちでも狙おうというのなら、丁度良い。こちらも不死性を用いた不意打ちをするまでの話だ。
―――しかし、どれも軽いな。
剣が使える事と徒手が強い事は全く別の話だ。ここまで素人染みた拳を何十発と浴びせかけられて、アルドは確信した。この男、真に刀へ人生を捧げたものなのではないかと。剣に一生を捧げてきたからこそ、他の物には目がいかない。それ故、この様に貧弱な拳を繰り出してしまう。
だとするならばおかしい。自身の在り方については知っているだろうから、尚の事ここを選んだ訳が分からない。ここではお互いに武器が使えないというのに、どうしてわざわざこんな所で殴り合おうというのか。自分について下調べを行っていた場合、彼はアルドが天森白鏡流を習っている事も知っていると思うのだが。
果たしてその答えが分かったのは十五分も殴り合った後の事だった。一切の容赦なく拳を叩き込んでいるので、武蔵之介の顔面は既に原型を留めておらず、顔に限定しても数十か所の骨折と、失明が見られる。何かおかしいと思いながらも拳を止めないでいると、不意に武蔵之介の口から詠唱が零れた。
「返しよ! 『苦殻』!」
『苦殻』。自身の負った痛みを全て相手へと跳ね返す魔術だ。有名な反射魔術であり、学べば才能が無かろうとも行使可能である。魔力を引き出せない奴は別として。その欠点を挙げるとすればやはりその射程距離の短さか。一足一刀の間合いですらこの魔術の射程範囲外。有効範囲はほぼ密着状態。例えば今の二人の様な―――
そうか、そういう事だったか。
詠唱を止めんと放たれた拳が止まり、魔術の理に従ってアルドの身体が吹き飛んだ。忽ち彼の身体から傷が消え、流血が消え、欠損が消える。一方、反対側の壁に叩き付けられたアルドは―――全身には目に見えて打撲痕が生まれているが、失明や骨折と言った外傷は見当たらなかった。
「何ッ!」
武蔵之介が声に出して驚く。その間にもアルドは距離を詰めて、今度は一方的な連打をお見舞いした。
理屈は至って単純。アルドの身体の半分は剣の執行者のモノである。彼の身体はそこに在るもの―――世界によって構築された物質による物理攻撃しか通さない。自分に引き渡された事でその特性は半分死んでいるものの、しかしあらゆる特殊攻撃を半減出来る程度には未だに機能している。彼から痛みはアルドへと移動したが、アルドが許容出来る痛みはそれの半分。だから骨折も失明も、起き得ない。
連打の最中、遂に短刀が抜かれ、喉元を食い破らんと放たれる。瞬間的に拳を止めたアルドは両手を広げ、刺突が到着する直前に、彼の耳を叩いた。
「うがあっ…………!」
平衡感覚の失われた刺突は直前で狙いが逸れ、アルドの喉元を食い破らんとする望みは潰えた。無論、待つような事はしない。短刀を取り上げてから、流血状態の両耳を抑えて無防備な男に、渾身の前蹴りを叩き込んだ。この狭い空間で蹴りを放つとなると、必然この形になる。
武蔵之介の身体が宙に浮きあがり、屋根の返しで激突。再び落下してきた所を短刀で切り上げる。「むっ…………ぐッ!」
最初は真下から縦一文字に切り裂いたが、手応えが薄い。筋肉が厚過ぎて短刀が通っていない様だ。ならばと体中を素早く滅多切りにすると、虚空から小瓶を取り出し、男の全身に振りかけた。
それは通称『ヨルムン毒』とも呼ばれる薬で、一度でも体内に取り込んでしまったが最後、体の細胞が殲滅されるまで侵食し、死体は直に溶けてなくなってしまう。元々拷問用の薬なのだが、こんな時に使うとはアルド自身も思っていなかった。
ヨルムン毒を掛けられた瞬間、あれだけ攻撃を加えられてもまるで堪えた様子の無かった武蔵之介が、絶叫と共に暴れ出した。
「ガアアアアアアアアアアアアアア―――!」
思った以上にうるさかったので、喉を手刀で叩き潰す。一方的な蹂躙はあまり好ましくないのだが、無罪の少女を返さないこいつが悪いのだ。死体があれば最悪探知は出来るので、容赦をするつもりは一切ない。そもそもこれは、決闘なのだから。
「――――――! ――――――!」
声なき声が木霊する。流石に追撃した所で意味はない様に思えたので、アルドは彼の死にゆく様を見届ける事にした。こうして冷静になってみると、人間を相手にゴミ虫は言い過ぎた気がする。罪もなければ攫われる道理もない少女を攫ったこの男に殺意でも湧いていたのだろうか。
実際、今も殺意は湧いているが、その大本にあるのは、この男の動機が不明瞭且つ、不自然だという事だ。ドロシアから聞いた限りでは彼は英雄を探しているらしい。英雄とは、つまり自分の事だ。それの捜索方法が問題を起こすという傍迷惑なやり方なので、探している理由も、自分に対する挑戦だと考えれば妙は無い。わざわざ決闘を申し込んできたのだから、そうに違いない。
ならば何故、彼女を隠し続ける?
アルドには不思議で仕方なかった。ジバル出身でない事も魔術を行使出来る事も判明している。この男はアルド・クウィンツを知っている事は明白。ならばどうしてそこまで無意味な事をする。もうすぐ死ぬ人間には違いないが、それだけが不自然だった。
武蔵之介の身体が動かなくなった。脈を確かめるが、案の定、動かない。完全に死んだ。アルドは立ち上がり、見世物小屋へ戻らんと身を翻した―――
「隙ありいいいいいい!」
滅茶苦茶な飛び込みと共に振り下ろされた大上段からの剣戟。しかしその一撃は先程よりも鋭く思い。武蔵之介の身体から、外傷が綺麗さっぱり消えていた。こんな狭い所で剣を振るってくるなど予想外だ。それ以前に―――
何故生きている。
死亡は確認した筈だ。まさか偽装したとでも言うのだろうか。片腕を犠牲にして刀を止めなければ、胴体を分断されていただろう。
「ふむ…………英雄の名に偽りなし、という訳か」
武蔵之介は嬉しそうに口元を歪めて、後退する。唯一の出入り口はアルドがこの身を以て塞いでいるので出られはしない。死んだふりが得意という事が分かったので、今度こそは生き返る余地も与えず殺した方がいいだろう。
アルドが身構えると同時に、武蔵之介が二刀を交差して地面に突き立てた。直後、彼の全身を包み込む形で魔法陣が浮かび上がり、彼の身体を徐々に消失させる。すかさず王剣で無効化を図ろうとするが、そうだ。ここは狭くて満足に剣が振るえない。
まさかこの為に敢えてここを…………!
「……決闘は一時中断だ」
「逃げるのかッ! 一度決闘を申し込んだお前が!」
「不本意極まる。が、約束しよう。次に会った時こそ、完全なる決着をつけると。この宮本武蔵之介が引導を渡してやると」
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