ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

英雄vs剣豪



 滞在すれば慣れてしまうらしい。幾ら女性に対しての扱いが初心者なアルドと言えども、剣に対して執着した時間がそのまま強さとして反映された様に、少なくともチヒロに対しての対応は、時間が全てを解決してくれた。

―――こういうのも、悪くはない。

 祭囃子に混ざる人々の愉快な声。自分が見知らぬ所で、人々は一期一会を繰り返す。アルドにとっては雑踏の中の景色に過ぎずとも、それは誰でもない誰かから見れば、何よりも大切な風景なのかもしれない。この行事が只の行事であると思うのなら間違いだ。そもそも行事とは幾つもの人間の人生が交わる事で、幾つもの人々に契機を与える特別な催しだ。特異点と言い換えてもいい。これに参加した事で人生が変わったという者も、居なくは無いだろう。

 それとなく、周囲を見渡す。目に付く男女は仲睦まじくも手を繫いで歩いている。会話に耳を澄ますと、『何を食べようか』、『何処へ行こうか』等の至って穏やかな会話が聞こえた。何の変哲もない会話だが、この会話が存在している事こそ、正にこの国が平和な証だった。五大陸では、久しく聞いた事のない言葉に、アルドは感動してしまった。

 英雄の生きる意味とはここにある。人々が平和を感じてくれるのなら、これ以上の報いはない。どれだけ自分に鞭を打っている事を皆に心配されようとも、アルドはこの平和を世界に広げる為だけに活動している。これも一応は、ナイツの為でもある。

 彼等八人は自分が救援に来るまで並外れた苦労と痛みを味わってきた。敵対的な人間を淘汰して、魔人と人間が共存する世界を作ろうとしているのも、それは全ての為でもあり、自分についてきてくれた彼等の為でもある。争いが無くなれば、誰かが苦しむ事はない。この望みが実現したその時こそ、アルドは英雄をやめる事が…………出来れば、いいのだが。

 生憎と、これが性分なのだと自覚してしまった。万人救済と言わんばかりにあらゆる面倒に首を突っ込むのは、最早アルド・クウィンツという人間には必要不可欠な行動だった。実力も無い癖に、変に根性だけはあるせいでやめられない。自分で言うのも何だが、この気合いが折れる事は無い気がする。この気合いが折れる様な事があり得てしまえば、自分はどれだけの存在を裏切るのか。それが怖くてたまらない。だから裏切らない為にも、折れるつもりはない。

―――いいのか、これで。

 今は幸せだ。けれど、それでいいのか。魔人達と和解する為に奔走しなければならないのではないのか。アルドは王様だ。民衆との仲が拗れたままでは、いつかは―――いや、もう学習した。自分に王の素質は無い。民との交流については、クルナにでも任せてしまえばいい。彼女の方がずっと上手くやれるだろう。魔人だし、彼女は民衆の動かし方を知っている。実際に国を纏めている時点で、自分よりずっと優秀だ。

 ああ、そうだ。もう王様として全てを抱え込む必要はない。少なくともリスド大陸の諸々は、彼女達に任せておけばいい。押し付けるみたいで申し訳ないが、自分を心配してくれたその思いを蔑ろにする、というのも気分が悪い。というかこの辺りは柔軟に対応していかないと、いずれ自分と彼女達との間に軋轢が生じる。

 自分だって孤立したい訳ではないのだから、その辺は上手くやっていかなければ。この生き方を変えるつもりはないが、辛い道を歩んでいる自覚はあるのだ。

「アルド!」

 思考を切り上げて、声が掛けられる方を向く。

「何だ?」

「アルドはさ……また戻っちゃうんだよね? 別の国に」

「ああ」

「…………一緒に、言っちゃ駄目かな?」

「駄目だ」

 間髪入れずに、アルドが言った。反論の余地すら与える事もなく、捲し立てる様に続ける。

「ジバルにあった戦争を私が止めたのは何故だと思っている。お前達が平穏に暮らせる様にと思ったからだ。気持ちは嬉しいが、私の心に準備が無い。やめてくれ」

「準備って……何?」

「お前を失う心の準備だ―――ハッキリ言って、今の私ではお前を守れるかどうかすら危うい。お前を失いたくないんだ。分かってくれ」

 この身体はとっくの昔に限界を迎えているのは以前言った通りだ。エイネに少しだけ負担してもらったとはいえ、それでも限界なのに変わりはない。ナイツ達は個々の力が強大だから、自分が動けなくてもどうにかなるが、チヒロの場合は違う。自分が動けなければ、容易く死んでしまう人間だ。

 遠回しに足手まといと言っているに等しく、アルドも断り方を悩んだ。しかし、変に言葉を飾って事態をややこしくするよりは、こっちの方が良いと思ったのだ。彼女はナイツを知らない。であれば、その真意……彼女が足手まといであるという事実に気付く道理はない。

 明確な拒絶をした事で、彼女の表情は露骨に沈み、暗い雰囲気がたちこみ始めた。繋がれていた手もいつの間にか離れていて、相当彼女を悲しませてしまったという事実を、アルドは改めて認識した。

 それでも、連れていけないモノは連れていけない。実力が無ければ死ぬのだ。最低限、自分くらいの力が無ければ。




 …………さて。ここからが、アルドの男の見せ所である。




 何か勘違いをしていたとすれば、今まではアルドが彼女を楽しませていたのではなく、彼女が祭りを楽しんでいたに過ぎないという事か。つまり、一度気分が戻った今からが、本当にアルドが頑張るべき局面である。真の男ならば出来て当然の事に、アルドはどうしてかいつにない緊張感を感じていた。今回は負い目もあって、責任重大である。今回に限り―――ヘタレている訳には、いかない。

「行くぞ」

「えッ―――ちょ、ちょっと!」

 アルドは強引にチヒロの腕を取り、祭囃子の騒がしい方へ歩き出した。ナイツとのデートで自分が情けなかったのは、あれが自分の為に行われたていたデートだからである。しかし今回のデートは違う。これはチヒロの為に行われたデート……アルドが手を引かねばならないデートだ。

 今までのデートを振り返り、迂闊な行動さえとらなければ成功する。今までが練習だと仮定するならば、これこそが本番である。幸い、祭りという行事は人を楽しい気分にさせる事に特化している。馬鹿をやらかさない限りは、自分でも女性を満足させられる筈だ。    









 辿り着いたのは見世物小屋。ここでは犬や猿などの動物を使った芸などが行われており、芸を必死にこなす動物の健気さ、可愛さから、老若男女を問わず人気の催しである。幸い、『徳長』に町を案内された際に一度入った事があるので、幾らアルドと言えども場所は記憶している。その割には道場の場所を忘れていたが、ご愛敬だ。

 それに一人の座長とは知り合いだ。こんな事を言うと意外に思われるかもしれないが、実はとある劇団にアルドも加わっている。『気が変わったらいつでも帰ってきて』とは言われているが、果たして座長は自分の事を覚えているのだろうか。アルドが入った時間帯には見世物など行われていないが、チヒロを席に座らせた後、アルドは小屋の裏側に回り込み、控えているであろう者達に頭を下げる。

「お久しぶりです、マルポネロさん」

 入って真っ先に目に入ったのは、シルクハットを被り、折れ曲がった錫杖を器用に回している男の姿だった。ジバル文化特有の雰囲気を『和』というが、その出で立ちの何処に和を感じれば良いのだろうか。頭を下げてから不意にそんな事が頭を過ったが、そんな些事は直ぐに忘れた。こちらの声に対して、マルボネロと呼ばれた男は嬉々とした返事を返した。

「やあ、久しぶり! アルド君、元気にしてた?」

「はい。マルポネロさんこそ、御変わり……ある様で」

 以前出会った時はちゃんとジバル然としていたというか、この街の雰囲気に似合っていたのだが、どこぞの新天地に旅でもして毒されたのか、また随分と服装が変わっている。これでは元々の自分よりも異邦人ではないか。

「ははは! いやはや、珍しい大陸を見つけてね。そして面白い芸も身に着けたから、こうして本来の活動拠点であるジバルに戻ってきたという訳さ。もしかしたら、君に出会えると思ったのかもッ」

 胡散臭い笑い声を上げながら、マルポネロは言う。こちらも精一杯笑ってはみるのだが、ツボが分からず、苦笑いに終わる。実際、彼は人間としては逸脱していると言っても過言ではない位に勘が鋭いので、自分にであると思って、と言われても、妙な説得力を持たせる事が出来る。

「で? ここに来たって事は、本格的に僕の劇団に入りたくなったって事でいいのかな?」

「いえ、そういう訳では。それに、私にはまだやる事がありますから」

「ふーん……訳アリみたいだね。まあいいよ。僕は気長に待つ。君が入ってくれるまでね」

 彼がどうしてここまで自分を気に入っているのかについては、どうか気にしないでいただきたい。あれはたまたまであり、誘われた事自体、未だにアルドも理解出来ない様な、それくらい不思議な話なのだから。

 フェリーテも『主様が入るならば、妾は毎日だって見に行くぞ?』等と茶化してくれたが。自分に芸の才能があるとは思っていないので、こうして保留という事にしてある。優柔不断と罵られるかもしれないが、断る理由もない―――才能が無いというのは、飽くまで主観の話だ。こうも熱心に誘ってくれると、主観に依存した判断は賢いとは言い難い―――ので、仕方がない。それに、五大陸での戦争が無くなればこの英雄に役目も価値もないので、余生の暇潰しとして入るのも悪くは無いだろう。今はそれ処ではないが、ダルノアとエルアを招待して、楽しませる事が出来たりするのならば……彼女達の保護者として、これ以上嬉しい事はない。

「じゃあ今日はどうしたの?」

「……今日の演目は、いつからですか?」

 まだ何も言っていないのに、アルドがそう言っただけで、彼は「ははあ」と言って、にやりと口角を吊上げた。フェリーテの『覚』は思考段階から会話が可能なので非常に話しやすいが、座長もこの妙な勘の鋭さから、話は運びやすい。

「出たいんだね?」

「……はい。分かりますか」

「分かるよお。そうだなあ、優しい君の事だから女性を何らかの理由で傷つけてしまい、代わりに楽しませようと思って、その時に自分が僕の劇団に所属している事を思い出して、更に今日の演目に自分が出る事で彼女を驚かせようとか、そんな事を思ってるのではないかと僕は推理するけれど、当たってる?」

 当たってる処の話ではない。説明の手間が丸々省けてしまった。無言で頷くと、劇団の皆々が「お~」と沸き上がる。彼は得意気になって胸を張った。

「ははは! 僕もまだ衰えちゃあいないよお! 君の考える事、行動する事なんてお見通しさあ!」

「恐ろしい限りです」

「ああ。何なら先読みもしてあげよう。残念だけれど、君は演目には出れないよ。たとえ僕が許可を出した所で、君を待ち受ける客人がそれをさせないだろうね」

「客人?」

 まさかと思い、神経を研ぎ澄ます。座長がナイツやゲンジの事を知っている筈がない以上、客人と言えば一人しかいないだろう。こんな時機にわざわざ自分へ会いに来るなんて、挑戦状としか思えないが。

 客人は見世物小屋の裏側……控室から更に奥へ行った所の、昼間でさえ人の来ない空白の土地に居るようだ。全体的な広さは一坪。短剣を使いでもしない限りはまともに武器も振るえない距離だ。やはり、こんな所で自分を待ち伏せする様な客と言えば奴しか居ない。

「演目はいつからですか?」

「さっき答えたと思うけど」

「マルポネロさんの先読み、外してみせましょう。いつからですか?」

「一時間後かなあ」

 一時間…………本気を出せば直ぐに終わる筈だ。この身体が付いてこれるのかは微妙だが、何の為にエイネが死を負担してくれたのだ。ついてきてくれなくては困る。

 もう一度頭を下げて、アルドは見世物小屋の控え室を後にした。チヒロに心配されるまでに、決着をつけなくては。









    



 武器を全て虚空に納める。建物を切り裂きながらの戦いでは迷惑が掛かり過ぎるので、徒手にした方が幾らか賢明であろう。仮にも天森白鏡流を学ぶ身、天下無双の大剣豪が相手であろうとも不足はない。

「ジバルの闘争を治めし英雄……アルド・クウィンツか」

 腰の両側に納められた二対の刀。それぞれ長刀と短刀であり、正しい二刀流はこうであるとされている。自分がかつてやった様な長剣の二つ持ちは、力に物を言わせた強引な手法なので、合理的とも言い難ければ綺麗とも言い難い。やる際は自己責任でお願いしたい。

 光の角度に問題はない筈だが、如何せん顔がどの角度からも見えない。魔術で隠しているらしい。魔術を使っている時点で、生粋のジバル出身とは言い難い。何より…………霧代アルドと呼ばなかった時点で、この男は五大陸における自分を知っているという事になる。

「そうだが。お前は?」

「……宮本武蔵之介。貴様に決闘を申し込む」

「その前に、少女を返せ。別の国における私を知っているのなら、人質を取ろうが取るまいが関係ないと分かっている筈だ」

 改めて自己紹介をしよう。二代目『勝利』アルド・クウィンツは、かつて起きた魔人と人間の全面戦争にてたった一人で百万の魔人を屠り、当時魔王だったエヌメラを屠り、地上最強の名を欲しいままにした英雄だ。一度敵とみなせば慈悲も容赦もなく殺し、その一方で味方と判断すれば徹底的に守る。

 人質を取ろうが取るまいが、宮本武蔵之介はアルドにとって明確な敵だった。決闘は望む所にある。わざわざ本来の名前を使ってきた時点で、彼もそのことは分かっている筈だった。

「それは出来ぬ」

「何故」

「貴様に対する抑止力――――――!」

 ミヤモトムサシノスケ―――いいや、宮本武蔵之介がそれ以上の言葉を紡ぐ事は出来なかった。それよりも早くアルドの掌底が顔面に叩き込まれ、壁と共に挟まれ、圧壊したから。


 抑止力?


 そんなもの、自分にあると本当に思っているのなら甚だお笑いである。ダルノアは確かに大切な存在だが、どうしても切らなければならないというのなら、アルドは斬るつもりでいる。いたいけな少女への対応とは思えない? いやはや。アルドは既に大切な者を斬っている。たとえ偽物だったとしても、彼女はアルドにとって最も大切な存在だった。

 今更一人の少女如きで躊躇する自分ではない。

「売られた喧嘩は時価で買うのが俺の流儀だ。だけどもお前、間違えたな」

 潰れた顔面を掴み、繰り返す様に叩き付ける。それから足を払って体勢を崩し、地面に投げつけ踏みつける。この狭い空間において、徒手は武器以上の破壊力を持つ。

「ぐッ…………!」

「朽ち果てろ、ゴミ虫が」

 戦いの火蓋が、切って落とされる。

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