ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

英雄と魔女の出会い



 生まれた時から、ドロシアはこの世界の住人になる事を拒絶されていた。彼女が本来の人間通りに成長してきたのは、単に彼女自身が彼に出会うまで自身の異端さを自覚していなかっただけの事。

 母は彼女を拒絶していた。父親も彼女を拒絶していた。それはあまりに異常な事態だった。彼女の父親は浮気などしていないし、そもそも彼女という存在も、彼女の母親がお腹を痛めて生んだ子供だ。

 それなのに、髪の色も違えば瞳の色も違う。人々はドロシアを災厄の魔女と断定して迫害した。この世に生まれるべきでない存在だと声を荒げて、あらゆる手段を用いて彼女の肉体を破壊した。しかし、それでも彼女は死ななかった。いや、死ねなかった。秩序の外に生きる彼女には、寿命という概念が定められていなかった。そもそも、寿命という秩序は彼女の身体に適用されていなかった。

 少女は悲しくて、悲しくて。自分の両親すら恨み、憎んだ。何もしていないのに、危害を加えてくる彼等が嫌いだった。『人に嫌な事をしてはいけない』と教えてくれた両親が、自分に嫌な事をしてくる、そんな二重規範が許せなかった。だから、居なくなって欲しいと思った。勿論、本当に消えていなくなって欲しいと思っていた訳ではなかった……のかもしれない。

 しかし、彼女の願いは彼女の手によって叶えられ、彼女を虐める人々は何処かに消え去ってしまった。苦悶も無く、驚愕も無く、認識もない。ただ、脈絡なく消え去ってしまった。その時に、少女は初めて気が付いた。自分は人間ではない事に。何らかの特異性を保有する異物だという事に。

 人であらずんば、何者か? ドロシアという少女はその矛盾に苦しみ、しかし自分のしてしまった事に今更取り返しがつく筈もなく、その場所で泣き続けた。自分の正体を教えてくれる者を待つように、涙が枯れるまで泣き続けた。

 そんなときに現れたのが、アルドだった。世界を憂う瞳を持った男が、自分の目の前に現れるや、突然こんな事を言ってきた。

「君は……どうしてここに居るんだ? 君の様な少女がここに居るとは聞いていないんだが」

 少女、と。アルドは確かにそう言ったのを覚えている。彼だけだった。生まれてからずっと化け物扱いされてきた自分を唯一『少女』と呼んでくれたのは。

 保護されたドロシアを待ち受けていたのは、幸せな生活だった。彼との共同生活は久しく感じた事の無かった愛を授かった気分で、今も彼女は時々思い出している。彼との短い短い……二人きりの生活を。

―――先生。

 あらゆる次元で誰よりも自分を愛してくれた彼の事を助けたい。死が救いなどと自分は考えない。何も彼の事を理解出来ていないのに、勝手に殺してそれで救った? 馬鹿馬鹿しいにも程がある。死なせる事でしかその相手を理解出来ないというのならばともかく、その苦悩があまりにも複雑ならばいっそ殺してしまえば相手も救われるだろうという幼稚な発想は、自分には出来なかった。死はそこまで大層なモノでは無いし、彼が死んだ所で、彼は救えない。それは彼にとって、当たり前の結末なのだから。死なない自分が『死』について何を語るかとも思われるだろうが、死なないからこそ、ドロシアは何よりも死の価値を知っている。その上での発言だ。

 十万年以上もの時を共に過ごしてくれた彼。完全なる無秩序に支配されたあの世界で、ずっと自分を守ってくれた彼。二人っきりという事はなく、後に友人の様な存在は出来たが、それでも寄り添ってくれたのは彼だけだった。

『大丈夫、いつか戻れる』 

 時にはそう励ましてくれた。

『……もし、お前が戻りたくないのなら、俺もここにずっと居よう』

 時には、優しくしてくれた。

『お前を見捨てるなんて俺には出来ない。弟子を守るのが師匠の役目だ』

 時には格好つける事もあった。ドロシアはそんな彼に支えられて、あの世界をずっと生きていた。彼への好意を自覚したのは、確かあのやり取りを経てからだった。


『先生。先生は私がどう見える?』

『……どうも何も、美人な女の子だが。それ以上の言葉が必要か?』

『うん。だって、先生だってもう気付いてるんでしょ? 私は人間じゃ―――』

『分かった。お前は私好みの美しい女性だ。それ以上でもそれ以下でもない。お前は自分が人間ではないというが、たとえ人間で無かろうと私にとってお前は愛しい者の一人だ。……済まない。女性には慣れていなくてな。これ以上を求められても無理だ」


 彼が秩序を与えてくれた。ドロシアに『愛しい者』という楔をくれた。あらゆる秩序に見放され、庇護される事の無かった自分を、唯一覆い包んでくれた。それが自分にとって何よりも嬉しかった。あの時からドロシアは、彼の事を…………愛する様になっていた。いつしか見た目を整えるのも、彼に容姿を褒めてもらいたいが為の行為になっていた。

 彼を救うには、並大抵の所業では許されない。神々の権能を扱える彼ですら出来なかった事だ。神頼みを頼まれたとはいえ、その神にも彼を救う事はきっと出来ないのだろう。

 だが。ドロシアはやらなければならない。アルドを救う事を同じくらい望んでいた筈の彼にまで託されたのだ。いよいよ、これは放棄する訳にはいかない。

 呟き一つ、指先一つで世界が変わる。理が変わる。真実が変わる。神々にすら見通されぬ唯一の存在のみが、英雄を救う事が出来る。これが簡単な話で済めば良かったのに、話はそう簡単なものではない。

 例えば、大好きな彼に初めてを捧げるだけでこの事態が解決するのなら、ドロシアは喜んでそれを捧げるだろう。彼が望むなら何回でも、何時間でも付き合うだろう。だが、そういう訳ではない。別の世界では『男が落ち込んでいる時は、大抵女を抱けば翌日には戻る』と宣う者も居たが、それだけでアルドが救える筈がない。彼の悩みの下は、彼自身の在り方にあるのだから。

―――ここ、かな?

 アルドと一時的に別れた後、彼の指示と特徴を聞いて、ドロシアはとある場所に辿り着いた。『幽世』なる場所に存在するから通常ならば入れないらしいが、この特異体質には真理を除きあらゆる制約を受けない。受け入れる事は出来るが、それも気分一つで跳ねのける事が出来る。

 この特異体質は執行者の保有する加護と全くの同一であり、だから自分はあの戦いに付いてこれたと言えるだろう。この体質さえあれば実力不足の問題を殆ど解決出来る。カテドラル・ナイツと呼ばれる彼の部下が特に最後の戦いに付いてこれなかったのは、それが無かったからともいえる。単純な実力差を覆す要素があると無いとでは、全くの大違いだ。

「済みませーん」

 鳥居を潜り抜け、辺りを見回す。真正面に聳えるのは偶像を奉る本堂という奴だろうか。別世界の知識で申し訳ないが、どうやらこの辺りは殆ど変わらないらしいので、そのまま行かせてもらう。本堂の前に門番の様に立ちはだかる一対の狛犬が、心なしかこちらを睨んだ気がした。微弱な陰陽の力を感じたので身を翻す。鳥居の直ぐ横にあった灯籠に、火が灯っていた。

「何か用でしょうか」

 こちらを惑わす様に、今度も背中から。慌てずに振り返ると、中性的な顔立ちの少年がこちらを見定める様にこちらを見上げていた。幣を両手に持ち、着物を反対に着用している少年は、見れば分かるが明らかにこの世の者ではない。彼がわざわざここに自分を寄越したのは、生者であれば入る事に苦労するからだろう。幽世は死者の跋扈する世界だ。

「あ、もしかして君が神様?」

「……いえ。私は付き人です。しかし、ここに無傷の死者が来るとは珍しい。餓虞様に何か御用でしょうか」

「先生……霧代アルドに頼まれたんだけど、取り敢えずその人と会える? 出来れば直接お話ししたいんだけど」

 少年は暫く佇むばかりだったが、「少々お待ちください」と言って、本堂の中に歩いていく。その表情が微妙に歪んだのをドロシアは見逃さなかった。もしかすると、あまり人には関わりたくない神様なのかもしれない。彼の名前が挙がったから通っただけで。

 空の上を雲が通過する様子をぼんやり眺めていると、やがて少年が戻ってきた。

「お待たせいたしました。餓虞様は奥の方でお待ちですので、どうぞお入りください」

 促されるまま、ドロシアは本堂に足を踏み入れる。別世界で見た光景が重なり、感じられたはずの新鮮さは、途端に懐かしさへと早変わり。一度ここに入った事があるかの様な錯覚を覚える。そんな懐古的な感覚を味わう中、その男は奥で胡坐を掻いていた。

「何者か、名乗るが良い。我の名は餓虞。異大陸に沿うならば……ギルゾードと云う。貴様は?」

「ど、ドロシアです。先生……霧代アルドの、弟子」

「…………訳アリの様だな。奴が我を頼るなどあり得ぬと思っていたが」

 傍らに置いてあった長刀を掴み、ギルゾードはゆっくりと立ち上がった。

「話してみるが良い。理の外に生きる陰陽師よ」

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