ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

玉面金毛九尾の狐

 銀城閣は幾つもの城が不釣り合いに繋がった、城というよりは塔と言った方が、そしてその内装は、城というよりは迷宮と言った方が確かな建物だった。文化が違う時点でリスド大陸の城と比較するのはおかしな話だが、城の規模はあちらと比べるまでもなく、圧勝だった。『狐』がどれだけの財を持っているのか理解出来る。これ程に無駄で豪華で派手な内装といい、その迷宮に住まわせられている従者の数といい、正に栄華を極めた者にのみ許された横暴と言えるだろう。一応、無理やり従わせている訳ではないらしく、従者達の顔には度々笑顔が見られた。何の変哲もない光景だったが、本来アルドが見るべき光景だったと考えると、途端にリスド大陸の魔人達が憎らしくなって、らしくもなくフェリーテは溜息を吐いた。

 彼と帝城で接している者達、例えば侍女は彼に好意的である。それは何故かと言われれば彼と間近で接する事で彼の人間性に触れているからであり、彼が万人受けするような存在でない(そもそも彼は、彼の行った事を知っていれば、偽善者と呼ばれても仕方ないような人間である)事は知っているが、それでも彼女達はアルドの人間性に好意を持っている。間違っても顔ではない。彼より優良な顔を見つけようと思うのなら、街に出れば一分で見つけられる自信がある。そこは幾ら彼の事を好きと言っても、いや彼の事を愛しているからこそ、フェリーテも認めている。

 そんな侍女達と比べて、彼と接する事なく暮らしている魔人は、完全な劣等感を抱いたまま過ごしている。カテドラル・ナイツ自身はその事情から全くその時の事を知らない、知っていても構える様な状況ではなかったからともかく、民衆の中には、家族をアルドに殺されている者も居る。彼と積極的に接そうと思わなければその認識を変える事はまず不可能であり、その結果があれだ。表面上は敬っているように見えても、心から敬っていなかったから起きた事態。心の底では嫌っていたから起きた事態。幸か不幸か、あれのお蔭でアルドは剣を捧げる価値もない民衆から心を離してくれたが、確実にあれは彼の心を傷つけた。そもそも民衆達が、心から彼の事を敬っていれば、或いは好いていれば起きる筈の無かった事態だという事は、目の前の光景を見ていて改めて感じる。

「こらああ! その皿はこちらだ! 何をしてるっ」

「ああ、はい! 直ぐお持ちします!」

 平和の中の争いとも呼ぶべき穏やかな光景を視界の横に流しながら、ナイツ達は『狐』の少年の後を追って階段を昇っていった。只の螺旋階段ではなく、階層ごとに幾つもの階段が別の方向に繋がっているという構造上、正しい階段を選ばなければ最上階こと『月闇の間』には辿り着けない。ディナントが一歩、一歩と踏み込む度に階段が軋みを上げたが、ナイツ達は特に不安気も無く歩き続けた。

 それから階段を同じ様に五回程上り、ナイツ達はようやく『狐』の住まう部屋へと辿り着いた。

「これ以上は、基本的に入室を禁じられておりますので、私はこれで失礼します」

「うむ。ご苦労じゃった」

 再びあの長ったらしい階段を降りていく少年を見送りつつ、フェリーテは鉄扇を閉じて、ナイツ達を順に見据える。ディナントに関しては寡黙という事もありあまり心配もないのだが、それ以外は性格を加味しても心配だった。

「メグナ」

「分かってるわよ! 短気に突っ込みゃしないって!」

「お前はむしろ突っ込まれる側だものな! はははははは!」

 愉快なのはユーヴァンだけである。分かりにくい上に、面白くも何ともない冗談は周囲を絶対零度の冷気が包み込んだ。彼の一人笑いが城に木霊して暫時。彼の首に鎖が巻き付けられて、忽ち彼の笑いが物理的に封じられた。後ろの方では、眉間に皺を寄せて半目になったヴァジュラが、限界まで手を震わせながら鎖を引いていた。

「不愉快」

「お、お……ぐ! ちょ、やめろ……ワガ、ワガった……!」

 彼の願いが聞き届けられたのか、ヴァジュラは『魂魄縛』を引っ込めて、何事も無かった様に手を垂らす。中々の力で締め付けられていたらしく、ユーヴァンは青あざの残った首元を擦りながら、何度も咳込んでいた。

「し、死ぬかと思ったんだが? 俺様、人の城で死体晒しちまう所だったんだが?」

「自業自得じゃ。個人的には妾も何かしたかった。お主らしか居ない時であればまだしも、女子の居る所でその様な低俗な言葉は感心せぬぞ」

 特にヴァジュラやファーカはその手の発言に弱い。いや、弱いというか、雰囲気さえあるのならば問題は無いのだが、どう考えたって今はそんな雰囲気ではなかった。処女という事もあり、元々彼女達は息をする様なそういう言葉には弱い。残念な愉快さが彼に戻ってきてくれて何よりだ。

 処女という時点では、自分も人の事を言えた義理ではないのだが。

「おうよ。反省しておくから、後で俺様に手料理を振舞ってくれる人は居ないか?」

「唐突じゃな。腹が減ったのか?」

「いや、何となく愛情を感じたくなっちまった」

 そこで適当に流しておけばよかったのに、チロチンが余計な一言を挟んでくれたせいで、事態は更に混迷を迎える事になる。

「ヴァジュラに作ってもらえ」

 何故参加した。この流れが見えなかった彼ではない筈だ。思考越しに文句を伝えると、これまた思考越しに『済まない。何となく乗りたかった』と帰ってきた。ディナントに似たような面持ちで佇んでいるのに、考えている事があまりにお茶目だった……とか、そんな事を言っている場合ではない。油を注がれた二人は、夫婦漫才さながらに騒ぎ出した。

「……嫌」

「グフッ! ヴァジュラに嫌われちまったら、俺様生きていけない……! 誰か俺様に終焉を……!」

「いい、よ」

「おおう、何という掌返し! ひょっとしなくても俺様はヴァジュラに嫌われていたりする?」

 このまま会話を見送っても良かったが、これ以上続けさせるといよいよ切り時が分からなくなる。ナイツ一人一人に釘を刺しておきたかったが、フェリーテは妖術を用いて物理的に二人の口を封じて身を翻した。

「そんな訳ないじゃろう。ほれ、行くぞ」

 部屋には入っていないが、目の前でのやり取りだ。妖術で扉を開けると、奥の方では何とも言い難い表情でこちらを見据えながら、まだ幼さの残る魔人達に団扇を扇がせる『狐』が居た。


「久しぶりじゃな―――クルナ」


 顔の側面に作られた耳とはまた別に、頭部から映える一対の狐耳。毛並み鮮やかに揃う耳は、金色の光を放ちながらピコピコと動いている。服を選んでいて時間が掛かったとの事だが、着崩した着物はどう見ても時間を掛けたとは思えない見慣れたものだった。『変わった物で行こうと思ったが、やっぱりそういう狙うようなことはやめておこう』という思考過程だろうか。『覚』でどうにか見抜こうとやってみたが、同じ能力の使える彼女に『覚』は通用しなかった。諦めて歩き出し、彼女の前に座り込む。

「あんれまあ、フェリーテだけかと思っちょったらぎょーさん連れてきて。どないしたん? 旅行かいな」

「主様より連絡は受けている筈じゃろう。主様が何をしにここへ来るのか、主様が妾達にどうさせたいのか、全てを」

 フェリーテに倣い、他のナイツも正座で座り込む。その様子に狐―――クルナは気を良くし、こちらからの質問にも機嫌よく答えてくれた。

「ふぉん……もう少し遊んでくれてもええもんやのに、あんさんもつまらんなあ。はいはい、分かってます。分かっとります。旦那はんはわてを引き込むつもりなんやろ。それくらい分かっとりますえ」

 彼女にとっての旦那は所有物という意味であり、アルドは正に彼女の所有物として扱われている。言動だけでは判断が付きそうもないが、ナイツ達は自然と感じ取っていた。それとなくこちらを下に見る彼女の目線を。

 それが間違っているとは、残念ながら言えそうもない。仮にアルドが彼女の所有物なのだとしたら、その彼につき従う自分達が下だと言うのは至って普通の論理である。

「間違っても妾達がお主を誘う事はない。が、一つ尋ねても良いか? お主は、主様の誘いを受けるつもりはあるかの?」

「あるでや。しっかし、今は国が問題だらけなもんで、わてが離れたらこの国はどうなるか分かったもんじゃありゃせん。如何に旦那はんの頼みと言えども、つもりこそあれ、実際には断ると思うでえ?」

「……そうか。まあ良い。何度も言う様に、妾達に口を挟むつもりはないからの。それで、主様からは、どんな連絡をされておるんじゃ?」

「愉しませてやって欲しいと、それだけや。旦那はんも言葉が足りまへんなあ。宴が必要ならそう言ってくれりゃええのに。わてにはその準備があらへん。フェリ、おまんたちにはこの国を自由に動ける権利しか与えられへんが、それでも良かと?」

「構わぬ。この城を少し動き回りたいのじゃが、それは大丈夫か?」

「かまへんかまへん。わての寝室以外だったら何処へ行ってくれても文句はつけまへん。約束しますえ。でも、わての思想に賛同してくれる者達が来訪している場合があるもんで、そこに入るのは控えてくれると」

 フェリーテは立ち上がって、背後のナイツ達に思考で言葉を伝えた。滞りなくその言葉は通じた様で、ナイツ達は怪訝そうに一瞥してから、揃って『月闇の間』を後にする。単に滞在する事を報告しに来ただけだから、彼女の傲慢さを感じ取れる機会は少なかったが、良く怒らなかった。視線だけですら明らかに彼女はナイツを見下していた。誰かが怒ったとしても、それは都合が悪いだけで至って普通の行動だった。

「これで、二人きりじゃな」

「ん。そやのう。何か用でもあるんかいな」

「特には。ただ、久方ぶりに再会したのじゃ。久闊を叙したいと思うのも不思議では無かろう?」

「せやな。しゃーなし、おまんがそこまで言うのなら、わても吝かではない―――酒を」

 彼女の一言で少年は直ちに部屋を飛び出していった。酒蔵があるのは二階であり、ここからあそこまで行くのには相当の時間がある。その時間の間は、正真正銘の二人きりだ。多少問題性のある会話をしても、誰も聞いていない。

「一つ、尋ねちゃる。おまんは未だに処女なのかえ?」

「…………悪いか?」

「愛らしいのう。あれ程男として優秀な者は居らんのに、未だ手付かずなんて信じられへんもんやで? わてだったら当の昔に食っちゃるよ」

 発言が発言だが、彼女だってアルドの肉体だけを見てそんな事を言っているのではない。彼は自分を助けてくれる上で『狐』と一悶着を起こし、その信念を認められているのだ。確かに、共に温泉に入った時に見えたあれは…………類を見なかったが、そもそも男として優秀か否かは、基本的に能力の有無で決められる。そう言う意味で言えば、魔力を引きだせないアルドは、大多数的に見れば男として欠陥品この上無しであると言える。にも拘らず、クルナは全く逆の評価を下しているのだから、ともすればあの精神性を評価しているのだ。

 全身を虫の巣にされながら食われたり。

 脳を爆破された後に痛覚を繋げられて、脳髄が吸われる感覚を三〇時間以上も味わったり。

 腕と足の感覚が逆になって、骨が折れる度にその痛みを快感に変化させられようと。

 全身の痛覚の感度を限界まで引き上げられ、かすり傷をつけられるだけでも全身を切り刻まれた様な痛みが襲い掛かろうとも。

 四つん這いにしか歩けなくなり、その際中にひたすら潰され様とも。

 それでも自分に立ち向かい、そして助けてくれたのだ。精神性という意味合いで言えば、彼ほどの男は中々居ない。それはフェリーテも賛成である。

「もしかして、主様の代わりにあの男児達を侍らせていたのか?」

「ご名答。贈り物は何もあらへんがな。しっかし本物に勝る値打ちは無し、どれだけ居ってもあの時わてが感じたトキメキは、やはり旦那はんでないと味わえまへんわ」

「初心な男が好きなんじゃな。相変わらず」

「長い付き合いだっちゅーのに、そんな事も理解出来ておらんかったか。わては美少年が愛おしい。美しいモノがとにかく愛おしい。特に心の綺麗な者は、見ているだけでわて色に染め上げたくなってくる」

 狐は妖しく微笑んで、先程は隠していた九つの尾を広げた。彼女がわざわざ着物を着崩しているのは、主にアルドを誘惑する為だが、あの長くて数の多い尾を隠す目的もある。


「そろそろ宣戦布告と洒落込もうかの。フェリ、おまんに旦那はんは渡さへん。その不愉快な呼び方は、可及的速やかにやめよ」 



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