ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

影を潜める異変

妙な力に弾かれたと思ったら、先生とはぐれちゃった。急いで戻ろうとしたけど、先生は何だか来て欲しくなさそうだったから、私もそれに従う事にした。はぐれたとは言っても、ノアちゃんとは一緒に居るし、先生が戻ってくるまでの辛抱。

「……あの、ドロシアさん。何で私はこんな風に歩かなければならないんでしょうか」

 それは、執行者でも無ければ一人の可愛らしい少女が不安のあまり独り言を漏らしている様に見えるだろう。実際には、ダルノアの他にも人が居る。ただしその人は、地面の中に沈み、その中を歩いている。間違っても、この真実を他の人に話してはいけない。正気度を疑われる。けれど、実際にドロシアは地面の中を歩いているのだから仕方ない。生物処か、そもそも世界の秩序にすら縛られていないのだから、やろうと思えばこれくらいの事は出来る。唯一変えられない事は『そこに在る』という事だけ。最初から生きてもいないドロシアには、そもそも寿命という概念すら存在していない。そんな、生命の最低限すらも彼女を縛れていないのならば、地面をすり抜けるくらいは訳ない事である。普通の人間が土の中に埋まれば生き埋めとなり直に死ぬが、土の中に入った瞬間に存在が消える訳でもない以上、彼女に不可能は無い。そもそも、船の中で一度見せているし、ダルノアの足元にぴったりと張り付いて歩くくらいは今更驚くような芸当ではない

「何でって、安全の為だけど」

「安全? この町が危険だって言いたいんですか?」

「この町が危険って訳じゃないけど、良くない雰囲気を感じるだけ。今までは先生が居たから安心出来たけど、今は居ないから警戒しないと」

 などと口ばかり立派だが、傍から見ればダルノアを囮にしている様にしか見えず、当人もまたその様に感じていた。危険を警戒しなければいけないとはいいながら、完全防御態勢を整えているのは彼女の方ではないか、と。しかし彼女の事だからちゃんと自分も保護しているのだろうし、そういう風に見えるだけで彼女に悪意はないと分かっているからこそ、ダルノアは敢えて何も言わなかった。少し真面目に考察すると、その危険がもしも理性を持つタイプだった場合、直感的にドロシアを強者と感じ避ける可能性があるから、こうして完全に身を隠す事で危険をおびき寄せる……あれ。

「やっぱり餌じゃないですか!」

 この少女がまさか地面の中に居る同行者目掛けて怒っているとは誰も思うまい。すれ違う人々は、この美人ながらに頭の狂っていそうな少女に好奇の眼差しを向けていた。それが特異体質や己の特別性を信じて疑わない者ならばまだしも、ダルノアはそれなりに目立つとはいえ一般人だ。数分とそんな目線を受けて、すっかり気分が疲れてしまった。彼女の予感した危険とはこの事ではないかと思えてならない。

「あの、ドロシアさん。そろそろ上ってきてくれませんか? この目線に一人で晒されるのは辛いというか」

「え、そんなに?」

 訝る様な調子でそう言った後、特に文句を垂れる事もなくドロシアが地面から飛び出してくる。明らかに異常、ともすれば気味の悪い光景に、先程と違って町の人々は気にも留めていなかった。彼女の履く草履が地面に触れた瞬間、今更の様に人々は彼女を認識した。

「……あ、あれ? どうして皆さん、気になさらないんですか?」

「だって現実改変したし」

 …………そういう、特異的な能力に詳しいつもりは全くない。現実改変と言われても、具体的に何をしたのか自分の頭の中ではさっぱりイメージ出来ていないのだが、それでも彼女が、非常に無駄な力の使い方をしている事は分かった。どんな能力なのかまるで分からないが、少なくとも地面から飛び出す所を見られたくないが為に使用する能力ではない筈。多分。

 しかしそんな能力があるなら自分にも適用して欲しかったのだが。そういう使い方をする様な能力とは思えないが、そういう風に使うのなら先程使っても一緒だっただろう。伏し目になって彼女をみつめるが、ドロシアは首を傾げるばかりで、本当に分かっていなさそうだった。

 もしかして、天然?

 色々出来る事は船に乗った時点から知っているが、色々出来るからこそ、彼女の視野は狭まっていた。恐らく囮にするつもりは本当に無く、事実のみを見れば自分を餌に危険をおびき寄せようとしていた事は事実だが、彼女の思考内では、危険をわざと引き受ける事で他の人々に危害が及ばない様に図っていたのだろう。結局上に出てきたので今は解除されているだろうが、あの時も自分には、何かしらの保険が掛かっていた可能性が非常に高い。

 そう考えてみると、彼女とアルドは非常によく似ているではないか。危険に対処するのは自分で、他の人には被害が及ばない様に背負い込んで。彼の弟子という事も納得である。ものの見事に彼の影響を受けているではないか。その事に気付いたら何だか面白くなってしまって、笑みが零れてきた。

「どうかした?」

「ふふ……いいえ、ドロシアさんとアルドさんはよく似てるんだなって思って」

「え?」

「何でもないですッ」

 そういう事に慣れている訳ではないが、彼と再び合流したら弄ってみようか。きっと面白い反応をしてくれる筈だ。危険がどうのこうのと彼女は言っていたが、結局何も訪れる事がないまま四十五分。当てもなく歩いていると、向こう側に人が集まっていた。そしてその中では、アルドが一人の男性の胸倉を掴み、何かを問い質している処だった。

「何が起こったんでしょうか」

「取り敢えず様子を見てみようか」

 間違っても、アルドが一般人を襲っているとは二人共考えなかった。彼がそんな人ではないと分かっていたから。これはドロシア限定の話だが、彼女の視界からはアルドが何らかの術で操られていないかどうかというのも見えている。そもそも彼を催眠状態にする事自体が彼の精神力と肉体の問題から、非常に難儀である事は云うに及ばないが、それでも万が一だ。億が一だ。

「ここでの魔術はご法度だ。お前、この国の住民じゃないな? 見世物と偽って無辜の人を甚振って、何がした―――」

 直にアルドが殴りつけると、その男は木偶人形の様に力なく手足を垂らして、程なく土へと還っていく。普通の人間であればそこまでで終わりだが、ドロシアには確かに見えていた。木偶人形が誰によって作られ、操作されていたのかを。

 魔術の糸がしっかりと伸びているから、それを辿れば誰が犯人なのか直ぐに分かるだろう。

「…………あれ? ドロシアさん? 何処に、何処に行っちゃったんですか?」

 片時も目を離していなかったのに、とは通じない。彼女がその気になればそういう風に認識を作り上げる事だって不可能ではないのだ。一つ尋ねられるとすれば、その認識が正しいものであると誰が証明してくれる? 片時も目を離していなかったと自分以外に誰が証明出来る? この認識が本物であると、一体誰が保証してくれる?

 自分だけでは彼女を見つけられないと悟ったダルノアは、差し当たり、目の前の男に声を掛ける事にした。













「アルドさんッ!」

「ん? おお、お前か。ドロシアはどうしたんだ?」

「それが、さっきまで居たんですけど…………」

 彼女の発言は、ドロシアを良く知る者でなければ欠片も理解出来ない。つい先程まで隣に居た人間が、しかも片時も目を離してなかったのに消えるなど。執行者を知っていれば或いはと言った所だが、彼等は外世界の存在。外世界を把握している時点で理解は出来よう。ダルノアからここに至るまでの経緯を聞くと、アルドの中で一つの結論が導き出された。

 ドロシアは先程の異変を解決すべく、独断専行で何処かへ行った。これしか考えられない。

「さっきのあれ、何だったんですか?」

「私にも分からないな。只一つ言える事は、不穏がこの町に迫っているという事だけだ」

 今、初めて言ったのだが、ダルノアは同じ事を聞いたと言わんばかりの淡白な表情で頷いていた。どうしたんだと尋ねてみても、「何でもありません」としか言ってくれない。彼女の機嫌を損ねる様な事、何かしたのだろうか。

 今は謝罪をしている場合ではないから流すが。

「どうするんですか?」

 焦燥感を露わに、食い気味に尋ねてくる少女の顔を押し退けて、アルドは言った。

「どうするもこうするも……確かに心配だが、あまり気にする必要はないんじゃないか?」

「え? ど、どうしてですか?」

「アイツは強い。下手な強者がアイツにどんな手段で何をしようとしたって、返り討ちに遭うだけだ。それに、不穏を解決してくれる分には、私は構わない。それで人々から好かれて、アイツが私以外の人に慣れる事が出来たらむしろ万々歳だ」

 笑顔と思わしき表情を浮かべ、アルドは再び歩き出した。これが師弟間に築かれる信頼関係の結末か、親の顔など思い浮かべられない自分には、少し彼女が羨ましかった。ダルノアはお留守になっている彼の片腕に腕を通し、間近で見ていたあの光景を再現する。手を繫いでいただけでも安心感があったが、こんな風に彼と密着すると、普段のドロシアがどれだけリラックスしていたか分かる。

 頼れる男性が傍に居るというだけで、こうも足取りは気楽になるのか。これが異性としての意識を持っているならばやり辛かったが、現状、彼には友愛しか抱いていない。だからこそ、心おきなくこうして腕を組む事が出来る。

 少女のスキンシップにアルドは少々困惑した様子を浮かべたが、一々文句をつけるのもどうかと思ったので、努めて考えない様にして歩き出した。



―――ドロシア。お前は無事に帰ってくるよな?

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