ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

全能の老婆

 五大陸程見慣れている訳でも無く、かといって『徳長』の国程馴染みがない訳ではない。ジバルにおいてこの国ほど過ごしやすい国は無いだろう。民に言わせる所の『和洋折衷』というもので、当然の如く下駄や浴衣が改造されている様は見ていて複雑な気分だ。余程害悪なものでない限り伝統は守っていきたいと思っている。過ごしやすいのは確かなのだが、それとこれとは全く話が別である。門一つ越えて姿が変わるとは思わなかったのか、二人は物珍しそうな眼で、周囲の人々を見ていた。振袖の鎧やら布状に広げられた金属のコートやら、その発展は中々どうして独特だ。良くも悪くも人々は我を貫く事が出来るので、『徳長』の国と比べると嫌味な性格の奴は居るし、犯罪者も居ない訳ではない。しかしながらこの国を守護する衛士達は精鋭ぞろい、今は自分も居るので、犯罪行為が目の前で起きたのならば見過ごさない。あの厳しい検問を潜り抜けた犯罪者という時点でそちらも精鋭なのは言うまでもないが、それでも十分に抑制は出来ている。レギ大陸よかずっとマシだ。

 あそこは無法過ぎて逆に治安的という稀有な大陸だが。生憎と数度しか足を運ばぬ内にレギ大陸は『住人』に荒らされて、その特性を肌で感じ取る事は出来なかった。大陸が残っていただけマシと思うべきか、もうかつてのレギ大陸は戻らないのだと悲観するべきか。

 『徳長』の国程知り合いに恵まれている訳ではないので、アルドは二人の手を取って……いや、ドロシアのみ、腕を組んで歩き出した。身長差から言えばどんな頭のとち狂った人間でも父娘にしか見えないが、彼女の歩き方は見るからに『好きな人と一緒に歩いている』とでも言わんばかりに調子よく、ともすれば恋人にも勘違いされてしまうかもしれない。正確には師弟関係だが、ジバルに限った話ではなく、男女間で師弟関係は結べないとされている為(結局男女の関係に落ち着くとか何とか)、まずその関係を見出せる人間は居るまい。この暗黙の掟の如き秩序が壊れている例を知っているが、それは希少な例でしかない。大多数は、やはり男女の関係に落ち着く。

 そういう意味なら、いずれはアルドとドロシアもなるのかもしれない。ただ、それは自分が女性への免疫を獲得して以降の話となる上、十万年以上も一緒に居たのにも拘らず何も無かったのなら、少なくともあともう十万年は掛かるのではないだろうか。現実的な話をすれば、カテドラル・ナイツの寿命的にあり得ないのだが、少なくともそれは一年や二年、百年や二百年程度で何とか出来るものじゃない。剣に全てを捧げた人生、それを選択した心は心鉄の良く通った刀の如く曲がらない。

「私もあの格好してみようかなー」

 彼女の視線の先には、それはそれは男の情欲を掻き立てる様な刺激的な恰好が。娼婦という程身なりがみすぼらしい訳でもなく、その動きには舞踊にも似た優雅さを感じたので、仮にアルドが視線を向けた所で、大衆の中の一視線としか受け取られまい。実際、自分以外にもその女性を見ていた男は何十人と居た。

「お、お前。いつの間に露出が好きな人間に?」

 師匠として動揺が隠せない事はどうか許してほしい。世界を旅している内にどこぞの変態に毒されたとでもいうのなら、今すぐにでもそいつをぶん殴ってやりたい所だ。本人の意向がどうあれ、痴女は良くない。特にドロシアは、只でさえ通常状態でも危ういのに、これ以上そっちの方向に振り切れてくれると、取り敢えず襲ってしまいかねない。いや、間違いなく襲う。理性がそう囁いている。

「好きな人の好みに合わせるのって、女性として大事な事だと思わない? 私だって気付いてるんだよ? 先生がいっつも……フフッ、今も何処見てるのかな~?」

「何処も見ていないぞッ?」

「アルドさん…………」

「おい、やめろ。そのゴミを見る様な眼で私を見るのは」

 本当に何処も見ていない。というか、今は何処を見ようが浴衣なので大丈夫だ。二人がちゃんと着ていれば胸が見える事もないし、恥部が見える事もない。会話の際には相手を見なければいけないとしても、誰かに非難されたりゴミを見る様な目線で見られる様な謂れは無い。「冗談!」と彼女は言ったが、仮に冗談だったとしても心臓に悪い。女性に軽蔑される事は、こんな年になっても中々きついのである。

「先生弄るの、楽しいなー」

「やめろ」

 勝てる気がしない。相手がどんな風に考えるかを完璧に読み切らなければ出来ない芸当だ。そしてアルドは人の心を繊細に察知する事が出来ない。露骨な恋心や、他人が言わんとしている事には気付けても、こちらの言葉を受けて相手がどんな事を考えるかというのは、からきしだ。ひょっとすると、これも騎士時代にアルドが女性に好かれなかった原因なのかもしれない。ユーモアが無いとでも言えばいいのだろうか。誰かを笑わせたり弄ったりする才能は女性に対する対応以上に壊滅的である。

 暫く歩いていると、やがて天心冠テシカと呼ばれる町に辿り着く。『蛟』の国の中では一番大きな町である。後はこの町から東西、それと海を隔てて町があるだけで、地理的には一番分かりやすい国である。『徳長』の国はどうも小さな町が密集している所もあり、残念ながら分かりやすいとは言えない。町には様々な魔人と人間がおり、厳密には違うが『猫』や『猪』の魔人も居て、個人的には親近感を感じている。どうして大陸を隔てて似たような種族が居るかについては、アルドよりも地理学者、生物学者の方が詳しいだろう。付け焼刃の知識を語った所で笑われるだけなので、言わない。ただ、厳密には違うので、実はたった今横切った『猫』がゼノンの親戚だったとか、そういう事はない。

「あっちの国みたいに騒がれないんですね」

「まあな。あちらの方が交流が深い。最初にここへ来た時も、私は追い返されかけたからな」

 最初というのは、まだこの国が出来る前の事である。あの時はフェリーテを助けて、彼女に身分を保障されなければまともに滞在すら出来なかっただろう。その前は『皇』に何とか取り計らってもらったし、つくづく二人には感謝しなければならない。『蛟』でこれなのだから、『狐』の国ではそれこそ一部…………ああいや。違うか。フェリーテを助けてしまった事で名前が知れ渡ってしまったから、ここが一番騒がないのか。寂しくはあるが、下手に騒がれて動きを阻害されるよりはずっとマシだ。何より、こういう扱いの方が慣れている。

 妹だけが心の支えだった騎士時代が、まさかこんな形で活きるとは。アルドは一人苦笑して、直ぐに表情を取り繕う。ミヤモトムサシノスケという不穏因子さえ居なければ、ドロシアと自分の二人でイティスを奪還してしまうのに。

 限りなくあり得ない話だが、もしもまた別の執行者が名前を騙っていただけだった場合、ドロシアと自分では仮に撃退出来たとしても、イティスが無事で済むかどうか。少し前に同じ事を考えた気もするが、やはり妹を連れてくる訳にはいかない。自分で言うのも何だが、この存在自体、災厄の権化みたいなものだ。アルドは全て……知っている。

 彼の力を引き継いだ際に流れ込んできた記憶が教えてくれた。あの全面戦争を引き起こした原因が―――自分である事を。

 今は何も言うまい。もう誰かの目の前で涙を見せるのは無しだ。泣き虫と呼ばれていたあの頃に戻るのはもう嫌だ。あの無力感を味わいたくなくて、アルドは強くなったのに。

 特に会話も無く、大通りを直進し続けると、魚の鱗の様な城壁と共に、存在感を醸す大きな城が一つ。五大陸のそれとは建築様式から違う城は、二人の少女にある種の感動を与える事になった。『徳長』の方では見ていなかったのだろうか。建築様式自体は、あちらも同じだ。

 違うのは財政面の有利くらいである。どちらが有利かは……このご大層な城を建てている時点でお察しである。

「入るぞ」

「あれ、守衛さんとかは居ないんですか?」

「必要が無い…………ああ、そうだ。もしもお前達がこの城に入れない様だったら、街中を散策しててくれ。話をつけてくる」

「え?」

 ドロシアならば無視してきてもおかしくないが、この城の仕組みを知る前に敢えて注意を促しておく事で、彼女に秩序を受け入れさせる。元々『蛟』が面会を拒否しなければ通れるので、これはあちらへのちょっとした気遣いのつもりである。

 アルドが城門を開けて、残りの二人を引き連れる様に入る。急に左右の重みが消えたので一応振り返ってみると、二人の姿は忽然と……当然消えていた。『狐』にしても『徳長』にしても『蛟』にしてもそうだが、どうして自分を特別的に扱うのか。国の頂点だから、無闇に人と会う訳にはいかないというのも分かるが、これだと二人を守れないではないか。

 今更嘆いても仕方ない。ミヤモトムサシノスケが二人に目をつけない様に願いつつ、アルドは奥に存在する格子状の扉を開いた。二人も居なくなってしまったし、隠す意味もないだろう。ここは厳密には城ではない。ここは……

「久しぶりですね、『蛟』様」

「……何だい坊や。連絡さえ出してくれれば迎えを寄越したってのに」

 社だ。

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