ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

剣の下に集う様に

まだ夜も明けぬ内に、アルドは素早く出発の準備を整えて外で待っていた。悪夢を見たかどうかは、正直良く分からない。夢の事を記憶していない訳ではないのだが、いつもの夢だ。王剣で魔力解放をした際に現れる死海が夢となっただけ。死体だけで構成された海を周囲に、何処からともなく現れる姿なき敵を海に叩き落すだけの夢。別に、悪夢とは思わない。多対一なんて随分前からやっている。ナイツを救う際にも行った事があるし、つい最近では三千万人以上を相手に一人で……あれは負けたが。

 だからこんな夢を悪夢と区別すべきかは正直微妙である。自分に悪夢と言わせたいのなら、目の前でナイツが全員死ぬ夢でもないと、そうとは呼べない。そんな夢など見たくないが、悪夢とは得てして見たくないものである。

 夜もまだ明けていない内に外に身体を曝している為か肌寒い。こうしてアルドが辛い思いをしている時に二人は温泉に入っている事を考えると眉を顰めたくなる。最後にもう一度だけ入りたいとの事で自分が許可したから、それ自体に文句をつける気は無い。文句をつけるのだったら最初から自分も温泉に入っていれば良かったのだ。それを選択しなかった時点で、いや、選択した時点でアルドには何かを言う権利はない。自分で選んだ道である。

 暇なので、素振りでもしていようか。幼い頃の自分が幾度となくやってきて、全く身を結んだかどうか今でも分からない修行。修行においては基本が大事ではあるが、基本ばかりやっていてもどうしようもない。考えてみれば、アルドが強くなれた背景には仮想敵との戦いがあった。敵がこう動いたらこうする、こう動けば敵はこう動くからこう動く。そんな何でもない修行があった。

 素振りなんてのは、一日の半分以上を費やしていた自分が言うと訳が分からなくなってくるが、飽くまで太刀筋を綺麗にする為であるのと、振る際の力の入れ具合を明確にする為である。だから素振りだけをやっていれば強くなるという事はない。どんなに振りが早かろうと、どんなに太刀筋が綺麗であろうと、勝負は相手を殺さなければ勝利にならない。しかし悲しい現実として、アルドに剣の才能は無い。だから王剣や殱獄の様な異名持ちの剣を用いなければ強者に傷を与える事すら出来ない。真の強者は使う武器を選ばないとジバルでは言われているので、そういう意味ではアルドも真の強者とは言えないのだろう。そしてもう、その立ち位置は動かない。とうの昔に限界は突破して、アルド個人はこれ以上強くなる事が出来ない。自分の身体だから良く分かっている。

 その法則から外れていた状態というのが執行者戦における自分で、あの状態の自分は後にも先にも二度と存在しない。あれは彼が渡してくれた力を借りたに過ぎない。決してあの力が個人の力だったと誤認してはいけない。あれは彼を含めた全ての者が力を貸してくれたからこそ成し得た勝利。彼の力を受け取った自分一人では到底勝てなかったし、彼の力だけが無くとも勝てなかった。他の誰一人が欠けていても勝てなかった。

 自分で限界を決めている訳じゃない、限界を理解しただけだ。アルドには山の頂上に上った際に、山へ向かって『まだ頂上じゃないだろ』と呼びかける勇気はない。頂上は頂上。ここが己の終着点。後はゆっくりと下山していくだけなのに、呪いによってそこに踏み留まっているに過ぎないだけの男だ。大概に才能の無い自分でも、自己分析は流石に出来る。

 悩ましいのは、それでも尚、戦いを求める本能が残り続けている事。成長も衰退もしないのならば端から戦う意味などない。それでも無意味に戦いを望むのが剣士の心。アルドを縛り付けてならない悠久の魂。

―――ドロシアと世界旅行なんかした日には大変だったかもな。

 きっと世界中の強者に対して挑戦を叩き付けているのだろう。もしもそんな可能性があったらというだけで、今のアルドにそんな気は無いが。

「先生、お待たせ」

 宿屋の入り口前で待っていたのに、全くの別方向から二人の女性が現れた。それぞれ、ドロシアとダルノア。こちらの認識に間違いが無ければ、温泉に入っていた二人である。

「どうして『家』から?」

「足音だけでも気付きそうな人結構居たし。こんなに早く起きちゃったら旅館の人も起きてないでしょ」

「まあ、そうだな」

 だから料金は先払いにしておいた。お蔭でアルド達はいつでも出発出来るし、皆が起きる頃に『蛟』の国へ行っていたとしても、文句は特に言われない。何もしていないから。二人共、髪は既に乾いたらしくドロシアはまた髪を縛っていた。気分転換でしてみただけだが、存外に気に入ってしまったのだろうか。

「それじゃあ、そろそろ出発するぞ。準備は良いか?」

「もっちろんッ。ね、ノアちゃん?」

「え。は、はい。大丈夫です」

 急に返事を振られて取り乱しただけで、彼女自身にやましい事がある訳では無い様だ。二人を先導する形でアルドは歩き出した。目指すは神の地、豊穣の地。異なる種族が共存する特異な国にして、アルドが夢を抱くきっかけになった場所。言うなれば、理想の実現した国。アルドが目指さんとする楽園の都市。

 言う程楽園という訳でも無いが、住めば都とも云う。王として彼の国に君臨する『蛟』の魔人は、正真正銘の神様。フェリーテと権限的にも同等で、数少ない彼女の同年代。彼女が決して教えてはくれない過去を教えてくれるのも、彼女だけである。『狐』は軽そうに見えてかなり口が堅かった。もしも『蛟』が彼女の過去を教えてくれなければ、フェリーテを救う事は難しくなっていただろう。人を救うには、まずその人の事を知らなければならない。でなければあの時の言葉は、絶対に言えなかった。


『お前の瞳一つに、私は命一つ懸けたっていい! 毛の先から足の爪まで残らず全て、私がお前を愛する! 誰が何と言おうと、もうお前を空虚なんかにはしない!』


 ………………。

 よく考えてみたらクソ恥ずかしい言葉を言った気がする。クソなどとは安っぽい言葉だが、自分がかつて言ったとは思えない程に重い愛の告白に対して、自分で言った筈なのに自分では受け止められないという間抜けを晒したまでの事。どうか気にせず流してほしい。でなければ惨めだ。






 












 『蛟』の国までの道のりに、最後までミヤモトムサシノスケという人物は現れなかった。真昼間の辻斬りはやはり居たが、どれも修行の足らない未熟者ばかりで簡単にあしらえる。約一名、ドロシアに恋文を渡してきた少年が居たが、あれは忘れてやるべきだろうか。幼年には即断即決の返答は辛かろう。気持ちはよく分かる。恋に破れた際の敗北感は、どんなにボロボロに叩きのめされても味わえない特別なモノだ。無力感にも近い何か。自分の中にありもしない風穴を感じる気分。

 あの少年にはどうか強くなって欲しい。ツェートに似たものを感じた少年は、それでもドロシアに頭を撫でられて、嬉しそうに去っていった。彼女は少年を傷つけてしまったかもしれないと悩んでいたが、あれは傷ついたというより、反骨精神に火が付いたというべきだろう。去り際に見たあの瞳、明らかにまだ諦めていない。

 その際はツェート同様、自分が相手をするとして、太陽が頭のてっぺんまで上り詰めた頃、遂に『蛟』の国の検問所へと辿り着いた。実に長い歩きだった。馬車でもあればよいのだが、ジバルに馬車の文明は無く、あるとすれば駕籠だけ。それも複数人では乗れないので結局諦めた。『蛟』の国は共存を確立させているからこそ検問は厳しく、少しでも仲が拗れるような要素は徹底的に排除している。自分が居るので特に二人への面倒は掛からないと思うが、目の前で過剰なくらいに調べられている荷物を見ていると、背後の二人が不安がるのも無理からぬ事だった。これはやましい事があっての不安では無く、何をされるか分からないという不透明さからくる不安だ。こちらには何の非もない。胸を張って堂々と歩いていればいい。

 アルドの出番が回ってくる。守衛の者がこちらに近づくや、直ぐに驚きの色を表情に浮かべた。

「き、き、き、霧代殿!」

 その大音声は、自分達の背後に並んでいた庶民にまで伝わってしまう。忽ち行列が騒然とし始めたので、アルドは守衛を呼び寄せて耳打ちする。

「久しぶりだなチョウメイ。早速で申し訳ないが、あまり騒ぐな」

「こ、こんな私めの名前を覚えていらっしゃるのですか……!」

「名前の記憶から何事も始まるものだ。彼等は元気にやってるか?」

「彼等?」

「……おっと失礼。『蛟』は元気そうか?」

「は! 成程、エルゴード様の事でございましたかッ。これは失礼を! はい、とてもお元気でいらっしゃいます」

「今から挨拶に向かう。先に連絡を回しておいてくれ」

「承知いたしました!」

 背後の二人に視線を投げつつ、アルドは境界線を飛び越えた。この門より内側、多くの場所が海に面しているこの場所こそ―――『蛟』の国。『徳長』と比べれば治安は劣るが、その分技術力の発展は高く、他の国に比べると一歩、二歩を常に先を行っている感覚である。少し時間を食ってしまったが、本来ならば勧誘の時だ。『蛟』の魔人、即ちこの国の主を戦争に招き入れ、一時的に部下として使役する。

 言葉だけを見れば失礼千万な誘いだが、果たして乗ってくれるか否か。

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