ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

 束縛なき自由


「気持ち良かったねー!」

「はいッ」

 アルドと比べると女性達はかなり遅れて風呂から出てきた。浴衣こそキリュウから譲り受けたもの……つまり、いつもと変わらないが、風呂上がりというだけで、彼女達が幾分艶やかに見えて仕方が無かった。どうしてかと言われると自分でも分からない。恐らく、ドロシアの髪がストレートになっているからだろう。ジバルに来てから彼女の髪は纏められていた為、アルドにしてみればそれこそが見慣れた光景だった。だが入浴した事でウェーブが消えてしまい、更に解かれている為、全く別人の様に見えたのだ。

 彼女と夜桜を見ていた時も髪が解かれていただろう、という指摘は、忘れていたという事で許してほしい。とにもかくにも彼女達を見て違う印象を覚えたのは事実だ。部屋に戻ってきた二人を見て、アルドはゆっくりと目を逸らす。どうしても、見ず知らずの男性から言われた言葉が頭から離れない。それを噛み締めながら彼女達を見ていると、そうではないと知りつつも妙な破廉恥さを覚えてしまい、すると自分の心がそれを許さないのだ。

 邪な想いなど抱くべきではないと。

 己の精神力を信じてはいるが、ジバルに来て以降はまるで信用出来ない。度々ドロシアに悩殺されかけているのだから当然だろう。もしも混浴でもしようものなら、ダルノアはともかくドロシアを押し倒していた可能性がある。風呂の中で女性を押し倒すなど危険極まりないが、彼女は例外なので、純粋に危険なのは彼女の魅力である。

 実際的にそんな状態だった場合、想定通りの事をするかは怪しいが、こんな想像をする時点で既に精神力が危うい。フェリーテが居ないからだろうか。彼女が居れば見られているという恥ずかしさから自制が出来ていたのに、そんな彼女と少し別れたらほらこれだ。結局魔王だ英雄だ言ったって、アルドは一人の男性なのである。どうしようもなく女性に邪な想いを抱いてしまう情けない男性の一種なのである。

「先生は気持ち良かった?」

「え、ああ。気持ち良かったよ。べ、別に女風呂なんて覗いていないからな!」

「まだ何も言ってないけど」

 自爆だった。まるで自爆などしていないのに、自分が自爆した事を証明する為に、たった今爆弾を用意したくらいに酷い間抜けだった。ドロシアの視線が単なる好奇心から人を疑うそれへと変化する。自ら行き止まりに逃げ込んだのに、どうしてここが行き止まりなのかと嘆くくらいには、アルドの行為は愚かだった。

「先生、覗いたの?」

 背後に居る少女の目線までもが加わって、視線の壁がアルドを圧し潰す。

「覗いて何か居る訳無いだろ! 考えても見ろよ、お前と『家』で暮らしてた時、私が一度でもお前の入浴を覗いた事があったか?」

「……三回くらい」

「無い! ダルノア、私をそんな目で見るな!」

 こんな男に女風呂を覗く勇気があると思うか、と問いたい。おかしな話だが、覗きは罪である。罪を犯す勇気が、果たしてこんな男が持ち合わせているモノだろうか。

 人を殺す勇気はあっても、永遠を生きる覚悟はあっても、女風呂を覗く勇気は無い。

 馬鹿にしたいならばするが良い。アルドにとっては、永遠を生きる事を覚悟するよりも重い選択肢なのだ。

「だ、大体な。あの時だって混浴に誘われて、何度も断っただろ。覗くくらいなら、混浴に乗ると思わないか?」

 相手を納得させられるような理屈を展開しているにも拘らず、ドロシアはにんまりと笑ったまま首を傾げた。どうやら納得していないらしい。この理屈でも納得してくれないと、いよいよアルドにはどうすれば良いか分からない。ここに来て、学校に行っていない弊害が出るとは思わなかった。今程学が無い事を恨んだ日は無いだろう。

 それでも鉄拳制裁を受け入れられず、どうにかして彼女に納得してもらおうと、言葉を出しっぱなしにして繫いでいると、不意にドロシアが後ろを向いて、彼女に笑いかけた。

「ね? 先生をからかうと面白いんだから!」

 その言葉に何よりも驚いたのは、からかうと面白いらしいアルドだった。女性、それも弟子に使う言葉では無かったが、素で「は?」と言ってしまいそうになった。事態が中途半端に呑み込めないで戸惑っていると、ドロシアがまたこちらを向いて、微笑む。

「ノアちゃんったら、先生と仲良くなりたいんだって。それで、どうしたら良いか私に尋ねてきたから―――」

「わーわー! それ以上言わないでください!」

 口の緩い魔女にダルノアが飛びかかって抑えつけようとしたが、掴んだそれは彼女の身体では無く、空だった。ドロシアに適用されるのは『そこに在る』法則のみとはいえ、その気になれば、透過する事は訳ないのである。それを彼女は知っていた筈だ。船の上で、彼女だってわざわざ見せたくらいだし。

 ドロシアをすり抜けた少女は異様に高い反射神経で何とか持ち堪えようとするも、すり抜けている最中にドロシアが背中を押したのが最後。体勢を崩したダルノアは、そのままアルドの前面へと吸い込まれる様に飛び込んだ。

 それを知る自分だったから良かったものを、ここに居るのが他人であれば、勢いの乗った少女の突撃を、受け身もままならず直撃したことだろう。上手く勢いを殺して、少女の臀部を畳に着地させる。

「はい、仲良しッ」


「「何処がッ!」」


 二人は声が揃ったのを聞いて、見つめ合い、そして笑った。今日一日はこの旅館を出られない。勝手にそう決めただけだが、付き合ってくれる二人には感謝の一言しかない。そのせいで今日は楽しめるか不安だったが、楽しもうと思えば意外に楽しめるものである。お座敷遊びは二度としたくないが、この旅館で他の宿泊客と交流するだけでも、一日くらいは時間を潰せるモノと思われる。

 それが終われば、次はいよいよ『蛟』の国へ行く。ただし、チヒロとの約束を忘れないようにしなければならない。これ以上彼女を泣かせるのは、男として最低の事だと思うから。本当は『徳長』の国でも挨拶したい人物……雀荘の男共とか、茶屋の娘とか、鍛冶屋の主人とか、軽く剣術を教えている少年とか……ゲンジ以外にもたくさんいる。本当は遊郭以前に挨拶しておきたかったが、ダルノアを探していた為ままならなかった。彼等には……チヒロとの約束の日にでも、顔を出しておけばいいだろう。恐らく、町の噂で既に自分が帰ってきた事は知っている筈だ。

「それで、今日は一日ここで過ごすんだったよね」

「お前達は外出してもいいぞ。飽くまでそれは私なりの誠意のつもりだ。この旅館の者に、精一杯もてなされようと思う」

「言い方が感じ悪いですね」

「仕方ない。事実だ」

「ううん。ノアちゃんとも相談して決めたの! 今日は先生と一緒に居るって」

 申し訳なさが微妙に勝っているが、敢えて言わせてもらう。その意思に、アルドは感謝している。それこそ誰かと交流するくらいでしか時間を潰せなさそうなので、二人が残ってくれるのは、個人的には凄く嬉しかった。

「でも、あんまり何も無いってのも暇だね」

「そんな事は無いぞ。私達以外にも宿泊客は居るんだ。それが案外、良い人だったりするんだよ……多分な」

 一緒に入浴していた人だって、決して悪い人では無い。ただ、あれはアルドが耐えかねただけである。『馬男』という渾名に、許容しがたい怒りを感じただけである。

「じゃあ私、あれやってみたい! かくれんぼ!」

「お前は壁の中に隠れそうだから駄目だ。しかし案だけは悪くない。ダルノア、どうする? お前がやりたいというのなら、私も一肌脱ぐが」

「え? …………やりたいですけど。一肌脱ぐって、それはどういう」

「決まっている」

 アルドが立ち上がって歩き出す。その間に、彼は懐手になっていた。

「全員参加のかくれんぼだ。頼みに行くのさ」  

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