ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

平和に覗く不穏の瞳

 走っていて気が付いたが、見ず知らずの女性に声を掛けるするなんてとても危ない事である。確かに綺麗な女性ではあるが、あの動きは只者じゃない。目の前を通り過ぎた際、妙な臭いがしたのだ。それは物理的な臭いでは無く、概念的な、曖昧なもの。あれを只者と言うのは、幾ら何でも無茶過ぎる。
 女性の歩きは存外に早く、ダルノアの遅い足では追いつくのに時間がかかった。しかし女性が途中で歩みを止めてくれたので、商店街の半ば程で、追いつけた。
「あ、あの…………!」
 息も絶え絶えに声を掛けると、女性は無駄のない動作で、こちらに振り返った。そして目線を合わせる為に、屈んでくれた。
「どうかした?」
 先程見た時とは違い、女性の声音はとても優しかった。差異に驚いて、心拍が早くなる。女性の顔立ちは見れば見る程、美しく。その瞳は深淵の様に、相対する者を吸い込まんばかりに美しい。同性愛の気は無い筈だが、この女性に見つめられているだけで、耳の辺りが凄く熱い。
「え、えっと……その―――さっき、男の人達をやっつけた人ですよね?」
「あ、見られちゃった? ああいう男の人なんかに従っちゃ駄目だよ? 碌な事にならないから。それで、何か用?」
「じ、実は―――」
 女性の魅力を振り払って、遂に用件を言い掛けたその瞬間、ダルノアの身体が宙に持ち上がった。目の前の女性に抱きかかえられたと気付いたのは、走り出した直後の事である。
「な、何?」
「後で説明する。今は静かにしてて。舌、噛んじゃうよ」
 言われた通り口を噤む。只でさえ最初から追いつく事に難儀していたのに、その女性が走り出した時の速度と来たら、追跡しようとは思えない瞬速だった。瞬く間に景色が通り過ぎて、次の景色へと塗り替わっていく。暫く大通りを駆け抜けてから、女性は裏の小道へと身を入れた。
 時間が、過ぎていく。
 暫くすると、女性は優しく身体を下ろしてくれた。
「それで、何か用?」
「じ、実は。さっきの男の人達が、貴方にやっつけられた後に、何か話し合ってて」
「ふーん。で、仕返しに行こうって話を聞いちゃったと」
「いや、内容は聞き取れなかったんですけど」
「多分、そうよ。さっき貴方の背後から、男共の気配を感じたの。後ろの角っこに居たのか知らないけど、私を狙ってるって事なら、貴方も危ないから。こうして連れ去って来たって訳。危害は加えないから、安心して?」
 女性の弾ける様な笑顔を見て、再び心臓が高鳴った。彼女と会話をする度に、どうしてか心拍が早くなる。まるで急に心臓を掴まれて、そうならざるを得なかったようだ。恋とは、明らかに違う。恐怖にも似た、好意と言った方が正しい。
 ついさっき出会ったばかりの身で言えた言葉ではないが、他人とは思えないのだ。親近感を感じる。
「お姉さんは、何処に行く予定だったんですか?」
「私? 私は、パパがあんまり遅いから、探してるだけよ。パパって結構道草喰う人だから、さっきみたいな面倒事に巻き込まれたら、危ないかなって」
「その、お父さんがですか?」
「ううん。パパに絡んだ人」
 女性の発言を一瞬疑ったが、その顔が冗談を言っている様には見えなかった。即答を返してきたのも、妙な信憑性を伴っている。先程の男達ですらかなり危ない様に見えたのに、彼女の父親は、それ以上に危ないのだろうか。こんな女性の父親だから、優しいとは思うのだが。
 ……いや、そんな事はこの際どうでもいい。ダルノアは無意識の内に、この女性の事を知りたいと思っていた。
「意外なんですけど。お父さんの事、パパって呼んでるんですか?」
「うん。だって、その方が娘っぽいじゃない? お父さんって言っちゃうと、どことなく他人行儀だと思うから。貴方はどう思うの?」
「……済みません。私、記憶が無くて」
「記憶がない?」
 それこそ、二人は他人である。にも拘らず、ダルノアは直ぐに今までの事を語りだした。アルドと出会って、ここに来た事も。牢獄で二年間を過ごした事を。その間も女性は視線を合わせて、親身になって聞いてくれた。まるで自分の事の様に、相槌を打ちながら聞いてくれた。
「……そっか。そういう事があったんだね。辛かった?」
「大丈夫です。頼れる友人が……アルドさんが居てくれたので」
「…………それは良い事だよ。頼れる人が一人でも居るんだったら、どんなに絶望的な世界でも生きていける。そのアルドって人、大事にしてあげて? いざという時に助けてくれるのは、そういう人だけだよ?」
「はい、分かってます」
「ならば宜しい。……ちょっと待っててね」
 女性は一度微笑むと、ダルノアを守るように足を広げて、小道の入口へ向かって、声を掛けた。
「隙を突こうたって無駄だよ。その為に、わざわざ行き止まりに入ったんだから」
 女性がそう言った途端に、小道の入り口から、先程の男達がナイフを手にして現れた。小道の狭さがもう少し小さければ一対一の環境だったのだが、残念ながら小道と言っても、二人が入るくらいは造作もない大きさだ。数的には、こちらが圧倒的に不利である。本能的な恐怖から後ずさりするが、女性の言った通りここは行き止まりだ。頑張った所で、これ以上は下がれない。
 女性の方を見る。しかし、全く怯えている様には見えなかった。
「わざわざこんな小道を見つけるなんてご苦労さん。ご褒美とか必要だったりする?」
「ああ、そうだなあ。俺達をこんなにコケにしてくれて、謝ればどうにかなると思ってんなら大間違いだ! おい、女。この場で脱げ。そして俺らを楽しませろ。満足させる事が出来たら、一生俺らのペットとして飼ってやる。そうしたら、命だけは助かるぜ?」
「そこのお嬢ちゃんもな! そもそもお前が女に俺達の事を伝えようとしなきゃ、巻き込まれる事は無かったんだぜ?」
「恨むなら自分の行動を恨みな!」
 口々に男達はそう言うが、女性は全く怯む様子も、己の服に手を掛ける様子もない。女性なんて男の言葉に従うのが道理であるとでも言わんばかりの男達に、女性は真っ向から歯向かっていた。
「……どうした? 命が惜しくないってのかよ」
「命は惜しいけど、アンタらに従う道理はないのよね。それに私、アンタ達みたいな何もかもが汚くて小さい男に、純潔を捧げたいとは思わない」
 女性が嗤う。まるで極刑が決まった途端に、命乞いを始めた死刑囚を見る様に。彼女の袖からきらりと光る物質が見えた気がするが、それの正体は分からなかった。凄く、見覚えのある輝きなのは分かっている。
 少し考えれば思い出せそうだったが、それが叶う事は無かった。次に発せられた女性の声が、やはり先程とは、あまりにも変貌していたから。
「俺はな、女を只の穴としか見てない様な男が、世界で一番嫌いなんだよ。本当、見ただけで殺したくなってくる」
 今思えば、彼女に抱いていた好意は、恐怖という感情によく似ていた。改めて女性を見据えると、自分が今までどんな感情を彼女に抱いていたか理解出来た。口調が男みたいに変化してからというもの、女性の雰囲気は時代の終焉を迎えた直後の様な頽廃的なモノに変わり、その優しかった笑みは、獲物を狩る猛獣の如き鋭さを宿していた。
 そのあまりの変貌に男達も気圧された様子だが、今までが今までという事もあり、どうにか及び腰にはなっていない。それでも声は、どうしようもなく震えていた。
「何だ? い、今更男のフリか? そんな誘ってるみたいに足を出した女がよ!」
「ああこれ。別に誘ってる訳じゃないし、仮に誘ってたとしてもそれはアンタらじゃねえ。逆に尋ねてやろう。命が惜しかったら、今すぐこの場から去れ。さもなきゃその口、二度と使えない様にしてやるよ」
 女性の放つ覇気は、男達に一歩を踏み込ませる事を躊躇させた。追い込まれているのは間違いなく自分達で、追い込んでいるのはあの男達。しかし男達には、それが全く逆な様に思えたのだ。即ち、自分達こそ追い込まれた兎であるという事に。
 数的有利を取っているにも拘らず、この威圧感。未来視と言ってもいい震えは、端から戦意というものを完膚なきまでに削ぎ落とされていた。
「で、どうすんだよ。生きるか死ぬか、簡単な話だろ? まさか、脳みそまで性欲にやられたか? それとも頭には、脳みその代わりに煩悩でも詰まってんのか? 考える事が、どれだけ上質な女を犯せるかって事しかねえのか?」
「……幾ら何でも、それは無いだろう。お前は一体どれだけ男を舐め腐っているんだか」
 それは男達の中から放たれた言葉ではない。彼らの背後から聞こえた、女性以上の危なさを纏う男だった。男達と比べると圧倒的に容姿は劣ってはいるものの、女性の発言にはちっとも怯えていない。しかし、男性である事に変わりはないので、当然このような男性でも漏れなく女性の殺気が―――
「あ、パパ。どこ行ってたの?」
―――パパッ?
 似てない。あまりにも似てなさ過ぎる。女性の容姿に対して、男の容姿が圧倒的に不足している。あり得ない時機に明かされた衝撃の事実に、男達も動揺を隠せない。動揺していないのは、二人だけだった。
「少し面倒事にあってな。金貸しなんだろうが、強引さが過ぎたからオシオキしていた所だ」
「その人はどうしたの?」
「今は奉行所の前で伸びてるんだろうな。それで、お前は今どんな事に巻き込まれているんだ?」
「それが、聞いてよパパ。そこの男達がさ、私に性奴隷になってって言ってきたの。どう思う?」
 それは猫撫で声と言ったらいいのか、あんまりな反応差に、この場に居る全員が困惑した。困惑していないのはやはり、二人だけだった。
「まあ、再起不能にされても文句は言えないかな」
「でしょ? やっぱりそう思うでしょ?」
「ああ。見ててやるから、手早く片付けろよ」
 見ててやる。それはあまりにも率直な傍観宣言であり、どんな状況に陥っても、誰も助けないという固い意思の表れでもあった。その言葉に、女性は満足したように歩き出し―――たまたま先頭に居た男の腕を手に取った。   
 次の瞬間。
 粘土細工でも作り直すみたいに、男の手首が反対方向に折れ曲がった。第一関節の部分が、手首にくっついている状態なんて、中々お目にかかる機会はない。あんまりにも簡単に折れ曲がるものだから、当の男性自身も、折れ曲がった事実を受け入れられていなかった。
「あ……ぎゃああああああああああああ!」
 ジバルの町並みに、醜い雑音が響き渡る。その場に倒れてのたうち回る男の顔面が即座に踏み抜かれ、雑音は唸りを止めた。何度も確認するが、踏んだのはこの場に現れた男ではない。ダルノアの言葉を親身になって聞いてくれた、とても優しかったあの女性である。男の手首を曲げたのも、彼女である。
 一体あのスタイルの良い身体から、どうすればそんな馬鹿力が出せるのか不思議でならない。
「早く終わらせたいから、掛かってきてよ。あんまりにも弱いから、もう飽きちゃった」
「い、いや、俺達は…………」
「手伝ってやるよ」
「え?」
 男達が狼狽えたのも束の間、傍観者気取りの男に背中を蹴っ飛ばされ、一人の男が女性に突っ込んだ。突然の出来事に男は驚いたが、何よりも男が不運だったのは、そんな女性の胸に手を突いてしまった事だろう。
「…………あ」
 男の頭部が、一掴みの藁を投げたみたいに情けなく飛び散った。   



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