ワルフラーン ~廃れし神話
永久の精進
男はアルドの言葉に手を止めて、暫くの硬直を経て、ようやく大男から手を離した。小さな男が大男を蹂躙する。そんな光景が野次馬根性を掻き立てたらしい。周りには人だかりが出来ていた。大半の人間は、アルドの姿が見えた事で、胸を撫で下ろした様に見える。
「霧代の旦那、何かあったんでっか?」
「もう終わったのか?」
口々にそう尋ねる民衆に、アルドは精一杯、何でもない様に手を振った。
「ああ、大丈夫大丈夫。気にしないでくれ! もう終わった事だ!」
そう言って、直ぐに野次馬が散る辺り、アルドがこのジバルでどれだけ信頼されているかが分かる。野次馬は興味を無くして散っていった。後に残されたのは、何でもない平和な風景だけである。
「……大丈夫か?」
自分のせいでこんな騒ぎが起こった事に何の罪悪感も抱かず、師匠と呼ばれた老人は、地に伏せる男に語り掛ける。男はこちらに軽く感謝を告げて、また溜息を吐いた。
「何か、訳ありだな? 言ってみろ、小僧。儂だったら、解決出来るかもしれんぞ」
「……いえ、これ以上、どなたか存じ上げぬ者に迷惑をかける訳には」
「だったら、私も一緒に居れば問題ないな」
大男が提げていた袋を拾い上げながら、今更のように存在感を露わにする。アルドを見た男性は、暫く目を瞬かせた後、驚いたように大声を上げた。
「えええええええええ! あ、あ、あ、霧代さんッ! 本物、ですか?」
「こんな顔の奴が二人と居るか? それで、どなたか存じ上げぬ者はと言ったが、私が居るならどうだ?」
「も、勿論です! しかしよろしいのですか? 霧代さんにこんな下らないお願いを聞いていただくのは、何だか申し訳ない気が……」
何か勘違いをしているようだ。アルドは男と目線の高さを合わせて、可能な限り、穏やかな声で言った。
「私は流浪人だ。下らないお願いとやらを一蹴出来る立場にない。別に申し訳なさを感じる必要なんてないから、さっさと案内してくれ」
「は、はい!」
師匠よりも目立ってしまうのは弟子としてそれこそ申し訳なかったが、自分に師匠が居るとは誰も思わないので、致し方ない事態だ。背後で立ち尽くしているダルノアを手で呼び寄せると、有無を言わさず彼女が尋ねてきた。
「あの、アルドさん。師匠って……」
「ん? ああ、そうだな。誰にも言っていなかったな。この方は私の師匠……天森白鏡流の八代目当主、イカルガゲンジ。この世界唯一の、最初で最後の、私の師匠だ」
ゲンジはこちらのやり取りに耳を貸さず、男の案内で家へと入っていく。それに続いてアルド達も足を踏み入れると、奥の座敷では、随分とやせ細った娘が、今にも死にそうな咳を出して、寝込んでいた。今ではその影もないが、こうしてやせ細る前は、中々可愛らしい女性だったと思われる。
「実は……娘が病気でして。どんな医者に見せても、よう分からんという事で、『蛟』様に大量のお供えを持って、娘の病気が治る様にお願いしようと思ったのです……しかし、私の様な貧しい家庭では、相応の貢ぎ物を用意出来ず、仕方なしと、知り合いの伝で少しばかりお金を用意してもらったのですが」
「そうしたら、先程の小童に絡まれたという訳か。小僧、儂の前で事を起こしたのは幸運だったな。そうでなければ今頃、お主は死んでいたぞ」
ゲンジが介入しなかったのなら、やはりアルドが介入していたので、それはあり得ない。その意思の表明も込めて、ゲンジへ手刀を叩き込もうとしたが、指一本で直ぐに防がれてしまった。まだまだ実力差は埋まり切っていない。
それといい加減、小僧なんだか小童なんだか統一して欲しい。頭がこんがらがってくる。
「アルド、お主はそこな生娘の病状をどう見る?」
「……そうですね。普通の病気とは違う気がします。三吉屋さん、少し娘さんの身体に、触っても?」
許可が得られたので、アルドは小走りで女性の下へ。彼女が苦しまない様、慎重に姿勢を反転させた。アルドは魔術を扱えないが、それは戦う事以外の事が、何も出来ないという事ではない。背中を押したり、触ってみたりすれば、彼女の身体の中に何があるのか、ある程度知る事が出来る。
「……ど、どうですか?」
血流に問題は無し。臓器にも問題があるようには思えず、その他の場所も特に変わりはない。という事は……自分の思った通り、これは普通の病気ではないという事だ。人を衰弱させる超常的な何かと言われれば、答えは一つ。
妖術だ。
これが原因ならば、納得がいく。どんな医者も匙を投げるのは当然だ。人間の医者は、人間の尺度でしか物事を測れない。貶している訳では無く、知らない物を見つけろという方が無理だという、それだけの話である。
「師匠。どうやら貴方の出番を待たずして、解決しそうです」
「ほう。そりゃ良かった。弟子の遠出をわざわざ許した甲斐があったな、ん? どれ、見ててやる。儂に奇跡というモノを見せてみろ」
「そんな大層なモノではありませんよ」
フェリーテが居れば手っ取り早かったが、この妖術は彼女程の高位な―――五大陸的に分けるならば極位相当の妖術ではないので、恐らくアルドでも解除出来る。何があってこんな術を掛けられたか知らないが、可哀想に。今、助ける。
妖術の解き方は以前教わっている。と言っても簡単なモノだが、今回はそれで事足りるだろう。アルドは親指の腹を歯で切り、滴る血液で、異様な陣形を描き始めた。
「祓魔殿、清浄之光」
解呪と言うよりは、厳密には封印術の類に入る。呪いそのものを封じ込めて、効力を打ち消してしまおうという訳だ。気を付けなければならないのは、この封印術を解く方法を知っていたら、また同じ事を繰り返してしまう事だが、そんな奴が居るとは思えない。居たとしたら、それなりに名前が知れているだろう。仮にそいつが犯人なのならば、そいつを殺すか気絶させればいいだけの事。
まあ、殆どあり得ない可能性だが。
「祓いたまへ、清めたまへ」
簡単な祝詞にしか聞こえないが、これは魔術の詠唱とやっている事は一緒である。要は、引き金だ。自分がこう言えば、こうやって発動すると。自分で決めておくのだ。アルドは特に思いつかなかったから、こんな陳腐な言葉になっているだけで、必ずしも同じ術が同じ言葉で発動するとは限らない。
直後、女性の背中に描かれた陣が、目を眩ませる程の光と共に発動。それは一瞬の事で、次に視界が正常に作動した時、その陣は消えていた。
同時に、女性の咳も止まっていた。
「…………あ、れ?」
女性は不思議そうに起き上がって、自分の身体を見回した。あちこち触ったりしているが、最早何の変哲もない。それが一層、女性を不思議がらせた。やがて女性の視線がこちらに向いたので、アルドは出来る限り、穏やかな語調を統一する。
「痛みはあるか?」
「い、いえ」
「視界がぼやけたり、耳鳴りがしたり」
「いえ」
……安心した。殆どぶっつけ本番の様な所もあったが、無事に成功した様だ。自分の役目はこれで終わったので、後は親子で、好きに過ごせばいい。ダルノアの手を引き、アルドは早々に家を出た。一体師匠が何の助けをしたのかと尋ねられたら何もしていないと答えるが、師匠と出会う手間が省けたのは助かった。
……恥ずかしい話だが、道場の場所。忘れていて困っていたのだ。
アルドは身を翻して、後についてきた男を見遣る。
「一番弟子、霧代アルド。ただいま、長い船旅より戻って参りました」
「うむ……成長したようだな、アルドよ。しかし無茶をしすぎだな。お主……その身体、そろそろ辛いのではないか? それだけの疲労を背負える程、人間の力は強くないぞ」
この老年の男性に特殊能力など無い事は、アルドが良く分かっている。だからこそ、アルドは彼を尊敬している。
何の特異性も持たず、またそれを気にせず。にも拘らず、まるで全てを見通している瞳と、そこに執着するまでに培った技術は確かにある。どれか一つでもアルドが持っているかと言われれば、自分は首を振ろう。
認めたくないが、ゲンジは、ありとあらゆる面で、アルドの遥か上を行く人間だ。尊敬しない道理はない。
「霧代の旦那、何かあったんでっか?」
「もう終わったのか?」
口々にそう尋ねる民衆に、アルドは精一杯、何でもない様に手を振った。
「ああ、大丈夫大丈夫。気にしないでくれ! もう終わった事だ!」
そう言って、直ぐに野次馬が散る辺り、アルドがこのジバルでどれだけ信頼されているかが分かる。野次馬は興味を無くして散っていった。後に残されたのは、何でもない平和な風景だけである。
「……大丈夫か?」
自分のせいでこんな騒ぎが起こった事に何の罪悪感も抱かず、師匠と呼ばれた老人は、地に伏せる男に語り掛ける。男はこちらに軽く感謝を告げて、また溜息を吐いた。
「何か、訳ありだな? 言ってみろ、小僧。儂だったら、解決出来るかもしれんぞ」
「……いえ、これ以上、どなたか存じ上げぬ者に迷惑をかける訳には」
「だったら、私も一緒に居れば問題ないな」
大男が提げていた袋を拾い上げながら、今更のように存在感を露わにする。アルドを見た男性は、暫く目を瞬かせた後、驚いたように大声を上げた。
「えええええええええ! あ、あ、あ、霧代さんッ! 本物、ですか?」
「こんな顔の奴が二人と居るか? それで、どなたか存じ上げぬ者はと言ったが、私が居るならどうだ?」
「も、勿論です! しかしよろしいのですか? 霧代さんにこんな下らないお願いを聞いていただくのは、何だか申し訳ない気が……」
何か勘違いをしているようだ。アルドは男と目線の高さを合わせて、可能な限り、穏やかな声で言った。
「私は流浪人だ。下らないお願いとやらを一蹴出来る立場にない。別に申し訳なさを感じる必要なんてないから、さっさと案内してくれ」
「は、はい!」
師匠よりも目立ってしまうのは弟子としてそれこそ申し訳なかったが、自分に師匠が居るとは誰も思わないので、致し方ない事態だ。背後で立ち尽くしているダルノアを手で呼び寄せると、有無を言わさず彼女が尋ねてきた。
「あの、アルドさん。師匠って……」
「ん? ああ、そうだな。誰にも言っていなかったな。この方は私の師匠……天森白鏡流の八代目当主、イカルガゲンジ。この世界唯一の、最初で最後の、私の師匠だ」
ゲンジはこちらのやり取りに耳を貸さず、男の案内で家へと入っていく。それに続いてアルド達も足を踏み入れると、奥の座敷では、随分とやせ細った娘が、今にも死にそうな咳を出して、寝込んでいた。今ではその影もないが、こうしてやせ細る前は、中々可愛らしい女性だったと思われる。
「実は……娘が病気でして。どんな医者に見せても、よう分からんという事で、『蛟』様に大量のお供えを持って、娘の病気が治る様にお願いしようと思ったのです……しかし、私の様な貧しい家庭では、相応の貢ぎ物を用意出来ず、仕方なしと、知り合いの伝で少しばかりお金を用意してもらったのですが」
「そうしたら、先程の小童に絡まれたという訳か。小僧、儂の前で事を起こしたのは幸運だったな。そうでなければ今頃、お主は死んでいたぞ」
ゲンジが介入しなかったのなら、やはりアルドが介入していたので、それはあり得ない。その意思の表明も込めて、ゲンジへ手刀を叩き込もうとしたが、指一本で直ぐに防がれてしまった。まだまだ実力差は埋まり切っていない。
それといい加減、小僧なんだか小童なんだか統一して欲しい。頭がこんがらがってくる。
「アルド、お主はそこな生娘の病状をどう見る?」
「……そうですね。普通の病気とは違う気がします。三吉屋さん、少し娘さんの身体に、触っても?」
許可が得られたので、アルドは小走りで女性の下へ。彼女が苦しまない様、慎重に姿勢を反転させた。アルドは魔術を扱えないが、それは戦う事以外の事が、何も出来ないという事ではない。背中を押したり、触ってみたりすれば、彼女の身体の中に何があるのか、ある程度知る事が出来る。
「……ど、どうですか?」
血流に問題は無し。臓器にも問題があるようには思えず、その他の場所も特に変わりはない。という事は……自分の思った通り、これは普通の病気ではないという事だ。人を衰弱させる超常的な何かと言われれば、答えは一つ。
妖術だ。
これが原因ならば、納得がいく。どんな医者も匙を投げるのは当然だ。人間の医者は、人間の尺度でしか物事を測れない。貶している訳では無く、知らない物を見つけろという方が無理だという、それだけの話である。
「師匠。どうやら貴方の出番を待たずして、解決しそうです」
「ほう。そりゃ良かった。弟子の遠出をわざわざ許した甲斐があったな、ん? どれ、見ててやる。儂に奇跡というモノを見せてみろ」
「そんな大層なモノではありませんよ」
フェリーテが居れば手っ取り早かったが、この妖術は彼女程の高位な―――五大陸的に分けるならば極位相当の妖術ではないので、恐らくアルドでも解除出来る。何があってこんな術を掛けられたか知らないが、可哀想に。今、助ける。
妖術の解き方は以前教わっている。と言っても簡単なモノだが、今回はそれで事足りるだろう。アルドは親指の腹を歯で切り、滴る血液で、異様な陣形を描き始めた。
「祓魔殿、清浄之光」
解呪と言うよりは、厳密には封印術の類に入る。呪いそのものを封じ込めて、効力を打ち消してしまおうという訳だ。気を付けなければならないのは、この封印術を解く方法を知っていたら、また同じ事を繰り返してしまう事だが、そんな奴が居るとは思えない。居たとしたら、それなりに名前が知れているだろう。仮にそいつが犯人なのならば、そいつを殺すか気絶させればいいだけの事。
まあ、殆どあり得ない可能性だが。
「祓いたまへ、清めたまへ」
簡単な祝詞にしか聞こえないが、これは魔術の詠唱とやっている事は一緒である。要は、引き金だ。自分がこう言えば、こうやって発動すると。自分で決めておくのだ。アルドは特に思いつかなかったから、こんな陳腐な言葉になっているだけで、必ずしも同じ術が同じ言葉で発動するとは限らない。
直後、女性の背中に描かれた陣が、目を眩ませる程の光と共に発動。それは一瞬の事で、次に視界が正常に作動した時、その陣は消えていた。
同時に、女性の咳も止まっていた。
「…………あ、れ?」
女性は不思議そうに起き上がって、自分の身体を見回した。あちこち触ったりしているが、最早何の変哲もない。それが一層、女性を不思議がらせた。やがて女性の視線がこちらに向いたので、アルドは出来る限り、穏やかな語調を統一する。
「痛みはあるか?」
「い、いえ」
「視界がぼやけたり、耳鳴りがしたり」
「いえ」
……安心した。殆どぶっつけ本番の様な所もあったが、無事に成功した様だ。自分の役目はこれで終わったので、後は親子で、好きに過ごせばいい。ダルノアの手を引き、アルドは早々に家を出た。一体師匠が何の助けをしたのかと尋ねられたら何もしていないと答えるが、師匠と出会う手間が省けたのは助かった。
……恥ずかしい話だが、道場の場所。忘れていて困っていたのだ。
アルドは身を翻して、後についてきた男を見遣る。
「一番弟子、霧代アルド。ただいま、長い船旅より戻って参りました」
「うむ……成長したようだな、アルドよ。しかし無茶をしすぎだな。お主……その身体、そろそろ辛いのではないか? それだけの疲労を背負える程、人間の力は強くないぞ」
この老年の男性に特殊能力など無い事は、アルドが良く分かっている。だからこそ、アルドは彼を尊敬している。
何の特異性も持たず、またそれを気にせず。にも拘らず、まるで全てを見通している瞳と、そこに執着するまでに培った技術は確かにある。どれか一つでもアルドが持っているかと言われれば、自分は首を振ろう。
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