ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

ようこそ、ジバルへ

 古き良き街並みとは言ったもので、ジバルには、五大陸が失くしてしまった良さというモノを備えていた。ここは『徳長』の国だが、通り行く人々の穏やかな表情は、五大陸の何れにも見られないモノだ。間抜けと馬鹿にするのもそれはそれで感性だが、自分達はそんな間抜けな表情すら出来ない中で生きている。口には出さなくても、生き辛いのは確かだ。かつては根性の無い木として尊重されていなかった柳も、今は街の景観の維持に一役買っている。今年は特に天変地異も無かったようで、柳は過去を映し出した様に、何も変わらない。遠くに見える武家屋敷の塀からは、枝垂桜も見えている。
「ここが……ジバル」
 風趣に富んだ光景に、ダルノアは言葉を失っていた。自分達と別れた後、彼女がどんな世界を見て来たかは知らない。けれども、こんな景色は見た事も無い筈だ。ここ、ジバルは、アルドが大陸奪還を終えた先に見る未来の完成系。船の上から浴びる春光も、これはこれで趣がある。ナイツ達とは離れてしまったが、フェリーテなんかはきっと、自分と同じ思いを抱いているだろう。
「わあ……綺麗ッ! 私、この国すっごく好みかも!」
「気に入ってくれた様で何よりだ。さて、下りるか」
 来航してきた船に、ジバルの人々は一斉に注目したが、船首の上に飛び出したアルドを見るや、その興味関心は、歓声へと切り替わった。
「霧代の旦那だー!」
「集まれー!」
 ジバルへと接近していくと、そんな声がどんどんと大きくなっていって、最終的には、まるでアルドが凄まじく高名な人物の様に感じられる程、人々は湧き上がっていた。少々大袈裟だが、こんな歓迎をアルドは受けた事が無い。受けたのは嘘っぱちの祝福と、罠としての色仕掛けだけだ。こんな風に、心の底から歓迎された事は、今回が初めてである。
「先生、随分歓迎されてるね」
「アルドさん、何かしたんですか?」
「ん……まあな。私は身分上流浪人だが、これでもどちらかを滅ぼす事なく戦争を平定させた張本人だ。幾ら何でも大袈裟だが、こんな反応をされるのは自然だろう」
 どうしてだろう。ジバルに来ると、ずっと前からここに住んでいたかのような安心感がある。何と言うか、周りが優しい。然るべき事をしたら相応の対応をしてくれるというか、やった事が、全て報われた気分になる。そう思ったら、自然と笑顔が零れてきて、少なからず染みついた殺気も、風と共に解れ去ってしまう。
「先生、笑顔が出てるよッ」
 ひょっこりと視界に飛び出してきたドロシアは、手本でも見せるかの様に屈託の無い笑顔を向けてきた。誰かに指摘されるのは恥ずかしかったが、彼女から悪意を感じないせいで、反抗しようにも出来ない。倣って口元を釣り上げるが、どうも違う気がする。
「ふふふ、先生ったら変なの!」
「う、うるさい! お前が笑顔を向けてきた……から、その……真似してみただけで…………」
 遂に羞恥が思考まで達し、アルドは思考をまとめられなくなった。まごまごしているのも、どうにか会話を繋げようとする反射的な行動である。
 不意に右手から痛みを感じ、アルドは正気に戻る事が出来た。首を向けると、アルドの指に爪を立てている少女の姿があった。どういう訳か彼女は、ジト目でこちらを睨みつけて、頬を少しだけ膨らませている。
「……ダルノア?」
「―――変態」
「なッ!」
 その言葉と共に感じた心臓の重さは、きっと気のせいなんかじゃない。この、太い杭を打ち込まれた様な重さ。何気ない少女の一言が、アルドの心を深く傷つけた。まさか彼女から、そんな発言をされるとは夢にも思わなかった。空白の二年間を過ごした仲は何処へ行ったのか。
「ち、ちが。別に私は、そんな邪な考えなど抱いていな―――」
「私、邪だなんて一言も言ってませんよ?」
「んなあッ?」
 アリジゴクじゃあるまいし、どうして足掻けば足掻く程、首を絞める結果に終わるのか。何とか切り口を見つけようと口をパクパク開閉させていると、切り口が見つかった頃には、二人は船の手すりから身を乗り出していた。
「先生ッ、もうすぐ着くよ。錨を下ろさなくて良いの?」
「あ……え……ああ、分かった。分かっている。ああ」
 友人であっても、彼女は女性だ。そんな彼女から『変態』呼ばわりされるとかなり心に響くのだが、どうか撤回してはくれないだろうか。そうしてくれないと、常に彼女からそう思われているみたいで、何とも居心地の悪い状態が続くのだが。
 言いかけた言葉を飲み込んでから、アルドは錨を下ろすべく、歩き出した。


































 港には『徳長』の役人が立っているが、アルドの顔を見るや、特に検問をする事なく通してくれた。その先では、多くの村人が彼の帰還を喜んでいた。それはもう、実に盛大で、ドロシアやダルノアが、一切無視されるくらいの騒ぎだった。五大陸の反応と比較すると、これも違う。アルドがもみくちゃにされる程の騒ぎなんて、まず起こらない。
「霧代の旦那ァー! 遂にここで暮らす用意が出来たんですねッ!」
「霧代ォ。俺ぁついさっき磨ったばっかでなあ。悪ぃがチンチロに付き合っちゃくれねえか」
「霧代さん。良かったら私の茶屋に……来ませんか」
「お前達、落ち着け! おちつ……ぐふっ。おい、誰だ。私の背中に拳を打ち込んでくれたのは!」
「霧代のおじさん! けーこけーこ!」
「お前かリョーマ! ちょ……誰か! 誰か助けてくれ! おいッ」
 人の波は時間を経ても減る処か増えるばかり。冗談半分に見ていたドロシア達も、助けようと思った頃には手遅れだった。アルドの姿は既に消え去って、目の前にあるのは喧騒を紡ぐ人々だけ。二人で目を見合わせるが、周囲の人々に影響を出さずして彼を救う方法が思いつかない。遂にアルドの声が途切れた時、また遠くから、男性が歩いてきた。
「我が国の誇りある民よ! 直ちにその者から離れるが良い! その者は、たった今から客人である!」
 一刀を振り下ろした様な鋭い言葉は、アルドの姿を隠していた民衆の霧を瞬く間に断ち切り、いつの間にか倒れ込んでいたアルドを曝け出す。男は早歩きで近づくと、服装の乱れたアルドへ手を伸ばした。
「上様がお呼びだ。連行する様で悪いが、付いてきてもらうぞ」
 アルドは苦い笑みを浮かべて、伸ばされた手を取った。
「ドロシア、ダルノア。お前達はここで待っていろ。どうやら挨拶に行かなきゃいけない様だ。そういう事だから、さっさと案内してくれ。キリュウ」
 口調こそ淡白だが、彼は自分を助ける為に、わざわざ理由を作ってまで来てくれたのだ。道中に会話は一切なかったが、アルドは彼の事を高潔な武人として信用している。徳長の右腕と言われるだけあって、決して無能という訳ではないのも、信用の一つか。
 民衆から大分離れた頃に、キリュウが重い口を開いた。
「その格好では上様に会わせる訳にはいかぬ。それと、御台様と姫にもな。その様に異様な服装は、然るべき服装に替えさせてもらうが、構わないか」
「……やはり不味いか。血の染み込んだ装束は」
「当然だ。貴様の部屋に置いてあるから、直ぐに着替えろ」
「―――私の部屋なんぞいつ用意されたんだ」
「貴様が帰った後だ。知る由もあるまい。しかし、そろそろ覚悟を決めたらどうなのだ。上様はもう、貴様を迎えた気でいらっしゃるぞ」
 ジバルに行く事を避けていた訳では無い。今までそう思っていたが、もしかすると無意識の内にでも直感していたのかもしれない。魔人と人間の闘争を、己一人の犠牲で平定させたアルドの存在は、どの国にとっても掌中に収めるべき戦力であり、その為ならばどんな手段でも用いかねない事を。
「……まだ戦争は終わっていない。その話は、次の機会にでも考えておくと言っておいてくれ」
「何故に。貴様が直々に言え。異国の者だからと例外に区分し、貴様はこの国で唯一対等に上様と話せる流浪人であるぞ」
 そうだった。そう言えば、『徳長』という将軍は非常に柔軟性を持ち合わせているのだった。学校にも碌に行けなかったせいで、この手のしきたりに弱いアルドでも話しやすいように、そんな事を言ってくれたのだった。
「一応尋ねておくが、姫と添い遂げる気はあるか?」
「それも次の機会にしてくれ。そういう話には弱いんだ」
 もっと言うと、次に来る時には死体になっているかもしれない。だから女性一人の人生を決めてしまう大事な決断を、そんな不安定な状態で下したくないという思いもあったが、心配を掛けまいと口には出さなかった。
「……辛いのであれば、いつでもここに来るがいい。貴様の国の者が何を言おうとも、ここは紛れもない、貴様の居場所だ」
 キリュウは、そんな自分の思いを察し、逃げ道を与えてくれるのだった。



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