ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

幻影都市

 翌日。アルドは再び玉座に座ると、直ちにナイツを招集させた。理由は明快、民衆からの罵声により、しようと思っていたあらゆる事を遂行していなかったからである。招集を掛けられたナイツは直ぐに集まったが、そこにはどうしてかカシルマも居た。目線だけで理由を尋ねると、気にしないで欲しいという答えが、目線だけで返ってきたので気にしない。
「早朝、お前達にこうして集まってもらったのは他でもない。私の勝手な行動により、予定していた行動の全てを捻じ曲げてしまった。放っておいても別に良かったが、万が一という事があり得る。仕事は昨夜、然るべき人物に任せたが、その報告を聞きたい。まずはヴァジュラ、あの男に『心透冠』を使った後の事を聞かせてくれ」
 公私混同はしない主義だ。お互いに、昨夜の出来事は無かった事にしている。ヴァジュラはスッと立ち上がり、前に進み出た。
「は、はい。アルド様に言われた通りアレを使って…………雑用係にしました。今はオールワークの指導の下、アジェンタの城で勤務しています」
「人格が戻る可能性は無いんだな?」
「はい。上書き……ですから、下に敷かれていた人格は、もう戻りません。たとえ、上書きした人格を消したとしても」
 それは文字の上に文字を重ねる行為によく似ている。重なった文字を消せば、当然重ねられていた側の文字も消える事になる。彼女の第二切り札はそういう能力を持っており、後は如何なる手段を講じても人格は戻らない。ドロシアが外世界から技術を引っ張ってきたら可能かもしれないが、真理以外の法則に縛られない彼女には、誰がどんな手段を以てしても強制させる事が出来ない。彼女自身の好意からアルドのみ例外と言えるかもしれないが、そのアルドも体の半分が執行者である以上、抗えない力は存在しない。つまり何が言いたいって、彼女を他人がどうにか強制させる事は不可能である。
 消える筈だった『殱獄』は、真理を絡めた事で無理やり存在を固定した。そのせいで『殱獄』も今となっては只の剣だが、また執行者と戦う際には真理を取り外せば良い。彼の所有していた権能はもう使えないが、それくらいの事ならばまだ出来る。
 ……やはりどんな風に可能性を考慮しても、彼の人格が戻るという事はあり得なかった。
「そうか、有難う。もう下がって良いぞ」
「はい」
 恭しく頭を下げたヴァジュラは、綺麗に身を翻して、自らの位置する場所に戻った。
「チロチン。リーナのその後はどうだ?」
 次に立ち上がったのは、チロチン。前に進み出て、まずは頭を下げた。
「はい。あの問題が解決した後は、以前と変わらぬ生活を続けています。ですが…………」
「どうかしたのか?」
 チロチンの表情は、まるで死人でも出たかのように陰鬱なモノへと変化した。
「アルド様に浴びせられた罵声の数々。なにぶん、私も呆気に取られてしまい、彼女にも聞かせる事となってしまいました。そのせいで、心を病んでしまったというか……魔人不信になってしまいました」
「何?」
 そんなおかしい話があってたまるか。あの声が向けられていたのは自分であり、どんなに間違ってもリスドに古くから住んでいるリーナに向けられていたモノじゃない。アルド自身が魔人不信になるならばともかく、彼女が魔人不信になるのは、一体どういう理屈なのだ。
「『アルド様は本当に良い方なのに、どうして他の人達はあんな事を言うんでしょうか』と。私個人の意見を申し上げても、全く同感です。どうして民衆は、アルド様の素晴らしさに気が付かないのか……」
「人間だからだよ」
 アルドは極めて淡白に、彼が疑問を投げかけるよりも早く答えた。
「所詮、私は人間に過ぎない。過去の事情から、お前達が巻き込まれていないのは知っているが、私は百万の魔人を一人で殺した男。お前達の遠い親戚も、もしかしなくても殺している。その恨みは、私が味方になった程度で晴れる訳無いのさ。結局、『皇』の顔を立てていたから、最初は良い顔をしていただけの事。あれはそれだけの話だ」
「アルド様…………」
「リーナの今後はお前に任せる。私が会いに行っても、彼女に矛先が向く要因を作ってしまうだけだ。それに…………」
「……それに?」
「お前、リーナの事、好きなんだろう?」
 全てを見透かした発言に、真っ黒いチロチンの顔が瞬時に上気した。口を間抜けにも開いて、どうしてそれを知っていると言わんばかりにこちらを見据えていた。隣に居たフェリーテが笑いを堪え切れず、鉄扇を開いた。
「ど…………どうして、それを」
「男子会をした時の顔。あれは失恋をした時の顔によく似ている。まあ、私と違ってお前は、勝手にそう思っているだけみたいだが」
「……どういう事でしょうか」
「あれは私がまだまだ新米の騎士だった頃の話だ。気になる女性……ああ、この女性は、私と普通に話してくれる数少ない友人だったんだ……が出来て、試しに食事へ誘ってみた。どうすればよいか分からなかったからな。するとどうだ、見事に断られ、あまつさえ他の男の誘いに目の前で乗ったんだ。……断られた理由、分かるか? 『不細工と食事に行ったら自分の品格を疑われる』と言われたんだ。お前達と出会って、あの時、彼女の事を明確に愛していたのか、恋していたのかは分からなくなった。けれども、あれは、失恋と言えるだろうな。一方でお前は、確かに私への中継役にされたのかもしれないが、今となってはその問題も無い。だったら、改めて関係を築き上げる事も不可能じゃ無い筈だ」
「……はい」
「私がお前達を、魔人を守る様に、男には命を懸けてでも守らなくちゃいけない奴が最低一人は居るんだ―――自分の好きな女くらい、守ってみせろ。これは命令だ」
 格好いい事を言ったつもりは無い。であればもっと、甘ったるくて脳が怠くなってしまいそうな言葉を吐いた。この想いは男として当然の事で、それがあるからこそ、男は強くなれる。例えばアルドでも、ナイツを抜きにすれば……ドロシアがそれに該当するだろう。彼女とはもう何年も過ごした。妹よりも、ナイツよりも共に過ごした。だが、彼女には命の期限がない。自分が居ない限り、彼女は永久に孤独だ。
 昔の自分で考えれば、妹が該当するだろう。国中から虐げられていた中で、彼女の笑顔だけが、自分の拠り所だった。彼女の子守歌だけが、自分の癒しだった。彼女の料理だけが、美味しいと感じた。
 この価値観を押し付けるつもりは無い。中にはこの価値観を、偽善染みていると宣う者も居るだろう。だが、好きな者一人守れないで、果たして自分に一体何が出来るのかという話だ。
 守れなければ、後悔する。
 愛なんてクソ喰らえと薄幸ぶっても、後悔する。深層心理にある疚しさには誰も敵わない。そしてアルドは、カテドラル・ナイツにそんな後悔をして欲しくない。
「は、はい!」
「ああ、それで良い。後は……何も無いな。それでは、この会に続いて次へ向かおうと思っている場所を提案したいが、構わないか?」
 一度言葉を切って、ゆっくりと周囲を見回す。
 オールワークはアジェンタに、トゥイ―二―は彼女に代わって他の侍女の指揮を執っているので、アルドの傍に控えているのはクローエル。カテドラル・ナイツは当然の如く全員揃っていて、何故か一向に喋ろうとしないカシルマも居る。ダルノアは……流石にまだ寝ているか(彼女には他の侍女と一緒に眠ってもらっている)。
 アルドは長い間を置いてから、大きく息を吸った。
「次回は侵略ではない。そこに居る私の弟子からの情報によると、人間達も遂に魔人殲滅へ本腰を入れ出したらしい。私の信頼も揺らぎ、内部は不安定だ。このまま大陸を奪還しに行っても……レギは諸事情につき保留だが、実際は攻略したようなモノだ。時期が来れば直ぐに取れる。しかし残りの二大陸……特にキーテンは、最初から侵略のつもりで行っても、容易に落とせる大陸ではない。フルシュガイドも同様だ。年月が過ぎているから当然だが、私の知っている頃よりも強くなっているかもしれない。そこで、私は戦力の増強。新たに仲間を加えたいと考えている」
「…………随分、久しぶりじゃな」
 こちらの言わんとする事を読んだフェリーテが妖しい笑みを浮かべる。彼の方を見ても、呼吸が僅かに荒くなっているのが確認出来た。
「次に向かう大陸は、幻と言われる大陸ジバル。五大陸以外の者を巻き込むのは気が引けるが、あの国に居る魔人とは協力関係にある。そこで私は、あの国の長である、『狐』と『蛟』を連れていこうと思っている。どちらも、お前達には一歩も譲らぬ強さを持っている。実力に文句は無いと思うが、何か質問は?」
「一つよろしんでしょうか。アルド様」
 前に進み出たのは、ずっと沈黙を保っていたルセルドラグ。
「何だ?」
「ジバルなる国、私も含めて、二人以外は詳細を知らぬ様に思いますん。多くは望みませんが、どういった国であるかだけでも教えていただけると……」
「―――そうだな。お前達からしても理解に苦しむ環境だから、教えておいた方がいいか。フェリーテ達には余計なお世話だが、ジバルという国は、大きく三つの領土に分かれている。一つは魔人のみが住む『狐』の国。もう一つは人間のみが住む『徳長』の国。最後に、その二つの国に挟まれる様に存在する―――二つの種族が共に暮らす、『蛟』の国だ」
 それは最初からそうだった訳では無く、アルドと『皇』が介入し、戦争を終わらせた事で実現した社会。そしてその事実こそ、アルドが世界の再構築を決意した原因。どう示したって魔人達には理解してもらえない、空想上の平和。

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