ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

貴方の全てを救いたい

 冠を作っていると、何だか懐かしい気持ちになる。自分がまだ騎士になる前の……より分かりやすく言えば、イティスが四歳の頃。二人で大帝国の脇にあった小さな洞窟を抜けて、その先の花園で、花冠を作った事がある。あの時はまだアルドも不器用で、イティスがどんどん作っていく光景を、殆ど眺めているようなモノだった。
『お兄ちゃんにあげる!』
『俺に、か? しかしこれは、お前のだろ?』
『ううん、別に良いの! だってこれをあげたらお揃いでしょ?』
 そんな事を言って笑う彼女の姿が、とても綺麗に見えた。いや、尊く見えたと言った方がいいかもしれない。この笑顔を、何としても守らなければと、もしかしたらあの時、自分はそう思ったのかもしれない。国から邪険にされていたアルドには、それしか無かった。それ以外に、自分を支えてくれるモノが無かった。百万人を相手に戦ったのも、全ては妹の為だった。彼女の笑顔が続く世界を、築き上げる為だった。
 カシルマが去り際に置いた言葉が蘇る。
『クリヌスに船を壊される寸前に聞いたんです。どうしてこんな事をするのかって。そうしたら言ったんですよ。残り数年の間に魔人達を滅ぼさないと、先生の妹が守れないって。これから大陸の警備は……もっと厳重にするべきだと思いますよ。フルシュガイド自体はまだ余力を残しているようですが、他でもない『勝利』の後継者が本気になっているので』
 自分の妹が守れない? あれはどういう意味だったのだろう。少なくとも、ルセルドラグ達を取り返す為にあっちに訪れた時は、彼女も元気だった。アルドの処刑前に出た通告が『親族を殺せ』という事だったので、彼女が元気だった以上は、名前を変えて生活している筈だ。あのクリヌスがその辺りで失敗をするとも思えない。何があった?
 今更ながら後悔する。国を出て行く際、イティスも連れていれば、ナイツに守らせたというのに。しかしあの時はアルドも自暴自棄になっていた上に、ここまで安定した生活を送れるとは思っていなかった。彼女を連れていかなかったのは、あの時点で見ればやはり正解だ。
 仮に彼女を連れて来たとして、そしてここに居たと考えても、アルドがここまで傷つけば、彼女の心労は絶えないままに。結局、彼女の負う傷としては、一緒だった。下手をすれば、誰も知らぬ未来むかしの様に、彼女が―――
「……アルド様?」
 ハッと顔を上げると、その手に冠を乗せたヴァジュラが、キョトンとした表情でこちらを覗き見ていた。不味い、彼女を不安にさせてしまったか。急いで笑顔を取り繕い、何とか誤魔化す。
「ん、どうかしたか? お前には及ばないが、私ももうすぐ出来上がるぞ。後は仕上げだけだ」
 イティスとの記憶は、この身が地獄に落ちようとも消える事は無い。無意識にでも手は動いて、勝手に冠を作り上げる。全く手が止まっていたら流石に勘付かれた事は想像に難くないので、彼女との記憶に感謝すべきだろう。
「……でも、そこからどうやって完成させるの?」
「作り方は大陸それぞれだ。良いか、良く見ていろよ。これがフルシュガイド流の花冠作製術だ」
 学校は魔力の関係でいけなかったが、五大陸それぞれの特色は把握している。フルシュガイドは強度が強く、レギは脆くはあるが綺麗で、アジェンタはとても精密で、リスドはお手軽に作れて、キーテンは花冠と呼ぶにはあまりに奇妙。ヴァジュラはアジェンタ出身なので、その花冠は芸術品にも引けを取らぬ綺麗さを持っていた。
「へえ、そんな風に、作るんですか」
「私に言わせれば、どうやればお前の様に作れるか分からない。欲しいくらいだよ」
「……じゃあ、交換しませんか」
 彼女の冠を握りしめる手に、力が入った。
「アルド様のを、僕に。僕のをアルド様に……宜しいですか?」
「…………え、えーと。だ大丈夫だ。お前こそ、こんなのを頭に被る事になってしまうが、良いのか?」
「……別に、構いません。同じ花で作った物ですし、お揃いですから」
 彼女にそのつもりは無いと分かっている。これは偶然だと。似たような状況で似たような事をしたら、似たような発言が飛び出しただけの事。しかしアルドには、まるでこの状況が、必然のモノであった様に思えてならない。
 初めて大切な存在と認識した妹と離れて、アルドは荊の道を歩んできた。その先には何も無く、道が終わる時は自分が死する時であると……そう思っていた。しかし今、アルドは大切な存在を再認識した。
 カテドラル・ナイツは大切な存在である事に代わりは無い。この命に懸けても守り通すべき存在である事は、生涯変わらない。しかし、今。『鳴無の森』にアルドと二人きりで訪れた彼女は、自分にとって、尊い存在になった。気恥ずかしいからか、視線を露骨に逸らして照れる彼女が愛しいと思った。
「じゃあ、交換するか。せっかくなら、お互いの手で乗せよう」
 合意は以前から得ている。ここで彼女にキスをして押し倒せれば、自分も恋愛を人並みにまで克服出来たと言えただろう。でも出来ない。アルドがそれをするのには、あまりに心が幼かった。才能の無さにも拘らず、英雄になりたいという夢を抱き、それを夢としたまま現のモノとしてしまったアルドには、大人の行為は早すぎた。少なくともこんな雰囲気では、彼女の頭に冠を乗せる事くらいしか出来ない。
 頭の上に、小さな重さを感じる。感じる筈のない温もりは、彼女が心を込めて作ったからこその効力か。
「アルド様、上手」
「お前程じゃないさ」
 人はこれを、きっと幸せと呼ぶ。彼女とのデートを、一時はどうすれば彼女を喜ばせられるのか悩んだが……難しい事は何もない。自然体であれば、彼女は楽しんでくれる。ここでは何かを気にする必要も、何かに心を病ませる必要もない。『鳴無の森』では全てが虚ろな音になる。自分は彼女の想定通り、彼女とのデートにのみ気を掛けていればいい。少なくとも今は、愉しまなければ彼女に悪い。
 勘違いされては困るが、自分の性格上、カシルマに言われた事も、これからの事も、民衆の扱いも、忘れた事は無いし、忘れる事も無い。だが―――ああ。
 今だけは、英雄アルドでも無く、魔王アルドでも無く、ヴァジュラという一人の女性を愛している、一人のアルド・クウィンツとして―――
「…………ねえ、アルド様」
「何だ?」
「僕は……貴方の全てを救いたい。貴方に助けられた身として、せめてものお返しに全てを救いたいのです。アルド様、教えてください。僕はどうすれば、貴方を救えますか?」
 ヴァジュラは聞いてしまった。アルドに尋ねてはいけない言葉を交えて、直球で。どうしてこんな事を聞いたのか、それは彼女にも分からなかった。只、この言葉を逸らしていてはアルドを助ける事は、出来ないと思ったのだ。
「…………私を救いたい、のか?」
「…………うん」
 それが許されざる事だと、ヴァジュラは知らない。アルドは救う側に回った者。救われるという事は、その使命を放棄するという事であり、それは即ち、アルドという全ての崩壊。この身は確かに限界を迎えているが、この魂だけは、何があっても壊す訳にはいかない。たとえそのせいで、倒れる事になったとしても。
 アルドは陰鬱な雰囲気を纏わぬ様に注意した。しかしその質問をした以上、アルドがそれを破るのは当然の事だった。
「―――それは、私の口から言う事は出来ない。すま…………いや、うん。私をデートに誘ってくれたのは嬉しい。だから、今は精一杯楽しむつもりだ。だが、私は救われる事を望まない。お前の気持ちは有難いが…………救ってもらわずとも、結構だ」















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