ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

月夜に響く宙の鈴

 森の中心は、アルドの視界も問題なく機能するくらいには月光が差し込んでおり、ここでは彼女の眼に頼らずとも、アルドは通常時と同じ事が出来る。変化を挙げるならば、無音だった空間に、音という変化が表れた事だ。
 最初に聞こえたのは川のせせらぎ。この森の何処かでは川が流れているのだろうが、道中で聞こえなかったのはこの森に音を逃がさない特性を……言い換えれば、音を中心に追いやる特性を持っているからだ。そのせいで道中はヴァジュラとの会話以外楽しいモノが無く、アルドとしてはかなり暇をしていた。しかし中心に来て突然、耳から自然の美しさを感じ取って、感動してしまった。全くの無音で道中を過ごした甲斐があるというモノだ。どうしてか自分にこの情報を教えてくれたヴァジュラも驚いていたが、想像以上だったという事だろうか。
 次に虫の鳴き声が聞こえた。とても綺麗だ。ジバルには風鈴なる涼しの風情を感じられる物があったが、この鳴き声はそれに近い。何だか非常に、落ち着く。特に周囲の木々が纏う影が、その声を神秘的な物へと昇華させていた。言うに及ばず、月光の差し込む具合は、文句のつけようがなく素晴らしい。
 そんな森よりも素晴らしい何かがあるとすれば、それはヴァジュラに他ならない。彼女が先んじて進み、月光の差し込む中心へと躍り出た瞬間、アルドは目の前に、女神を見た気がした。
 毛に覆われた尻尾が光を跳ね返し、周囲の空間を装飾する事で、まるで星々が喝采し踊り跳ねている様に見えたのだ。想像力が豊かだからそう見えると思う事無かれ。仮にもヴァジュラは『銀狼の王女』と呼ばれていた女性。その美しさは、ある意味では当然と言える。自分にはとてもではないが、釣り合うとは思えない女性だった。言葉に出さないのは、彼女への侮辱に繋がる事を知っているからである(自分の事が好きな女性に対して自分を卑下するのは、そんなしょうもない自分を好きになっている女性こそお前であると、馬鹿にしている様に聞こえてしまう)。
「じゃあ、アルド様。ここに寝てください」
「……え? ああ、別に構わないが」
「うつ伏せでね」
 草むらに寝転がるのはいつ以来か。あの時は『謠』が膝枕をしてくれたが、どうやら彼女は、同じ事をしてくれる訳では無いらしい。ある種の期待感の様なモノを感じながら、言われた通りうつ伏せになると、彼女の指が、背中を押した。
「マッサージ…………します」
「マッサージ……按摩か。この森に連れてこなくても、お前が望むのならさせたんだが」
「う。でもこっちの方が……落ち着きませんか」
 確かに。目を瞑って意識を森へと集中させれば、細かい事なんてどうでも良くなってくる。自分が気にしていた事なんて、ちっぽけな事の様に感じてくる。ヴァジュラにはこんな技術があったのか、他のナイツでも想像はつかなかったが、結構意外な特技である。想像以上に気持ちいいし。
「アルド様。辛い事があったら、僕達を頼ってもいいんですよ。少なくとも僕は……アルド様の味方ですから」
「有難い話だが……そういう訳にもいかないだろう。私は英雄であり、魔王であり、お前達を守ると約束した者だ。大陸奪還に関わるならともかく、私が辛い程度の事で、お前達を頼るなど―――」
「もう…………限界じゃないですかッ」
 アルドの筋肉に触れて分かった。彼の筋肉は、筋肉として何かがおかしい。あり得ないくらい強靭で、これだけ戦ってきたのに少しも凝り固まっている様子が無いのだ。足の方に移っても同じだった。人間として何かがおかしい。男であれば……いや、ここまでくると、強さを求める者であれば誰もが羨む筋肉だ。
 これを見て、どうして限界かと思うのか? その答えは、敢えて無意味に力を入れれば分かる。
 爪を立てれば出血しかねない程度に力を込めると、アルドの足から、想像の何倍もの速度で筋肉が切れる音がした。それもヴァジュラの耳にハッキリと届くくらいに大きい。そう、彼の身体は何よりも強靭だが、同時に何よりも脆かった。筋肉の切れた個所をまた押すと、同じようなしなやかさが伝わってくるのも、手遅れとしか言いようがない。
 彼の身体は、再生の円環に囚われている。今となっては彼の意識が彼の命を繫ぎ止めているのは知っているが、この現象を見る限り、最早彼の意識に拘らず、彼の身体は修復こわれ続けている。壊れるなおす為に壊れて、壊れる度に壊れるなおり続けている。その終わりなき終わりこそが、限界だと言っているのだ。
「アルド様がどんなに強くても…………限界は、ありますよ。駄目じゃないですか、僕達に内緒で、勝手に傷ついていくなんて」
「……すま―――」
「謝罪しないでください!」
 ああ、何てはしたない。淑女であろうとしている自分が、最愛の者に声を荒げるなんて。既に手遅れではあるが、ヴァジュラは己の行いに羞恥を覚えて、また元の調子に戻した。
「……ちゃんと、数えてますよ。それで二回目ですから」
「え、そんな馬鹿な。一体私がいつ謝罪を……!」
 うつ伏せになっているから分からないが、自分にはアルドが思い当たってしまい、決まりが悪くなった顔がまるで見ているかの様に分かる。そう、あの時と表現するには新しすぎる過去。森の中心へと歩いていた時だ。あれは今までの行いに対する謝罪では無かったので、その場は見逃したが、謝罪は謝罪。きっちりと数えている。
「お前には敵わないな。その約束はきちんと覚えていたつもりだが、すっかり癖として身に付いてしまっていた様だ。私にこんな癖があったとはな」
「……直してください」
「分かっている。直して見せるさ。もうお前達に、情けない姿は見せたくないからな」
 静謐の織の中、時間は緩やかに流れていった。ふと空を眺めると、一際輝く星が、月光と共に自分達を照らしていた。
―――分かってる。ちゃんとやる。
 今回はどんな手段を使ってでもアルドに癒しを与えたい。このデートはそれが何よりの目的だ。外で何が起こっていようと、今の彼には察知出来ない。その間に、自分が彼の心を癒す。彼の心に纏わりついた、灼熱の絶対零度を溶かしてみせる。
「あの、アルド様。この森って、どんな事をしても音が外に届かないんですよ」
「それはさっき聞いた。しかし気になる言い方だな、何かする気なのか?」
 ヴァジュラはアルドから距離を取り、何処かから一本の花を取り出した。首を横にして見ると、シロツメソウである。森としての体裁が整うくらいに自然豊富な場所ならば何処にでも生えている様な、雑草に近い花だ。
「花冠でも、作りませんか」
 言い方の割には騒がしい事をする訳でも無く、アルドは釈然としない表情のまま起き上がり、首を回した。花冠なんて、どんな下手くそが作ったって騒がしい事にはならない。短気で不器用な人間にやらせたら絶叫はするだろうが、両者とも、短期とは言い難い。
「花冠? ……構わないが、似合うのはお前だけだぞ。それでもやるのか?」
「やってみないと、分かりません。アルド様だって似合うかも……」
「私の顔を見てそんな事を言えるんだから、本当にお前は大した奴だよ。ハハ、まあいいさ。冠を作るには十分な量がありそうだし、私は不器用という訳でも無い。作ろうか」
 そう言ってアルドも花を摘んで、冠を織り始める。この、何の障害もなく二人きりの状況こそ、人は幸せと呼ぶのだろう。
 ヴァジュラは穏やかに微笑み、自分の冠へと視線を落とした。
























「ヴァジュラ、大丈夫かしら。私も行った方が良かったかな?」
「お前が行った所で、今のアルド様をどうこう出来るとは思えん。かと言って、アイツがどうにか出来るとも……思えないがな」
 チロチンとファーカは、とある店に来ていた。森の中を出鱈目に進んで一時間。ようやく辿り着いた店の名は『釜焼』。どうしてこんな辺境の店を彼女が知っていたのかは単純明快。アルドが連れて来てくれたからだそうだ。彼とのデートはあれ以来一度も無いが、ファーカがどうしてもあの店の味が忘れられないとの事で、自分を伴って連れて来た。お蔭で店の従業員らしき子供からは、
「大変だ―タケミヤ! 妾の女がアルドから良く分からん奴に鞍替えしやがった!」
「ええーそりゃ大変だッ。霧代アルドも辛いねえ。せっかく立ち直ったのに、また倒れてしまいそうだなあ」
 何やら大変な誤解を生んでしまいそうだったので、直ぐに釈明。一応は客なので、席に案内してもらって今に至っている。料理はついさっき注文したばかりなので、食事には今しばらくの時間を要する。こうしてみると恋人の様に見える……と、子供は囃し立てたが、ファーカの身長のせいで、自分から見れば良くて親子、悪くて親戚くらいにしか見えない。実際、種族的には親戚だから、それは間違っていないが。
「何だか、凄く心配。今度は私の方から、デートに誘ってみようかな」
「その場合、お前は何処に連れて行くんだ?」
「それはチロチンに任せた! 頼りにしてるからね?」
「…………おいおい。確かに私はあらゆるデートに加担しているが、そこまで当てにされると緊張して本来の力が出せないかもしれないぞ」
「それでもいいわよ。私が考えるよりは随分マシになると思うし。とにかく、やるとしたらよろしくね?」
 目的は特にない。あるとしたら前述の通りで、それ以上の意味は無い。二人きりで話したい事がある訳でも、また自分に相談したい事がある訳でもない。無いったらない。チロチンは中身のない会話はあまり好きでは無いが、今回は特に目的がある訳では無いのだ。多少中身が薄っぺらくても、そこに突っ込む様な事はしない。
「これから、お前はどうするんだ?」
「どうするって?」
「アルド様が真の目的を打ち明けられて、私達はそれに乗った。役立たずだ何だと罵られていたあの人に乗ったという事は、事実上の裏切りだ。民衆が知る由は無いが、どうするんだと言っている。お前はこれから、どうやって民衆と接するつもりだ」
「そんなのいつも通りでしょ」
 注がれた水に口を付けてから、ファーカは話を続けた。
「私達はずっと、アルド様に仕えているの。民衆が何を言っても、最初からそれは変わらない。それともチロチンは、いつからか魔人達に仕えていたの?」
「いいや、それは違うが。その事で責められたら、どうするんだ?」
「別に構わないわよ。アルド様は気付いていないけれど、民衆は私達の庇護が無ければ、人間から自分の身を護る事も出来ない。アルド様がその気になったら、民衆は破滅する。本当、その事に関しては『皇』も余計な事をしてくれたわね。アイツが死んじゃったから、アルド様は魔王から離れられなくなった」
「……おい」
「事実でしょ? 『皇』がアルド様の支えになってくれた事は分かってるつもりだけど、アイツが死んで、『魔人を救って』なんて言い残したから、アルド様が…………筋違いだったわね。ごめん」
 ファーカにとっても『皇』は友人だった。その友人の悪口を言うような真似はしたくなかったが、彼女の遺言がアルドを縛り付けてしまったのはどうしようもない事実だ。彼女もここまで事態を見越していた訳では無いだろうし、何ならもっと穏便に済むと思っていただろう。彼女にも悪気はなかったと思う。
 しかし、そんな遺言がアルドの逃げ道を塞いでしまった。そのせいでアルドは、民衆の心無い言葉を真正面から受ける事になってしまった。それは紛れもない事実である。
 筋違いなのも、また確かなのだが。
「死人の悪口は言うもんじゃない。アイツが居たからアルド様は立ち直ったんだ。多少の罪があったとしても、奴は全知全能の神とは訳が違う。アイツの失敗を言うなら、私達にだってアルド様に対してやってしまった非はある筈だ」
 そう言ってチロチンが水を飲み干し、勢いよくカップを下ろすと、厨房の方から不思議な臭いが漂ってきた。

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