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ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

答えを胸に跪く

 今、アルドは再び玉座に身を置く。眼下にカテドラル・ナイツを見据えて。答えを求めるが為に。玉座を一度降りてからというもの、この玉座に座る事がどれだけ責任のある事だったかを思い知る。大陸奪還を本格的に開始する前は、単に自分の座る場所との認識しか無かったのだが。椅子とは本来身体を休めるべき用途にあるのに、アルドはこの席に座るだけで疲労が三割増しでのしかかっているような気がしている。執行者に斬られた事で遂に兆の桁に達した『死』、それを変換した疲労のせいだろうという思いもあるが、やはりそれを差し引いてもこの重さは玉座に座らない限りのしかからない。普通に歩くだけでも巨大な一枚岩が全身に繋がれている様な重さなのに、この玉座に座れば、その岩の上に今度は多量の泥を乗せたような重さがかかってくる。真剣な話をしないのであれば、アルドはだらしなくも背凭れに背中を預けて、そのまま立ち上がろうとはしなかっただろう。
「…………全員、揃ったな」
 ナイツ達は気まずそうな顔を浮かべて、こちらに何という言葉を掛けたらよいか迷っている様だった。一部のナイツは特に気まずそうな顔を浮かべて、視線を合わせようとしても直ぐに逸らしてくる。まともに視線を合わせてくるのは、メグナと、ヴァジュラと……フェリーテくらいだ。留守番組だけなのである。
「取り敢えず、全員視線を合わせて欲しいな。私は別に怒っていない。それどころか、お前達に対しては謝意しか持ち合わせていない。お前達に嫌な思いをさせてしまったんだ……本当に申し訳ない。こうなる事は分かっていたんだ。その上で止めなかったのなら、これは私の責任。どうか魔人達を悪く思わないで欲しい」
「無理です」
 真っ先に声を上げた人物に、ナイツ達は驚いた。誰よりも恐怖や敵意を嫌っている故に、常に怯えている様だったヴァジュラが、アルドの言葉を真っ向から否定するなんて。アルドも僅かに目を見開いたので、意外だったと見える。
「……どうしても、無理か?」
「……僕は、無理。アルド様にこれ以上傷ついて欲しくない。あれを許すって事は、アルド様が傷つくのを容認するって事だから。絶対嫌だ」
 彼女が絶対という言葉を使う事自体、実に珍しい事である。長い付き合いがあるアルドや、ユーヴァンでさえも、もしかしたら初めて聞いたかもしれない。それくらい普段の彼女は自信なさげで、弱弱しかった。今も自信なさげと言えばそう見えるが、それは外見だけだ。発言自体は非常にはっきりしている。
 これ以上の説得を無駄と感じたアルドは、彼女から一旦視線を外して、また問うた。
「他の者は?」
「妾も無理じゃ。これ以上あの思考を見ていると、頭がたぶってしまいそうじゃ。あれ程の悪意を見たのは、妾が拘束される以前が最後か」
「俺様も無理だ! 俺様ァ只楽しくやっていたいだけなのに、それを台無しにするなんてなあ! ッハッハッハッハ! 全く以て気に入らない!」
「私も……難しいですね。殆ど無理と言っても過言ではないでしょう。あの時はアルド様の立場を気にしましたが、私自身の素直な感情を吐露させてもらうならば、顔も見たくありません」
 ディナントは黙したままだったが、何となく彼の言いたい事が同じだとは察しがついていた。根拠は無いが、彼は間違いなくそう感じている。一度本気で殺し合ったのだから、間違いない。この後にメグナ、ファーカ、ルセルドラグ、トゥイ―二―、オールワークと続いたが、最早特筆すべき事はない。皆答えが同じだから、一々語る必要も無いのである。
 まさか全員から否定されるとは思わず、アルドは何となく笑ってしまった。あまりに危機的状況に陥ると、人は笑いたくなってしまうモノ。嘆くのも馬鹿馬鹿しくなって、ひたすらに一笑するしかないのだ。
「…………お前達がそこまで言うなら、私も強制する気は無い。ただし、無闇やたらに殺すのだけは勘弁してくれ。一応、『皇』との約束だ。私に破らせないでくれ」
「それは、各自了承しております」
「…………そうか。分かった。それではこの話は終わらせるとして……私から一つ、お前達に問いたい事がある」
 いよいよ発言の準備に入って、急に怖くなる。この質問はいわば、後には引き返せない運命の岐路だ。一度言えばもう戻れない。発言を取り消す事も、その発言から生まれた答えも、何もかも。だが尋ねると決心した以上、ここで恐れるのはあまりにも弱すぎる。尋ねなければ前へは進めない。自分は誰に剣を捧げればいいのか分からない。それはアルドにとって何よりも避けなくてはならない事態なので、それと比べれば今の恐怖など、全然何でもない。
「お前達が私をどれだけ慕ってくれているかは先の質問で良く分かった。だが……いいや、まず私は、お前達に謝らなくてはならなそうだ。私は今まで、目的を偽っていた」
「……どういう事ですか?」
 彼女以外は、面白いくらいに動揺していた。
「魔人の下に五大陸を捧げるのが、私の目的ではないという事だ。確かに『皇』にはそう言われたが、私には私で、実現したい事があった。この立場でしか出来ない事なんだが……もったいぶる必要は無いかな。私は――――――この世界を再構築しようと考えている」
 言った。言ってしまった。魔王としては最低級の発言をした。再構築などと言葉を濁しているが、アルドの目的は、あまりにも馬鹿馬鹿しいモノで、民衆達には何百年かかっても受け入れられない目的なのだから。
「要するに…………魔人と人間の共存だ。その環境に順応出来ない人間を排除して、どちらかが反射的に争う事を物理的に防いでな」
 分かりやすく言えば、キリーヤは既存の人類種と魔人種を共存させる為に動いている。何が馬鹿馬鹿しいって、本能の段階から一方の種族が嫌いな存在だって居るのに、それは可能であると信じている点だ。そんな少女を置いていてはあの民衆に何をされるか分かったモノじゃ無いから、アルドは彼女を追放したのだ。
 一方、アルドの共存は、共存に反対な人類種を排除して、争う事を根本から封じる事を目的にしている。だからレギ大陸で救済の選抜をやったのだ。あれはアルドが考えていた計画の、第一歩である。『謠』、剣の執行者、ドロシア等の第三者は、何らかの要因により計画が露呈して、アルドが魔王の座から引きずり落とされた時の為に交流していたに過ぎない(ドロシアは成り行きと言えば成り行きだが)。
 五大陸奪還をすれば、それもやりやすくなる。だからアルドは今まで、この目的を告げる事なく大陸奪還を続けてきた。フェリーテには早々に見抜かれてしまったが、彼女が口にする事は無かった。だって……彼女は、理想ではないとはいえ、部分的に成功している例を知っているから。
「あまりにも極端だとは分かっている。だが、友好的な人間を殺したくない思いがあるのは事実だ。そこに居るダルノア然り、私の弟子然り、一切の人間を排除するのは本意じゃない」
 それでも魔人達が強く望むのなら分からなかったが、アルドはもう剣を捧げていない。ならば魔人達の想いに沿う必要はない。アルドはアルドの叶えたい願いへ向かうだけだ。その願いをわざわざナイツに教えたのは、信頼の証とも言える。
「……それが私の目的だ。これを踏まえて、私はお前達に改めて問おう。こんな私でもお前達はついて来てくれるか?」
 無論、束縛するつもりはない。誰かが嫌だと言えば、直ちにそれはカテドラル・ナイツの任を解かれ、速やかに故郷へ送還される。彼等の意思は何よりも尊重されるべきなのだ。このように情けない王様に仕えるのは骨が折れる、と。そういう人もいるだろうから。
 アルドの真の目的を聞かされて、ナイツ達は暫く各々の思考に問いを投げかけていた。彼等を助けたのは紛れもなくアルドで、誰もがその恩を忘れてはいない。しかしフェリーテを除く全ての者に目的を偽っていた事実は容赦出来ない。彼等は共通して五大陸の奪還のみを伝えられている。嘘は言っていないと言われればそれまでだが、アルドはそこまでの見苦しさを持ち合わせていなかった。いや、仮に持ち合わせていたとしても、彼にこの場でそれを言える程の図太さはない。彼にあるとすれば誰にも気づかれない様に両手を組んで、答えが下されるのを、まるで許しを請う罪人の如く惨めに待つ事くらいなものである。理由の分からない者にしてみれば、その光景は酷く滑稽なモノに見えるだろう。
「…………そろそろ、答えを聞かせてもらいたい」
 一言一言を口から出す度に感じるこの苦痛。蠢く舌を突き刺すような痛みは、きっと幻覚なんかじゃない。自分だって怖いのだ。彼らが、彼女達が何と言うか。あまりにも怖くてたまらないのだ。『邂逅の森』から涙が戻ってきた今のアルドでは、とてもじゃないが耐えられる自信はない。通常の人間よりも精神が頑丈な自信はあるが、最愛の者から罵声の言葉を浴びせられて無事で済む人間が果たしているのだろうか。いたとしても、一部感情が戻り、人間性が戻ってきてしまった今のアルドには無理な事だ。
「アルド様、一つ尋ねても……よろしいですか」
「何だ、ヴァジュラ」
「アルド様は僕達の事を……どう思っていますか?」
 今回はやけに彼女の自己主張が激しい。ファーカは特にその事に違和感を覚えていたが、そこに突っ込むのは野暮として、アルドは上に目線をあげて考え込み、腹を決めた様に言った。
「……俺は、お前達の事を何にも代えがたい親友であると同時に、最愛の者であると思っている。お前達が居なくなったら…………そうだな。どうしようか。もうこの世界に生きる価値は無いから―――」
 そうなったらドロシアとでも世界放浪の旅に出るかもしれない。『邂逅の森』と彼女の魔術を併用して記憶を完全に消し去って、未練を残さないで。一つの世界に囚われずに旅をするのだから、きっと楽しいだろう。まだそれをすると決まった訳では無いが、想像するだけでそちらの方が楽しいのではないかと思えてくる。
 彼/彼女達の存在が、今のアルドを繫ぎ止めている唯一の要素だ、魔王も英雄も、全てはカテドラル・ナイツありきで成り立っている。それが無くなってしまえば、アルド・クウィンツには師匠という側面しか残らない。何も無くならない限りこの冠が捨てられる事は無いが、何も無くなってしまえば何をどうしても英雄はお終いだ。守るべき対象の居ない英雄なんて意味がない。民の無き王に意味なんてない。彼女達の答えが、アルドの運命を分けている。ドロシアは気を利かせてくれているのか姿を現さないが、彼女もきっと、今の自分を何処かで見ていることだろう。
「―――世界の再構築を考えているのは事実だが、お前達の誰一人とも付いてきてくれないのなら…………全部やめよう。何もかも、諦めよう。俺の人生も、この戦いも、今までの苦労も。全部終わりだ。全て私の痕跡を消し去って、もうお終いにする」
 本気の宣言だ。痕跡を消すとは文字通り、何もかもを無かった事にするという行為である。イティスに兄がいた事も、この世界にアルドという存在が居た事も、執行者という存在が表れた事実も。全部。全部。全部全部全部全部。
 …………何だろう。引き返せない発言ばかりしているのに、妙にスッキリした気分だ。涙が戻ってきたせいでこんな事になっているのに、不思議と後悔はしていない。そうなって欲しいとは思っていないが、そうなってくれても、何だか納得してしまいそうである。
 背凭れに掛かって、溜息を吐く。誰の判断も止める気にはならない。そう言ったのならそれまでだ。
「…………僕は、アルド様に付いて行くよ」
「―――一応、理由を聞いても良いか?」
「ぼ、僕だって……居場所ないし。それに、アルド様と出会えなくなるくらいなら、死んだ方がまし」
 それだけの理由。しかしあまりにも素直だった。
「……妾も同じ思いじゃ。そも、妾達は主様の悪い所も知っていて尚、主様に付いてきたのじゃ。目的を偽っていたとしても、それは主様なりに世界を平和に導こうとしての事。誰も怒ってはおらぬよ」
「……私の悪い所を知っている?」
「うむ。妾だけがその役目を果たすのも良いが、せっかくじゃ。ナイツ全員で一つずつ言っていくとしようかの」
 それは一体どういう目的の拷問なのだろうか。アルドの制止も空しく、悪意のない拷問が始まった。
「あ、あらゆる発言を自分に適用しない所」
「危機管理が出来てるのは結構だが、それにしても後ろ向きな思考が多すぎる所だ!」
「言葉足らずな所じゃな」
「作戦が大抵成り行き任せな所ですね」
「…………あまりにも、お人好し過ぎる所でしょうか」
「一人で背負い込む事だん」
「奥手すぎる所かしら」
「………………こ、ロ」
 最後に至っては何を言いたのか良く分からなかったが、皆が皆、つっかかる事もなく短所を言ってきたのは少々意外であると共に、傷ついた。完璧な人間だとは思っていなかったが、そうだとしてもここまで遠慮なく短所を言われると、人はそこを気にしてしまうモノだ。
「良いか主様。醜さも包んでこそ愛なのじゃ。美しい所だけを見るのは恋とも言う。主様はどうやら逆から始まっている様じゃが、普通は恋から始まるモノ。そして妾達は、主様を愛している。主様の弱い所も含めて、皆、主様が大好きなのじゃよ」
 今までのアルドの思考は、全て彼女に筒抜けである。だからだろうが、彼女の一言一言は、アルドの思考していた最悪の結末というモノを、真っ向から吹き飛ばしてくれた。驚いたような表情で彼女を見ると、彼女は扇子で口元を隠して―――また閉じる。笑顔を見せる事を嫌う彼女が、今度は露骨に、これでもかとばかりに笑っていた。男を誘う妖艶なそれとは全く違った、見る者を癒す母の笑顔とでも言えばいいのか。見ているだけで体の力が抜けてくる。
「……これからは、もう少し弱い所を見せてくれても構わないのじゃぞ? 妾はいつもの主様は言うに及ばず、可愛い主様も見ていたいからの」
 揶揄う様に笑う彼女の笑顔と共に、アルドの問答は終了した。ずっと隠してきた事が受け入れられて、彼の心はとても晴れ晴れとしている。最早後ろめたい事は無い。自分はあまりにも周りを見過ぎていた事も、今は素直に認めよう。美点ではなく、非として認めよう。
 こんなにも自分を受け入れてくれる存在を放っているなんて、それは非以外の何者でも無いに決まっている。むしろそれこそが、アルドの持つ罪でもあったと、今では勝手にそう思っている。

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