ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

懸けるは忠義、賭けるは魂

 再び帝城へ戻るにあたって、トゥイ―二―、ダルノア、ヴァジュラの三人が付いてくる事になった。エルアは中に居る存在が何かをしないとも限らないから、置いていった。本人も『俺が悪行以外に出来る事なんかないぞ』とも言っていたし、連れて行く意味はないだろう。あの存在にはエルアの話し相手になってもらうとして、彼女達を連れて行く以上、特にダルノアには、また情けない姿を見せてしまいそうである。彼女は全然気にしないと言ってくれたが、彼女が気にせずとも自分は気にする。幾ら彼女が、『アルドさんは私にしてみればとても魅力的な男性です』とお情けを掛けてくれても、彼女の言葉が真であるのなら、ここまで女性について余裕のない状態にはなっていない。遥か年下の少女にすらお情けを掛けられるなんて、英雄が笑わせる。魔王が笑わせる。アルドは何だか必要以上に自分を惨めに感じた。
 こんな奴が他の男……例えばクリヌスや、カシルマ、何ならカテドラル・ナイツ男性陣と同じ性別で生まれたなど信じられない。男は外面ではないとはアルドの持論だが、それにしても周りにこうも眉目秀麗な存在が居ると、多少なりとも外面を気にするのは当然の理。そしてアルドの外面は、アルドと交流を持つほぼ全ての男性と比較すると、大きく劣化している。こんな奴だからかつて娼館にて誰からも相手にされないという思いを味わう事になったのか。いずれにしても、彼女の言葉は悪戯にアルドの心を傷つけるだけだった。彼女に悪気は無い様だから、怒る気も起きない。
「しかし、本当に説得には応じてくれないんでしょうか。私が説得してみたら……或いは」
「あり得ない。ヴァジュラに、フェリーテに、メグナに。お前は知らんだろうが、いずれもお前以上に人生経験を持つ存在だ。その三人ですら説得できなかったのなら、もう無理という事だ」
 特にフェリーテは、人の心が読める。普段であればその思考から最適な答えを導き出しているのだろうが、それをしても説得できなかったというのならもう無理だ。それこそヴァジュラの『心透冠』でも使わなければ。そしてアルドは、彼女にそれを使わせる気は無かった。曲がりなりにもあれは切札、そう易々と切る訳にはいかないのである。チロチンがせっかく偽の情報を流してくれているのに、容易に切札を出すのはその仕事を無に帰しているも同然なのだから。
「……僕も、あそこには戻りたくない。ユーヴァンが本気で怒る姿も、見たくない。僕は……もっと、平穏に過ごしたいだけなのに」
 ここに本来憎むべき魔人は居ない。居るのは魔王とそれに従う民衆だけ。その様式だけを見れば、そこにあるのはまともな平穏の筈だった。ヴァジュラが何よりも求め、遂に獲得したと思われた、安住の地だった。実際はリスド大陸を攻略した後から徐々におかしくなって、今ではもう見る影もない。ここはもう、自分の求めていた地とは全く別の場所だ。それでも彼女がここに留まっているのは、偏にアルドが居るからだと断言出来る。彼が居なければ……『魂魄縛』で縛らずとも自分の傍に居てくれる、自分を愛してくれる彼が居なければ、自分は何の躊躇いもなくこの大陸を立ち去る自信がある。そして彼の居る場所に赴く自信がある。他のナイツも、同じ思いかは分からない。しかし同じ主に忠誠を誓っているのならば、きっと同じ思いであると信じたい。
 城下町が見えてくると、アルドは露骨に俯いて、その歩幅を狭めた。トゥイー二ーがそれとなく背中を押すが、どうも速度の伸びが悪い。ダルノアもヴァジュラも手伝って、アルドの歩幅はようやく通常に思った。
「大丈夫ですよ。俺が……えっと、ついてますから」
「僕も、ついてる」
「私も居ますから。そう怖がらないでください」
 アルドはただ一言呟いて、それきり押し黙った。「有難う」
 城下町に足を踏み入れた瞬間に空気が変わったのを、素人であるダルノアすらも明確に感じ取った。敵意を含んだ目線とでも言えばいいのだろうか。巻き添え的に自分達も浴びる事になって、三人はアルドの孤独感を微妙に共感する事となった。この気分は、確かに辛い。まるで何百隻の船が砲門を向けながら円を描くように巡回する中、丁度その中心で孤島に立っている様な……殺意と敵意と孤独感は、そんな状態に近い。数分でも同じような視線を浴びたら、ダルノアには狂う自信があった。今は巻き添え的に若干浴びているから、マシに思っているだけだ。
 それにしてもアルドを連れて行く気分は、その視線のせいで罪人を連行しているかのようだった。アルド自身も俯いて、誰とも視線を合わせようとしなかったから、尚もそれらしい。見ていてこっちが悲しくなってくる。既に周りからは見えない様にダルノアがアルドの手を握りしめているが、自分も同じ様にしたら、彼は立ち直ってくれるのだろうか。
 いいや、きっと変わらない。あまりに恋を知らな過ぎる自分が言うのだから信憑性は無いが、もっと、ちゃんとした事をしなければ、彼の心は立ち直ってくれない。今は何らかの原因によって少しは立ち直っているようだが、それでも彼の心の傷は、全然癒えていない。
―――僕に何が出来るんだろう。
 アルドを助けたい。アルドの役に立ちたい。その思いがあったから、カテドラル・ナイツになった。なのに、彼が本当に困ってる時、自分が一体何をしてやれる。フェリーテみたいに心が読める訳じゃない。メグナみたいに積極的な訳でも、ファーカの様な余裕がある訳でもない。自分には……本当に、何が出来る?
 彼の手を掴んだ所で、何も変わらない。目には見えないが、彼が常に流している虚ろな涙を止める事が出来ない。無力だった。ヴァジュラは大切な人間に対してあまりにも無力だった。他人であれば従わせればいい。歯向かうなら人格を殺してやればいい。だが彼には……どうしてやれる。彼にだけは『魂魄縛』も通用しない。ではあの鎖を抜いた自分には何がある?
 答えが出る事は無かった。そのまま城の方まで歩くと、城門の傍らに見覚えのある黒い人影がこちらを見下ろすように佇んでいる。それは扇子を開いて口元を隠すと、そのままゆっくり近づいてきた。
「フェリーテ様ッ」
 トゥイ―二―が姿勢を正すが、今のフェリーテにはそんな彼女の行動など眼中に無かった。彼女が何よりも気にしていたのは……言うまでもない、アルドだ。
「…………主様。まずは謝らせてほしい。妾の心が弱いばかりに……主様の危機に、駆け付ける事が出来なかった」
「……別に良いさ。むしろ人の心が読めてしまうお前の方が辛いだろう。自分を大事にしろ、フェリーテ。私に罵声を浴びせられて私が傷つくのはともかく、お前が傷つくのは見てられない。むしろ、私からも謝らせてくれ」
「何?」
 アルドは徐にフェリーテへと近づくと、素早く彼女の体を抱き寄せた。それから後ろから手を回し、彼女の濡羽色の髪を優しく撫でる。城内で無いから、少なからず民衆の目には留まる事を考えなかったのだろうか。奇跡的にもトゥイーニーが結界を張ってくれて、誰にも見られていないが。
「あ、あ、あ、主様ッ?」
「私のせいで…………お前に辛い思いをさせてしまった。本当に、本当に申し訳ない。私がもっと聡明であれば、お前にこんな辛い思いはさせなかったという…………のに!」
 赤面よりも動揺が先に訪れたのも束の間、アルドはその場で崩れて、彼女の体に顔を埋め泣き出した。この場に居る全員が知る由も無いが、アルドが泣くのはこれで二度目である。しかし一度目の涙は、弟子にのみ見せた師匠としての涙。此度の涙は、魔王としての涙。同じ人物が流した涙と言えど、その中身は全然違う。特にフェリーテは、アルドの涙もろい事に驚いてしまった。
「……主様」
「本当……にッ! 申し訳……………ああ、ない……ごめん…………ごめんッ!」
 途中から口調が変わるのも気にしないで、情けなくアルドは泣き続けた。四人は呆気にとられた様子だったが、あまりにも彼が情けなく泣いているのを見たら、何だか気持ちが、落ち着いてしまった。この時の反応は、決して彼と感情の差異が生まれたからではない。アルドがまるで、子供の様に思えたのだ。だから皆、それをあやす母親の様な気持ちになって、だから冷静になったのだ。
「―――主様。そろそろ顔を上げてはくれんか。妾としても、この状態で泣かれるのは少し恥ずかしい」
「…………………………………………………頑張ろう」
「うむ。偉いぞ」
 フェリーテに頭を撫でられる事を恥ずかしく思っているようだが、その手をアルドが振り払う事は無い。三十分ほど経って、恥ずかしそうに視線を逸らしはするも、口元を過剰に引き締めて涙を気合いで堪えて、また真剣な面持ちに戻った。
「しかし、こう考えてみると主様の弱弱しい姿は、初めて見るの」
「…………出来れば、あまり言わないで欲しいな。今は恥ずかしい」
「泣いたのは主様じゃろう?」
 頃合いを見計らって、彼女も結界を解く。改めて視線を感じるようになったが、アルドは気にしていない。むしろ自分自身でもどうして泣いたのか分からなくて、そちらの方を恥ずかしがっているらしかった。フェリーテが笑っているのもそれを証明する理由の一端となっている。扇子で口元を隠してはいるが、微笑んでいるのはバレバレである。
「して、何の用じゃ」
「尋ねたい事が……ある。全員、私の前に集合してくれ」
 アルドの思考を読み取った彼女は、驚いたような表情を浮かべてから、虚空に姿を消し去った。




 





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