ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

彼女達にとっての主

 エルアとトゥイ―二―から恐怖心が消え去った頃、二人からはいつもの様子が戻ってきた。ヴァジュラの方も、自分の良く知る彼女に戻ったと思われる。いや、何を言っているんだ。戻るも何も、彼女は変化していない。何も無かった。そう何も無かった。あっていい筈が無い。
「それで、どうして大聖堂に?」
「理由は特にない。あるとしたら……まあ」
 どんな顔して戻ればいいか分からなかったというのはあるか。ナイツ達に心配かけてまで姿を消して、その癖勝手に戻ってくるなんて自分には出来ない。いや、ナイツに物事を尋ねる為には戻らなくてはいけないのだが、どうしても一人で行く勇気が無かった。また魔人に罵詈雑言を浴びせられるのだと思うと……何だか、また自己矛盾が起きてしまいそうで。だから城の前に、まずは町で何が起きているのかを知らない存在に会いたかった。オールワークとトゥイ―二―が入れ替わっていたのは驚いたが、そういう事もあるだろう。何にせよ、ダルノアやエルアは、いつもと変わらない様子だ。自分が連れ出すまでは世間の『せ』の字も知らなかったエルアのせいで、ダルノアが少々大人びているように感じる。船の上での彼女を見れば、全くそんな事は無いと分かっているのだが。
 事情を説明した後、トゥイ―二―の両手に力が籠っているのが分かった。
「何だよそれ……町でそんな事が起きてたのもそうだけど、幾ら何でも……」
「いや、それに関しては別にいいんだ。私にも非はあるからな。でも、魔王をやめる訳にはいかない。だから戻ろうと思っているんだが……いきなり戻るのは勇気が無くてな。ここに寄ってきたという訳なんだが」
「……大変だったんですね。アルドさん」
「そのような醜さがあるから俺は魔人も人間も好ましい」
 エルアは話が分からないからか、それとも悪魔なりに宿主に配慮をしたのか。いつの間にか中身が入れ替わっている。自分の知らない内に悪魔にも善性の欠片が生まれたのだろうか。多分、好みの話だったから首を突っ込みに来ただけだろう。交流がある訳じゃないが、あの存在はそういう存在である。一方のダルノアは、事情こそ理解出来ずとも自己投影をしてしまったらしい。唇を噛み締めて、そのまま俯いた。隣ではヴァジュラが、やはり腹立たしく思っているのか、アルドの袖を掴んで震えている。自分以上に周りが怒っていると思うと、何だか民衆に申し訳なさが出てきた。これは本来、自分と民衆の間だけで解決すべき問題。なのに、これではまるでナイツに解決を丸投げしている様な気がしてならない。気のせいだろうか、それとも自分が背負い込み過ぎているだけ?
「お前達に迷惑を掛けるつもりは無い。暫くしたら俺は行くよ。本当にただ、お前達の顔が見たかっただけなんだ」
 ここはアルドにとっての聖域だ。どんな疲れも、ここに足を運べば全てが洗い落とされる……のならば良かったのだが、執行者にすら断ち切れない呪いがその程度の事で解消されたらどんなに楽か。しかし気分自体は樂になる。特にエルアは純粋に元気なので、見ていると力が湧いてくるような気がする。気がするだけ、それだけと言ってはいけない。それだけでもアルドを動かすには十分すぎるのだから。
「……ああ、そういえば。ダルノア。そろそろ答えは出せるか? 五大陸を出て行くか否か。この後の予定を考慮すると、答えを出してくれたら助かったりするんだが」
「あ―――」
 瞬間的に少女の顔が赤面。体温が実際に噴火でもしたのか、少女の頭の方から煙が噴いている様な気がした。
「忘れて……ました」
「―――おい」
「ごめんなさい。ここに居るのが、とても心地よかったから」
 何と言われようと彼女を仲間として引き入れる気は無い。今のアルドにそんな余裕は無いのだ。それにアルドの仲間になるという事は、それなりに彼女も危険な目に遭わせるという事。ダルノアとの接点は奴隷時代の二年間しかないが、それでもあの空虚な時代を共に過ごした彼女の事は、たとえ些細だったとしても面倒事には巻き込みたくない。記憶を失った事で英雄ですら無くなっていた自分と交流してくれた数少ない人物だ。彼女の事は例外的に、とても大切に想っている。答え次第だが、出来れば殺したくはない。
「アルド酷いよッ。ノアちゃんを追い出すなんて!」
「え、いや別に追い出すって訳じゃ……ここじゃダルノアを安全に出来ないから、別の場所に移動して欲しいってだけだ。お前は今までどおり彼女と遊べるし、会えなくなるなんて事はない。安心しろ」
 ただし彼女が五大陸を出て、ジバルに移ってくれた場合に限る。そうでない限りは、たとえ彼女であろうと殺すと心に決めている。それが魔王としての務めだろう。中途半端であってはいけない。助けるならどんな事があっても助ける。殺すならどんな事情があっても、誰に何と言われようと殺す。魔王ならば二極した判断くらい、はっきりしなければ。
「少し、聞いても良いですか」
「何だ」
「アルドさんは私の事、どう思っていますか?」
 これまた妙な質問だが、仮にも女性であるダルノアから放たれた質問だ。いい加減に答える様な度胸は無い。ただでさえ女性の扱い方に慣れていないアルドには、ふざけるという選択肢はそれこそ真面目に取り組むよりも難関な所業である。なのでいつもと変わらず、真面目に答えるとしよう。
「友人として、この上なく大切な人物だと思っている。女性としては…………魅力的だと思っているが、年齢がちょっとな」
 以前も言ったが、彼女が自分に生きていて欲しいと思ってくれるのなら、それだけでアルドからすれば生きる理由になる。女性と見ようと見まいと、アルドにとって彼女がどんなにか大切な存在である事に代わりは無い。自分が無価値だった時代を知る唯一の者にして、決して自分を嫌わずに居てくれた唯一の人物なのだから。
 ダルノアはかなり考え込んでいる様だった。彼女の今後を決める選択だから、好きに時間を掛ければいい。今まで忘れていたとしても、怒るなんて事はしない。どちらを選んでも、アルドは彼女の判断を尊重しよう。
「私は………………五大陸から、出て行きたいと思います」
「一応、理由を聞いておこうか」
 ダルノアは小さく頷いてから、ゆっくりと話し出した。
「私も、アルドさんの事はとても好きです。あんな所に居て、一体どんな目に遭うんだろうと思っていたのに、貴方のお蔭でそれなりに楽しい数年が過ごせました。だから……その、お礼がしたいんです。あの時のお礼が。だからジバルがどんな国かは分かりませんけど、私は学びたいと思います。アルドさんが笑顔になってくれるような何かを」
 それは彼女の心から吐き出された本音。出会えて数少ない異性ことアルドへの、無上の感謝が込められていた。そこには肉欲に塗れた愛も、利益を狙う合理性も存在しない。彼女が出会ったアルド・クウィンツという男は、外見に限った話でも無いが、大半を下回っているのだ。二年を過ごした仲とはいえ、そんな自分に肉欲の混じる愛を抱くなんてあり得ない。
 ナイツを馬鹿にしているようにも聞こえるが、正確には馬鹿にしているのは自分だけだ。それにナイツとダルノアでは決定的に違う点が一つある。
 本気で殺し合ったか否か。
 カテドラル・ナイツの誰しもが、一度はアルドと本気の殺し合いを繰り広げている。その果てに通ずるモノがあったからこそ、彼/彼女達は自分を愛してくれるのであり、だからこそ自分も彼/彼女達を愛している。だがダルノアにはそれがない。あの空虚な時代を共に過ごしてくれた仲とはいえ、それでは男女の関係には成り得ない。精々、親友がいい所である。今の彼女が抱いている感謝が正にそれで、この瞬間。彼女と自分は親友になったのだなとアルドは感じた。そして改めて、彼女のこれからの人生に多くの幸が訪れる事を願った。
 慣れない笑顔で返してから、アルドは彼女の頭をそっと撫でる。
「…………そうか。私はお前の判断を尊重しよう」
「はい。今の笑顔が自然に出てくれるまで、頑張りたいと思います」
 人間の寿命は精々百年が良い所。その間に彼女が作れるかは怪しかったが、溢れ出す自信と共にそう言ってくれるのだ。期待しなければ彼女に悪い。
「では待っていよう。いつまでもな」
 撫でる方が気持ち良かったので、暫く彼女の頭を撫で続けた後、アルドは今度、トゥイ―二―とヴァジュラに視線を向けた。二人は何かを察し、発言の先手をアルドに譲ってきた。お蔭で先に言ってしまおうかと考えたが、こういう言葉はナイツ全体に向けて言った方が手っ取り早いし、魔王らしい。
「ねえ、アルドッ! ノアちゃんはどうなるの?」
「別の場所に行くだけだ。ここではもう遊べないが、遊びたいんだったら連れて行ってやるよ」
「本当ッ? 約束してくれる?」
「ああ。せっかく外に出たんだ。楽しまなきゃ損だろう」
 あの村からようやく解放されたのだから、彼女には思う存分に外を楽しんでもらいたい。悪魔と共に居るのが不安だが、悪魔も飽くまで娯楽は好きな筈。宿主を妨害するような事はしないと信じている。発言を肯定された彼女は、嬉しくなってアルドに抱き付こうとした。しかしアルドの方へ回り込んだ時、少女の両手を奇妙な鎖が絡めとった。犯人は言うまでもない。
「……エルア。アルド様に抱き付かない方がいいよ。血で汚くなる」
 アルドの周辺で鎖を自由に操作する魔人は一人しか居ない。『狼』の魔人、ヴァジュラしか。彼女に制止されたエルアは頬を膨らませて不満げにしていたが、妥協案とばかりに彼女はヴァジュラの方に抱き付いて、その豊満な胸に顔を埋めた。
「ヴァジュラだったら血はつかないよねッ?」
「…………! そ、そうだね。僕で良いのなら……別に構わない、けれど」
 何となくエルアが羨ましく思えてしまったが、これはきっと幻覚に違いない。疲労が溜まっていて正常な判断が鈍っているからに違いない。そうでなければ、こんな下衆な考えを働かせる筈がないのだ。自分の事を聖人君子と呼ぶまでは無いが、それくらいの理性はあると思っている。
「……コホン」
 暫く離れそうもないので、二人は一旦放っておき、アルドは二人へと視線を向けた。
「……それはそうと、お願いがある。情けない王の頼みだと思って、城下町まで同行してくれ。あの街を一人で歩く自信は、今の私には無い」
 弱みを曝け出す事は、信頼に繋がる。二人の返事は間もなく返ってきた。





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