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ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

この剣を捧げるは

 取り敢えず、アルドは一人で城……ではなく、リスド大聖堂へ向かう事にした。恐らく、まだエルアとダルノアが居る。彼女達の世話があるから、オールワークも居るだろう。ツェート達は……もう旅立っていると思う。彼は飽くまで大陸の安定化に付き合っていただけで、自分達の仲間になった訳ではない。彼等と交流出来なくなるのは少しだけ寂しいが、それでもまだ三人は居る。幾ら執行者と言えど、狙う意味が薄かった大聖堂に被害は皆無だろうから、彼女達だけは唯一、何ら変わりなく自分と接してくれることだろう。オールワークも、フェリーテが警告さえしていれば、何も事情を知らない筈だ。まあどちらにしても、アルドは少しだけ気持ちを安らげに行くだけだ。まだまだ世界の闇なんて知らない二人の少女と触れ合って、少しでもこの情けない気持ちを何とか奮い立たせようと試みようとしているだけだ。彼女達さえ変わっていないのなら、もう何でもいい。
 あんな罵倒を浴びせられてすっかり精神が参ってしまったせいか、アルドは『謠』から剣の執行者の詳細な事情を聞き忘れていた。そして『謠』は、アルド達に付いてくる訳でもなく、引き続き彼女達の監視に戻ってしまった。呼べば来るだろうが、だとするならば今聞く必要は無い。本当に暇な時にでも聞けばそれで済む事だ。
―――本当に、駄目な男だ。
 弟子にまで慰められてしまって、次から自分は一体どんな顔をすればいいのか。彼女のお蔭で涙は止まってくれたが、ナイツにそれを悟られない筈がない。勝手に消えた時点で心配されているだろうに、その上で泣いてしまおうものなら、いよいよ自分は面子が保てない。これだから王様としての資質が無いのだろう。こんな威厳の無い王様だから、民衆も罵詈雑言を浴びせてくるのだ。
 大聖堂に行くにあたってドロシアは部外者になるので、彼女には一旦家に帰ってもらった。彼女と一緒に居ると変な誤解が生まれかねないのもあるが、本当に物分かりが良くて出来た弟子だ。あんな女性が自分の弟子何て、拾った側が言うのはおかしな話だが、実に不思議である。
「……アルド、様ッ」
 不意にそんな声が聞こえたが、執行者に負わされた傷は未だ回復中だ。その時にまさか柔らかい塊がのしかかってくるとも思わず、声の方向を振り向いた瞬間、アルドの全身が悲鳴を上げた。塞がれつつあった傷口は開き、彼女の服にまで付着してしまう。
 一方の彼女は、そんな些細な事など気にした様子もない。力強くこちらを抱きしめて、何度も目を瞬かせていた。
「ヴァジュラ…………?」
 移動にはドロシアに力を貸してもらった。まずこんな所に居るとはフェリーテ以外に考えもつかない筈だが、良く考えてみれば彼女は『狼』の魔人だ。そして今の自分は、多量出血により意識も多少薄くなっている。これ程に血が出ていれば、嗅覚の鋭い『狼』は容易く追跡出来るだろう。これはうっかりしていた。心配を掛けたくないから姿を消したつもりだったのだが。
「その―――大丈夫ですか。あんな言葉、気にしなくて……いいですから」
「―――そういう訳にもいかないだろう。それといい加減離れてくれ。お前の胸に顔を挟まれて、正気で居られる自信がない」
 あまりにも量感のある胸は、アルドの呼吸すら阻害して、かなり苦しいモノにさせている。別に呼吸をせずとも生存出来るから関係は無いのだが、だからこそ冷静に思考してしまって、彼女の胸部の柔らかさを本能的に堪能する事になってしまう。服越しなのに、何て彼女の胸は柔らかく大きいのだろうかと、そんな事を考えてしまう。
 少なくとも正気で居る内に離れてもらいたかったのだが、ヴァジュラは首を振って、更にこちらを抱きしめた。
「ちょ……ヴァジュラッ?」
「い、嫌です。今離したら、アルド様が何処かに……行っちゃいそうで」
「いや。いやいやいや! 頼む、離れてくれ。幾ら私と言えど、こんな状況ではお前を襲ってしまうかもしれない」
「……だったら、襲って下さい。アルド様を失うくらい……なら、僕を滅茶苦茶にしても良いですから、その、繋がっていたい……んですッ」
 ヴァジュラは本気の様だった。どうやって体を動かしても、器用に彼女が絡めとってしまって硬直する。自由に動けるのは両腕だけだが、今の状態を変化させるとなると、アルドは彼女の胸を少なからず鷲掴みにする事になる。そして……その柔らかさに理性が外れて、そのまま揉みしだいてしまうかもしれない。
 不味い。それは不味い。魔人に対する示しとか、そういう問題とは全く別の問題が起きてしまう。まだ全ての大陸を奪還した訳でもないのに、ここで彼女と情事に及ぶなんて……あまりにも破廉恥だ。
「…………分かった。分かった、分かった。離れない。私はお前から決して離れない事を約束しよう。今だって大聖堂に向かおうとしていただけで、お前の前から姿を消そうとは、全く微塵も思っていない」
 フェリーテ程ではないが、動物的感覚により、ヴァジュラも大概嘘には敏感だ。しかし前述の想いは嘘では無く、大聖堂へ寄った後は、改めて城に戻りナイツ達に問おうと思っていた。執行者関連の話でいつの間にか先送りにしていた問題を。
 この剣は―――一体誰に捧げるべきなのかを。
 無論、『皇』との約束は何があっても守る。魔人の為に大陸を奪還し、魔人の為に魔王を務める。どれだけ罵倒されようとも、この約束を破れば彼女を裏切った事になるのだ。純粋に自分を愛してくれた彼女に、そんな仕打ちは出来ない。それはともかくとして、この剣は一体誰に捧げればいいのか。その事を、アルドはずっと先送りにしていた。
 魔人に仕える形で魔王となっている訳だから、普通に考えれば魔人に剣を捧げるべきである。が、あそこまで言われてしまっては、自分も一体何の為に戦っているのか分からなくなってしまった。まるで王様に裏切られた時と同じように、また分からなくなってしまった。
 だからアルドは、もう魔人に剣は捧げない。必要としてくれる以上は力になるが、どれだけ手を差し伸べても刃物しか出してこない存在に、尚も愛を向ける余裕はもうないのだ。今回の戦いを通じて、心からの罵詈雑言を浴びて、良く分かった。どれだけ尽くしても、理解してくれない存在がいる事に。『皇』の生きていた頃は優しかった筈だが、あれはどうやら夢幻であったと、今さっき、ようやくそう思えるようになってきた。語弊の無いように言えば、彼女が生きていたから皆が愛想よくしていただけ。たとえ何を捨てていたとしても、魔人はアルドなんて認めていなかった。そう思っていたのは自分だけだった。
 民の想いも理解出来ずに魔王などとは笑わせる。人はこんな状態を滑稽と呼ぶが、だとするならばアルドは、差し詰め道化の王と言った所か。実に面白い話だ。面白さのあまり涙が―――いや、抑えろ。今は彼女の目の前だ。
「……本当、ですか?」
「嘘は吐かない。だから少しだけ離れてくれ。こんな所でまぐわったら、まるで無理やり襲っているみたいじゃないか。そんなの……俺は、嫌だ。お前達とは何の後腐れも無く……うん……その…………あい―――そう。愛し合いたい。だからどいてくれ。俺の手が胸を掴む前に」
「―――そう。分かりました」
 説得の通じる存在で良かった。ようやく視界が彼女の谷間から解放されると、こちらを見て微笑む彼女の顔が、不思議と色気を纏っている様な、より近い言い方をすれば淫靡な雰囲気が醸されていた。己の理性の強さには感謝しなければならない。まともな精神であれば、先程の発言と一転して、この場で彼女の全身を貪り食っていた事だろう。
「し、信じてます。から。鎖は付けません」
「……分かってる。有難う」
 上体を起こしてから、先程のお返しとばかりに今度はアルドが抱き締めた。離れろと言われた手前、アルドの行動は彼女にとって予想外だった。全身の筋肉を硬直させて、その抱擁を受け入れる。
「ア、アルド様ッ?」
「……本当に感謝している。こんな私を心配してここまで来てくれたんだろう。大丈夫だ。この戦いにお前達を巻き込んだのは俺であり、お前達は俺にとって大切な存在だ。そんなお前達を残して何処かにいこうとは思わない。自分勝手に姿を消した俺の言葉なんて信じられないかもしれないが―――」
「信じてるッ!」
 そんな彼女の笑顔を見たのは、実に何年ぶりだろうか。激しく尻尾を揺らしながら、ヴァジュラは涙を流して笑っていた。どうして泣いているのかとは尋ねない。理由なんて分かり切っている。自分の事ばかり考えていたから今まで分からなかったが、あの罵詈雑言を浴びて傷ついたのはアルドだけじゃない。むしろそれ以上に、自分を慕ってくれるカテドラル・ナイツが傷ついている。彼女が泣いているのも、二人きりになって感情の枷が外れてしまったからに違いない。
「……そうか。だったら一つお願いがある。俺の為と思って、聞いてくれないか」
「何ですか?」
「そんな顔なんてやめて、笑って欲しい。やっぱり俺は泣いているお前よりも、いつも隣で笑顔を浮かべてくれるお前の方が―――ああ、駄目だ。恥ずかしくなってきた。ともかく、泣くのはやめてくれ。俺―――じゃない、そろそろ私も、従来の目的通り大聖堂に行きたいからな」
 生物の限界を超えて、アルド・クウィンツは死の執行者を打倒した。そこにはアルドにとって、何十万人の死よりも重い犠牲があったが、それを経ても尚、この恋愛下手は直らないようだった。


























 リスド大砂漠に入ってからは、ヴァジュラと手を繋ぐ事になった。一時は腕を組んでいたが、彼女があまりにも体を寄せてくるから、柔らかさが直に伝わってきてまともに思考出来なかった。かと言って離れると彼女を悲しませてしまうので、折衷案として手を繋いでいるのである。大砂漠の特性により大聖堂は見えていないが、彼女の嗅覚さえあれば問題なく辿り着ける。わざわざ以前の様に斬撃を飛ばして線路を作る必要は無い。
「あ、アルド様。一つ尋ねても、宜しいですか?」
「ん?」
「僕は……アルド様を認めない魔人の事が、大嫌いです。どうしたら好きになれるんでしょうか」
 また何か恋愛方面で言われるのではとひやひやしたが、思った以上に深刻な質問に、アルドは己の想像力を恥じた。自分を認めない魔人が大嫌い、か。カテドラル・ナイツに共通する感情と思っても良いのだろうか。確かにアルドが出会った時、ナイツ達は例外なく家族に……時に友人にすら見放されていた。特に群れとして動く事の多い『狼』ではその傾向は強く、ヴァジュラに至っては『狼』の誰しもが助けようとはしていなかった。彼女をカテドラル・ナイツとして連れて行ったのは、表面上は只の勧誘だが、彼女の家族に対しては、嫁に貰うとの発言をしてアルドは彼女を連れてきている。最初から救う事を諦めていた家族に、これから彼女を守っていけるとは思っていなかったから。
 そんな理由もあるし、最初から大好きになれという方が難しいだろう。今回の様に、自分の大好きな存在が種族こそ違えど魔人の民衆に罵詈雑言を浴びせられたのなら、大嫌いと思っても仕方ない。アルドだって、妹が同期達から罵倒されていたら、その同期の事を嫌悪していただろうから(実際に罵倒も嫌悪もされていたのは他でもないアルドだが)。
「……万人を好きになるなんて無理だからな。今回の魔人、そして前回の人間達の様に、こちらの好意が一方的になってしまう場合もあるから、何も好きになる必要は無い。お前が好きな存在だけ愛してやればいい。万人を愛さねばならない英雄だった者が言うのも、おかしな話だけどな」
 戦うべき理由を見失った今、アルドを魔王として繫ぎ止めている理由は『皇』……リシャとの約束しか残っていない。魔人の事は…………忠告もされていたし、予想も出来ていた。実際に言われると傷ついてしまったが、今思えばそれ程嫌っている訳じゃない。魔人もそういう民度であると、そう割り切りつつある。
「じゃあ僕は……僕達は、民衆の味方をする必要は、無いんですね?」
「それはお前達に任せる。が、今の所は事を荒立てないで欲しいな。今度こそ処刑などと騒がれた日には、もうどうしようもない」
 一度嘆息してから顔を上げると、目の前には変わらぬ風貌で佇むリスド大聖堂が、主の帰還を待ちわびた様子で扉を半開きにしていた。砂塵が入る事など、お構いなしである。


















「戻ったぞ!」



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