ワルフラーン ~廃れし神話
最期まで潜んでいた恐怖
「…………ぃ。ぇい。先生ッ!」
揺さぶられる体の感覚。聞こえるのは懐かしくも愛おしい少女の声。腕も体もまだ動く。何とか体を固定して腕を持ち上げる。
「先生……?」
目が開かない。開き方を忘れてしまったかの様だ。手を無造作に動かすと、きめ細やかな、それでいて柔らかい物体に当たった。この感触は…………肉だ。もっと言えば、頬に近い。もう片方の手で反対側を触れてみると、また柔らかい。下の方がかなり硬いので、恐らく顎から頬にかけてを触っていると思われる。
目の開き方を思い出す頃には、顔の輪郭から既にドロシアだと判明していた。ゆっくりと目を開いて、改めて彼女の存在を確認する。ああ、間違いない。ボロボロのコートに、その下に隠れている胸部を隠す下着じみた服装(本当にこの服の正式名称は何なのだろうか)。そこにだらしなく舌を垂らす異形の帽子まで来れば、確実に彼女である。アルド・クウィンツが弟子として引き取り、あらゆる事を教え込んだ存在だ。
「先生ッ!」
こちらの意識が明確に目覚めた事を悟った彼女が、有無を言わさずアルドの身体を抱きしめた。本当は驚いて突き飛ばそうとしたのだが、なにぶん動きが早すぎて、アルドの手が引っ込む頃には彼女は既に懐へ。本意では無かったが、抱きしめ返すような形となってしまった。そんな事とは知らぬドロシアはほんのり頬を染めて、抱擁を維持する。
「……死の執行者は、どうなった」
「死んだみたい。『喰殱』に焼かれて、跡形もなかった」
手に改めて力を込めてみるが、もう焔が出る事は無かった。先程まで外套を喰らっていた焔も、今は見る影もなく消え去っている。あの力が使える事は未来永劫無いだろう。あれは彼が自分に託してくれた最後の力、言うなれば『勝利』の権能。この戦いの限りで発揮される力であり、それ以外の場所では決して発揮する事も出来ない。少し名残惜しくはあったが、無くてもいい。自分は元々、剣を振るう事しか能のない人間だ。そんな人間が過ぎた力を手にしても、碌な事にはならない。彼の力は彼の下へ。全能は自分には遠すぎる。『殱獄』が残っただけでも良しとしようじゃないか。真理剣の代わりになるかは怪しいが、その代わりに死の執行者を打倒し、ドロシアと再会できたのだ。得たものと失ったモノを天秤に掛ければ、やはり判断は間違っていなかった。悔いはない。
「先生、怪我はない? 大丈夫?」
「俺……私は大丈夫だ。お前こそ、相当数の魔術を浴びた様だが―――そのコート、対魔術では済まされない耐性だな」
それ自体が破損していないだけならばいざ知らず、それを着用する本人に傷一つ見当たらないとは凄まじい。出来ればその下の肌も守ってもらいたいが、どうやら外見的な防御力は無い様だ。それ以前に今は離れて欲しいが。
こんな事を言うとまるで意識している様な言い方だが、彼女とこうして抱擁し続けているという事は、彼女の全身を味わい続けているという事である。ファーカとやった時もそうだったが、これが中々煩悩を刺激する。もしもこれが、著しく体型に問題のある存在ならばこんな事は欠片も思考しなかった。だが、ナイツに限らずドロシアも大概美人なので、身体に感じる感触は、中々どうして気持ちが良い。規格外とまではいかないまでも、程よく実った双丘は、むしろ規格外以上にこちらの感情を…………待て待て待て! これ以上思考すると暴走する。一旦落ち着こうではないか。
彼女に限らず、アルドの弟子は飽くまで保護する上での『便宜上』であり、真の意味で弟子という訳ではない。クリヌスだけは……恐らく真の意味だろうが。それ故、ドロシアを異性として全く意識していない訳ではなく、むしろナイツ女性陣と同じくらい女性としては意識しているのだが……だとしても、時と場合がある。デート然り、きちんとその辺りが作られているのなら、自分も行動の一つや二つは起こすが、そうでない場合は全く起こせないし起こさない。単純にどうしていいか分からないし、何より彼女を傷つけてしまった際にどうやって挽回すればいいのか分からないのだ。その他にも大体三〇個程問題はあるが、それらを全て解決して事に及ぶよりは、この場を耐え凌ぐ方が簡単に決まっている。これは自分が初心である故の思考かもしれないが、それでもいい。初心でもいい。とにかく、邪な考えは一旦捨てるべきだ。戦いは終わったが、世界争奪戦は集結していない。きちんとリスド大陸に帰るまでが戦である。
どうにかして煩悩を抑え込んだアルドは、何とか立ち上がり、闘技街へ向けて歩き出そうとした―――が、よろめいて倒れかける。ドロシアが抱き留めてくれなければ、それはそれは無様な姿を晒しただろう。
「有難う……さっきはああ言ったが、全然大丈夫じゃなさそうだ。肩を貸してくれるか?」
「言われなくてもそうするよ。先生もう……限界じゃない」
「限界なものか。少なくとも私は、大陸を奪還するまで死ぬ気はない。お前を一人ぼっちにする訳にもいかないからな」
彼女が唯一全幅の信頼を持っているのは自分をおいて他におらず、またこれからも増える事は無いらしい。その一途さは有難いが、アルドという一点を失った場合の事が何も考えられていないのは不安だ。とはいえアルドは、個人の意思は出来る限り尊重されるべきだと考えているので、彼女の感情を捻じ曲げようとは思っていない。単純に自分を好きでいてくれるのは有難いし、その思いがある限り、それは自分の生きる理由になる。
死の執行者が逃亡と同時にばら撒いた魔術が原因だろう。足元から闘技街の周囲に至るまで著しく地形が変化しており、心なしか距離が遠く感じる。あちらの世界に逃げ込んだ彼らもまだ帰って来ないのが不安だが、執行者が二人と『 』が居て、何よりもカテドラル・ナイツが居るのだ。自分程苦戦するような事は無いだろう。何だか戦闘中も同じことを考えた気がするが、大丈夫だ。信じろ。カテドラル・ナイツも信じられないようならアルド・クウィンツは今すぐにでも魔王をやめるべきだ。彼等を選んだのは自分であり、彼等を愛すると決めたのは自分。彼等を疑うなんて出来ない。その信用に欠片の曇りもあってはいけない。
―――私の事など、気にする必要は無いからな。
第三切札の代償は全てアルドが支払う事になっている。その思惑は何の気兼ねも無く切札を使って欲しいという善意であり、一度使ってさえくれれば『執行者』と言えど……特にファーカとルセルドラグは、無事では済まなくなる。自分の事などどうか気にしないで使って欲しい。疲労が少し増えるだけなのだから。
「先生、こんな所で気を失わないでね。あともう少しだから……落ち着ける場所に辿り着けたら、絶対に何とかしてみせるから!」
「…………大丈夫だ。お前が傍に居てくれるだけでも、少しは和らぐ」
本当に僅かな差だが、何もないよりはマシである。二人が闘技街の入り口を潜ると、案の定、町の中でも地面が変形していた。ささくれの様に突き出た石が時々邪魔をしてくるが、それにもめげずに歩き続けると、ようやく別世界との正規の入り口―――中心の広場に辿り着いた。
アルドは傍らの彼女に頼み込み、入り口を真正面に見据える形で座らせてもらった。
「私はここで待っている。お前には申し訳ないが、リーナを探してくれ。『鼷』の魔人だ」
「え。いいけど、それじゃあっちの世界に行った人達が……」
「執行者も居るんだ。不正に移動してくるんだったらもうしているだろうし、正規の方法を使うんだったら私の前に現れるだろう。一番避けなければならないのは、あちらの世界にある真理から生み出された死の執行者が、こちらの世界に現れてしまう事だ。もう私に戦う気力は無いから、一度そうなれば悪戯に被害が広がってしまう。分かってくれ」
だらしなく足を延ばしつつ見上げると、ドロシアは少し考えた様子で瞳を揺らしてから、同じ様に座り込んで視線を合わせる。互いの視線が交錯して数秒、不意にドロシアが近づき、アルドの唇に軽くキスをした。仮に嫌だったとしても、それを拒む気力はアルドにはない。どちらにしても受け入れる他なかった。
「行ってくるから、先生。何かあっても無茶しないで」
「分かった。さっさと行ってこい」
こちらとしても死ぬつもりは毛頭ない。大陸奪還すら為せぬまま死んでしまったら、自分は『皇』や彼にどんな顔して会えばいいか分からなくなってしまう。駆け足で曲がり角の奥に消える少女を見送ってから、ぼんやりと視線を正面に戻した。
彼らの姿が見えたのは、その時だった。
「アルド様ッ!」
アルドが声を掛けるよりも早く駆け寄ってきた人物は、チロチン。次いでファーカ、ディナント、ルセルドラグ、ユーヴァン、『謠』、『 』。殆ど誤差と言っても差し支えない速度で、いずれの人物にもアルドは速度で劣っている。
「お怪我はありませんか? その様子は一体ッ?」
「ああ、それ―――うおッ」
彼の問いに答えようとした直後、耐えかねた様子のファーカが、勢いなど全く考慮しないまま突っ込んできた。すかさず受け止めたので彼女に被害は無いが、少し背中が痛くなった。上目遣いに見る彼女の瞳には、大粒の涙が宿っている。
「アルド様……本当に、本当にご無事で…………! ご無事で何よりです……!」
「ずっと気にしてたもんなあ! アルド様の事をッ」
「黙りなさいユーヴァン! 私は隔離されて、本当にアルド様の安否を……ううッ。ぐすッ」
「これだから空気の読めぬ『竜』は困るなん。アルド様」
言われずとも分かっている。彼女の顔が埋まる様に抱き寄せると、ファーカは『落葉』すら離して、ひたすらにアルドを抱きしめた。その胸の中に顔を埋めて、わんわんと泣き出した。感情の枷が外れてしまったのだろうか。アルドの服に呑まれて小さくなったファーカの泣き声は、それから数十分以上も継続した。
泣き止んだ彼女は顔を上げたが、泣き腫らした痕が残っている。美しい顔が台無しだ。
「大丈夫か?」
「……見苦しい姿をお見せしました」
「気にしない。お前が私に心を許してくれた時も、こんな感じだったような覚えがあるからな。私としてはむしろ、懐かしい気持ちを覚えたよ」
チロチンの方を見ると、彼は直ぐに決まりの悪そうな顔で目線を逸らした。
「それで……えーと。『謠』。剣の執行者はどうした。まさか死んだのか?」
「ううん、死んだ訳じゃないんだけど……壊れたって言うか、気が狂ったというか」
要領を得ない言い方に、アルドは怪訝な様子で首を傾げる。文面通りに受け取れば、彼は精神攻撃を喰らった事になるのだろうが、あの執行者が精神攻撃如きにやられるとは思えない。何かを遠回しにしていると思って良いだろう。
「まあ、後で話すよ。今は目先の問題をどうにかしないとね」
「目先の問題?」
それは一体―――アルドがそう尋ねようとした直後。虚空から霞む程の速度で男性が弾き出され、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。あの速度に生物が耐えられる道理はなく、男の四肢は見事に飛び散ったが、それと同時に姿を消した。男が弾き出された空間からは、見覚えのある少女が、これまた見覚えのある人物を魔法陣の中に閉じ込めて、飛び出してきた。
「ドロシアッ?」
「り、リーナッ?」
彼女が理由もなく人を傷つけるとは思わない。それでも吹き飛ばしたのは、きっとそうせざるを得ない理由があったからだ。その理由に見当はつかなかったが、閉じ込められている少女が尋常ではない震え方で蹲っているのを見たら、直ぐに分かってしまった。この時が来るまで潜伏しているとは驚いたが、先程の男がきっと―――彼女に付き纏う存在に違いない。
「む? ……おかしいな」
「『 』。何か気になる事があるのか?」
「うむ。先程の男、お前の下へ行く前に切り捨てた筈なんだがな。五体満足で再登場とは、不可思議な事もあるものだ」
……何だと?
揺さぶられる体の感覚。聞こえるのは懐かしくも愛おしい少女の声。腕も体もまだ動く。何とか体を固定して腕を持ち上げる。
「先生……?」
目が開かない。開き方を忘れてしまったかの様だ。手を無造作に動かすと、きめ細やかな、それでいて柔らかい物体に当たった。この感触は…………肉だ。もっと言えば、頬に近い。もう片方の手で反対側を触れてみると、また柔らかい。下の方がかなり硬いので、恐らく顎から頬にかけてを触っていると思われる。
目の開き方を思い出す頃には、顔の輪郭から既にドロシアだと判明していた。ゆっくりと目を開いて、改めて彼女の存在を確認する。ああ、間違いない。ボロボロのコートに、その下に隠れている胸部を隠す下着じみた服装(本当にこの服の正式名称は何なのだろうか)。そこにだらしなく舌を垂らす異形の帽子まで来れば、確実に彼女である。アルド・クウィンツが弟子として引き取り、あらゆる事を教え込んだ存在だ。
「先生ッ!」
こちらの意識が明確に目覚めた事を悟った彼女が、有無を言わさずアルドの身体を抱きしめた。本当は驚いて突き飛ばそうとしたのだが、なにぶん動きが早すぎて、アルドの手が引っ込む頃には彼女は既に懐へ。本意では無かったが、抱きしめ返すような形となってしまった。そんな事とは知らぬドロシアはほんのり頬を染めて、抱擁を維持する。
「……死の執行者は、どうなった」
「死んだみたい。『喰殱』に焼かれて、跡形もなかった」
手に改めて力を込めてみるが、もう焔が出る事は無かった。先程まで外套を喰らっていた焔も、今は見る影もなく消え去っている。あの力が使える事は未来永劫無いだろう。あれは彼が自分に託してくれた最後の力、言うなれば『勝利』の権能。この戦いの限りで発揮される力であり、それ以外の場所では決して発揮する事も出来ない。少し名残惜しくはあったが、無くてもいい。自分は元々、剣を振るう事しか能のない人間だ。そんな人間が過ぎた力を手にしても、碌な事にはならない。彼の力は彼の下へ。全能は自分には遠すぎる。『殱獄』が残っただけでも良しとしようじゃないか。真理剣の代わりになるかは怪しいが、その代わりに死の執行者を打倒し、ドロシアと再会できたのだ。得たものと失ったモノを天秤に掛ければ、やはり判断は間違っていなかった。悔いはない。
「先生、怪我はない? 大丈夫?」
「俺……私は大丈夫だ。お前こそ、相当数の魔術を浴びた様だが―――そのコート、対魔術では済まされない耐性だな」
それ自体が破損していないだけならばいざ知らず、それを着用する本人に傷一つ見当たらないとは凄まじい。出来ればその下の肌も守ってもらいたいが、どうやら外見的な防御力は無い様だ。それ以前に今は離れて欲しいが。
こんな事を言うとまるで意識している様な言い方だが、彼女とこうして抱擁し続けているという事は、彼女の全身を味わい続けているという事である。ファーカとやった時もそうだったが、これが中々煩悩を刺激する。もしもこれが、著しく体型に問題のある存在ならばこんな事は欠片も思考しなかった。だが、ナイツに限らずドロシアも大概美人なので、身体に感じる感触は、中々どうして気持ちが良い。規格外とまではいかないまでも、程よく実った双丘は、むしろ規格外以上にこちらの感情を…………待て待て待て! これ以上思考すると暴走する。一旦落ち着こうではないか。
彼女に限らず、アルドの弟子は飽くまで保護する上での『便宜上』であり、真の意味で弟子という訳ではない。クリヌスだけは……恐らく真の意味だろうが。それ故、ドロシアを異性として全く意識していない訳ではなく、むしろナイツ女性陣と同じくらい女性としては意識しているのだが……だとしても、時と場合がある。デート然り、きちんとその辺りが作られているのなら、自分も行動の一つや二つは起こすが、そうでない場合は全く起こせないし起こさない。単純にどうしていいか分からないし、何より彼女を傷つけてしまった際にどうやって挽回すればいいのか分からないのだ。その他にも大体三〇個程問題はあるが、それらを全て解決して事に及ぶよりは、この場を耐え凌ぐ方が簡単に決まっている。これは自分が初心である故の思考かもしれないが、それでもいい。初心でもいい。とにかく、邪な考えは一旦捨てるべきだ。戦いは終わったが、世界争奪戦は集結していない。きちんとリスド大陸に帰るまでが戦である。
どうにかして煩悩を抑え込んだアルドは、何とか立ち上がり、闘技街へ向けて歩き出そうとした―――が、よろめいて倒れかける。ドロシアが抱き留めてくれなければ、それはそれは無様な姿を晒しただろう。
「有難う……さっきはああ言ったが、全然大丈夫じゃなさそうだ。肩を貸してくれるか?」
「言われなくてもそうするよ。先生もう……限界じゃない」
「限界なものか。少なくとも私は、大陸を奪還するまで死ぬ気はない。お前を一人ぼっちにする訳にもいかないからな」
彼女が唯一全幅の信頼を持っているのは自分をおいて他におらず、またこれからも増える事は無いらしい。その一途さは有難いが、アルドという一点を失った場合の事が何も考えられていないのは不安だ。とはいえアルドは、個人の意思は出来る限り尊重されるべきだと考えているので、彼女の感情を捻じ曲げようとは思っていない。単純に自分を好きでいてくれるのは有難いし、その思いがある限り、それは自分の生きる理由になる。
死の執行者が逃亡と同時にばら撒いた魔術が原因だろう。足元から闘技街の周囲に至るまで著しく地形が変化しており、心なしか距離が遠く感じる。あちらの世界に逃げ込んだ彼らもまだ帰って来ないのが不安だが、執行者が二人と『 』が居て、何よりもカテドラル・ナイツが居るのだ。自分程苦戦するような事は無いだろう。何だか戦闘中も同じことを考えた気がするが、大丈夫だ。信じろ。カテドラル・ナイツも信じられないようならアルド・クウィンツは今すぐにでも魔王をやめるべきだ。彼等を選んだのは自分であり、彼等を愛すると決めたのは自分。彼等を疑うなんて出来ない。その信用に欠片の曇りもあってはいけない。
―――私の事など、気にする必要は無いからな。
第三切札の代償は全てアルドが支払う事になっている。その思惑は何の気兼ねも無く切札を使って欲しいという善意であり、一度使ってさえくれれば『執行者』と言えど……特にファーカとルセルドラグは、無事では済まなくなる。自分の事などどうか気にしないで使って欲しい。疲労が少し増えるだけなのだから。
「先生、こんな所で気を失わないでね。あともう少しだから……落ち着ける場所に辿り着けたら、絶対に何とかしてみせるから!」
「…………大丈夫だ。お前が傍に居てくれるだけでも、少しは和らぐ」
本当に僅かな差だが、何もないよりはマシである。二人が闘技街の入り口を潜ると、案の定、町の中でも地面が変形していた。ささくれの様に突き出た石が時々邪魔をしてくるが、それにもめげずに歩き続けると、ようやく別世界との正規の入り口―――中心の広場に辿り着いた。
アルドは傍らの彼女に頼み込み、入り口を真正面に見据える形で座らせてもらった。
「私はここで待っている。お前には申し訳ないが、リーナを探してくれ。『鼷』の魔人だ」
「え。いいけど、それじゃあっちの世界に行った人達が……」
「執行者も居るんだ。不正に移動してくるんだったらもうしているだろうし、正規の方法を使うんだったら私の前に現れるだろう。一番避けなければならないのは、あちらの世界にある真理から生み出された死の執行者が、こちらの世界に現れてしまう事だ。もう私に戦う気力は無いから、一度そうなれば悪戯に被害が広がってしまう。分かってくれ」
だらしなく足を延ばしつつ見上げると、ドロシアは少し考えた様子で瞳を揺らしてから、同じ様に座り込んで視線を合わせる。互いの視線が交錯して数秒、不意にドロシアが近づき、アルドの唇に軽くキスをした。仮に嫌だったとしても、それを拒む気力はアルドにはない。どちらにしても受け入れる他なかった。
「行ってくるから、先生。何かあっても無茶しないで」
「分かった。さっさと行ってこい」
こちらとしても死ぬつもりは毛頭ない。大陸奪還すら為せぬまま死んでしまったら、自分は『皇』や彼にどんな顔して会えばいいか分からなくなってしまう。駆け足で曲がり角の奥に消える少女を見送ってから、ぼんやりと視線を正面に戻した。
彼らの姿が見えたのは、その時だった。
「アルド様ッ!」
アルドが声を掛けるよりも早く駆け寄ってきた人物は、チロチン。次いでファーカ、ディナント、ルセルドラグ、ユーヴァン、『謠』、『 』。殆ど誤差と言っても差し支えない速度で、いずれの人物にもアルドは速度で劣っている。
「お怪我はありませんか? その様子は一体ッ?」
「ああ、それ―――うおッ」
彼の問いに答えようとした直後、耐えかねた様子のファーカが、勢いなど全く考慮しないまま突っ込んできた。すかさず受け止めたので彼女に被害は無いが、少し背中が痛くなった。上目遣いに見る彼女の瞳には、大粒の涙が宿っている。
「アルド様……本当に、本当にご無事で…………! ご無事で何よりです……!」
「ずっと気にしてたもんなあ! アルド様の事をッ」
「黙りなさいユーヴァン! 私は隔離されて、本当にアルド様の安否を……ううッ。ぐすッ」
「これだから空気の読めぬ『竜』は困るなん。アルド様」
言われずとも分かっている。彼女の顔が埋まる様に抱き寄せると、ファーカは『落葉』すら離して、ひたすらにアルドを抱きしめた。その胸の中に顔を埋めて、わんわんと泣き出した。感情の枷が外れてしまったのだろうか。アルドの服に呑まれて小さくなったファーカの泣き声は、それから数十分以上も継続した。
泣き止んだ彼女は顔を上げたが、泣き腫らした痕が残っている。美しい顔が台無しだ。
「大丈夫か?」
「……見苦しい姿をお見せしました」
「気にしない。お前が私に心を許してくれた時も、こんな感じだったような覚えがあるからな。私としてはむしろ、懐かしい気持ちを覚えたよ」
チロチンの方を見ると、彼は直ぐに決まりの悪そうな顔で目線を逸らした。
「それで……えーと。『謠』。剣の執行者はどうした。まさか死んだのか?」
「ううん、死んだ訳じゃないんだけど……壊れたって言うか、気が狂ったというか」
要領を得ない言い方に、アルドは怪訝な様子で首を傾げる。文面通りに受け取れば、彼は精神攻撃を喰らった事になるのだろうが、あの執行者が精神攻撃如きにやられるとは思えない。何かを遠回しにしていると思って良いだろう。
「まあ、後で話すよ。今は目先の問題をどうにかしないとね」
「目先の問題?」
それは一体―――アルドがそう尋ねようとした直後。虚空から霞む程の速度で男性が弾き出され、凄まじい勢いで地面に叩きつけられた。あの速度に生物が耐えられる道理はなく、男の四肢は見事に飛び散ったが、それと同時に姿を消した。男が弾き出された空間からは、見覚えのある少女が、これまた見覚えのある人物を魔法陣の中に閉じ込めて、飛び出してきた。
「ドロシアッ?」
「り、リーナッ?」
彼女が理由もなく人を傷つけるとは思わない。それでも吹き飛ばしたのは、きっとそうせざるを得ない理由があったからだ。その理由に見当はつかなかったが、閉じ込められている少女が尋常ではない震え方で蹲っているのを見たら、直ぐに分かってしまった。この時が来るまで潜伏しているとは驚いたが、先程の男がきっと―――彼女に付き纏う存在に違いない。
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