ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

勝つは正義か英雄か

 真理を真っ向から否定する剣を取り出してみせた事に、『世界』は驚きを隠せなかった。表面上は余裕そうに取り繕っているが、今の自分は世界へ身体を売り渡して、ようやく辿り着いた境地なのだ。それなのに目の前で、もう一人同じような存在が現れたという事実は……『世界』の心の中で、非常に強い憤怒を覚えさせた。死すらも掌中に収める存在は唯一無二でいい。比肩する者もそれを上回る存在も居なくていい。『世界』は最大にして最強の執行者。あらゆる罪を浄化し、あらゆる世界に調和をもたらす者。自らの事を英雄などとほざく人間如きに、負ける様な事があってはならない。
 上空がドロシアの領域である以上、ここに留まっているのは中々どうして危険である。真理にだけは抗えぬ以上、この羽根の一撃でも喰らわせる事が出来れば始末も可能だが、それをアルドが赦す筈が無い。本人に自覚は無いが、ドロシアはアルドの孤独を唯一慰める事の出来る存在。彼女を置いて他にアルドの精神に巣食う孤独感を理解出来る存在は居ない―――同様に、彼女の体質による孤独感を埋められるのも、アルドだけである―――ので、下手に彼女へ手を出せば自分が痛い目を見る。『世界』は同じように地上へ着地して、剣を抜刀。人類の限界を突破した速度で迫りくるアルドを迎え受ける。
「『剣』が別世界へ奴らを連れ去った様だが、無駄な事だぞ。真理はどの世界をも包み込んでいる。そして真理がある限り、私は何処にでも現れる事が出来る」
 振り下ろされた一撃を防御。そのまま滑り抜けた刃はすかさず返されて、脇から滑り込むように切り込んでくるが、『世界』は一歩引きつつ一閃。虚無なる否定の刃を打ち落とし、一転攻勢とばかりに剣を振り下ろすが、アルドは更に一歩踏み込んでそれを軽減。空いている手から掌底が放たれたが、これは避けられなかった。上体が後方から引っ張り込まれるかのように仰け反る。好機を得たりとばかりにアルドの剣が再び振り下ろされたが、果たしてそれは悪手だったと言える。攻撃の当たる直前、『世界』はアルドの背後へ移動。体勢を戻すと同時に斬り付ける。
 しかし、僅かに速く介入してきたドロシアが長杖を割り込ませた事で失敗。それに怯まず、今度は彼女へ狙いを付けたが―――刹那。明らかに先程の動きの倍は速い速度でアルドが身を翻し、こちらの喉元に豪快な一撃をお見舞いする。背後への転移で直撃は免れたが、喉を斬られた。切り口からは漆黒色の血がドボドボと流れ出している。
「別に心配はしていないさ。あちらには剣の執行者も、創の執行者も、『  』ナニモノも、何よりナイツが居る。お前一人如きではどうにもならないさ!」
 会話の途中で羽根を飛ばすも、見えている攻撃を防がない愚か者は居ない。ドロシアは執行者も知り得ぬ魔法陣を展開。真理に染まる羽根を焦がし、間もなく消滅させる。やはり狙った所で意味がない様だ。一連の流れに、アルドは彼女を信じ切っているかのように微動だにせず会話を続ける。
「お前は他人の心配をしている暇があるのか? この俺を目の前にして、そんな余裕を持つなんて舐められたものだよ全く」
 不意にアルドが手を突き出し、何かを引っ張り込むように手を引いた。その瞬間、『世界』の身体はそれこそが世界の意思であるかの様に引き寄せられ、時間を置き去りにアルドへと接近していく。
―――厄介な権能だ。
 仮にも元執行者に権限を働かせるなんて凄まじい力だ。が、都合が良い。アルドはこのままこちらの心臓を一突きしてやろうという魂胆だろうが、その程度で自分は死なない。真理を否定する剣だか何だか知らないが、一部分が否定された所でこちらに害はない。むしろあの男を真理に帰して殺す、絶好の機会だ。
 抗う事は簡単だったが、『世界』は敢えてその力に逆らおうとしなかった。彼我の距離が徐々に近づいていく。お互いにあと一歩の所まで接近したとき、『世界』は両翼に全神経を集中させて、眼前の男を包み込むように翼を動かした。真理を否定する剣であればこの翼を切り裂く事も容易いだろう。しかし、アルドの構えはどう見ても刺突を待機する構えであり、あそこから斬撃に移行しようとすれば、その間にこちらの翼があの男に触れる。さあ、どうする。
 半ば勝ちを確信した『世界』。一方のアルドも、やはり勝ちを確信したような笑みを浮かべていた。剣だけが自分の武器ではない。英雄の肉体は、その強度故にそれ自体が武器の一つでもあるのだから。
 逡巡なく武器をその場に捨てると、アルドは両手に権能の焔を纏わせて、こちらを包み込まんとする両翼を、真正面から受け止めた。
「まずはこの大層な翼を奪わせてもらうぞ!」
 たとえその両翼が真理に染まっていると言えど、執行者の身体とは全く別物だ。であればそれ自体の破壊は困難なれど、それを分離させる事は容易い筈だ。渾身の力を込めて両翼を引っ張るが、それだけでは足りず、反撃されるのを未来視。どうしたらいいか思考の挙句、アルドは『世界』の顔を思い切り蹴っ飛ばした。
「ぶッ!」
 吹き飛んだ『世界』の上体。それと同時に再び引っ張ると、疑似的に両側からの力を受けた両翼は、根元から悲鳴を上げて、間もなく『世界』の身体から分離した。根元からは、漆黒色の液体が煙を噴き出しながら滴っている。これによって天使は地に堕ちた。背後に投げ捨てると、その足元に魔法陣が発生。世界の外へと弾き飛ばされたようなので、最早あの翼が戻ってくる事は無いだろう。いつの間にか体勢を整えて再び飛びかかってきた『世界』に、アルドは拳で応戦。届く筈のない掌底を心臓の位置まで合わせ―――『殱獄』を手元に召喚。幾らかの距離は刀身によって詰められて、回避する間もなく『世界』の心臓を刺し貫く。
「ぐおおおおおお…………ぬうッ!」
 しかし相手は仮にも死の執行者。それも現在は真理と同化した存在だ。心臓を破壊した程度で死ぬ相手で無いのは何よりも明らか。『世界』は身体の中心部を否定され、苦痛に顔を歪めたが、アルドの顔を殴りつけて撃退。時間軸に斬撃を重ねる事で、彼の肩口を深く切り裂く事に成功する。
「うぐ…………」
 切り裂いた肩口は彼の利き手だ。確信をもって連撃を叩き込むと、目に見えてアルドの動きは遅くなっていた。三連撃まではどうにか防げるようだが、それでも四連撃となると防御の方に限界が訪れるらしい。三撃目の横薙ぎで大きく剣を弾かれたアルドは、減殺も出来ずにもう一撃を浴びせられた。上体が両断されて空中に浮遊。そのまま微塵に切り刻んでやろうと思い刃を返したが、そこで乱入してくるのはやはり彼女である。
 長杖と短杖の二刀持ちとは聞いた事が無く、あった事もない。おまけにこの少女、杖を持っている癖に心なしか接近戦を得意としている気がする。特に防御に関しては隙が無く、アルドの身体がゆっくりと再生している現在、『世界』は全く攻め込めていない。
「誰に習ったッ!」
「先生ッ!」
 十字を刻む二連撃。長杖を器用に回し返してから、ドロシアは長杖の先端にある球体を解放。瞬く間に『世界』の全身は穴だらけにされて、止めとばかりに魔力の灯された短杖が口内に突き立てられて爆破。下顎から上が吹き飛び、再生には少しの時間を要する。アルドの再生が完了するのは都合が悪いので、『世界』は間髪入れずに再び彼女へ攻撃を仕掛けた。刺突が短杖の突き上げで逸らされると共に、死角から長杖が『世界』の頭部を強襲。咄嗟に屈んでそれを回避すると、『世界』は上空へ転移。これで視界は切れたので、彼女には不意打ちが成立する。ある意味、アルドよりも罪な少女へ断罪の一撃を叩き込まんと『世界』が刃を振り下ろした。
 その直前。
 『世界』の身体に何かが喰らい付いた。気に留めず攻撃を続けようとしたのは今思えば悪手でしか無かった。その存在は認識する間もなく体を喰らい尽くし、『世界』は新しい体を支給されてから、ようやく先程の事態に理解が追いついた。あの権能は…………『喰殱』。常人はおろか、神々にすら使えぬ破壊の権能がどうして―――
 ふと何かを感じた『世界』が、ドロシアの後ろで再生を続けるアルドを見遣る。殆ど完了していると言っても過言では無く、後は細部の再生を残すのみと言った所だが、『世界』が見ていたのは彼では無く……厳密には、彼の隣で不敵な笑みを浮かべながら弓を構える、一人の少年の姿だった。
―――そういう事か。道理であの男が、それを使える訳だ。
 自分達に非があったとすれば、それはオルト・カローナにこちらの戦いを任せっきりにしてしまった事だろう。どんな事があったかは定かじゃないが、彼等に任せなければこんな事にはならなかったと思われる。しかし、大変な事をやってくれたものだ、権能使いは。己の死と引き換えに―――全ての力を、師匠であるアルドに譲渡するなんて。
「先生、大丈夫ッ?」
「―――――ああ」
 こちらの剣にだって真理はある。本来なら身体を斬られている状態で存在が確定し、再生される事は無かった筈だ。にも拘らず、それを無視してまで再生したアルドは……先程と同様、全身に権能の焔を纏っていた。恐らく、決定力を上げる為の武装だろう。そうでなければおかしい。彼の背後には、やはり不敵な笑みを浮かべる少年が立っていて、彼はゆっくりとした口調で喋っている様に見えた。
『お前にこの人は倒せない』
 不死鳥の如く焔を滾らせて、尚も立ち向かうアルドは、自分でも容易に倒せるとは思っていない。だが、倒せないなどという甘えがあってはならない。世界の意思にこの身を委ねた以上、『世界』の負けは絶対的正義の崩壊に繋がる。それだけは、死の執行者として防がなければならない。
 気がつけば、自分でもわからない内に踏み出していた。目の前に立ちはだかる絶対悪を切り伏せる為に。


































 今なら感じる。自分の中にある彼の存在を。アルド・クウィンツに勝利を願った少年の存在を。しかしどれだけこちらが強くなろうとも、目の前の敵は世界の意思を代行する執行者。厳密には『だった』存在。容易に倒せるとは全く思っていない。だが、倒せないなどと弱音を吐く訳にはいかない。最愛の弟子が二人も自分の勝利を願っているのだ。自分の敗北は、そんな二人の期待を裏切る事になる。彼らの師匠として、それだけは許容も容認も出来ない。今回ばかりは、諦める事も許されない。
 気がつけば、一歩踏み出していた。一歩、そのまた一歩。目の前に立ちはだかる絶対の正義を打ち砕く為に、この刃は恐れる事を忘れた。
「はあああああああああああああああああああああ!」
 居合いじみた一撃を掻い潜り、隙だらけの懐に歪みなき銀閃が迸る。体を半分以上切り裂かれて脱力するも、倒れまいと気合いで持ち堪えたアルドは、強引に身を翻して、重さの乗った一撃を振り下ろした。
 飛び散る火花。
 剣戟音が鳴り響き、どちらが先に力尽きるかの力比べが始まった。どちらの連撃がより早く、より鋭く、より強いのか。あらゆる個所をお互いが狙い、お互いに防ぎ合う。しかしてそれは攻撃が重なっているだけであり、両者に攻撃を防ごうという考えは微塵も存在しなかった。ただ、どちらかの攻撃が強ければいい。何処を斬られようと、最後に勝てば問題はない。
 そんな考えで、三時間。互いに一進してばかりの攻防に、変化が訪れた。アルドは斜めに振り下ろされた一撃を受け流し、回転に巻き込んで攻撃自体を不可能にさせた。『世界』が何とかして回転から逃れようとするも、一歩引かねば逃れる事は出来ない。このまま続けばアルドの思い通りである。その作戦に勘付いた……どうやら武器を奪い取る作戦であると考えた『世界』は、頃合いを見計らって一歩後退。強烈な力に足を取られた『世界』は、地面に倒れ込んでしまった。自らの足を見ると、いつの間にか発生していた氷が両足首に纏わりついているではないか。それも只の氷ではなく、神氷とも呼ばれる『氷嚙カトプレバス』。一度凍らせた者を閉じ込め続ける氷であり、一度捕らわれた生者は、その魂すらも永久凍土に凍り付くと言われている。そんな氷をいつ出したかは定かじゃないが、とにかく転移を使わなければ防御もままならず攻撃を受ける事になる…………通常の神々であればそう考えるが、『世界』は違う。何の為の真理だ。剣を突き立てんとアルドが肉迫してきた瞬間、氷を力だけで打ち砕いて足を解放。勢いあまった足は彼の剣を弾き、辛うじて攻撃の回避に成功する。部分的転移による『短略ショートカット』で体勢を立て直した『世界』は、間髪入れずに薙ぎ払ってきた一撃に、同等の威力で以て相殺。鍔迫り合いに持ち込んだ。
「この戦い、最初から勝負は決している。貴様の受け継いだ呪いがどれ程協力であれ、貴様自身は只の人間に過ぎない。このまま幾年と戦い続ければどちらが先に擦り切れるか……言うまでも無い筈だ」
「だから…………降伏しろと?」
「いいや、そうは言っていない。これ程の戦い、実に久しぶりだ。私としてはこのまま戦い続けていても一向に構わないが、先程も言った通り結末は分かっている。貴様は実に憐れだな。結果が分かっているにも拘らず、戦おうとするなど」
「結果が分かっている? 果たして本当にそうかな。それは俺にも分からないが、それでもお前が一つだけ間違えた事は分かる」
 膂力で僅かに圧していた筈の鍔迫り合い。制したのはアルドだった。
「この戦いに数年も続く程の価値は無い! そして……今を生きる俺達の戦いの結果は、お前が決められる事でも、まして世界の意思とやらが決めつけられるモノでもない! 無茶だ無理だ、はたまた無謀と嗤われようと、挑むのが英雄たる男の務め! お前が分かっているつもりになっているだけって事を、教えてやる!」
 その言葉に特別な力は何も感じなかった。しかしその一瞬、アルドの膂力は『世界』を遥かに上回る。それによって押し返される身体。半歩程度のよろめきは些細と言えど、その瞬間、確かに『世界』の身体は無防備になったのを、アルドは見逃さなかった。
「らああああああああああああああああああ!」
 一撃でも鋭く、一撃でも早く。アルドの斬撃は止まらない。少しでも止まれば防がれる。たとえその余波で大陸を切り刻む事になろうとも、この体は止められない。微かに煌いて見えるだけの斬撃が、一寸の狂いもなく『世界』へ叩き込まれ続ける。二十、三十、四十。百の連撃を超えても尚、アルドはこの剣を振るい続ける。
 獣であろうと切り伏せる。人であろうと切り伏せる。
 神であろうと切り伏せる。仏であろうと切り伏せる。
 世界であろうと切り伏せる。真理であろうと切り伏せる。
 全ては自分を愛してくれる者の為に。自分を信じてくれた全ての者の為に。体が支給されようとも関係ない。ひたすらに斬るのみだ。真理がどれ程目の前の存在を『在る』事に拘ろうと、アルドは『世界』を拒み続ける。否定し続ける。この後の事など知らない。今は只、この男を殺す。
「……クソがッ!」
 重力操作だろう。アルドの身体が不意に突き飛ばされ、上空へと舞い上がった。その間に『世界』は直ぐに立ち上がり、何と背を向けて、世界の外へと走り出した。ここであれを取り逃がせば、いつか絶対に後悔する。何としてもあの男は逃がさない。この世界で、確実に仕留める。
 アルドがそう思ったように、『世界』もまた同じくらいの決意を抱いていた。散々滅多切りにされて身体は瀕死の重傷だが、一度体勢を立て直せれば勝てない相手じゃない。今ここで逃げる事こそ、あの男を倒す最善の手段であると。またドロシアに連れ戻される事こそ敗北に直結するので、『世界』は自身の知るあらゆる魔術をばらまきながら、世界の外へと駆け出した。その全てがこの世界で言う終位相当の魔術。さしものドロシアと言えどこちらを気にしつつ防御は出来ず、幾億もの魔術に対応を迫られていた。世界の外に距離は無いから、ここで出ても良い。だが、それだと万が一にも捨て身で彼女に同じ事をされた場合に取り返しがつかなくなる。もう少し距離を取らなければ。
「にがすかあああああああああああああ!」
 背後からは、上空に突き上げた筈のアルドが、いつの間にか体勢を立て直して追跡してきた。空間でも掴んで、無理やり戻ってきたのだろう。焦るべき状況に変わりは無いが、その行動に限り随分と都合が良い。『世界』は数千歩先の上空に扉を作り、一気に空中を駆け上がった。同じようにアルドも駆け上がってくるが、再び魔術をばら撒いてやれば遅くなるだろう。残りは四百歩。もう後ろを振り返っている余裕は無い。
 非常に情けないが、どうやらこの戦いは自分の敗北らしい。だがこの戦いに負けても、最終的な戦いに勝てば問題は無い。戦略的撤退という奴だ。この後でまたレイナスと合流して、万全の体勢で改めて攻め込めば、今度は確実に殺せるだろう。
 残りは百歩。最早勝利は確実と思った瞬間、後ろの方から足音が近づいてきた。空中を歩いているのだから、通常であれば当然足音はしない。振り返る余裕がいつ出来たのか分からないが、それでも気になった『世界』は背後を振り向いてしまった。
 そこにはドロシアの二つの杖の上を跳び続ける、アルドの姿があった。つまりあの少女は……防御を放棄して、アルドを補助する事を選択したのである。ばら撒いた筈の魔術も、自律起動する杖が最適な場所に移動して、そこにアルドが飛び移るから意味がない。扉はもう、直ぐそこまでなのに。
 仕方ない。迎え撃つとしよう。不安は無い。億に及ぶ魔術を喰らって少女が生きている訳が無いのだ。アルド一人如き、この場で対処すればどうにかなる。二本の杖に導かれたアルドは、『世界』を真下に見据えた瞬間、跳躍。この体に剣を突き立てんと、両手でその柄を握りしめる。この一撃を受け流してアルドを吹き飛ばし、再び扉に走り込めば世界の外に脱出だ。それでいい。それだけでいい。何も不安は無い。
 瀕死の身体から極限まで力を搾り取って、『世界』は剣を脇に構えた。大振りでも何でもいい。あの攻撃に合わせて相殺してやればいいだけの話。彼我の距離がもうすぐそこまでに迫り、いよいよ『世界』が薙ごうとした時……体が石化してしまったかのように、動かなくなった。
 アルドを見ると、その眼は金色に変色していた。それが見た者を石化させる魔眼であると気付いた時にはもう遅い。真理を否定する刃が、この上なくしっかりと、『世界』の心臓部を突き刺した。同時に、空中に固定していた身体が自由落下。それでもアルドは剣から手を離さない。
「これで……終わりだあアアアアアアアアア!」
 全身を覆っていた焔が、男の咆哮に応えるかの様に燃え盛る。男の持つ剣にもそれは発生して、間もなくその焔は、刃の先に居る『世界』を蝕んだ。焔は男の声に応じてドンドンと滾る、唸る。遠目から見れば、それは空に瞬く流星の如し。こんな状態で同じ体勢が継続される筈もなく、二人は滅茶苦茶に回転し、滅茶苦茶な軌道で落下し続けたが、それでもアルドは全身全霊の力を込めて、その刃を突き立てていた。もう間もなく、地面が見えてくる。地に堕とされた身体は、間もなく四散するだろう。だが、それはこの男も同じ事。
―――道連れとはな。
 『世界』は苦々しい表情で微笑んで間もなく、二人は地面に衝突した。


 


































 運の良い事に、まだ生きているらしい。だが動けなさそうだ。既に体の殆どを喰らい尽くされて、生物だったらとっくの昔に意識を失い永久の眠りについている。今だけは、そうなっても別に良かったのだが。
「……お前の負けだな、死の執行者」
 顔もまともに動かせないが、声は視界の外から聞こえた。アルドではない様だが、それに類似した低い声だ。
「…………ああ、そうだな」
 気にしない。どうせこの身体はもうじき喰らい尽くされる。ならば正体が誰であれ、それまでは語り合おうじゃないか。
「どうだ。強かっただろ、先生は」
「……ああ、まさか絶対たる正義の象徴が破れるなんて……思いもしなかった」
「そりゃそうだ。真理を否定するあの剣は、先生にしか作れない。お前を倒す事が、先生の役目だったんだから」
 自分を倒す事が、あの男の役目か。実に下らない事を言ってくれたモノだが、実際に死の執行者は敗北した。敗北した自分が『そこに在る』以上、その言葉には言い返せない。
「お前、自分がどうして負けたか分かってるか?」
「―――とある男に、行動を起こされてしまった事だろう。更に言えば、人選ミスだったな」
 何故だか分からないが、その声は首を振っている様な気がした。
「いいや、違うな。お前の負けた原因は、人の絆を甘く見過ぎた事。『そこに無い』モノを見ようとしなかった事だ。真理にばかり拘るからお前は負けた……何よりもそれに支えられてきた人間、アルド・クウィンツに」
「…………くだらない、な。無いモノは無い。そんな虚ろに支えられて生きているとは……薄幸ぶりに同情してしまいそうだ」
「俺もそれは思う。なあ、先生がどうにかして幸せになる方法は無いか? 出来れば死ぬ以外で」
 くだけた口調でそう話す男に、死の執行者は確かに微笑んだ。
「死者は還るのみ。死人の分際で…………生者の事など、気にしてやるな」


 

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