ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

相違に気付く

 彼と本気で刃を交えればこちらが捻り潰される事くらい分かっている。フィージェントが居てくれれば最悪戦闘になってもどうにかなっただろうが、パランナやクウェイではどうにもならない。希望があるとすれば簪の能力でアルドを再現した自分くらいだが、どうせ自分には彼を傷つける勇気がないので勝利とはならない。解決は飽くまで話し合いで。彼は話が分からない訳じゃない。
「それは…………えっと」
 人間と魔人の共存を望む自分が、人間を悪く言う事は出来ない。その縛りを無くしてしまえば彼を説得する事もそれなりに容易にはなるが、それは暗に共存の不可能性を証明してしまう事になってしまう。せっかくアルドに見逃してもらって活動しているのに、それをしてしまえば自分は彼の厚意を無下にする事となってしまう。それだけは嫌だ。
「メリットは…………」
 だめだ。彼を納得させる言葉が見つからない。何をどう頭の中でひねり出したって、彼を満足に納得させるには明らかな力不足を感じる。彼は自分が答えを出すまで待ってくれるくらいの寛容さを持ち合わせているが、それに甘んじていつまでも思考していると言うのはかなり失礼だ。早く何かしらの言葉を紡いで話を進展させなければならないが、キリーヤのあらゆる言葉が数秒で返される未来が見える。彼を説得出来ないようでは到底共存など不可能だと言われたらそこまでかもしれないが、人間に深い憎悪を抱く魔人に納得してもらう事が容易く出来ればとうの昔に自分は英雄である。力不足は前述の通り百も承知、だからこそ自分は……この場において何も言えない。
「…………まだ、待とう。いつまで待った所で、私を納得させられるような説明が出来るとは思えないがな」
 こちらの心内を見透かすようにチロチンが呟く。こちらの理屈に端から絶望している様な声音は、尚の事説得が困難である事を教えてくれる。勉学に励む事もしなかった為、この思考上に浮かぶ語彙はどれも彼を打倒出来るに足る力を持っていない。言葉の組み合わせというより、知識不足だ。大陸追放以前にこうなる事が分かっていたら、自分だって勉学に励み、語彙力を培っていたものを……いつまでも答えを出せないで悩んでいると、不意に隣のパランナが彼へと歩み寄った。
「何だ?」
「いや、何時まで経っても言葉が見つからない様だから、俺から言わせてもらおうと思ってな。その前に確認しておきたいんだが、話は人間を元に戻すメリットの話だったよな」
「ああ」
「だったら簡単だ。アルド・クウィンツが苦労しなくなる。お前達にとっては最大のメリットじゃないか?」
 まるでこういう場所には慣れているかの様に、パランナは自然体で彼に問いかけていた。キリーヤ達に付いてくる前は只の民間人だった彼が、こういった場所に慣れているのには違和感を覚える。が、それについて言及するよりも何よりも、気になったのは彼の発言。『アルド・クウィンツが苦労しなくなる』とはどういう意味だろう。
 チロチンは傍の二人から反応を窺い、それから一旦、龍笛を置いた。
「詳しく聞かせてもらおうか」
「詳しく聞かせてもらうも何も、お前達は聞いてる筈だぞ。『人間が一番屈辱に感じる事は、魔人に窮地を救われる事ではないか』とな」
 不穏な笑みを浮かべる男に、キリーヤ達は首を傾げた。そんな事をいつアルドが言ったのだろうか。自分がリスド大陸に居た頃ですらそんな発言は聞き覚えが無いし、仮にあったとしてもどうして彼がそれを知っているのだろうか。アルドとはさほど交流が無いと思っていたのは、自分の勘違いだったのかもしれない。思考から意識を移して再び視界を見ると、目の前で不機嫌そうにしていた彼の瞼が、すっかり見開いていた。
「……どうしてそれを知っている」
「さあな。たまたま過去の記録を知る事の出来る道具でも持っていたんじゃないか。それはさておき、どうなんだ『烏』の魔人。異論はあるか」
「……ああ。魔人に窮地を救われる云々は、この戦いを我々の勝利で以てすれば解決される事だ。それをこの闘技街の一件に持ち込む意味が分からない」
「そう来たか。だけど足りない。言葉通りに解釈してみれば、ここで元に戻してやれば人間は一層の屈辱を感じると俺は考えている。難しい事は何もない。考えてもみろ、自分達の愚かしい行動で酷い目に遭ったが、それを赦された事に加えて大陸まで救われたんだ。魔人を下等種族と見下す人間が、そこまでの屈辱を味わって表を今まで通り歩けるかどうか……まあ、歩けないだろう。下等種族や人間もどきと呼んで蔑んでいた存在に助けられたんだ。何を言っても惨めにしかならない……勿論、そこまでやられて魔人を見直してくれる分にはお互いに構わない筈だ」
 彼の発する言葉全てに重みがあるのか、一言一句が発せられるごとにチロチンの身体が仰け反っているような気がした。キリーヤにもこれと同じ事をしろというのが無理な話である。彼を除けばナイツ以外、知らない話の様だし。
 予想外の方向から切り込まれて、今度はチロチンが黙り込んでしまった。どうやっても論破出来る自信があったのだろうか、尚更動揺が見て取れる。具体的には、心など読めなくても隅々まで動揺が理解出来てしまうくらい。
 五分ほど経っても良い言葉が見つからかったらしく、遂に彼はがっくりと項垂れて、龍笛を手に取った。
「まいった。まさかアルド様の発言を聞いていたとはな。どうやってそれを知ったかはさておき、それを出されたらカテドラル・ナイツとしては、逆らう訳にはいかないな。分かった、戻してやろう。考えてみれば、アイツ等は既に救済の選抜にて死を運命づけられた存在。私が手を下さずとも、アルド様がやって下さるか」
「その通り。屈辱を味わうとかそれ以前の問題、あの人間達は既に終わっている。お前が何かをする事自体、無意味なんだ。それはアイツ等の事を良く知っている俺が保証しよう」
 ……良く知っている?
「何度騙されようとも信じ込み、いとも容易く動かせる。レギ大陸に住む多くの人間はそれを特徴として持ち、だからこそここは無法故に秩序的だった。アジェンタを碌でもない大陸と人は言うが、個人的にはこちらの方が碌でもないと思える。結果として、ここの人間達は好き放題したが故に、結末としては最悪のモノを用意される事になった」
「…………ほう。そうか……そうだったか」
 意味深に納得したチロチンは、それ以上言及する事も無く再び演奏をしようと構えた。こんな近距離で聞いたらひとたまりもないので、三人は早々に退散。リーナは彼のマントを体に包んで逃亡。
 それから間もなく。闘技街はかつての落ち着きを取り戻した。
























 風が哭くと、黒き傷が疼き、かつて失った『  』なにものが囁く。お前はこれで良かったのかと。だが、後悔はしていない。代償として犠牲になった『  』は新たなる友を誘引し、愛しき女性を運命的に導いた。その事に比べれば『  』など、『  』にとっては些細な犠牲でしかなかった。
 この日をどれだけ楽しみにしていた事かと。迷惑は掛けまいと修行していれば、何と危機に陥っているではないか。喜ぶべき事態ではないにしろ、これは借りを返す絶好の機会。たとえ何が阻んで来ようとも、愛しき彼女に会う為、自分は夢幻の闇を彷徨い続ける。そこに意味がなくとも、『  』を失った『  』にとってそれは唯一の生きる希望。アルド・クウィンツにおける『英雄』のようなモノだ。捨てる訳にはいかず、しかし持て余し得るモノ。
 距離は把握している。しかし正規の手段をとらなければいけないので、多少の遠回りはしなければならない。『  』にとって遠回りは日常的であり、今更それに文句を言うつもりは無い。文句があるとしたら、それは―――
「ああもう、面倒だな。英雄も、執行者も。『  』が介入した所で一体何を解決出来るのかと疑問ではあるが、では目先の問題を一つ解決してやるとしよう。それが友と呼ばれる者のする事だ」
 舞い散る花の如く軽やかな一撃が、そこにある問題を取り除いた。

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