ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

魔人と人間が交差する

「チロチン……」
 彼女も影響下に入れてしまうのは、たとえ危険な事にはならないと言っても躊躇われたが、その程度の理性でこの怒りは収まらない。精神を反転させられた事で直ぐにリーナは意識を覚ましたが、チロチンは振り返る事もせず演奏を続ける。
「やめてよ、私なんかの為にッ」
 やめない。そのつもりは無い。彼女の為ではあるものの、この想いは今に始まったモノではない。アルドに助けられた事でチロチンは彼に忠誠を誓ったが、だからと言って人間全体を好きになった訳では無かった。差別主義を持たぬ者であればまだしも、言葉の上では博愛を語る腐った恩知らず共は今までもこれからも大嫌いだ。手を差し伸べる事すら躊躇したくなる。自分が忠誠を誓っている彼はそういう人間にすらも手を差し伸べた経験のある英雄だが、それだけは理解出来そうもないししたくない。そんな人間を助けて、一体何があると言うのか。彼女への暴力など、所詮は切っ掛けでしかない。遅かれ早かれ、このような人間を見れば今までため込んできた憎悪は爆発しただろう。
 だから彼女が制止を呼び掛けても、チロチンにはやめる気など毛頭なかった。全ては己の立場も弁えぬ人間への制裁である。魔人を蔑み、見下し、助けられても尚侮辱するその傲慢さ。たとえ無礼を働かずとも万死に値する。
 この曲を演奏している最中、気を抜けばチロチン自身の精神も作り替えられてしまうので、演奏者たる自分はその影響を受けない様、気を引き締めて演奏しなければならない。言葉の上では簡単そうだが、この曲を演奏しきる事自体簡単な事ではなく、その間の精神も安定させなければならないとなると、最早常人に出来るような芸当ではなくなってしまう。なので常人を異常たらしめる様な動機が無ければこの苦行には抗えないが、今のチロチンには『人間への制裁』という動機がある。わざわざこの曲を演奏しようと思ったのも、ある程度の覚悟を抱いての事だ。
 しかしそれは裏を返せばこの動機を失ってしまえば気が抜けてしまうという事でもあるので、やはり彼女の制止を聞くつもりはない。演奏が終わるまでは、少なくとも。
「ここ、アルド様が帰ってくる所なんでしょ? だったらこんな事をしないで―――」
「…………黙れ、リーナ。あの恩知らず共の行動が続く限りいつかはこうなっていた」
 無事に演奏が終了してからそう言い放った時、視界に映るリーナの顔が恐怖に歪んだ。その視線の先には紛れもなく自分が居るので思わず顔を触ってみるが、彼女は盲目。きつい表情をしていたとしても見える筈はない。となれば、自分の雰囲気が刺々しいのか。一旦心を落ち着かせてから、改めて話しかける。
「アルド様がどうしてこちら側にいらっしゃるか、分かるか?」
「人間に裏切られたから、だよね」
「ああ、あの慈悲深き御方を裏切ったのが人間だ。ただ一度、全力の殺し合いを除けば私がどんなに攻撃を加えても、決して私に反撃する事をしなかったあの御方を裏切らせるに至ったのが人間という種族だ。良いかリーナ、人間という者はだな、その時その時で有利な立場につき、安全な場所から好き放題していたいのだ……どうなるか知りたい癖に、自分ではやらない情けない存在、権利ばかり主張して義務を果たさないゴミ以下の存在。アルド様が今まで助けていたのはそういう存在で、だから裏切られた……しかし、改めて言うまでもなかったな。そもそも、人類が皆アルド様の様であれば、魔人と人間が対立する事は無かった。今までも、これからも」
 そうは言うものの、キリーヤ達に手を出すつもりは無かった(影響を及ぼしてしまうのは申し訳ないが、勝手に避難してくれるのなら深追いしない)。手を組んでいるからという理由もあるが、やはりアルドと交友関係を築くだけあって、彼女達も魔人に対する差別を持ち合わせていない(キリーヤについては元ハーフだが)。人間が嫌いと言っても、人を個々に見ようとせず嫌ってしまえば人間のやっている事となんら変わらないので、自分はしっかりとその個人を見た上で、嫌いか否かを判断する。人間は嫌い、とは言っているが、それは今まで見た人間とリーナを虐げたあの人間に向けられている言葉で、今の所面識のない人物やアルド、その弟子などを嫌っているつもりは無い。もしもその雰囲気を感じたのなら、それはきっと自分の嫌いなタイプが多いから、巻き添えを受けていると思ってくれて良い。ただし避難所に残っていた全ての人間は同罪だ。彼女は気付いていない様だったが、あの避難所に居る人間は全て……魔人に対して否定的処か淘汰的な感情を抱いている。フェリーテ程では無いが、自分だって心が読める―――発言の中から心意を拾い上げているだけとはいえ、今回はまず間違いない。彼等に魔人を歓迎するような気は欠片も無い。誰一人として、共存を望んでいないのだ。
「チロチン様ッ!」
 音が届きやすい様、自分は家屋の屋根で座している。まず来ようと思わなければ誰も来ないので、その声はきっと、自分を止めに来たのだろう。背後を振り返ると、二人の男を連れた少女が立っていた。
「……元に戻せと、言いに来たのか?」
 どうやってここに来たかは分からないが、男の右手にある鞭と思わしき武器が自律して動いているので、あれを使ったのだと思われる。十中八九も何も異名持ち……見覚えが無いので、便宜上と見て良いかもしれない……の武器だ。
「―――はい。その通りです。皆さんを元に戻してください」
「断る」
 チロチンの意思は固かった。アルドに命じられるならばまだしも、共存を夢見る少女如きの言葉に心動かされる程、この心は純粋ではない。しかし少女に諦める様子が見て取れないのを見ると、彼女もまた、それなりの覚悟をしてここに居る様だ。
「……では問おう。人間達を元に戻した事で得られるメリット、利益は何だ?」
「え?」
「利益がこちらに著しく傾くのであれば、アルド様の為にも戻してやる事は吝かではない。が、無いのであれば話は別だ。あの人間達には、侮蔑してきた魔人の力によって操られる事に屈辱を感じながら死んでもらいたい。それが代償というモノだ。丁度良いと思わないか。その場凌ぎの発言で命を繋いで、絶対に安全な所で好き放題発言する支配者気取りの種族には!」
 怒る、というのは久しぶりな気がする。今までで一番怒った時というのは、比較するまでも無くあの時―――ファーカを救う為に、アルドがこちらの事情に踏み込んできた時だ。結果として全力の殺し合いの末に敗北したが、今の自分はあの時と同等、それ以上の激情を抱いている。
 共存という状態がどれだけの幻想か、良く分かる。こんな種族とは共存が出来ると思わないし、そもそもしたくない。共存とは、互いが互いを対等であると認め合って初めて共存になる筈だ。ここで一つ尋ねたい。魔人の事を『人間もどき』呼びする奴とどうやってそれをしろと言うのか。答えは否、そもそも出来る訳が無い。相手にその気がないのに和解なんて馬鹿馬鹿しい。それは降伏と言うのだ。
「大丈夫だ。アイツ等は何としてでも殺すが、お前達に手を出すつもりは無い。逃げてくれる分には私も追求しないし、もしも仲間の内誰かが影響を受けたと言うのなら、そいつだけは戻そう。だから邪魔してくれるな。今の私は機嫌が悪い。幾ら手を組んだ間柄と言っても、気を失わせるくらいには痛めつけてしまうかもな」
「…………利益はあります。チロチン様が戻してくれたら、きっと皆さん魔人の事を見直してくれる筈です」
「は?」
「殺されたら殺し返して、殺し返されて。そんなの終わらないじゃないですか! だったら誰かがその連鎖を止めなきゃ、きっと何も変わりません! それをチロチン様が担って下されば―――絶対に見直してくれる筈で……」
「力の無い奴が理想を語るな!」
 あまりにも耐え難い理屈に、つい声を荒げてしまった。一体どんなとんでもない理屈を展開してくるのかと思いきや、語られるのは綺麗事ばかりで、まだそれ程時間は経っていない筈なのに、何故だろう。食傷しているかの様に胸がムカムカする。きっと、彼女の発言があまりにも現実離れしすぎていて、何の根拠も無いから。かつての自分を見ている様で、吐き気を催してしまうからだ。
「……戦争で生き残るのは弱者だが、弱者が何を語った所で何も変わらない。正義こそ力、悪こそ力。どちらにしても何かを変えるのは力だ。お前には、力が無い。アルド様の様な英雄性も無ければ、その信念に基づく意思の強さも無い。泡沫の未来に想いを馳せる事を悪いとは言わないがな、あまり根拠が無いのは好きじゃない。絶対に見直してくれる筈、だと? まるで最初は見下している様じゃないか。どうして俺がそんな奴らとの間にある負の連鎖を断ち切らなきゃならない。考え方を改めるのは人間の方だ。見る限りそこの男は分かっている様だが、この闘技街に居る人間の心には欠片も魔人に対する好意的な感情が無い。一方で私達にはアルド様がいらっしゃる。好意的でなくとも、否定的ないしは淘汰的な感情さえ持っていなければ、私達だってそいつらを嫌ったりはしない。お前達が良い例だが、それで。どうして私が認識を改めなくてはいけないんだ―――?」
















―――一言でも言葉を間違えたら、いけない。その縛りの難しい事を、キリーヤは良く分かっていた。

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