ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

地上最強の英雄

「…………なッ」
 その剣戟が微かにも見えなかった事に、『貴』は驚きを隠せなかった。自分達は死の執行者に選ばれし強者だ。その証拠に、この世界でもかなり強い部類であろう集団を一時間も経たずして制圧した。『蔑』の能力で執行者に偽装してもらい、彼等を疲労させた所を叩いたとはいえ、それこそ紛れもない作戦勝ち。誰が何と言おうとオルト・カローナは強者の集団であり、その内の一人がこうもあっさりと不意を突かれる事なんてあってはならない。しかし確かに……『貴』の両腕はたった一撃で切り落とされた。自己再生の能力は機能しない。
「貴様いったッガ―――!」
 直ぐに後退しようとしたが、男の攻撃範囲に足を踏み入れていた『貴』に未来は無かった。瞬く間に首を斬られ、背中から倒れ込む。自己再生が従来通り機能していればまだ抵抗の余地もあったのだが、真理に帰した体にその力はない。二度と起き上がる事は無かった。男は確実な手応えを感じたからか死体を踏みつけて、残りの彼等へと近づいていく。
 決して『貴』が弱かった訳じゃない。男の剣戟があまりにも早すぎた事が問題であり、それは残りの誰しもが理解していた。不思議なのは、それでも男の殺意が全然昂らない事。黒く染まる事も無ければ白と消える事も無く、只落ち着いて、一定の波を保っている。その割には涙が止まる様子も無く、むしろこちらへ一歩、一歩と近づいていくごとにその涙は勢いを増している。どうなっているのだ。感情が昂れば殺意も昂る筈なのに、男の感情と殺意は、全く反対の動きを見せている。
「…………ア―――様………」
 虚ろと霞むその声は、『藏』によって捕縛されている女性の声。腹部を刺し貫かれているにも拘らず、まだ意識を保っていた様だ。その強靭さには目を瞠るモノがあったが、『藏』が軽く顔を殴りつけると、今度こそ本当に意識を失った。
「……私が、あらゆる能力が数値化された世界から連れてこられた事は、貴方達に教えたわよね?」
「あ? そうだったか? で、それがどうしたんだよ」
「あの男、おかしいのよ。何の補正も掛かってない。数値だけ見れば只の人間……ううん、それ以下。実力では紛れもなく私達が勝ってる……筈なんだけど」
 だからこそ『貴』が負けた事が分からない。彼もまた、実力の上では遥かに男を上回っていた。その彼に何の手出しもさせる事無く葬ったあの男は、『誉』の常識を容易く覆していた。数値では計れない、実力では分からない。こんな存在が人間だなんて思えない。安全策を取るのであれば今すぐにでも逃走に切り替えるべきなのだろうが、この男が目の前に居ると、直ぐに背中を切り裂かれる未来が見えるのは、果たして自分だけだろうか。
 ゆっくりと近づいてくる男の対処に悩んでいると、手持ち無沙汰な『奮』が大槌を持ち上げ……一気に男へと肉迫。その胴体を一撃で粉砕せしめんと薙ぎ払うと、男はそれに裏拳を叩き付けて対処。僅か数秒の抵抗も無く、『奮』の大槌は脆くも崩れ去った。
―――は?
 岩塊に等しき大槌をたった一撃で砕く事がどれ程の難行か分かるまい。彼の持っていた大槌はその辺りの山をも上回る硬度と密度を持っている。真理剣を使用したならば話も分からなくはない。少なくとも、大槌に対処するにはその剣を使うしか無いだろうと思っていたから。
 実際には只の裏拳で破壊された訳だが。
 一気に重量の無くなった大槌が振り抜かれると同時に男の剣戟が『奮』の首を切断。やはり自己再生能力が機能する事は無く、彼もまた死亡した。その身体が横に崩れると、『奮』の体格で隠れていて気付かなかったが、男の左目が青白く発光している様な錯覚に陥る。数値化された情報では、あの男に魔力は無い。であれば特殊能力かと思われたが、それも情報の限りでは見えない。分からない。
 『誉』は背筋に冷たい刃が這いずるのを感じた。最悪だ。完璧に勝利したと思っていたのに、最後の最後でこんな奴と対峙する何て。残りのメンバーは三人。『生』、自分、『藏』だ。『生』はその性質上、正面戦闘には向いていない。となれば後は『藏』だが、彼の捕らえている女性がまたいつ意識を取り戻すか分からないので、背後に放置する訳にはいかない。自分が行くしか無いだろう。氷漬けになった『竜』を背後に突き倒してから、『誉』は一歩踏み出す。全員同時に飛びかからないのは、さっきも言った通り捕らえたばかりの彼等に意識を取り戻される可能性を危惧しての事だ。挟み撃ちされて撃破なんて笑えない。先陣を切った筈の二人が即死した以上は、慎重に事を進めなければ。
「私達に歯向かうという事がどういう事か、分かってるかしら」
「世界を敵に回すとでも」
「その通り! 貴方はもう平穏を過ごせなくなる。それでも本当に……良いって言うの? これからの未来を、貴方は最悪なモノにしようとしているのよ?」
「俺が一人サイアクになる事で他が幸せになるのなら、それでいい。英雄とはそういうモノだ」
 話し合いでどうにかなればそれで良かったが、通じる相手では無かったようだ。『誉』はいつも通り足元に魔法陣を設置して、手を振りかざす。すると、その指令に応じる様に何処からともなく暴風雪が舞い込み、男の全身へ降り注いだ。これが『誉』の能力、天候操作だ。そこの『竜』は自分が冷気を扱う存在だと思っていたようだが、その気になればあらゆるモノを取り扱える。例えば雨、たとえばかまいたち、例えば雷。狙った場所に、望み通りの出力で、好きなだけ放出できる。この力があまりにも大規模な戦闘で有効だった為、自分は執行者に誘われたのだ。今回の様な形での戦いは得意では無いが、いつの時代も生物は自然に敵わない。瞬く間に男の体温が奪われると同時に、その身体は凍結し始めた。男はそれでも歩く速度を早めず接近。愚かな判断だ。そんな事をすれば、男の身体は芯まで冷え込んでそこの『竜』と同じ結末を辿る。念の為更に勢いを強めて決着を付けようとしたが、ふと風から何かを感じた『誉』は反射的に向かい風で自らを吹き飛ばして退避。いつの間にやら、男が魔法陣まで踏み込んでいた。刃が振り抜かれている様子から、攻撃を仕掛けた事に気が付く。早すぎて見えなかった。というより、いつ踏み込んだ。男は攻撃を躱された事を気にも留めず、また歩き―――いや、今度は違う!
 すかさず身に纏うように風を巡らせるが、背後に回り込んでいた男の一撃が逸れる事は無かった。振り下ろされた刃が背中を切り開き、大量の血液を迸らせる。即死が免れただけでも幸運だ。前によろめきつつ背後に雷撃を叩き込んで距離を取ろうとするが、男は雷撃を素手で掴みこちらに投げ返してきたので、実際に距離を取る事は出来なかった。何とか前方に真空防壁を張ってそれを防ぐが、それに重ねるように放たれた男の刺突までは防げない。真理の融けた一撃が、『誉』の胸を貫いた。
「ガア……ッ!」
 熱い。男の持つ剣が融けているのは分かっていたが、まだ熱を持っているなんて。大気と位置を入れ替えてどうにかその場は逃れるものの、貫かれた箇所が再生する事は無かった。治癒魔術を掛けてみても変わらない。先程の刺突が的確に心臓へ放たれていたら死亡していただろう。いや、正確にはあの剣で刺されれば。
 男は素早く地面から引き抜くと同時にこちらへ急接近。事前の構えから横薙ぎだと考えた『誉』は前方に岩石をも持ち上げる上昇気流を発生させる事で男を吹き飛ばし、その攻撃を中断。そこから気流にかまいたちを乗せれば男は為す術も無く切り刻まれると考えたが、実際はその気流もろとも両足を切り裂かれて、移動力を失うだけだった。足を失った上半身が地面に倒れ込むと同時に、今度こそ逃がすまいと男の一撃が額に直撃。大気と位置を入れ替える暇もなく、『誉』は死亡した。
「……次は、どっちだ」
 残りの二人、『生』と『藏』は無言で顔を見合わせる。果たしてどちらが行くべきなのかと。どちらも捕らえた存在を離す訳にはいかない。目覚める可能性を危惧すると、この状態を保っておく事が一番だからだ。とはいえそんな状態で戦えば今までと同じ結末を辿るのも事実。仮にも死の執行者と呼ばれる存在に誘われた以上、あの様に無様な敗北はしたくないのが本音だった。
 次に二人が男の方へ視線を向けた時、既に男は女性から槍を引き抜いて、その槍を『生』の頭に突き刺していた。
「決められないなら俺が選ぼう。まずはお前だ、薄汚いクソ野郎」
 頭蓋を容易く破られた『生』は一時的に意識を喪失。その頭部を分離する為に男がすかさず首を刎ねたので、その意識が戻る事は無くなり、その頭部はずっと玉聖槍に貫かれたままとなる。
 後は、『藏』一人。男は女性を大事そうに横へ下ろしてから、彼女の手元へ槍を投げ捨てた。いつの間にか刺し傷が無くなっている。
「彼女は俺の大切な友人だ。今となっては数少ない人間のな。そしてお前が先程から刺しているそれは、私の大切な部下であり、苦楽を共にした親友だ。そこで氷漬けになっている奴も同じだ……なあ、その代償を、お前達は何で支払ってくれるんだ」
「あし等が、憎いか?」
「ああ、憎いとも。憎くて憎くてたまらない。こんなに憎く思ったのは初めてだ。ナイツを連れ攫われて酷い目に遭わされたのは今回が初めてじゃない。でもおかしい。あの時よりもずっと、俺は怒っている。全然理由は分からなかったけど、お前達を殺してきてようやく分かった。俺は只、お前達の様な奴が許容出来ないんだ。己の願いを叶える為に努力を極めず、執行者の力に恐れをなして下につく……腹が立つ。むかつくんだよ」
「……お主には分からぬだろう。執行者の強大さがな」
 話は平行線。これ以上は理解される事も無く、只お互いの主張がぶつかり合うだけだ。ならばする事など最早一つ。どちらが正義でどちらが悪か。
 正しきを決めるのは全て―――勝利である。
「……本気で掛かって来い。命を懸けて戦うとはどういう事かを、教えてやる」
 神の鎧をまといし男に、英雄は反逆の刃を向けた。


 

「ワルフラーン ~廃れし神話」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く