ワルフラーン ~廃れし神話
生命の起源、終結の執行 2/2
万全の状態で戦って互角以下だと言うのに、執行者戦で疲労した三人がまともに勝負出来る筈もない。特に『藏』は先程の横槍で相当気分を害したらしく、最初からファーカを全力で殺しに来ていた。
「ギャッ!」
奇跡なのかわざとなのか、フィージェントは既に戦力外と見なされて攻撃をされない。相手からすれば半身の無くなった奴なんぞより五体満足の方が脅威という事だろう。実際その通りなのだが、言い換えればそこに付け入る隙があるとも言える。取り敢えず、動こうと思えば動ける。だが今じゃない。今動いても脅威と感じられて攻撃されるだけだ。暫くは碌に動けもしない重傷人のフリでもして、三人に相手を任せるとしよう。
とは言っても、数量においてもこちらが不利、疲労度においてもこちらが不利、準備においてもこちらが不利……一体何だったらこちら側に有利が傾くのか分からないくらい万全の準備を整えてきた五人を相手に、自分達は一体どう立ち回れば良いのだろうか。
「うぐごぉッ?」
戦いが始まって数十分。良くもまあそれくらい保ったモノだと言いたいが、ナイツ達もそこまでだった。執行者との戦いは存外に……この体に疲労として蓄積されていたという事だ。
瞬く間にナイツを含めた三人は……制圧された。
ファーカは『藏』の剣に身体を貫かれた状態で捕縛され、ユーヴァンは彼の危惧していた通り、氷漬けに。エリに至っては…………玉聖槍によってその身を貫かれていた。唯一この場合にまともに動けるのはフィージェントだけだが、先程も言ったように動くべき時は今じゃない。今はたとえナイツやエリを見捨ててでも重傷人を演じ切るべきだ。そうでないと本当に詰んでしまう。
「容易いな。しかしこれ程の強さであれば、わざわざこのような策を取らなくとも良かったのではないか?」
『貴』の言う通りである。カテドラル・ナイツとオルト・カローナには明確な実力差があった。それはファーカが『藏』と戦った時点で判明している。あの時でさえ彼女は自分が横槍を入れなければ敗北していたし、ユーヴァンに至っては万全の状態から敗北しかけたと本人が明言していたので、叶う筈もない。エリはそもそもの実力差から論外だ。先程と同じように権能で補正を掛けてやればその限りでは無いだろうが、『嘆』の存在から言って権能を掛ければ自分の能力を勘付かれて狙われる可能性が高い。非道に見えるが、これも生き残る為の戦略。そしてこれからの勝利を導く為の布石でしかない。
「あしは不満じゃな。万全の此奴ともう一度だけ戦いたかったというのに……まあ良い。強い女は好きじゃ。この女化生は嫁にでも貰うとしようか」
「そこの男はどうするの?」
この中では唯一の女性である『誉』が遂にこちらへ意識を傾けた。ここで自分を危険だと悟り殺せるような奴が居ればお手上げだが、『嘆』がその類だったと思われるので、今は全く脅威にならない様な演技をするしかない。権能を使って体内から過剰に血液を放出。口元からも血が出る様に設定してから咳込むと、少々過剰な量が吐血される。ああ、意識が狭まってきた。血液は自ら増やしているとはいえやはり吐血はその血を体外に排出する事に他ならない。少しなりとも意識がぼんやりするのは当然か。しかし相手を騙すならば味方から、味方を騙すなら自分から。その演技が功を制したようで、暫くこちらを見ていた『奮』が興味を無くしたように身を翻した。
「放っておけ。こんな雑魚一人じゃ何も出来ねえ。みろよ、あの血を。喋る事すらままならねえじゃねえか」
「……俺も賛成だ。あれはどう考えても直に死ぬ。あんな奴を殺したって何の箔にもならないし、放っておけよ」
二人はあの集団の中でも意見を尊重される立場にあるらしい、後を追うように他の者もその意見に乗り出した。そして全会一致で放置の案が可決されると、オルト・カローナはこちらから興味を失ったように城を出て行く。この時点で動けば一人や二人は仕留められただろう。だが、全員は無理だ。特にあの『藏』……アイツがあの鎧を着ている限り、こちらは権能を使えない。助けを求めるようなエリの目線を、フィージェントは項垂れて返す他なかった。この状況を打開する方法は只一つ。あちらの戦闘が終了していると良いのだが…………
「……フィージェントだ。そっちはどうだ、ドロシア」
「…………うん。こっちは先生を助けられた。あの女の人には上手く逃げられたみたいだけど、こっちは大丈夫」
魔導朽震砲の威力は凄まじいの言葉に収まるモノでは無かった。周囲の建造物を根こそぎ消し去った挙句、範囲内の法則まで全て消し去ってしまった。魔法陣の足元では大穴が侵入物を迎え入れる様に口を開けているが、重力という法則さえ消え去った今では、万物がその上でふわふわと浮いているだけである。それはナイツや創の執行者にしても例外では無く、一応防壁を貸したとはいえ、その魔力量に当てられた二人は無様に浮遊しながら執行者の治療を受けていた。それでは肝心のアルドはというと……無傷だ。ドロシアは全力で魔術を行使したと同時に、それ以上の全力を使ってアルドの周りに防壁を張った。たとえどんな攻撃が来たとしても、あの瞬間のアルドに傷一つ付けられる輩は存在しない。ドロシアは改めて彼に近づき、その生命力を確認。呼吸を確認しないのは、空気も消し去ってしまったからである。
――――――良かった。
「それと、先生も無事だよ。フィージェントは?」
「俺はギリギリ致命傷だが、他の奴等が無事じゃない。オルト・カローナって野郎共に連れ去られた……なあ、ドロシア。先生の肉体、回復出来そうか?」
彼の肉体には現在、約八八六〇億もの死が変換されて疲労として蓄積されている。一人の人間が不老不死になったとしても、その限界はおよそ一万回と言われているが、彼は倍にするのも面倒なくらいの死を抱えて尚、生きている。ここまで死を抱えていれば永久に意識を取り戻す事がないとしても当然の事であり、それでもアルドが動き続けるのは、カテドラル・ナイツの存在があるからだ。他人を救う事でしか生きられない男、アルド。その心では戦い無き平和を望んでいるが、戦乱の世界でなければ彼の居場所は無い。あらゆる世界に訪れてドロシアは学んだ。自分の大好きな人は……英雄を拗らせすぎたのだと。
それが彼を縛っている。死に抗い、運命に抗い、敗北にすら抗って、彼の魂を縛っている。それが解き放たれた瞬間こそ彼が死ぬ時には違いないが、少なからず彼は現在の役目を終えるまでその気は無いだろう。そのどうしようも無さを見かねたのがフィージェントであり、だからこそ彼の心には『アルドを殺さなければならない』という思いがある。
しかしドロシアは違った。アルドが教えてくれた感情。それは恩でもあり、愛でもあり、恋でもあり、全てである。そんな人を、どうしても自分は殺したくなかった。我儘なのは分かっている。分かっているが……彼は最も手っ取り早く自分を救う方法として殺す方法を選ばなかった。その方が様々な脅威に狙われずに済む事を分かっていたのに、である。だから自分も、妥協はしない。たとえそれが最も手っ取り早い救済だったとしても、絶対に選ばない。
自分が別の世界へ行っていたのは何とかして彼を救う方法が無いかを模索したからであり、結果から言って彼を根本から救う方法は見つけられなかった。アルド・クウィンツはあまりに死に過ぎて―――生物でも無ければ無生物でも無い存在となっていたのだ。しかし神以下の存在である事に変わりはなく、だが何処にも属さない状態。あらゆる次元を訪れてもそんな存在は彼以外に観測出来なかったし、知る事も出来なかった。だから、彼を根本から救う方法はない……根本からは。
躊躇っているのは、根本から解決しないという事はまた彼に無茶をさせる権利を与える事と同義であり、出来る事ならもう……戦ってほしくないという思いがあるからだ。そうも言っていられないのは分かっている。分かっているが。
数分の間を置いて、ようやくドロシアは口を開く。
「あるよ。治療法。でも……それをしても先生を根本から助ける事は出来ない。私と貴方が居ても、もう先生は……!」
「――――――いや、助けられる」
…………え?
「何か知ってるのッ?」
「ああ。知っている。勿論躊躇ってなんかいないし、直ぐにやるつもりだ。その代わり、頼まれてくれ」
「……何?」
果たしてその言葉の重みを直ぐに理解出来た人間が、どれくらい居たのだろうか。重苦しい口調で、フィージェントは遂に呟いた。
「まず一つ。これをやったら先生は直ぐに目覚めるだろうけど、その前に直ぐ飛ばしてくれ。出来れば俺が今いる場所の前ぐらい。それと―――こっちが一番重要だ。カテドラル・ナイツは現状半壊状態。残りの方は何とかなってるみたいだが、こっちは連れ去られて、しかもそれを取り戻すには、先生に本気を出させなくちゃいけない。そうしたらまたあの人の負担が増えて……多分、次にこんな事が起きたら戻れなくなる。だからお前が支えてやって欲しい。お前、先生の事大好きだろ?」
「…………うん、大好き」
「だったら頼む。俺はお前と、先生の意思に期待するしかないんだ。この戦いは全て先生に懸かっている。あの人が居なきゃ勝てない……合理的に考えたらあり得ないのに……俺はそう思うんだよ」
フィージェントの声が震える。思考越しに話しているにも拘らず、彼は声を情けなく震わせて、それでも何とか会話を続けていた。この先に待ち受ける結末を考えると、当然かもしれないが。
「………………はあ。怖い。怖いよ。以前だったらこういう時、先生が励ましてくれるんだけどな。俺は……どうやら、旅立たなくちゃいけないらしい」
何と励ましたら良いのだろう。こういう時、アルドならばどうやって励ましただろう。あらゆる次元を渡って人と触れ合ってきたつもりだが、まだ分からない。どうすれば彼は泣き止んでくれるのだろうか。
「……ごめんなさい」
そう言うしかなかった。その言葉しか出なかった。他にどんな言葉を言おうと思っても喉がつっかえて、それでも吐き出してこれだけ。
思考越しにフィージェントが微笑んだ。
「無理しなくたっていいさ。お前は俺より辛い道を選ぶんだ。これから先生をずっと支えなきゃならないって役割をさ。本当は子供とか居ればあの人ももっと落ち着くんだろうが、あんな性格じゃ戦いが終わらない限りそんな事にもならないだろう…………最後に話せて良かった。有難うドロシア……またな?」
「……もっと貴方と話してみたかった」
「俺もだ。お前みたいな美人が弟子に居るんだったら……ああ、先生に最初から聞いておくんだったよ―――」
あちらまで壊滅していたらどうしようと思っていたが、流石にそこまではあり得ない様で何よりだ。これで安心してフィージェントは……全てを託す事が出来る。まだ別れを告げられていない人物も居るが、それは仕方ない。今まで相手の動きには全く隙が無かった。あるとすればそれは今であり、成功すれば彼等の敗因は『フィージェントを放置した』事に他ならない。この命を代償に彼等を嘲笑う事が出来るなら、それでよしとしよう。
「アルド・クウィンツ。剣の才能も無く、魔術の才能も無い。けど誰よりも強い……俺の大好きな先生。どんなに実力差があっても意思だけでそれを覆し、勝利を勝ち取ってきた先生。俺は先生に恩返しをしたいなと思ってた。だから先生を殺してやればいいかなと思った。けど無理だった。次に出会った時の先生には、死ねない理由が出来てたから。そんな理由を持っている先生に、俺がたとえ実力で勝っていても勝利できる訳が無かったんだ。だって、貴方はそういう人だった。理由一つあればあらゆる存在に臆することなく抗う人だった。俺はずっと……その背中を追っていたんだ。それがかっこいい男だって信じてたから」
ずっと、使う事は無いと思っていた。だって、先生と約束したから。
一つ。死者を蘇らせてはいけない。
一つ。特別な力だから、それがあるからと言って、驕ってはいけない。
一つ。人である事を弁えろ。
でも彼を……アルドを救うには。
「だから俺、抗うよ、最後まで。先生との約束を破ってでもこの戦いに勝利する。いや、しなきゃならない。キリーヤの御守り、続けられなくてごめんなさい。そして、約束を破ってしまってごめんなさい」
フィージェントは意識を放棄して、その権能を行使した。
今まで有難う、先生。こんなバカ弟子だけど、俺はずっと貴方を――――――
微かな記憶の曖昧から自己矛盾を起こしたワタシは、遂にワタシでなくなった。ワタシとは一体誰なのだろう、ワタシとは何なのだろう。ワタシとは一体…………英雄とは…………一体…………
―――英雄ってのは、どんな時も決して諦めない人の事だよ。
誰だ? ワタシに語り掛けてくるモノは。周囲を見る。居ない。居る筈もない。ここはワタシの中であり、ワタシ自身。ワタシ以外に誰かが居るとは思えない。
―――単純な力じゃない。それは意思なんだ、怪物よりも強大で、神よりも尊い。人にしか持てない特別なモノ。
それがワタシ。いや、ワタシである筈が無い。そうであればワタシが、ワタシがここに居る理由が分からない。ワタシが…………オレが。
―――誰でも無い誰かの為に剣を振るう。それが英雄。オレの大好きな人。膝を屈しても必ず立ち上がり、頭を垂らせど持ち上げて、何度刺されようと斬られようと、その意思があるまで動き続ける最強の人。
オレは…………何の為に英雄になった?
―――ダレカノタメニ。
何を思って英雄になった?
―――ツヨクナリタカッタ。
誰が見ている?
―――ジブンジシン。
何故諦めない?
―――ソレガ英雄。
…………ああ、そうか。そうだった。オレは英雄だった。英雄だったんだ。オレ……俺はどんな時も逆境を打ち破る英雄になりたかったんだ。あらゆる全てのモノに打ち克つ人間になりたかったんだ。どうして忘れていたんだろう、どうして忘れてしまったんだろう。
この身は何処までも英雄だった。しかし裏切られた事でそれを見失い、『私』は魔王になったんだった。英雄の側面を切り捨ててでも、自分を必要としてくれる魔人の為に、私は魔王となったのだ。しかし、それは無茶でしかなかった。
百万の魔人を一人で撃破したのも、地上最強と呼ばれるようになったのも、全ては『英雄』である自分が居たからだった。それを切り捨てようなんてとんでもない。それでは、この体が一体何の為にあるのか分からなくなってしまう。
私は戦乱の世に生み出され、それを鎮める為に生み出された人間だ。その使命を放棄して、あまつさえ誰かに託そうとする事は自分が許さない。『戦う』事こそ自分の生きる理由。どんな重みを背負う事になってもこれはきっと自分にしか持てないし、自分にしか果たせない。
たとえ無限の死が押し寄せようとも。
たとえ意識が深淵の底に飲み込まれても。
たとえ記憶を失ってしまっても。
戦う。それしかない。英雄とはそういう存在だ。
そして少なくとも―――こんな所で眠っている場合ではない!
後は剣の執行者次第だが、これで世界争奪戦はほぼ勝利したと言っても過言では無いだろう。相手の主戦力を全て潰し、前線は完全にこちらが占領した。あの後、やはり瀕死であっても殺すべきだと考え直した『貴』は直ぐに部屋へ戻ったが、あの男は壁に凭れ掛かったまま死んでおり、意識は無かった。その際の顔と来たら穏やかに微笑んでおり、まるで勝利を確信したかのような希望に満ち溢れていたが、それだけはあり得ない。彼等が根城としていたリスド大陸は現在死の執行者が潰しに行っている。彼の手に掛かればまず生存はあり得ないので、仮に残党が居たとしても行き所を失ってどうしようもない筈だ。
斯くして世界争奪戦は正義の側が勝利を収め、世界の調和を乱していた悪は完膚なきまでに叩き潰されたのであった。
「…………ん?」
レイナスと合流しようと歩いていた時、砂煙と共に不安定な人影が飛び出してきた。直ぐに近くの雑兵がそれを殺害せんと駆け寄ったが、たった一撃で雑兵の首が両断。それから数百人が同時に掛かっても、結果は変わらなかった。
面白い。そう感じた『貴』は他の者に待機を命じてから、一人その人影へと歩き出した―――直後。
砂煙が晴れて、不安定な人影は明確にその顔を晒した。
「……お前達か」
火傷痕がはっきりと残っている醜い顔立ち。にも拘らずその双眸からは滂沱の涙を流しているので尚醜い。目の前で指をさして嘲笑ってやろうとも思ったが、その男の手に握られている剣を見て、その気持ちは霧消する。
真理剣と呼ばれるそれは、真理を剣に変えたモノ。真理とは『ここに在る』という絶対不変の法則であり、如何に執行者と言えども抗う事の出来ない絶対法則。その法則が……融けているのだ。驚くなという方が無理である。
「貴様…………何者だ」
男は会話を成立させる事も無く、一言。「お前達なのか」
「は?」
「お前達が…………フィージェントを殺したのか。お前達が、私の最愛の部下と弟子を、滅茶苦茶にしたのか?」
「―――そうだと言ったら?」
男の殺意が落ち着いていた事に違和感を覚えたのもあって、からかい気味に『貴』は挑発。男は「そうか」と言ってゆっくり剣を持ち上げると、直後。
「こんな感情、初めてだ。でも悪くない。この感情があるから俺は……お前達に刃を向ける事が出来る」
『貴』の両腕を切り落とした。
「ギャッ!」
奇跡なのかわざとなのか、フィージェントは既に戦力外と見なされて攻撃をされない。相手からすれば半身の無くなった奴なんぞより五体満足の方が脅威という事だろう。実際その通りなのだが、言い換えればそこに付け入る隙があるとも言える。取り敢えず、動こうと思えば動ける。だが今じゃない。今動いても脅威と感じられて攻撃されるだけだ。暫くは碌に動けもしない重傷人のフリでもして、三人に相手を任せるとしよう。
とは言っても、数量においてもこちらが不利、疲労度においてもこちらが不利、準備においてもこちらが不利……一体何だったらこちら側に有利が傾くのか分からないくらい万全の準備を整えてきた五人を相手に、自分達は一体どう立ち回れば良いのだろうか。
「うぐごぉッ?」
戦いが始まって数十分。良くもまあそれくらい保ったモノだと言いたいが、ナイツ達もそこまでだった。執行者との戦いは存外に……この体に疲労として蓄積されていたという事だ。
瞬く間にナイツを含めた三人は……制圧された。
ファーカは『藏』の剣に身体を貫かれた状態で捕縛され、ユーヴァンは彼の危惧していた通り、氷漬けに。エリに至っては…………玉聖槍によってその身を貫かれていた。唯一この場合にまともに動けるのはフィージェントだけだが、先程も言ったように動くべき時は今じゃない。今はたとえナイツやエリを見捨ててでも重傷人を演じ切るべきだ。そうでないと本当に詰んでしまう。
「容易いな。しかしこれ程の強さであれば、わざわざこのような策を取らなくとも良かったのではないか?」
『貴』の言う通りである。カテドラル・ナイツとオルト・カローナには明確な実力差があった。それはファーカが『藏』と戦った時点で判明している。あの時でさえ彼女は自分が横槍を入れなければ敗北していたし、ユーヴァンに至っては万全の状態から敗北しかけたと本人が明言していたので、叶う筈もない。エリはそもそもの実力差から論外だ。先程と同じように権能で補正を掛けてやればその限りでは無いだろうが、『嘆』の存在から言って権能を掛ければ自分の能力を勘付かれて狙われる可能性が高い。非道に見えるが、これも生き残る為の戦略。そしてこれからの勝利を導く為の布石でしかない。
「あしは不満じゃな。万全の此奴ともう一度だけ戦いたかったというのに……まあ良い。強い女は好きじゃ。この女化生は嫁にでも貰うとしようか」
「そこの男はどうするの?」
この中では唯一の女性である『誉』が遂にこちらへ意識を傾けた。ここで自分を危険だと悟り殺せるような奴が居ればお手上げだが、『嘆』がその類だったと思われるので、今は全く脅威にならない様な演技をするしかない。権能を使って体内から過剰に血液を放出。口元からも血が出る様に設定してから咳込むと、少々過剰な量が吐血される。ああ、意識が狭まってきた。血液は自ら増やしているとはいえやはり吐血はその血を体外に排出する事に他ならない。少しなりとも意識がぼんやりするのは当然か。しかし相手を騙すならば味方から、味方を騙すなら自分から。その演技が功を制したようで、暫くこちらを見ていた『奮』が興味を無くしたように身を翻した。
「放っておけ。こんな雑魚一人じゃ何も出来ねえ。みろよ、あの血を。喋る事すらままならねえじゃねえか」
「……俺も賛成だ。あれはどう考えても直に死ぬ。あんな奴を殺したって何の箔にもならないし、放っておけよ」
二人はあの集団の中でも意見を尊重される立場にあるらしい、後を追うように他の者もその意見に乗り出した。そして全会一致で放置の案が可決されると、オルト・カローナはこちらから興味を失ったように城を出て行く。この時点で動けば一人や二人は仕留められただろう。だが、全員は無理だ。特にあの『藏』……アイツがあの鎧を着ている限り、こちらは権能を使えない。助けを求めるようなエリの目線を、フィージェントは項垂れて返す他なかった。この状況を打開する方法は只一つ。あちらの戦闘が終了していると良いのだが…………
「……フィージェントだ。そっちはどうだ、ドロシア」
「…………うん。こっちは先生を助けられた。あの女の人には上手く逃げられたみたいだけど、こっちは大丈夫」
魔導朽震砲の威力は凄まじいの言葉に収まるモノでは無かった。周囲の建造物を根こそぎ消し去った挙句、範囲内の法則まで全て消し去ってしまった。魔法陣の足元では大穴が侵入物を迎え入れる様に口を開けているが、重力という法則さえ消え去った今では、万物がその上でふわふわと浮いているだけである。それはナイツや創の執行者にしても例外では無く、一応防壁を貸したとはいえ、その魔力量に当てられた二人は無様に浮遊しながら執行者の治療を受けていた。それでは肝心のアルドはというと……無傷だ。ドロシアは全力で魔術を行使したと同時に、それ以上の全力を使ってアルドの周りに防壁を張った。たとえどんな攻撃が来たとしても、あの瞬間のアルドに傷一つ付けられる輩は存在しない。ドロシアは改めて彼に近づき、その生命力を確認。呼吸を確認しないのは、空気も消し去ってしまったからである。
――――――良かった。
「それと、先生も無事だよ。フィージェントは?」
「俺はギリギリ致命傷だが、他の奴等が無事じゃない。オルト・カローナって野郎共に連れ去られた……なあ、ドロシア。先生の肉体、回復出来そうか?」
彼の肉体には現在、約八八六〇億もの死が変換されて疲労として蓄積されている。一人の人間が不老不死になったとしても、その限界はおよそ一万回と言われているが、彼は倍にするのも面倒なくらいの死を抱えて尚、生きている。ここまで死を抱えていれば永久に意識を取り戻す事がないとしても当然の事であり、それでもアルドが動き続けるのは、カテドラル・ナイツの存在があるからだ。他人を救う事でしか生きられない男、アルド。その心では戦い無き平和を望んでいるが、戦乱の世界でなければ彼の居場所は無い。あらゆる世界に訪れてドロシアは学んだ。自分の大好きな人は……英雄を拗らせすぎたのだと。
それが彼を縛っている。死に抗い、運命に抗い、敗北にすら抗って、彼の魂を縛っている。それが解き放たれた瞬間こそ彼が死ぬ時には違いないが、少なからず彼は現在の役目を終えるまでその気は無いだろう。そのどうしようも無さを見かねたのがフィージェントであり、だからこそ彼の心には『アルドを殺さなければならない』という思いがある。
しかしドロシアは違った。アルドが教えてくれた感情。それは恩でもあり、愛でもあり、恋でもあり、全てである。そんな人を、どうしても自分は殺したくなかった。我儘なのは分かっている。分かっているが……彼は最も手っ取り早く自分を救う方法として殺す方法を選ばなかった。その方が様々な脅威に狙われずに済む事を分かっていたのに、である。だから自分も、妥協はしない。たとえそれが最も手っ取り早い救済だったとしても、絶対に選ばない。
自分が別の世界へ行っていたのは何とかして彼を救う方法が無いかを模索したからであり、結果から言って彼を根本から救う方法は見つけられなかった。アルド・クウィンツはあまりに死に過ぎて―――生物でも無ければ無生物でも無い存在となっていたのだ。しかし神以下の存在である事に変わりはなく、だが何処にも属さない状態。あらゆる次元を訪れてもそんな存在は彼以外に観測出来なかったし、知る事も出来なかった。だから、彼を根本から救う方法はない……根本からは。
躊躇っているのは、根本から解決しないという事はまた彼に無茶をさせる権利を与える事と同義であり、出来る事ならもう……戦ってほしくないという思いがあるからだ。そうも言っていられないのは分かっている。分かっているが。
数分の間を置いて、ようやくドロシアは口を開く。
「あるよ。治療法。でも……それをしても先生を根本から助ける事は出来ない。私と貴方が居ても、もう先生は……!」
「――――――いや、助けられる」
…………え?
「何か知ってるのッ?」
「ああ。知っている。勿論躊躇ってなんかいないし、直ぐにやるつもりだ。その代わり、頼まれてくれ」
「……何?」
果たしてその言葉の重みを直ぐに理解出来た人間が、どれくらい居たのだろうか。重苦しい口調で、フィージェントは遂に呟いた。
「まず一つ。これをやったら先生は直ぐに目覚めるだろうけど、その前に直ぐ飛ばしてくれ。出来れば俺が今いる場所の前ぐらい。それと―――こっちが一番重要だ。カテドラル・ナイツは現状半壊状態。残りの方は何とかなってるみたいだが、こっちは連れ去られて、しかもそれを取り戻すには、先生に本気を出させなくちゃいけない。そうしたらまたあの人の負担が増えて……多分、次にこんな事が起きたら戻れなくなる。だからお前が支えてやって欲しい。お前、先生の事大好きだろ?」
「…………うん、大好き」
「だったら頼む。俺はお前と、先生の意思に期待するしかないんだ。この戦いは全て先生に懸かっている。あの人が居なきゃ勝てない……合理的に考えたらあり得ないのに……俺はそう思うんだよ」
フィージェントの声が震える。思考越しに話しているにも拘らず、彼は声を情けなく震わせて、それでも何とか会話を続けていた。この先に待ち受ける結末を考えると、当然かもしれないが。
「………………はあ。怖い。怖いよ。以前だったらこういう時、先生が励ましてくれるんだけどな。俺は……どうやら、旅立たなくちゃいけないらしい」
何と励ましたら良いのだろう。こういう時、アルドならばどうやって励ましただろう。あらゆる次元を渡って人と触れ合ってきたつもりだが、まだ分からない。どうすれば彼は泣き止んでくれるのだろうか。
「……ごめんなさい」
そう言うしかなかった。その言葉しか出なかった。他にどんな言葉を言おうと思っても喉がつっかえて、それでも吐き出してこれだけ。
思考越しにフィージェントが微笑んだ。
「無理しなくたっていいさ。お前は俺より辛い道を選ぶんだ。これから先生をずっと支えなきゃならないって役割をさ。本当は子供とか居ればあの人ももっと落ち着くんだろうが、あんな性格じゃ戦いが終わらない限りそんな事にもならないだろう…………最後に話せて良かった。有難うドロシア……またな?」
「……もっと貴方と話してみたかった」
「俺もだ。お前みたいな美人が弟子に居るんだったら……ああ、先生に最初から聞いておくんだったよ―――」
あちらまで壊滅していたらどうしようと思っていたが、流石にそこまではあり得ない様で何よりだ。これで安心してフィージェントは……全てを託す事が出来る。まだ別れを告げられていない人物も居るが、それは仕方ない。今まで相手の動きには全く隙が無かった。あるとすればそれは今であり、成功すれば彼等の敗因は『フィージェントを放置した』事に他ならない。この命を代償に彼等を嘲笑う事が出来るなら、それでよしとしよう。
「アルド・クウィンツ。剣の才能も無く、魔術の才能も無い。けど誰よりも強い……俺の大好きな先生。どんなに実力差があっても意思だけでそれを覆し、勝利を勝ち取ってきた先生。俺は先生に恩返しをしたいなと思ってた。だから先生を殺してやればいいかなと思った。けど無理だった。次に出会った時の先生には、死ねない理由が出来てたから。そんな理由を持っている先生に、俺がたとえ実力で勝っていても勝利できる訳が無かったんだ。だって、貴方はそういう人だった。理由一つあればあらゆる存在に臆することなく抗う人だった。俺はずっと……その背中を追っていたんだ。それがかっこいい男だって信じてたから」
ずっと、使う事は無いと思っていた。だって、先生と約束したから。
一つ。死者を蘇らせてはいけない。
一つ。特別な力だから、それがあるからと言って、驕ってはいけない。
一つ。人である事を弁えろ。
でも彼を……アルドを救うには。
「だから俺、抗うよ、最後まで。先生との約束を破ってでもこの戦いに勝利する。いや、しなきゃならない。キリーヤの御守り、続けられなくてごめんなさい。そして、約束を破ってしまってごめんなさい」
フィージェントは意識を放棄して、その権能を行使した。
今まで有難う、先生。こんなバカ弟子だけど、俺はずっと貴方を――――――
微かな記憶の曖昧から自己矛盾を起こしたワタシは、遂にワタシでなくなった。ワタシとは一体誰なのだろう、ワタシとは何なのだろう。ワタシとは一体…………英雄とは…………一体…………
―――英雄ってのは、どんな時も決して諦めない人の事だよ。
誰だ? ワタシに語り掛けてくるモノは。周囲を見る。居ない。居る筈もない。ここはワタシの中であり、ワタシ自身。ワタシ以外に誰かが居るとは思えない。
―――単純な力じゃない。それは意思なんだ、怪物よりも強大で、神よりも尊い。人にしか持てない特別なモノ。
それがワタシ。いや、ワタシである筈が無い。そうであればワタシが、ワタシがここに居る理由が分からない。ワタシが…………オレが。
―――誰でも無い誰かの為に剣を振るう。それが英雄。オレの大好きな人。膝を屈しても必ず立ち上がり、頭を垂らせど持ち上げて、何度刺されようと斬られようと、その意思があるまで動き続ける最強の人。
オレは…………何の為に英雄になった?
―――ダレカノタメニ。
何を思って英雄になった?
―――ツヨクナリタカッタ。
誰が見ている?
―――ジブンジシン。
何故諦めない?
―――ソレガ英雄。
…………ああ、そうか。そうだった。オレは英雄だった。英雄だったんだ。オレ……俺はどんな時も逆境を打ち破る英雄になりたかったんだ。あらゆる全てのモノに打ち克つ人間になりたかったんだ。どうして忘れていたんだろう、どうして忘れてしまったんだろう。
この身は何処までも英雄だった。しかし裏切られた事でそれを見失い、『私』は魔王になったんだった。英雄の側面を切り捨ててでも、自分を必要としてくれる魔人の為に、私は魔王となったのだ。しかし、それは無茶でしかなかった。
百万の魔人を一人で撃破したのも、地上最強と呼ばれるようになったのも、全ては『英雄』である自分が居たからだった。それを切り捨てようなんてとんでもない。それでは、この体が一体何の為にあるのか分からなくなってしまう。
私は戦乱の世に生み出され、それを鎮める為に生み出された人間だ。その使命を放棄して、あまつさえ誰かに託そうとする事は自分が許さない。『戦う』事こそ自分の生きる理由。どんな重みを背負う事になってもこれはきっと自分にしか持てないし、自分にしか果たせない。
たとえ無限の死が押し寄せようとも。
たとえ意識が深淵の底に飲み込まれても。
たとえ記憶を失ってしまっても。
戦う。それしかない。英雄とはそういう存在だ。
そして少なくとも―――こんな所で眠っている場合ではない!
後は剣の執行者次第だが、これで世界争奪戦はほぼ勝利したと言っても過言では無いだろう。相手の主戦力を全て潰し、前線は完全にこちらが占領した。あの後、やはり瀕死であっても殺すべきだと考え直した『貴』は直ぐに部屋へ戻ったが、あの男は壁に凭れ掛かったまま死んでおり、意識は無かった。その際の顔と来たら穏やかに微笑んでおり、まるで勝利を確信したかのような希望に満ち溢れていたが、それだけはあり得ない。彼等が根城としていたリスド大陸は現在死の執行者が潰しに行っている。彼の手に掛かればまず生存はあり得ないので、仮に残党が居たとしても行き所を失ってどうしようもない筈だ。
斯くして世界争奪戦は正義の側が勝利を収め、世界の調和を乱していた悪は完膚なきまでに叩き潰されたのであった。
「…………ん?」
レイナスと合流しようと歩いていた時、砂煙と共に不安定な人影が飛び出してきた。直ぐに近くの雑兵がそれを殺害せんと駆け寄ったが、たった一撃で雑兵の首が両断。それから数百人が同時に掛かっても、結果は変わらなかった。
面白い。そう感じた『貴』は他の者に待機を命じてから、一人その人影へと歩き出した―――直後。
砂煙が晴れて、不安定な人影は明確にその顔を晒した。
「……お前達か」
火傷痕がはっきりと残っている醜い顔立ち。にも拘らずその双眸からは滂沱の涙を流しているので尚醜い。目の前で指をさして嘲笑ってやろうとも思ったが、その男の手に握られている剣を見て、その気持ちは霧消する。
真理剣と呼ばれるそれは、真理を剣に変えたモノ。真理とは『ここに在る』という絶対不変の法則であり、如何に執行者と言えども抗う事の出来ない絶対法則。その法則が……融けているのだ。驚くなという方が無理である。
「貴様…………何者だ」
男は会話を成立させる事も無く、一言。「お前達なのか」
「は?」
「お前達が…………フィージェントを殺したのか。お前達が、私の最愛の部下と弟子を、滅茶苦茶にしたのか?」
「―――そうだと言ったら?」
男の殺意が落ち着いていた事に違和感を覚えたのもあって、からかい気味に『貴』は挑発。男は「そうか」と言ってゆっくり剣を持ち上げると、直後。
「こんな感情、初めてだ。でも悪くない。この感情があるから俺は……お前達に刃を向ける事が出来る」
『貴』の両腕を切り落とした。
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