ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

世界を渡り歩く者

 鍔の広い三角帽子……いや、だらしなく口を開け舌を出す異形の帽子を被る少女に、この場に居る誰もがその姿の浮きっぷりを実感した。黒を基調としたボロボロのコートで隠してはいるものの、あまりにもボロボロで上半身は胸の露出を隠す為の衣服しか着ていない(そしてその衣服の名前を誰も知らない)事は直ぐに分かったが、そんな事はどうでも良く、何よりも特筆するべきなのはその武器、もっと言えばその持ち方だった。彼女がレイナスに撃ったのは魔術で、それを使う為に杖を持つ。ここまでは何ら不思議ではない。何が不思議なのかと言えば、杖を片手に一つずつ、それも長杖ロッド短杖ワンドを持ち合わせている事だった。
 通常、魔術を撃つ為には魔力と詠唱が必要になる。これが熟練の者になると詠唱を破棄しても己の力で魔力を制御出来るのだが、杖とはそれが詠唱ありきで制御できぬ者が魔力の制御をする為に作り出された武器だ。所謂、補助道具的な意味合いが強いので、何処の国でもまともに武器として採用している所は殆どないのだが(仮に採用されていたとしても、それは異名持ちだろう)、彼女はそんな杖を二本持っていた。長杖は一見すると枯れ木が何かにしか見えないが、その先端には幾重もの円環が中心で浮遊している球体を囲むように回転。この時点で奇怪極まる代物だと言うのに、短杖の方は凹凸の付いた円盤状の金属が柄として二重螺旋構造を繋いでおり、持ち手の部分はその金属が凹凸を噛み合わせながら動いているという、最早どう言い表していいかも分からない代物だった。
 少女はレイナスを気に留める事無く、アルドの下へと駆け寄り、その身体を抱き上げた。
「先生! 先生! 起きて、起きてよ!」
 先生ッ?
 驚きで硬直する二人に、謠は補足を入れるように呟いた。
「彼女の名前はドロシア。ドロシア・ヒルエルゴ。アルドが育てた弟子の中で唯一の女性であり――― あらゆる世界を含めて只一人、真理を除いたあらゆる法則から解放されている子だよ」
 死の執行者がこの世界に入ってきたのは世界の調和を保つ為であり、その調和を乱した元凶はアルド。そして彼女のような異端者を救ってしまった事が、アルドの罪の一つである。
 ドロシア・ヒルエルゴ。
 カシルマ・コースト。
 フライダル・フィージェント。
 アルドが彼らを救った瞬間から、既にこの世界の調和は乱れていた。生まれて死ぬだけの運命だった三人を救済したがばかりに、この世界は執行者に目を付けられた。
 カシルマ・コーストはその体質故に、この世界の文明を全て否定する存在だった。
 フライダル・フィージェントはその体質故に、世界に混沌を招きかねない存在だった。
 ドロシア・ヒルエルゴはその存在故に、泡沫のように生まれ、消えるべき存在だった。
 それらを全て救済したのが、アルド。生まれるべきでない世界に生まれた事で、約束されし不幸に苛まれながらもその類稀なる精神力で痛みを耐え抜き、遂に伝説となった英雄。この三人は彼だからこそ救えた命であり、彼が居なければ三人とも死んでいた。その運命しか無かった。それ故に運命を逃れた彼らは、救ってくれたアルドに強烈な好意を抱き、特に女性であるドロシアは恋愛感情を超越した、恋愛感情に変わりはないのだろうが、言い表せやしない何か。フィージェントとカシルマは恩を超越した、師弟感情を超えた何かに至っている。その方向性は多少違えど、三人は三人ともアルドが居る世界にこそ生きる意味を見出している。
 カテドラル・ナイツもまたアルドに救われている為に、アルドを奪われる事は我慢ならないが、彼等の想いを遥かに凌ぐ程に、この三人は我慢ならなかった。カシルマだってこの場に居ないだけで、彼もまたこの闘いに参加している。全てはアルドを……自分達の存在を認め、只一人愛してくれた人物を守る為に。
 反応を返さないアルドに、ドロシアは諦める事無く語り続ける。
「先生、先生ッ! あの人に何をされたの、先生!」
 反応は無い。その目から光は殆ど失われており、揺さぶって正気を取り戻させようにも動きが見えない。ドロシアは数秒間硬直を保っていたが、やがてアルドを地面に下ろし、ゆっくりとレイナスの方を振り返る。
「アなた、ナにをしたの?」
 雑音。この世の者とは思えないような声が、一瞬だけ全員の耳を通り抜けた。ナイツはおろか、レイナスでさえその声を聞いた途端余裕を無くし、嫌な汗を掻き始める。しかしその事に気付いたのは『謠』だけだったようで、レイナスは直ぐに調子を取り戻して言う。
「私は彼の妻なのよ? ただあの人がちょっと他の女を気に掛けてるみたいだから、記憶を消そうとしただけ。貴方こそ何? 一体何の権利があって私から夫を奪い去るの?」
「…………私は、先生の。ううん、アルド・クウィンツの弟子。弟子としては先生が危ない目に遭ってるのに、助けない訳にはいかない。何より、どんな事があっても私の傍を離れずに守ってくれた先生を、私は裏切れない! だから今度は、私が先生を守る。ありとあらゆる次元せかいに只一人しか居ない、私の大好きな人だから」
「へえ。貴方も彼に色目を使うってのね。全く困っちゃうわ。不意打ち程度でいい気になって、実力差も分からないなんて」
 レイナスは再び鞭を取り出し、音も無く肉迫。先程ディナントを瞬殺した一撃が、少女の首を刎ねんと薙ぎ払われる。避けろ、と言おうとした頃にはもう遅かった。鋼色の鞭は少女にぶち当たり命中。無事に掴まれて、何事も無く停止したのだから。
 使っている武器は所詮鞭なのだから当然、そう思う者も居るだろう。しかしあの鞭は異名持ちの武器ことディナントの『神尽』を破壊し、彼の首を一撃で両断したのだ。普通に掴んで防御する事がどれ程難しい事か。言わずとも理解出来るだろう。
 レイナスはさして動揺をする事無く鞭を放して、懐から新たな鞭を取り出した―――その刹那。彼女の右肩に短杖が突き刺さると同時に、その先端から放たれた魔術が彼女の肩を内側から崩壊。魔力の大砲とも言うべきそれは、幾つもの建物を消し飛ばしながら久遠の彼方へと消え去った。
「う―――!」
 感じた事の無い痛みに喘ぎつつも、彼女は取り出した鞭で発動直後のドロシアを攻撃。ほんの少し見えた銀閃が彼女の胴体に触れる前に何かに巻き付いて減速。いつの間にか長杖が突き立てられており、そのせいで鞭は体に届かない。しかし、それはそれで都合が良い。レイナスが勢いよく鞭を引っ張りつつ、その力を利用して接近。隠し持っていた短剣を逆手に持ってその喉元へと突き立てようとするが、今度は鞭が巻き付いていた長杖が自爆。強烈な爆風に吹き飛ばされ、レイナスは近くの建物に激突。何事も無かったようにそれを貫通し、中まで吹き飛んだ。
 ドロシアの手には、新たな長杖が加わっている。
「貴方……何処でそんな魔術を!」
 彼女が知る由は無い。ドロシアは世界という括りに収まらぬ異次元的存在。数百数千数万の世界を渡り歩く存在だ。如何に既存の魔術に耐性があろうとも、あらゆる世界で修めた全ての魔術を複合しているのだから抵抗のしようがない。何度か喰らっていればその事には何となく気付くだろうが、もう遅い。そもそもの誤算は彼女という存在を知らなかった事から始まっている。知っていれば暇潰しで殺しに来るなどという舐めた行為は出来ないだろうから、そもそもその時点で彼女は自ら死にに来たようなモノ。アルドが彼女と師弟関係を結んでいた時点で、彼女が追い詰められる事は、決定していたのだ。
―――フィージェント。良く彼女と連絡を取ったね。お蔭でもう少しだけ……粘れそうだよ。
「ほら、あの女を仕留めるチャンスだ。二人共、協力してもらうからね! 第三は使わないでよッ」
「当たり前だ、行くぞディナントッ!」
「アノお……ナ。ユルサ、ない!」
 二人を相手に余裕。三人が相手でもまだ余裕。しかしそこに加わった一人があまりに強大過ぎた。一度後れを取った状態から優勢に戻るのは中々至難の技。直ぐに再生はしたものの、レイナスに余裕が戻る事は無かった。
 真っ先に切り込んできたディナントの剣戟を回避。その頭部めがけて鞭を払うが、すかさず割り込んできたルセルドラグの斧槍が鞭間に割り込んで減殺。折れ曲がった先端は頭部に命中するも僅かな出血ばかりでそれ以上の威力が見込めない。何となく危険な感じがしたので彼らの背後に転移すると、先程まで自分が居た場所にディナント全く同じ背丈の鎧が拳を叩き込んでいた。恐らくは彼の切札だろう。ともかくこれで実質人数は五人、レイナスとしては更にきつい形になる。
「私を、忘れないでよ!」
 そう声が聞こえた瞬間に、レイナスの脇腹に長杖が叩き込まれた。体は撓み、その力を返すように吹き飛ぶもそれだけに留まらない。杖の先端で浮遊していた球体が杖を離れてレイナスの身体へと侵入。内側からその全身をあらゆる方向に貫いて、爆発。苦痛に悶える暇もなく体を消し飛ばされた事に驚きつつも再生。右足のみ治りが悪い。
「えッ」
「彼女と戦った時点で大分余裕が無かったけれど、五対一だと流石に分が悪いようだね」
 先程の爆発が腐食性を与える魔術であった事に気付いたのは、創の執行者の蹴りで頭部を吹き飛ばされた瞬間の事。完全なる詰みとは、逃げる暇すら与えない事を言う。今のレイナスには、戦い続ける以外の選択肢は無かった。転移で逃げようとしてもドロシアの存在がある限り許されない。転移先に回られて再び攻撃を叩き込まれるだけだ。しかし戦い続けると言うのも、創の執行者とドロシアが加わった状態では厳しい。カテドラル・ナイツは軽くあしらえる程度には余裕だが、その攻撃が全く効かないという訳では無い。全く何の抵抗もしなければ自分と言ったって致命傷は確実。
 せっかく。せっかく見つけたのに。自分の配偶者に相応しき男をこんな所で捨てるのか? こんな所で―――諦めるのか?
 死の執行者は言っていた。『勝てない戦いに挑む必要は無い』と。だが、今回ばかりは……退けもしない故に、挑むしかない。
「退く訳には……いかない。私の、私のアルドは誰にも奪わせない! 奪わせてたまるかああああああああああああああッ!」
 死ぬ事も覚悟で、レイナスは再び鞭を取り出した。










































 先生の事が好き。彼の生き方から、その剣の振り方、笑顔から魂に至るまで。とにかく全てが愛おしい。この体のせいで殺人鬼と疑われ殺されそうになっても、あの人だけは常に自分の事を信じ続けてくれた。嘘じゃないって信じてくれた。いつだって、どんな時だって、どんな世界だって、どんな理不尽が来たって、先生はその身一つで立ち向かい、その生き様を私に教えてくれた。決して生きるのを止めてはいけない事を教えてくれた。
 彼が居たから世界を知れた。人を知れた。魔術を知れた。恋を知れた。愛を知れた。真理を知れた。誰が何と言おうと自分は生きていていい事を知れた。
「奪わせてたまるかあああああああああああああああああああああああ!」
 目の前でそんな事を宣っている彼女が憐れに思える。アルドは誰のモノでも無く、アルドはアルドのモノだ。そして愛とは奪うモノでも無ければ与えるモノでもない。人の愛とは、互いに歩み寄り育むモノだ。そんな事も分からずに彼へ執着するような女性を、自分は許せない。
 防御も捨てて飛び込んできた女性を魔導砲で吹き飛ばし、その背後に魔法陣を展開。物理的に女性を受け止めつつ、その眼前に転移して跳び蹴りを放った。為す術なく陣を貫いて女性は地面に叩き付けられ、空中に跳ね上がった所で転移。魔人の二人から始末しようと襲い掛かるが、彼等の周りに仕込んでいた魔法陣が彼女の腕に絡みついてから起動すると、そこを起点に時空の歪みが発生。彼女の両腕を捩じ切ると、腕が無くなった事で碌に受け身も取れなくなった女性は仰向けに倒れ込んだ。ドロシアは再生が完了しない内にその体の下に魔法陣を展開、彼女を真上に突き飛ばし、天上を突き破って空中に舞い上がったのを見届けてから転移。彼女の真上に移動して、その背中に掌底を叩き込んだ。
―――零式魔術、第一の法、魔導朽震砲アルデラノルプス
 女性の身体が折れ曲がると同時に、その軌道上には無数の魔法陣が展開。重力方向に吹き飛ばされた女性が通過した瞬間、その落下速度を爆発的に加速させた事で強まった重力が、床に叩き付けられても尚、女性を拘束していた。
 そんな中、最後に展開されたのは空を覆い尽くす巨大な魔法陣。ナイツも謠も範囲内に居るものの、ドロシアは全くそれを気にしていなかった。


「アなたみたいな人が……セんせいの事を語らないで!」


 純粋な怒りに満ちた号令と共に、魔法陣が起動。落雷にも似た巨大な魔力が街全体を呑み込んだ。
 

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