ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

雀の正体

 いつの間にか彼女の周りに存在していた罅は消え去っていたが、それでもエリは暗闇からこちらを見ていたあの存在を忘れられないでいた。あんな気持ち悪い生物、生まれて初めて見た気がする。一体エリの見た生物をどう表現すれば的確に伝わるのか分からないが、もしかしたらあれを『生理的に無理』というのかもしれない。
 先程の光景にナイツの誰も突っ込む気がしなかったので、エリは遠慮がちにファーカへ声を掛ける。
「あの……さっきの怪物は、一体何なんですか?」
「貴方にお教えする理由がありません」
「理由はあると思うぞん、ファーカ。今の貴様の行動には謎が多すぎる。その確信を持ったような歩き方と言い、あの存在といい。この女は人間だが、仮にもアルド様の友人であり手を組んでいる状態だ。隠す道理は無いだろうよ」
 アルドの友人というポジションが一体どれだけの価値を持ち、どれだけの危機を救っているのか分からない。こんなつもりで彼と友人関係を築いた訳では無いのだが、何だか彼と知り合ってからは様々な問題が解決された気がする。
 一番は何と言ってもフォーミュルゼンとの婚約解消。故郷が滅ぼされた事に恨みが無い訳では無いが、あんな男と結婚しなくて済んだのはアルドの御蔭だ。それについては本当に……ずっと感謝している。
「……そうですね。今回ばかりは私が邪論の様ですから、お話ししましょう。しかし私から一つお願いをしても宜しいでしょうか。貴方も含めて、他のナイツにも」
「俺様は口だけは堅いぜ! 表情はゆるゆるだがなッ!」
「……武士ハ、ちぎリを……まも、ル」
「貴様に恨みはない。裏切る理由も無い」
「私も……大丈夫です。元騎士として、交わした約束は守ります」
 全員の肯定を受けたファーカは、何らかの確信を持って動かしていた足を止めて、首だけをこちらに向けて言った。
「チロチンには話さないでください。彼に話すと、アルド様にご迷惑をお掛けする事になってしまうので」
 それからまた、歩き出す。
「……それで、こほん。先程の怪物は何なのだという話でしたね。あれは怪物ではありません。正確に言えば、あれは私自身、私の身体の一部です」
「か、身体の一部? ……ファーカさんの身体の一部ってどういう事ですかッ?」
「そのままの意味です。私は確かに、アルド様と出会うまでは『雀』の魔人でしたが、今は違うんです。この姿はかつての姿を再現したモノ。今の私を正確に分類するならば―――『虚』の魔人といった所でしょうか」
 『虚』という種族に聞き覚えは無かったが、彼女の表情は真剣そのものでとても嘘を言っているようには見えない。ナイツ達も聞き覚えが無い様なので、もう少し詳しく聞いてみる事にする。
「『虚』……ですか」
「ええ。最窮の果てにある無と言っても分かりにくいでしょうが、とにかく私は現在、魔人でも無ければ人間でも無い、そもそも生物ですらありません。仮にこの体が死んだとしても、私の魂が『虚』に帰属するだけです。貴方達が怪物と宣ったアレにね」
 言葉の上では警護だが、節々から彼女の不愉快そうな気持ちが伝わってくる。彼女の本体である以上、『虚』を怪物呼ばわりされる事は気に食わないのだろう。実際、本体であるのなら彼女を侮辱している事になるだろうし。
「アルドさんは知っているんですか? その事」
「はい! アルド様は己の身体を食わせてまで私を助けて下さいました。そして、その上で愛してくれているのです。『お前は醜くなんかない。化け物じゃない、魔人もどきでも無い、一人の美しい女性だ。私はここで誓おう。どんな姿になろうとも、私はお前と共に居る事を』何て……! キャー! キャー!」
 自分からアルドの事を話し出したくせに、ファーカは次第に身を捩ってその場に崩れ落ちた。そこで己の身体を抱きしめながら身悶えてる様は、傍から見れば奇人か変人か重病人か。暫くして己の奇行を自覚したファーカが、ほんのり頬を染めて、普通に立ち上がった。
「……失礼しました」
「あ、はい。話を続けますけど、食わせたって……私、アルドさんの身体が欠けていた記憶が無いんですけど?」
「食わせたと言っても、精々三割程度ですから。それに無くなった部分は私の本体から千切って埋めたそうですから、人間の貴方が見ても……いいえ、私以外の誰が見ても分からないのは当然の事です。分かっているとしてもフェリーテくらいでしょうね……この事をチロチンは知らずにアルド様へ感謝しているので、もし彼がその事実を知ってしまえばアルド様への忠義が揺らぐ事となります。ですからどうか、教えないでください」
 釘を刺すようにファーカは同じ頼みをもう一度言った。これは日常的に行われる最も形式の無い口約束とはいえ、その軽さにしてはあまりに重い懇願だった。
 同じ仲間であるナイツに隠し事をしなければならない罪悪感はあるものの、一方でアルドに迷惑を掛けたくないというある種の恐怖心が邪魔をする。そもそもこんな事になったのはアルドがファーカを助けたせいだが、それを隠してしまったのは自分。そして数年の月日が経った今、それを打ち明けようにも時機はとっくに過ぎてしまった。
 その場を凌ぐ為の行動だった筈なのに、いつの間にか『隠す』という行為はファーカの中で二律背反を生み出し、彼女自身を苦しめていた。それは両立できないが故に彼女の心を縛り付けているが、その原因が他でもない彼女である以上、他人には解決出来ない。
 たとえアルドであったとしても。
「一つ聞きたいんだが、そうする以外にお前を完璧に救える方法は無かったのかッ! 忠義が揺らぎかねないという事は、アルド様が妥協したという事だろうッ?」
「分かったような事を言わないでください。私は本来、完全なる空虚―――言い換えれば久遠の目眩に捧げられる運命にあったのです。そしてアルド様が到着された時、既にこの魂は完全に食われて、後は同化を待つのみでした。だから私は、アルド様が妥協したとは考えておりません。むしろ最善を超えた極善を尽くしてくれたと思っています。アルド様が居なければ、私は今の様に恋い焦がれる事など出来なかったのですから」
 ともすれば恋心。過ぎ去った記憶に恋を知り、今の彼女がここにある。同じ存在に救われたナイツは当然として、恋愛経験の無いエリも、彼女の何処となく哀愁を漂わせる発言に異を唱えるつもりは無かった。そんな事態に遭遇した事が無いので共感は出来ないが、否定する権利も無かったから。
「説明は以上です。少々の無駄話はありましたが、まだ何か聞きたい事はありますか?」
「……それじゃあ、私からん。貴様は何処に向かっているのだ、情報も無いのに歩くのは非効率と言わざるを得ないぞ」
 もう一つの世界である以上、情報もなく歩くのは自殺行為に等しい。まず手遅れになるのは確定事項である。この闘いに勝つ為にも、何より最愛の主アルドを助ける為にも、そんな愚かな行動は避けたいというより避けなければならない。フェリーテが居たのならそれも選択肢の一つに入っただろうが……
「情報はありますよ。先程の女を捕食したら一つの場所を知る事が出来ました」
「捕食? あの一瞬でやったと言うのか」
「『虚』は時空の制限を一切受けていません。全ての時、あらゆる空間は『虚』を介して繋がっていますからね、あの程度の事は造作もありません。業腹なのはあの女の本体は別の所にあるという事ですけど……とにかくあの家から北北西に突き進めば市街があるとの事ですから―――見えてきましたね」
 ここがリスドなのかキーテンなのか、はたまたアジェンタなのかレギなのか、フルシュガイドなのか全く別の大陸なのか分からないが、ナイツ達の前方に聳える建物は彼らの想像を遥かに超えた規模で鎮座していた。
 最初は塁壁によって誤魔化されているのかと思っていたが、塁壁を超えて見える内部の建物の広がりを見るにそういう訳では無いらしい。そう思ったら塁壁は無尽蔵に広がりそうな建物を抑える役割を担っているように見えてきて、何だかとてもあの壁を労いたくなった。
 内を守る為にも、そして外を守る為にも存在するあの塁壁は、世界を分ける境界線として今後も機能していくのだろう。自分達が滅茶苦茶しない限り。
「こんなに大きいのに見逃すなんざ俺様らしくねえな! いやはや、申し訳ないッ、一体何で見逃したんだろうな!」
 声音こそ明るいが、ユーヴァンは反省した様子で頭を下げている。フォローするようにすかさず
ファーカが口を挟んだ。
「黄金都市の輝きに目が慣れてしまったのでしょう? 仮にあの時点で見つけたとしてもあそこにアルド様が居る情報は知らなかったから行かなかったと思われるし、そう気にしないで。さ、中々広いみたいですが、ここにアルド様が居るという情報がある以上アテも無く探すよりはずっと効率的です。行きましょうか」
 エリは玉聖槍を突き立てて能力を発動。周囲の生命反応を窺うも、紅い線が不自然に屈折した場所は見当たらない。誰かが追跡しているなんて事は無い様だ。
 ナイツの後へ続くようにエリも槍を背中に納めて歩き出す。そういえばあちらの世界には何か起こっていないだろうか。フィージェントも自分もこちらの世界に来てしまったので、仮に何かが起これば対応できる存在は『烏』しか居ない。実力的にはパランナも行けるだろうが、武器の性能が圧倒的に足りていない以上、この状況であちらの世界を狙われたらひとたまりも無い。キリーヤ何て、数秒で潰される未来が見えている。
 今は只、相手側もこちらに意識を傾けている事を祈るばかりだ。


 



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