ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

主への渇望

 黄金都市を抜けると、さっきまで感じていた違和感は忽ちの内に消えてしまった。一体あれは何だったのだろうか。アルドを取り戻したら改めて訪れるのもいいかもしれない。
 ユーヴァンの言った通り、道なき道を歩いていたら城と言えるような……言えるよう……言えない。どちらかと言えば、その建物は別荘の様な雰囲気を持っていた。入り口の横にあるプールやガラ空きの二階、簡素な作りの扉を見ているとそうとしか思えない。彼は一体何を思ってこれを『城』と呼んだのだのだろうか。一般庶民がこの程度の建物を買えたら確かに城と言っても差し支えないだろうが……今回は何だか事情が違う気がする。この家に辿り着くまでには相当な歩数を要したが、それまでに民間人と出会うような事は無かった。
 あの街で人々が行き交っているのにそこへ続く道において誰一人にも出会わないのはおかしいと言わざるを得ないが、今は忘れるとしよう。感じた違和を片端から気にしていたら、終いにはフィージェントの行方まで遡る事になってしまう。それは先程やめたばかりなので、戻る事はお勧めしない。既に何者かの家にまで来てしまったのだから、やるとしてもこの家で情報収集、ないしは用を済ませてからだ。もしかしたら一般人の可能性が無きにしも非ずなので、ナイツの中では一番の常識人であるファーカが先陣を―――
「ふんッ!」
 自分よりも二回り小さな体を持つ女性が乱雑に扉を蹴っ飛ばした光景に、エリは呆然と立ち尽くす他なかった。その光景をにわかに信じる事等出来なかったのだ。どんなに彼女を問い詰めようと口を動かしても、言葉が喉の辺りで詰まって出てこない。そんなエリの様子を見かねたディナントが、音も無く彼女の背後に立って囁いた。
「ファ……カ。いち、ば―――キ、険」
「……人は外見だけでは判断できないモノですね」
 アルドはその醜悪な顔とは裏腹に優しかった(リスドで見た顔が嘘だとはどうしても思えなかった)が、彼女はその端正な顔立ちに反して気性が荒々しいという段階をとっくに通り越していた。仮に敵が自分達を待ち受けていたとしても、まさか扉をぶち破って入ってくるとは予想していないだろう。あまりにも想定外の行動にエリが動きかねていると、先陣を切ったファーカはずんずんと進んでいって―――丁度中心で足を止めた。
「随分と荒々しいのね。人の家に入ってくる時は扉を開けるって知らないのかしら」
 声は二階から聞こえたが、入口からだと微妙にその姿が確認できない。ディナントを先頭に全員が足を踏み入れようとすると、足を止めていたファーカが後方に大鎌を投擲。その足をすんでの所で止めて見せる。入ってくるな、という事らしい。
「何だか貴方イラつきますね。その胸のせいでしょうか」
「嫉妬は過食気味なの。早く用件を言ってくれる?」
「我が最愛の主を返して…………いいえ、返せ。そうしたら命だけは取らないであげましょう。四肢を切断して、豚の餌にするくらいで許してあげます。さあ、早く返せ」
 最低限の敬いは弁えていた彼女からそれが消えた途端、ディナントの発言の意味がエリにもよく分かるようになった。殺意を隠す事も無くなった彼女の身体からはドス黒い湯気の様な魔力が漏れ出ている。『雀』等と可愛らしい種族の割には、あまりにも鋭すぎる殺気と、視線。獲物である鎌こそ投擲した事で失っているが、今の彼女はたとえ素手であろうとも相手を斬り殺す勢いである。しかし声を聴く限りでは、そんな彼女と相対しても相手は欠片も動じる様子を見せていない。
「あらら恐ろしい事恐ろしい事。でも生憎様、貴方の最愛の主とやらは……ううん、私の夫はここには居なくてよ」
 ビキ。
 驚いてエリがナイツに視線を向けるも、誰一人として妙な動きをする者は居なかった。当然だ、こんな状況で動くなんてどう考えてもおかしい。もっとおかしいのは、誰かが動いて何かを壊さなければ音がする筈は無い。
 何の音だ? ガラスを踏んでしまったような音だったが。
「貴方の……夫?」
「ええそうよ。私の夫、今は調子が悪くてね。お邪魔な記憶に心を穢されて弱っているの。だから今はそれの消去中! ……あら。そう言えば貴方、夫の記憶に居たわね。彼とのデートは楽しかったかしら」
 ビキ。ビキ。ビキ。
 また聞こえた。ガラスを踏み砕いたような音が聞こえた。二度目はあまりにも大きかったからか、エリも今度は聞き間違えない。そのガラスを砕いたような音は、ファーカから発生していたのだ。しかし彼女が動いている訳では無く、その音は彼女の周囲の空間―――虚空に入る罅が深まる度に発生していた。
 ビキ。ビキ。ビキ。ビキ。ビキ。ビキ。ビキビキビキビキビキビキビキビキビキビキビキビキ。
 ファーカと相対する、恐らくは女性が言葉を発さぬ内にも、虚空に浮き出た罅は一秒刻まれるごとに深くなっていき、やがて罅に隔離された空間が剥落。向こう側に存在する暗闇で何かが蠢いた。最初は剥落した空間自体があまりに小さくて何が居るのか分からなかったが、同じように二つ、三つと剥落して暗闇が広がるごとに、その姿はエリにも認識出来るくらいハッキリとしてきた。
 最初に見えたのは無数の触手。続き須臾にして変わる無定形。極彩色の球の集積が付いては離れを繰り返し、空間の外からファーカ以外の全てを見据えている。常に絶えず形が変わるモノだから、瞳が何処にあるか、そもそも瞳なんて部分は存在するのかすら怪しいが、この肌を伝う気色の悪い感覚は、見られていると言っても相違ない筈だ。
「……良く分からないけれど、もしかしてピンチって奴かしら」
「夫…………アルド様は何処に居るのですか、答えろ雌豚。何処にやった、何処にアルド様を連れ去った! どこにあの人を監禁した!」
 誰しもが肌で直感した事だろう。この状態が続くのは不味いと。
 差し当たっては彼女を止めるべくエリは足を踏み入れようとしたが、その直後にディナントが襟首を掴んでくれたので停止。その場で足をバタバタさせるも、成人男性の力には叶わない。非難を込めて彼を睨みつけるが、それでも彼は首をゆっくり左右に振ってエリを行かせようとしない。
「やめておくがいい、エリ! その鎌に触れたら貴様の存在諸共消去されるぞ! 少なくとも俺様はお勧めしない!」
 ユーヴァンの言葉を聞いて、エリの心からこの事態を止めようという気概が消失する。効果の規模が凄すぎてにわかには信じがたいが、異名持ちならばあり得る話だ。現にエリの持つ槍は生命に干渉する事が出来る能力を有している。 触れたら消滅するくらいの能力はあってもおかしな話じゃない。
「あーらら、相当怒っちゃってるわねこれ。ま、いいわ。それじゃ私は逃げさせてもらおうかな。アハハ」
 ファーカの周りに発生した罅とその内に潜む存在は相手も認識しているようで、先程までとは一転してすっかり余裕が無くなっていた。声も少しだけ震えている。
「んー逃げちゃ駄目かしら。もしもここで逃がしてくれるんなら、私も命だけは取らない―――」
 女性の声が途絶える。後に残ったのは、触手が飛び出てきたような気がするという不明瞭な記憶だけだった。ファーカは機械的な動作で身を翻し、自分達の足元に突き刺した鎌を拾い上げた。そして何事も無かったかのように、全員の肩を通り過ぎた。







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