ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

己を極めし者

 『嘆』の足がフィージェントの身体をすり抜けた。それこそがあるべき姿、あるべき幻覚。視る事は出来ても触れられない、それこそが大多数の知る所にある幻覚だった。
 体をすり抜けつつ、フィージェントはゆっくりと立ち上がる。その間にしたどんな攻撃も、ルールを崩された今となっては全てが夢幻のように突き抜けた。
「共通認識だろう? 最初から見破っていたよ、それ。お前はその極彩の瞳を使って俺と認識を共有。幻覚に多数認識の中身を与えて、戦わせていた。だからお前は俺すらも認識できないような出鱈目な速度と威力で攻撃が出来た」
 多くの男性も一度は妄想した事だろう。圧倒的に強い自分が活躍して強大な敵に打ち克つ夢を。この男がやった事はそれと全く同じで、要は理想の自分を共通認識によって具現化して戦っていた。どんな強い敵にも勝てるという妄想が具現化していたから、それ故にフィージェントは為す術も無くボコボコにされていた。
 そこで気になってくるのが、どうしてボコボコにされてしまったのかだ。この男がやっていた芸当は自分の基準で言わせればショボい分類に入る。そして本来であれば、妄想を具現化させる程度の能力は軽く捻じ伏せられた。こちらの能力の母体は世界に存在する全ての神話、一方相手はたった一人が紡いだ妄想。どんな馬鹿だって規模が違い過ぎる事くらいは分かるだろう。それ故にこの闘いは、従来通りであれば傷一つ負う事無く勝利できた筈だった。では何が従来通りでは無かったのかと尋ねられれば、この男の状態が今どうなっているのかという所に答えはある。
 結論から言うと、この男は自分達と同じ侵入者の状態にある。侵入者の状態でありながら、外に居る者として存在しているのだ。一言で言い表せば矛盾を招きかねないが、要は外に居ながら中に居るという事。
 フィージェントの能力は万能だが、そこにはただ一つの欠点がある。この能力は世界の内側でのみ万能だから、外側に居る状態の存在には全くの無力という事だ。破壊力も範囲も関係ない。能力の範囲外にあるならばどんなに特性をいじくり回したって効かないのは当然だ。
「そして俺にはお前に対する有効打が無い。何をどうしたって幻覚を張り直されたら同じ事を繰り返すだけだ……今みたいにな!」
 説明の間に同じ事をされても、流石に食らうつもりは無い。再び認識を改めてやると、出鱈目な速度で放たれた攻撃もすり抜けた。
「ほう? それではどうすると言うのか。儂を倒さねば先には進めぬぞ。それとも一生涯ここでイタチごっこを繰り返すのか?」
「いや、それじゃお前の思うつぼだよ。この闘いはここで終わらせる……俺の能力に気付いたまでは良かったが、残念だったな。調査不足だよ」
「何じゃと?」
 視界をちらつく幻覚に動じる事も無く、フィージェントは『嘆』からある程度の距離を取った。いざ自分と相性の悪い敵と戦うと己の無力さが露呈するが、権能を使わなければ強者と渡り合えないのは事実。それは認めよう。自分はその手段でしか戦えない雑魚だったと認めよう。
 だが。だが。
 雑魚だからどうしたと言うのだろうか。有効打が無いから? 能力を使わなければ勝てないから? だからどうした。
 相手に能力が通じないと言うのであれば使わなければいい。その結果がどうなったって、勝負を挑んでいけない道理は無い。
 この状況で最もやってはいけない事は、戦う前から諦める事だ。諦める事は背中を向ける事じゃない、別の道を模索する事。ならば戦いながら諦めればいい。ただそれだけの事だ。
 戦う事なら赤子にも出来る。勝負の結果はさておいて、それだけはどんな存在にも出来る。だのに、どうして自分が戦う前から諦めなくてはならないのだろうか。どうして自分が大人しく死なねばならないのだろうか。
 不屈の英雄を師匠に持っておきながら、そんな情けない理由で負けていい話があってたまるか。彼に胸を張って勝利を告げる為にも、この闘いに勝利する為にも、自分は負けない。諦める事もあるだろう、逃げる事もあるだろう。でも負ける事だけはしない。世界の為に、生きる為に。そして―――この心に刻みつけられた『勝利』の為に。
「な……何じゃ?」
 死の無い世界に漂う魔力が、あるべき場所へと帰るかのようにフィージェントの身体の中へ吸い込まれていく。既に魔力過剰摂取で死んでいてもおかしくない程の魔力を取り込んでいるのに、男は倒れない。背後から湧き立つ瑠璃色の闘気と共に、青藍に染まった双眸を真っ直ぐこちらへ向けていた。
「……………………真理は常に見えている。もうお前の理に騙される事は無い」
 言葉の一つ一つに冷たい殺気が宿っている。こちらの首を撫でるように優しく、鋭く。反射的に首を覆い隠したものの、その殺気を感じる事からは逃れられなかった。
 しかし考えてみれば、恐れる事など何も無かった。どうせまた何かしらの能力を発動したのだろうが、有効打が無い事は相手も認めている。少しくらい強くなったって勝負が数分伸びるだけだ。『嘆』は悟られない様にこっそりと共通認識を作り直し、再び不可視の速度で拳を放った―――
 それが受け止められている事に気付いた時、既にこちらの腹部には強烈な前蹴りが叩き込まれていた。
「なッ!」
 共通認識による幻覚の具現化の良い所は、仮に反撃をされたとしても削れるのは幻覚の強度だけで、本人には全く害の無い事だった筈だ。しかし彼の放った前蹴りは的確に、確実に『嘆』の本体を貫いていた。
―――馬鹿な。奴は能力を使っている。効く筈が。
 動揺から隙を見せてしまい、追加で膝蹴りが顔面にぶち当たる。その勢いで大きく上体を逸らしたかと思いきや、今度は頭部を掴まれて地面に叩き付けられ、挙句強烈な左ストレートをもろに受けた。そこから更に太腿を蹴られそうになったが、数発の攻撃を喰らって頭が冷えた。その場で跳躍して蹴りを回避しつつ、彼の頬へと飛び蹴り……跳び蹴りをぶち当てる。幻覚の具現化によって力が極限まで高められたその力は無限大。頭部が吹き飛んでもおかしくないのだが、これをフィージェントは仰け反って減殺。お返しとばかりに放ってきた頭突きにこちらも合わせてやると、直後。お互いの額が大きく割れた。
「貴様、一体どんな能力を使ったのだ! この儂に通じる能力など、貴様には―――」
「そんなモノ――――――使ってねえよ!」
 『嘆』の両耳を叩き潰すと、痛みで『嘆』は後退。その際に合わせる様にフィージェントが鳩尾へ掌底を叩き込むと、老人は遥か彼方に聳える山脈に直撃。容易く山脈を打ち崩して、視界の届かない場所まで吹き飛んだ。
 より正確に言えば、フィージェントの背後である。後方に肘鉄を叩き込むと、面白いくらいあっさりと老体が逆くの字に曲がって、再び山脈の方まで吹き飛んだ。
「ぐ……ッ、貴様。いつの間に先回りを……やはり使っているでは無いか!」
「使ってねえよ。今の俺は全ての能力を喪っている。つーか、やっぱり調査が足りていない様だな。俺がこの場に居合わせるまでの数年間、この能力に感けて何もしなかったと思うのか?」
 要領を得ない様に眉を顰める『嘆』に、フィージェントは人差し指を立てながら言った。
「剣の執行者と戦ってから、俺は自分の体質……能力に限界を感じた。だから俺は、最上位の権限を使って俺自身の能力も、体質も全て抑え込んだ。そしたらさ、見えたんだよ真理が。あらゆる世界に共通する絶対の法則が。最初に見えた時はそれで終わった。以降はどう頑張っても出せなかったけど……お前が俺から怠惰を捨てさせてくれた。お前が俺を殺してくれた事で、俺は大切な記憶を思い出す事が出来た。今の俺は人間さ、何の能力も持たない、普通の人間。けど、この身体は決意を抱き、真理を纏って『ここに在る』。お前の幻覚を消す事はもう出来ない。俺はお前の妄想と戦わなくちゃいけない。それでもな、最早一方的な勝負にはなりようが無い」
 世界を欺けたとしても、真理だけは欺けない。実際にそこに無かったとしても。自分が『そこに在る』と認識している以上、それは『そこに在る』。それが真理、あらゆる世界に共通する最高の法則。
 たとえ死の無い世界であろうとも、たとえ執行者であろうとも、その法則だけは消す事も覆す事も叶わない。




















 








「あれ、フィージェントさんの姿が見当たらないんですけど」
 黄金都市をアテも無く歩き回っていたら、いつの間にかフィージェントの姿が無くなっていた。周りに首を巡らせたが、それっぽい姿を見かける事は無い。行き交う人々の数は中々に多く、キリーヤであれば人混みに流されたという説明も出来るかもしれないが、フィージェントに限ってそんな事があるとは思えない。
「死んだのではないかん」
「え?」
 縁起でもない声が近くで聞こえた。その声の保有者もやはり何処か分からない。しかしカテドラル・ナイツの中に居る事だけは直感で理解した。
 ……いや、まさかそんな筈が。
 彼が一方的に殺られるという光景が想像もつかない。しかし突然いなくなって全くの無事という光景も想像がつかない為、不安が全く生まれないという訳ではない。むしろ手を組んでいる者から言われた発言だから、全く生まれないと言うよりかは、結構な割合で不安が生まれてしまった。
「ルセルドラグ、彼女を怖がらせるのはおやめなさい」
 『雀』の魔人が叱責を飛ばしつつ、顔だけをこちらに向けた。
「お気になさらず。彼はこういう性格なモノですから」
「は、はあ……あの。私達は何処に向かっているんでしょうか。フィージェントさんも居なくなって、いよいよ本当に分からないと言うか」
「そうですね……ユーヴァン、何処か遠い場所に何か見えませんか?」
「おうおう! 暫し待たれよ!」
 『竜』の魔人ことユーヴァンはその場で上空まで飛び上がり、奇怪な動作で全方位を見渡し始める。誰がどのように考えても目立つ行為だが、行き交う人々は彼に一瞥もくれる事無く通り過ぎていく。その行動のおかしさにはエリも気付いていたが、気づいた所でどう対処していいか分からないので放っておく。害が無い様ならその判断は賢明の筈である。暫くして偵察の済んだユーヴァンが戻ってくると、彼は左側を指さした。
「あっちの方角にかなり大きい城があったぞ! どうする、行くかッ、やってしまうか!」
 次の十字路を左に曲がれば向かう事が出来る。罠の可能性はあったが、アルドの居場所にアテがある訳でも無いので行くより他は無い。カテドラル・ナイツの様子を窺うと、幸運にも同じ気持ちを抱いているらしかった。
「そう……ですね。誰か異論はありますか?」
「俺様はもちっろん―――」
「ユーヴァンには聞いていないので黙って下さい」 
「異議はない」
「オな………く」
 『雀』はその場で小さく頷いてから、エリの方を見遣った。
「それでは、そちらに行くとしましょうか」
 唯一の心配事はフィージェントの安否だが、今は彼の事を信じるしかない。街の違和感を置き去りに、エリ達は目的地へと歩き出した。

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