ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

封殺せし災厄

 休憩を程々に取ってから、アルドの気配が無い事に気が付いた。先程までは確実にあった事だけは覚えている為、この休憩の間に何かあったのだろうとは容易に考えられた。問題は、一体どんな異常事態が彼を襲ったのかという事だ。彼を知っている自分からすれば、あの彼をどうにかしようというのが無理な話。『喰殱』をまともに受けて無事だったくらいだ、やわな攻撃では彼を傷つける事もままならない。
「エリ、動けるか?」
「ええ何とか。これで魔力を消し去れたんですよね?」
「そりゃ肌で分かるだろ。お前が魔力を感じてるって事なら大失敗だ、因みに俺は感じてない」
 エリは少しばかり目を閉じて気を研ぎ澄ましてみるが、良く分からない。これは魔力が消えていると言っても良いのだろうか。感覚では何も理解出来なかったので、エリは付近の壁を槍で破壊。その破片で手の甲を傷つけてみると―――何と、傷が一向に回復の様子を見せないではないか。ほんの僅かな切り傷であれば数分程度で回復する事を知っているので、これは魔力が無くなったという事で良いのだろう。
「本当に無くなったんですね……こうでもしないと良く分からないんですけど」
「そうか? まあとにかく俺達の感じ方に齟齬が無いなら大成功だ。一度霊脈に槍の能力が混じった事で『住人』達にも能力が及んでるだろうから、もうこの大陸に『住人』は居ないだろうよ。これで一つの問題が解決した事になるから、本当は喜ぶべきなんだろうけど……先生が消えた」
 パランナと同じように何処を探しても見当たらない。千里眼を疑似的に習得してまで探知しているのに、またこれか。ここまでして見つからないとなるとやはり別世界に連れ込まれたと考えるのが妥当だが、それとパランナが消えた事は同一犯でない可能性が非常に高い。というのは、仮にアルドが別世界に何者かによって連れ込まれたと考えた場合、相手はアルドをどうにか出来る相手……執行者か、それに準ずる存在の可能性が非常に高い。そんな彼らがアルドを何の目的で攫ったのか、それはどうでもいい。何の目的にせよ、アルドが狙われる理由は偏に厄介だからであり、決してその他の理由が生まれるモノじゃない。
 一方でパランナを狙う理由は…………無い筈だ。幾つもの異名持ちの担い手になっている事は驚くべき事だが、たったそれだけでアルドと同じような対処をされると言われると違うだろう。実力的を考慮したら明らかにアルドが勝っている。彼が勝っている点は才能と体質だけであり、そしてそれは殆どの人間がアルドに勝っている部分でもある。何が言いたいのかと言うと、彼程度の存在に果たして執行者が力を割くのかという事だ。そして自分はあり得ないと思っている。極端な事を言えば、そもそも執行者とは何の関係も無い事態によって消えた可能性すらあると思っている。
 彼が消える事を予測できていれば未来の書換が出来たのだが(自分が人間である以上、過去の書換だけは出来ない。ただし出来ないのは飽くまで書換だけであり、保護などのそれ自体に触れないような行為ならば出来る)、予測できていなかったので仕方ない。そもそも興味すら無かった事がそれに繋がる原因なのだが、彼の強さを知っていればその油断は至極当然であり、責められるべきでは無いと自己防衛しておく。
 こんな考えを知れば他人はフィージェントの事を人でなしと罵るだろうが、どうでもいい事だ。彼は日頃から『自分の身は自分で守れる。お前なんかに守られたくない』と言っていたので、自分はそれに従ったまで。彼の男としてのプライドを尊重したまでの事。誰に何を言われたって、自分はその行いを正しいと思ったからやった訳で、それを後悔するのはそれこそ彼への侮辱に相当する。故にこそ後悔はしない。するのは失敗を反省して次に活かす為の思考だ。
「アルドさんが消えたッ? ど、どうして?」
「多分先生と俺らを切り離したかったんだろうよ。お前の槍はまあ厄介だし、俺は穴を塞いだんだから言わずもがな。そして先生は相手からしたら恐らく敗北を引き寄せる可能性を持つ唯一の敵。何においても優先して潰したいんだろうな」
 意図した事なのだろうが、別世界に移動されるとこちらも手の出し様が無い。何故ならば自分の体質の範囲は、自分が知る限り全ての神話とそれによって培われた想像力であり、別の法則と歴史が成り立つ世界には適用されないのだ。先程の妨害は、もしかしたらアルドを危なげなく確保する為の、突破される事前提の妨害だったのかもしれない。そう考えると、相手が如何にこの作戦を成功させる事に力を注いでいるかが良く分かる。
 全体の状況を整理しよう。自分達は魔力の中心点において先程魔力を消し去ったばかり。ナイツはどうしてかアルドの命令に背いて数少ない人間を保護……ではなく捕縛しているが、謎の存在と交戦中。キリーヤ達は闘技街の警備の名目で、避難した人間達を更生させようと頑張っているが、これはどうでもいい。そしてアルドとパランナは消息不明。
 ……参ったな。
 突破口が見えない。こちらは最大の戦力であるアルドを連れて行かれた。ナイツは同等以上の実力者と交戦している事から、自由に連れ回す事は出来ない。それが出来るとすればキリーヤ達だけだが、彼女達では実力が足らなさ過ぎて動かした所でどうにもならない。纏めると、厄介になりそうな実力者だけを徹底的に潰しているので、こちらは手の出しようが無い。随分と容赦と慢心の無い相手だ。これは非常に手強い。
「今すぐにでも先生を助けてやりたい所だが、幾ら俺でも別世界を自由に移動する事は不可能だ。あの人の実力を信じて放置するしかない」
「何とかならないんですかッ?」
 少々大袈裟に動揺しているが、彼女の態度はアルドの実力を良く知っているからであろう。彼が居なくなったら戦力の大幅低下は免れない。それは自分も良く分かっているから、彼女の気持ちは痛い程分かる。フィージェントは一秒も悩む事無くハッキリと告げた。
「何とかならん。とにかく、このまま各個撃破されると勝ち筋が本当に無くなる。エリ、あんまりこんな事は言いたくないが、俺から十歩以上離れるな。お前まで奪われるとどうしようも無い」
「……他意はありませんよね」
「当たり前だろうが。そんなのがあるとか、危機感なさ過ぎだろ」
 何となしに一瞥すると、エリは微笑んでいた。緊張感が無いのは一体どっち何だか。
「さ、用は済んだんだから一旦戻るぞ。気になる事もあるしな」






























 全身に残る痛みは正確な飛行を難しいモノにしたが、取り敢えず逃げ切る事が出来ただけでも喜んだ方がいいだろう。
 世界に蓄積された全ての情報を渡された男は、その瞬間に意識を喪失。あれが人類だろうがそうでなかろうが、情報の記憶量には限度がある。そしてあの男には、世界全ての情報を記憶する事は耐えられなかったようだ。しかしこれは一時しのぎに過ぎない。あの男がまたいつ立ち上がるとも分からないので、今は取り敢えず、戻らなければ。一時間後の集合には早いが、チロチンの確保した人間は九人。他の奴と合わせれば、取り敢えず課せられた人数は超える筈だ。
 闘技街が見えてきた所で、既に二人の姿がある事に気が付いた。
「ユーヴァン、ファーカ!」
「おうッ、チロチン! 遅いじゃねえかッ!」
「お帰りなさい。私が言う事ではないのだけど、随分と早いですね」
 見る限り外傷は無い様子。建物の角を利用して着地すると、二人は余裕を持った調子で出迎えてくれた。他の二人は飛行能力を持たないから遅いのだろうか。いや、それではファーカが到着している事に説明がつかないのか……ん?
「おいファーカ、その左目はどうした」
 余裕を失っていたから気付かなかったが、彼女は左目を不自然に閉じていた。それも自分には見せたくないのか、半身になって見えづらくしている。それを外傷と言わないのは、血が流れている訳でも痛がっている様子も無かったからだ。
「……ユーヴァン」
「おう! こりゃ切り札を切ったせいらしいぞ! お前も地割れが広がったの見たろッ?」
 分かっていたが、やはりあの声はファーカだったか。自分の所だけでは無く、ユーヴァンの所まで届くとは、一体どんな切り札を切ったのだろうか。
「そういう事ですから、チロチンも気にしないでください。これは少しばかりの代償。アルド様から仰せつかった命令を邪魔する不届き者を葬った際に払ったモノです。大したものではありません」
「不届き者……やはりお前達の所にもおかしな奴が現れたのかッ?」
 ファーカは生け捕りにした人間達を蹴りながら頷く。人数は増えていて、二十一人だ。
「チロチンの所にも出たのですね。という事はディナント達の方向にも出現したと考えて間違いはないのでしょう。そしてその状態を見る限り、逃げてきたと」
「……仕方ないだろう。私はそもそも武闘派では無い。あのような存在を相手にしたら逃げる方が賢明だ」
 神話では選ばれし存在が無謀とも言える戦いに身を投じて、無事にその戦いを制する事が多いが、チロチン自身がそうだとは思っていない。むしろそんな主役に助けられる弱者だと思っている。であれば強者に対して逃げる事は一番の解答策。だのに挑もうとするのは弱者では無く愚者のする事だ。自分の言葉に高笑いと共に賛同したのは、武闘派な筈のユーヴァンだった。
「その通りだ! 俺様も交戦したが、殺しきる事は出来なかったッ。やたら面倒な能力も持ってたしな!」
「どんな能力なの?」
「女なんだが―――ほら、今は雨が降ってるだろう? それもあったんだろうが、冷気を使ってたんだよなあ。多分能力の一部だと思うが、そんだけだ! ま、どっかに逃げたみたい……いや、あれは逃げたと言うより何かを知って撤退していったってのが適当か。とにかくそんな訳で俺様は一命を取り留めた訳よ! 多分後十五分戦ってたら氷漬けになってただろうなッ」
 お気楽な調子でそんな事を言うモノじゃない。要するに危なかったという事ではないか。二人が戻ってきていないので分からないが、今の所まともに戦果を挙げたのはファーカだけらしい。情けない話だ。
「貴様ら、無事だったかん」
 そこで会話に割り込んできた声は、三人が望んでいた声だった。一人は姿こそ見えないが『骸』。そしてもう一人は、何が起こったのか分からないが鎧を着ていない『鬼』である。
「そんな聞き方をするって事は、お前達の所にもおかしな奴が来たのだなッ!」
「貴様のテンション程ではないんがな。おかしな奴が二人……人型ではあったが、人類では無かろう。しかし私は困ったぞ、不本意だがディナントは私の監視役。その行動を縛る者だった筈だん。それがむしろ、私がこいつを引っ張ってくる事になるとは」
「何があったの?」
「何も無かった。それが問題だ。貴様らには分かる筈も無いが、私は片腕を破損したん。直に直るとはいえ、暫く無茶には付き合えん」
 彼に手を引っ張られている(様に見える)ディナントを見ると、その顔にはやたらとルセルドラグへの不満が書き連ねてあり、一体何があったのかをファーカ達に知らせる。そして珍しく良識的な判断をした彼に、その場の全員は拍手を送りたくなった。
 実際にしても良かっただが、今はそんな余裕がない。こうして全員が無事に合流出来たのは良かったが、自分達には大きな課題があるのだ。
「……それで、アルド様が帰ってきてない訳ですが」
「どうしようなあ! これなあッ!」
 肝心のアルドからこの先の作戦を聞いていないので、人間達を生け捕りにした所で何もしようが無いのである。奇跡的にもキリーヤ達に見つかっていない事が何よりの幸運だったのだが、ここで放置をしようものならその幸運を無駄なモノにしてしまう。
「チロチンは何か聞いていないのですか?」
「私が聞いた情報はあれで全てだ。もう一度アレを使えば分かる事だろうが、アルド様に代償の殆どを負担させている手前、無闇に使う事は避けたい。あんな事があった以上はアルド様ももうすぐ戻って来られるだろうから、それまで待つのが得策なのでは」
「―――いや、アンタらの大好きなアルド様は帰って来ねえよ」
 完全な言い切りと共に、一人の男が虚空から姿を現した。傍らにはエリを連れている事からも、その男が誰なのかはあまり親交が無くとも理解出来る。或いはアルド・クウィンツを『先生』と呼び慕っている事から特定できるか。
「どういう事ですか? ……アルド様が帰って来られないというのは」
 ファーカの鎌を持つ手に力が籠められる。返答次第では眼前の彼を殺しかねない程の殺気を放ちながら。その影響か周囲の壁が剥落し始めたが、彼に気にした様子は見られない。
「そのまんまの意味だ。お前達、どうやら困ってるみたいだな。大方、先生からこれから先の命令を聞いてなくて困ってるんだろう?」
「……だとしたらどうするんだ」
「そう警戒するなって……ふーん。先生が俺らに隠れて何しようとしてたのかは良く分かったよ。あの人は恐らく、自分達で勝手に解決しようとしたんだろうな。まあ結果的には俺とエリにバレてるけど」
「……フィージェントさん、要領を得ないんですけど」
「ん? ああ悪い。つまりだな、先生はこの生贄を使って執行者共の世界に乗り込もうとしてたのよ。アイツ等と違って正規の方法でな」






 …………執行者?








 

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