ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

馬鹿達の酒騒ぎ

 酒はあまり飲む方では無いが、それなりには強いという自信は持ち合わせている。だが、ディナント程強いのかと言われると、実はそうでも無かったり。
 まだディナントとフェリーテを仲間に引き入れる前の話になるが、アルドはジバルにて同じような勝負をした事がある。相手はチンチロと呼ばれる賭博遊戯で知り合った民間人。負けたら自分の娘を嫁として受け取って欲しいと言われて、アルドは承諾した。何でチンチロで知り合ったのに飲み比べで勝負するのかと聞かれたら、それはチンチロでアルドが圧勝したからに他ならない。結果はその『娘』とやらが自分の近くに居ない事からお察しだが、あの時は中々に辛かった。どれだけ娘を嫁がせたかったか知らないが、相手側が意地を見せてきたのだ。今回の様に食事も交えていた訳では無いが、それでもあの時は、後二杯以上飲んでいたら確実に意識を失っていた。
「ほらほらほら! 持ってる中で一番強い酒を出してやるよお!」
「フハハハハハハハハ! 足りない、もっと、もっと狂気をおおおおおおお!」
 棘童がこの飲み比べに惜しみない援助をし始めた結果、ユーヴァンが狂ってしまった。どう考えても今足りないのは酒により鈍った思考力であり、狂気なんてお呼びじゃない。願わくは、速やかにお帰り頂きたいものである。
「マダ……まだ」
「全く、この程度で潰れるような奴は……いないんぞ」
「と言いつつも、ルセルドラグ。お前……酒飲んだ事無いだろ」
 そもそも『骸』は種族的に酒には酔わない筈なのだが、ルセルドラグが雰囲気酔いする事をチロチンは早くも見抜いたようだ。言葉巧みに意識を惑わし、酔わない筈の体を酔わさんと仕向けていく。
 中の酒を喉に流し込んでから、アルドは木製のカップを机に戻す。何気なしにチロチンの方を見ると、彼は次の酒を注いでいる途中だった。
「まだまだ行けるようだな」
「無論です。この程度であればまだ意識には届きません。業務には支障を来しますが」
 今回の勝負は酔い潰れるか否かなので、その辺りは問題ない。大体、それはアルドからしても同じ事だ。こんな状態では内部の安定化に努められないし、それ以前にナイツ女性陣に出会ったら何をするか分からない。幾ら普段は抑制していると言っても……軽く視界が歪んでいる今はどうなる事やら。
 いや、絶対にやらない。たとえ抑制が外れても、自分は絶対に女性陣には手を出さない。というか出せない。もし失敗したら―――とても怖いから。
「特別なお酒だってじゃんじゃん出すぜ! はい、お待ちよ!」
 棘童が酒を注いでくれている間、アルドは目を瞑って、僅かばかりの休息を取る。全力の飲み比べが始まって一時間。このペースで酒を飲み続けていて、果たして体調に異常はみられないのだろうか。食事も摂るには摂っているので、栄養は偏ら……ない訳が無いか。
「ほいさ。さあどうぞ、特別なお酒だ」
「ああ、有難う」
 アルドは木製のカップになみなみと注がれたお酒を、一気に飲み干した―――
「…………ッ!」
 体の芯が瞬間的に熱されて、意図せずしてカップを机に叩きつける。違う。これは酒を飲んで体が温まった訳では無い。酒であれば、局部の方にまで熱が伝播する訳が無いのだ。詰まる所、この酒の中には……
「アル、様。どウ、カ?」
「い、いや…………何でも、無い」
 棘童にやられてしまった。仮にも信用していただけに、まさか媚薬が混入されているとは思いもしなかった。しかしよくよく考えてみれば、悪戯のつもりで混入させることは十分に有り得たので、単純にこちらの警戒が甘かった。酒を飲んでいたモノだから、その辺りの判断力が欠落していたかもしれない。
 しかし随分と強力な媚薬だ。試しに女性陣の事を考えてみるが、アルドの意思に関係なく淫猥な想像が頭を過り、支配してしまう。お互いにその気の無いキリーヤやエリの事を思考しても同じである。そしてキリーヤすら例外でない時点で、エルアが例外である筈はなく、恐らく今のアルドの思考は唾棄すべき程の低俗なモノになっているだろう。非常に不味い。
「フハハハハハハハハ! 余裕、余裕過ぎるッ。どうやら、俺様が圧勝しちゃう流れらしいですぜ、ディナント!」
「―――ナ、るな」
「何を、愚かな。勝つのはこの私……うぐ」
「ふん。やっぱり酔って来たみたいだな。だからやめておいた方が良かったんだ」
 他の者には振舞われていない事は、周りの様子を見ていれば明らかだった。時々こちらの様子を気にかけてくれる者は居るが、まさか自分にだけ媚薬が混入されていたとは予想出来ないだろう。何にしても、このままの状態が継続するのは不味い。煩悩を埋めるように、アルドは速度を上げて酒を呷る。今はこれが最適解。この強すぎる煩悩を酔いによって打ち消して、何もかも考えられなくなるしかない。それくらいしなければ、自分はきっと大聖堂でエルアやオールワークを見るや襲ってしまう恐れがある。自分であればもしかしたら理性が勝つかもしれないが……しかし。信じ切る事が出来ないのは事実だ。
「おおお、アルド様やりますね! 俺様も負けてられねえぜッ」
 違う。違うのだ。自分は今、ナイツとは戦っていない。己の内に眠る獣……低俗な獣と戦っているのだ。
「くそ……頭が」
 女性の事を考えると暴走しかねないので、アルドは思考の中ですら誰かに助けを求める事も出来ない。こういった事態に陥っても変わらず接してくれる『謠』ですら、今は下衆な思考の対象である。『謠』は自分の事を愛していると言っていたが、自分も彼女には好意を持っているからこそ、安易に下衆な発想はしたくない。しかしこの媚薬とやらはそんな意思すら捻じ曲げて、一人の人間を獣に変えんと働きかけてくる。
「次だ……次を持ってきてくれ!」
 酒で埋める。全てを埋める。この思考も、この苦悩も、この煩悩も。全て。注文通りに酒が運ばれると、アルドは即座に飲み干した。
「次だ」
 運ばれる。
「次だ」
 飲み干す。
「次だ!」
 意識がぶっ飛んで、行動不能に至るまで飲み続ける。そうすれば幾ら煩悩に満ち溢れていても、誰かに手なんて出しようが無いから。そんな思いなど知らないナイツ達は、突如としたアルドのペースアップに、目を丸くしている。ディナントだけは何かを察したのか、驚きながらも一定の速度で酒を呷る事はやめない。
「おい! 私を見るのは勝手だが、飲むのを中断するのは飲み比べとしてどうなんだ。飲めよッ」
「……アルド様。如何しましたか。何やら様子がおかしいよう―――」
「そうですねえ! アルド様がそう言うんでしたら、やるしかないですよねえ! よっしゃ、ここからは俺もペースアップだ。一気にディナントを叩き潰す!」
「―――ッ!」






 何処からか意識が断絶したので、それから何時間が経ったのかは、正直覚えていない。








「……全く、しょうがないなあ、アルドは」




 

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