ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

弟子との別れ

 恐らくは大体の女性に共通するのだろうが、部屋の中はとても清潔に保たれていた。先程まで数百人の男が押し込められていたとは思えないくらい清潔な部屋の状態は、むしろ異常に思えてしまう。或いはそれこそが『狼』たる彼女の実力なのか、はたまた彼女にのしかかった負担なのか。
 体温の上がり続ける彼女を寝台に寝かせてから、アルドは身を翻した。
「そのまま寝ていろ。原因である男達も出て行ったし、数時間程眠っていれば、疲れも取れるだろうからな」
 フェリーテ達が彼女を女子会に誘う頃には、きっと疲れも取れている。問題なく参加する事が出来る筈だ。いやはや、原因が分かり切っていたとはいえ、やはりヴァジュラがその場でへたり込む姿を見るのは心臓に悪い。彼女にも悪いので、今後は玉座を降りるような事をやらかさないように気を付けなければ。
 何せ彼女をこんな風にしたのはカシルマの部下達で、更に言えばそれを押し付けたファーカのせいなのだが、そもそも自分が玉座から降りるような事をしていなければこんな事は全て起き得なかった。故に、元凶という言い方をするのであれば間違いなく自分が悪い。アルドが彼女を、ここまで追い詰めたのだ。
「……済まな―――いや、今はゆっくり休め。それじゃあな」
「あ、あの……!」
 歩みを外に、アルドが歩き出そうとした時、背後から声が掛かった。振り返ると、ヴァジュラが顔を赤らめながら(当然ながら直ぐ熱は下がらない)、何かを言いたそうな瞳をこちらに向けていた。
「ん?」
 それは認識された事を理解するや、段々と輝きを失っていき、終いには布団の中へと逸れてしまった。
「……何でもありません。その、お休み……なさい」
「―――ああ」
 扉が閉まる音が聞こえると同時に、アルドの姿は外へと消えた。








「お前らァ! よくも俺の命令を守ってくれたなあ! 俺は嬉しいぞッ!」
「当たり前ですよ船長! 俺達が船長の命令を聞かなかった事がありますか!」
「ん~三十二回ほどあるかなッ。あの時は非常に面倒くさかったけど、その辺りについてはどう思う?」
「細かい事は気にしないでくだせえ!」
「良し。聞いてやろう!」
 彼らのやり取りを聞いた時、アルドは一度彼女の部屋に戻ろうかと真面目に思案した。中身が無い会話が嫌いと言う訳では無いが、だとしても彼らの会話は想像を絶するくらい頭が悪かった。流されやすいカシルマにしても、自分と絡んでいる時とではこうも違ってくるのか。やはり感化されやすいとかそういう問題では無い気がする。
「おっと、先生ッ! モフモフは大丈夫だったんですかい?」
「モフ……ああ、まあ疲れているだけだろうからな。寝れば良くなるよ。そっちはどうなんだ? 誰か一人でも欠けていたのか?」
「いやいやッ? 俺の忠実なる船員がそんな事する訳ないんだよなあッ? まあ、実は心配しちゃったりしてたよ、うん。俺がお楽しみの最中に何かやらかしたらどうしようかと思ってたからね。女抱いて適当に帰ってきたら、死体があった……なんて笑えねえ! だろう?」
「おいおいおいおい! 聞いたかお前らあ! 船長女抱いたらしいぞ!」
 その声を皮切りに沸き上がる歓声。虚言である事は知っているので突っ込まないが、何にしてもカシルマの苦労は並大抵のモノでは無い事は容易に理解出来た。感化されやすい彼だからこそ為しうる芸当というか、二枚舌と言うか。
「うおおおおおおおッ! どんな女だったんですか、具体的に、官能的に、ねっとりとご説明を願いますよお」
「ケヒヒヒヒ。どうやら一番楽しんでたのは船長だったらしいな」
「かはー! いやあ、やっぱりモテる男って大変だよなあッ。十数人の女を一斉に相手せにゃならんし、流石の俺も精力尽き果てるよなあ」
 尚、自分の弟子は―――一人を除く―――須らく女性というモノに強くなく(フィージェントは女運が悪いだけだが)、幾ら感化されやすい彼でも根底に存在する耐性は変わらない。カシルマであればもしかしたら一人、二人はあり得るかもしれないが、十数人は流石に嘘である。やった事が無いので想像がつかないが、十中八九死ぬ。
 流石に嘘が過ぎた様で、部下の人が不信を露わにした。
「十数人はちょっと……嘘ですよね」
 そう言われて戸惑わないのは、感化されやすいカシルマ故の長所だ。部下達の図太さが影響しているのだろう。その言葉に、食い気味に返す。
「嘘ォ? この俺が嘘を吐く訳無いだろうが……よろしい。そこまで言うなら聞かせてやろう。千夜一夜と言わず、万夜一夜、天壌無窮の物語を語ってやろう。だが生憎と、この国で語るのは少々気が引けるなあ。続きは船の上で語るとしようか」
「え? もしかして船長、そろそろ出港すると?」
「当たり前だろッ! 俺達は海賊だ、地に足つけて生活する期間は短くていい。それに、まだまだ俺達を待っている神秘はこの世界にあるんだ! 確かに少々惜しいが、また来ればいいだけだ。そうだろう?」
 会話の途中、一瞬だけこちらに目配せをしてきたのは―――どうやら、その言葉にだけは偽りは無い様だ。
 再会した時期は悪かったが、それでも彼の元気な姿を見られて嬉しかった。しかし、出会いがあれば別れもある。別れがあれば出会いもある。
 お別れの時が、来たようだ。








 


 一度事が決まれば後は早い。カシルマの迅速な撤収指示もあって、部下達はその性格からは考えられない程忠実に、素早く船の中へと乗り込んだ。この事態に魔人達はさぞ安堵していると思いきや、数は少なかれど、見送りに来ている者が居る、どうやら本当に彼の命令を忠実に守っていたようだ。性格と言動は少々酷いが、上に立つモノの影響だろうか。集団の有能さはその指揮者に左右されるとは言ったモノだが、カシルマの場合は……少なくとも、無能ではないと。
「それじゃ、先生。僕はそろそろ発ちます。今回はどうやら時期が悪かったようですが……まあ、先生の顔を見られて良かったです」
「私もだ。今度はもう少し平和な頃に来るといい。後一人所在が分からないが、まあ彼女はいつか顔を見せに来るだろう。本当は私の弟子を全員集めて、ゆっくりと語り合いたい所だが……まあ、無理か。弟子の一人とは敵対関係にある。招集何て掛けた所で、集まる訳が……」
「……先生」
 何気なく話していたつもりだったのが、彼の暗い表情を見ていると、言葉は段々と途切れていった。自分の弟子とだけあって、何となく察したのかもしれない。アルドの体の事か、はたまた弟子を殺さなければならないという、師匠としては悩ましい思いか。
 こちらとしては体の方は気合でどうにか誤魔化しているので、前者の方は察してほしくないが。
「―――もし恋人が出来たら、出来れば私が死ぬ前に顔を出してくれ。それじゃあな、数十人の女性と交わった船長さん。お前の船路に、幸運があらん事を」
「……使い込まれて、挙句捨てられて。それでもまだ貴方は戦って。そんな貴方が碌な死に方をしないなんて、間違っていると思います。僕やフィージェントを救ってくれた貴方にばかり不幸が舞い込むなんておかしな話です。貴方はもっと幸せになるべきだ」
「何をおかしな話をしているんだ。私は幸せだとも。魔王として戦えるんだ。価値を持っているんだ。それ以上に幸せな事なんて無いさ。大切な者達も居るしな」
 こちらの発言に思う所があるのか、カシルマは暫しの間動きを止めたが、やがて身を翻して、船へと乗り込んだ。
 最後に聞こえた言葉は、感化されやすい彼からの、誰にも流されない唯一無二の言葉。
「どうか貴方の人生に、たくさんの幸福が訪れん事を―――今度はゆっくり、酒でも飲み交わしながら話せるといいですね」







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