ワルフラーン ~廃れし神話
待ちわびる二人
久々に故郷に帰ってきたと素直に喜びたいのは山々だが、その帰ってきた理由が邪魔者扱いされたから、というのはどうも締まらない。いや、正確には足手まとい扱いされただけなのだが。
ツェート・ロッタは師匠であるアルド・クウィンツと一旦別れて、クダイ村を訪れていた。傍らにはアルドと何らかの接点を持つ少女、ダルノア。彼女の顔は未だに自分達が歩いてきた方向を向いていたが、これも師匠であるアルドからの命令。彼女の意思を汲み取る訳には行かなかった。
「……あんまり、変わらないな。ここは」
首都が落とされても無抵抗を貫いた結果か、幸運にもこの街には何一つ手が加えられたような痕が見えない。強いて変わった所を挙げるとするならば、ネセシドがかつて住んでいた家に全く別の人間が住み着いている処か。
いや、分かっている。彼は死んだ。その後の所有物がどうなろうと自分に口を出す権利は無いし、それを守る権利も無い。只少し……寂しい。あの時はいっそ居なくなって欲しいと思っていたが―――いざ居なくなってみると、凄く心が空虚になってしまったというか。
「あの、私やっぱりアルドさんの所に……」
来た方向に引き返そうとするダルノアの腕を痛いくらいに握りしめる。少女の柔肌にハッキリと痕が残るくらい強く。
「行かなくていい。俺は先生に頼まれてるんだ、お前を絶対に来させるなってな。大体考えてもみろよ。俺達は病に対する耐性が何も無いんだぜ? それを分かった上で先生の所に行こうなんてどうかしてる。先生に自分が死ぬ所を見てほしいのか?」
「う……そういう訳じゃないんですけど、でもアルドさんだって普通の人間ですッ。あの人が立ち向かうっていうなら私も―――!」
「師匠が普通の人間な訳ねえだろ!」
もしかしたら無意識の内に苛立っていたのかもしれない。ツェートは少女の胸倉を掴んで、鼻先が触れ合うほどに顔を寄せた。
この少女は何も分かっていない。あんな……あんな人物が人間で居ていい訳が無い。正直に言えば、ツェートはアルドを恐れている。たったの剣一本で奇蹟を起こしたあの男を、ツェートは何よりも恐れている。
自分を強くしてくれた事にも、本当の恋に気付かせてくれた事にも感謝しているが、だからこそ自分は、彼が普通の人間であるという発言は赦せない。
「師匠は……普通じゃない。俺から言わせれば化け物だよ。あれが普通なんて、お前は一体師匠の何を見ていたんだ―――」
「あの人が化け物なんて、酷すぎるじゃないですかッ」
突然詰め寄られて怯んでいた筈の少女が、負けじとこちらをじっと見つめてきた。怖くも何ともない。だが何故か、目を合わせたくなくなる。
「あの人は……普通の人です。平和が大好きな人なんです。自分に嘘を吐くのが上手いだけで……本当は戦いたくなんて無い筈なんです!」
それは釣りの時の雰囲気から明らかだった。アルドは本当は戦いなんて少しも望んでいない。平和な世界さえあれば、彼は絶対に剣を握らない。
「あんな平和主義者が何処に居るんだよ! 大体あの人が化け物じゃなきゃ、俺はあの人に救われなかった!」
それは剣を交えた時から明らかだった。彼は心の底から命を懸けた斬り合いを楽しんでいる。そうでなければ自分から戦おうとは言い出さない筈だし、何より自分の胸を突かれて『面白い』とは言い出さない。
「撤回してください、その発言」
「お前こそ。先生が『普通』だとか有り得ないだろ」
どちらも言っている事に嘘はない。そして自分自身の主張を譲る気も無い。今更な話だが、船の上ではアルドが間に入っていたからこそどうにか関係は成立していた。だがいざ緊急事態で二人きりになってしまった場合、その関係は成立しなくなってしまう。
いや、そもそも分かり合える筈が無かった。人間を信じる少女と、英雄を信じる少年では、思いが食い違って当然なのだ。
二人は数十分以上もいがみ合っていたが、やがて疲れたようにため息を吐いて、距離を取った。交わる事の無い口論が馬鹿らしくなったのか、こんな所で喧嘩していたらアルドに迷惑が掛かるという罪悪感か、或いは両方共か。
いずれにしても二人は決して目線を合わせようとしないまま、家の中へと入っていく。暫くの間続くこの険悪な雰囲気に、居心地を悪くしながら。
せっかく母親であるメイザーと再会したのに、ダルノアが居るせいで少しも話したい事が話せない。別の部屋で食べろと目配せしても少しも言う事を聞いてくれないし、非常にやりづらい。メイザーは何故かその事に帰ってきた瞬間から気付いていたらしく、食事が終わると、彼女はダルノアを連れて寝室の方へと行ってしまった。自分と離れられるのがそんなに嬉しいのか知らないが、少女はとても素直に寝室の方へと行ってしまった。
「本当にやりづらいよ、子供って。お前もそう思うよな……なんて、言っても困っちゃうか」
ツェートはその場に座り込んでから、剣で作った墓に大袈裟に笑いかける。この下には自分の友人である少年、ネセシドが眠っている。もしも故郷に帰る事があったら絶対にやろうと思っていたことが果たせた。本当に彼が聞いているのかはさておき、それだけで自分の心はとても軽くなったような気がした。
「でもアイツ、たった一人で百万の戦力差を覆した師匠を普通の人間って言うんだぜ。おっかしいよな。普通の人間がそんな奴等ばかりだったら、そもそも一人ぼっちで戦う事になんてならなかったろうに」
でもだからこそ、自分はあの人に助けられた。普通じゃない化け物のあの人に助けられた。
「……実を言えば、俺も先生の助けにはなりたいんだけどさ。あそこって病が蔓延してるらしいから、俺達は入れないんだよな。どうすればいいと思う?」
冷たい風が頬を撫でる。答える声は無い。耳を澄ませば木の葉の揺らめく音と魔物の歩く音のみが聞こえる。
少しだけ発言から間を置いて、ツェートは立ち上がった。
「先生が迎えに来てくれるまで、お前の所には欠かさず来るよ。またな」
あの青年とは金輪際顔を合わせたくもないので、ご好意に甘えてさっさと寝る事にした。自分が早く寝てしまえば彼も自分の時間を気楽に過ごせるだろうし、自分も嫌な思いをしない。その結論に至って、ダルノアは直ぐに目を閉じたが、思考は未だ興奮していた。
……本当に、本当に不快だ。どうして彼の事をあんな風に言うのだろう。情報を纏める限り、あの二人は師弟関係にある筈。弟子にあたる筈の少年に化け物扱いされる師匠の心情は想像に難くない。なのにどうして。
自分よりも深い間柄に居る筈なのに、どうして彼の本質を読み間違える? どうして自分の方が本質を理解している?
アルドは矛盾している。戦いたくない筈なのに、戦いを求めて、平和を愛している筈なのに、闘争へと身を投げて。その在り方にはとても歪な価値観が覗けるが、それを考慮しても、彼自身平和を求めるが故に戦っている事は間違いない筈。自分の生きていける場所が闘争の中にしか無い事を理解していても、それでも。自分の知るアルドの本質とは、その大きな矛盾にある。
戦いたいけど戦いたくない。平和は好きだけど、戦いの中でしか生きられない。その矛盾は非常に救いがたく、少なくとも彼と知り合って日の浅い自分ではまず解決できないが……一つ言えるのは、その矛盾こそが人間の証という事。人は悩み、苦しみ、矛盾する者。たとえそれがどんなに有り得ない矛盾であれ、その矛盾を抱えている事実が、紛れもなく彼が普通の人間である事を示している。アルド・クウィンツは決して、化け物なんかじゃない。
深く息を吸って、大切な人の事を思い出す。もう顔も思い出せないけれど、自分に大切な事を教えてくれたあの人は、こう言っていた。
「……『信じる事は疑う事よりも難しい』。―――が言ってた事、私、今も守ってるよ」
ツェート・ロッタは師匠であるアルド・クウィンツと一旦別れて、クダイ村を訪れていた。傍らにはアルドと何らかの接点を持つ少女、ダルノア。彼女の顔は未だに自分達が歩いてきた方向を向いていたが、これも師匠であるアルドからの命令。彼女の意思を汲み取る訳には行かなかった。
「……あんまり、変わらないな。ここは」
首都が落とされても無抵抗を貫いた結果か、幸運にもこの街には何一つ手が加えられたような痕が見えない。強いて変わった所を挙げるとするならば、ネセシドがかつて住んでいた家に全く別の人間が住み着いている処か。
いや、分かっている。彼は死んだ。その後の所有物がどうなろうと自分に口を出す権利は無いし、それを守る権利も無い。只少し……寂しい。あの時はいっそ居なくなって欲しいと思っていたが―――いざ居なくなってみると、凄く心が空虚になってしまったというか。
「あの、私やっぱりアルドさんの所に……」
来た方向に引き返そうとするダルノアの腕を痛いくらいに握りしめる。少女の柔肌にハッキリと痕が残るくらい強く。
「行かなくていい。俺は先生に頼まれてるんだ、お前を絶対に来させるなってな。大体考えてもみろよ。俺達は病に対する耐性が何も無いんだぜ? それを分かった上で先生の所に行こうなんてどうかしてる。先生に自分が死ぬ所を見てほしいのか?」
「う……そういう訳じゃないんですけど、でもアルドさんだって普通の人間ですッ。あの人が立ち向かうっていうなら私も―――!」
「師匠が普通の人間な訳ねえだろ!」
もしかしたら無意識の内に苛立っていたのかもしれない。ツェートは少女の胸倉を掴んで、鼻先が触れ合うほどに顔を寄せた。
この少女は何も分かっていない。あんな……あんな人物が人間で居ていい訳が無い。正直に言えば、ツェートはアルドを恐れている。たったの剣一本で奇蹟を起こしたあの男を、ツェートは何よりも恐れている。
自分を強くしてくれた事にも、本当の恋に気付かせてくれた事にも感謝しているが、だからこそ自分は、彼が普通の人間であるという発言は赦せない。
「師匠は……普通じゃない。俺から言わせれば化け物だよ。あれが普通なんて、お前は一体師匠の何を見ていたんだ―――」
「あの人が化け物なんて、酷すぎるじゃないですかッ」
突然詰め寄られて怯んでいた筈の少女が、負けじとこちらをじっと見つめてきた。怖くも何ともない。だが何故か、目を合わせたくなくなる。
「あの人は……普通の人です。平和が大好きな人なんです。自分に嘘を吐くのが上手いだけで……本当は戦いたくなんて無い筈なんです!」
それは釣りの時の雰囲気から明らかだった。アルドは本当は戦いなんて少しも望んでいない。平和な世界さえあれば、彼は絶対に剣を握らない。
「あんな平和主義者が何処に居るんだよ! 大体あの人が化け物じゃなきゃ、俺はあの人に救われなかった!」
それは剣を交えた時から明らかだった。彼は心の底から命を懸けた斬り合いを楽しんでいる。そうでなければ自分から戦おうとは言い出さない筈だし、何より自分の胸を突かれて『面白い』とは言い出さない。
「撤回してください、その発言」
「お前こそ。先生が『普通』だとか有り得ないだろ」
どちらも言っている事に嘘はない。そして自分自身の主張を譲る気も無い。今更な話だが、船の上ではアルドが間に入っていたからこそどうにか関係は成立していた。だがいざ緊急事態で二人きりになってしまった場合、その関係は成立しなくなってしまう。
いや、そもそも分かり合える筈が無かった。人間を信じる少女と、英雄を信じる少年では、思いが食い違って当然なのだ。
二人は数十分以上もいがみ合っていたが、やがて疲れたようにため息を吐いて、距離を取った。交わる事の無い口論が馬鹿らしくなったのか、こんな所で喧嘩していたらアルドに迷惑が掛かるという罪悪感か、或いは両方共か。
いずれにしても二人は決して目線を合わせようとしないまま、家の中へと入っていく。暫くの間続くこの険悪な雰囲気に、居心地を悪くしながら。
せっかく母親であるメイザーと再会したのに、ダルノアが居るせいで少しも話したい事が話せない。別の部屋で食べろと目配せしても少しも言う事を聞いてくれないし、非常にやりづらい。メイザーは何故かその事に帰ってきた瞬間から気付いていたらしく、食事が終わると、彼女はダルノアを連れて寝室の方へと行ってしまった。自分と離れられるのがそんなに嬉しいのか知らないが、少女はとても素直に寝室の方へと行ってしまった。
「本当にやりづらいよ、子供って。お前もそう思うよな……なんて、言っても困っちゃうか」
ツェートはその場に座り込んでから、剣で作った墓に大袈裟に笑いかける。この下には自分の友人である少年、ネセシドが眠っている。もしも故郷に帰る事があったら絶対にやろうと思っていたことが果たせた。本当に彼が聞いているのかはさておき、それだけで自分の心はとても軽くなったような気がした。
「でもアイツ、たった一人で百万の戦力差を覆した師匠を普通の人間って言うんだぜ。おっかしいよな。普通の人間がそんな奴等ばかりだったら、そもそも一人ぼっちで戦う事になんてならなかったろうに」
でもだからこそ、自分はあの人に助けられた。普通じゃない化け物のあの人に助けられた。
「……実を言えば、俺も先生の助けにはなりたいんだけどさ。あそこって病が蔓延してるらしいから、俺達は入れないんだよな。どうすればいいと思う?」
冷たい風が頬を撫でる。答える声は無い。耳を澄ませば木の葉の揺らめく音と魔物の歩く音のみが聞こえる。
少しだけ発言から間を置いて、ツェートは立ち上がった。
「先生が迎えに来てくれるまで、お前の所には欠かさず来るよ。またな」
あの青年とは金輪際顔を合わせたくもないので、ご好意に甘えてさっさと寝る事にした。自分が早く寝てしまえば彼も自分の時間を気楽に過ごせるだろうし、自分も嫌な思いをしない。その結論に至って、ダルノアは直ぐに目を閉じたが、思考は未だ興奮していた。
……本当に、本当に不快だ。どうして彼の事をあんな風に言うのだろう。情報を纏める限り、あの二人は師弟関係にある筈。弟子にあたる筈の少年に化け物扱いされる師匠の心情は想像に難くない。なのにどうして。
自分よりも深い間柄に居る筈なのに、どうして彼の本質を読み間違える? どうして自分の方が本質を理解している?
アルドは矛盾している。戦いたくない筈なのに、戦いを求めて、平和を愛している筈なのに、闘争へと身を投げて。その在り方にはとても歪な価値観が覗けるが、それを考慮しても、彼自身平和を求めるが故に戦っている事は間違いない筈。自分の生きていける場所が闘争の中にしか無い事を理解していても、それでも。自分の知るアルドの本質とは、その大きな矛盾にある。
戦いたいけど戦いたくない。平和は好きだけど、戦いの中でしか生きられない。その矛盾は非常に救いがたく、少なくとも彼と知り合って日の浅い自分ではまず解決できないが……一つ言えるのは、その矛盾こそが人間の証という事。人は悩み、苦しみ、矛盾する者。たとえそれがどんなに有り得ない矛盾であれ、その矛盾を抱えている事実が、紛れもなく彼が普通の人間である事を示している。アルド・クウィンツは決して、化け物なんかじゃない。
深く息を吸って、大切な人の事を思い出す。もう顔も思い出せないけれど、自分に大切な事を教えてくれたあの人は、こう言っていた。
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