ワルフラーン ~廃れし神話
終焉の兆し
しかし盲点だった。井戸を見つけたまでは良いが、どうやって上ればいいかを全く何も考えていなかった。彼が自分の言う事に従順で、バケツを外したロープを改めて落としてくれなければ、恐らく壁をどうにか利用して上っていた所だが、そんな事にならなくてよかったかもしれない。少なくともずぶ濡れの状態でやる事では無いだろう。
「あ、あ、あ…………アルド様ッ?」
王である筈のアルドがこんな珍妙な登場をしてきたのだ、驚いてしまうのも無理は無い。声の時点で正体は察していたようにも見えるが、やはり姿が視界に映ると信じがたいモノがあるのだろう。そもそも枯れ井戸でもない所から登場する事に無理がある。
「先生……やっぱり無理があったんですよ。別の井戸から井戸に移動するなんて」
「無理でもやるしか無かった筈だ。これが一番安全な城内への入り方だからな」
それに無理があったとは一般人が言うべき言葉。大陸間を泳いで渡るような奴にそんな言葉を述べる資格は無い。あったとしても今じゃないだろう。自分は只井戸から下に降りておおよその方向に斬撃を加えて壁を破壊したまで。あまり自信は無かったが、結果として息が切れる前にこの井戸を見つける事が出来たし、城内に入る事には成功した。何処にも問題は無い。
「ど、どうしてこここに? 普通に入り口から来れば良いのでは……」
「『こ』が一つ多い。それに入り口はきっちり閉めているじゃないか。それとも私には、扉をぶった切って入ってくる方がお似合いか?」
何とも答えかねる問いに、アルドは暫くしてから「冗談だ」と茶化してきた。自嘲的な質問だっただけに、相手に答えを求めるのは酷いと判断したのかもしれない。
「取り敢えず誰か人を呼んできてくれないか? …………確か、『蝙』の魔人が居たと思うんだが」
「あ、ネルレックさんを呼んで来ればいいんですね! 了解しました!」
「嫌よ」
「ええ!」
即答だった。どうしてなのかは聞くまでも無い事で、一体誰が自分の言葉を信じると思うのだ。『指示に従って水を汲みに行ったら引き上げたのは水ではなくアルドになった』としか言えない状況は、口で説明しようとすると、とてもではないが正気を疑う発言になりかねない。自分の上司たる彼女が拒否するのも、至極当然の事だ。
「というか水はどうしたの。私は確か貴方に水を頼んだはずだけど」
「いや、だから……………あ」
アルドの存在に気を取られて、すっかり忘れていたなんて言っても、きっと彼女―――ネルレックは許してくれないだろう。何せ仮にユラスの言っている事が本当だったとしても(仮も何も本当なのだが)、それとアルドが出てきた事は全くの別問題。幾ら驚いていたからって、職務怠慢は許されるものではない。
自分が口を開けたまま呆然と立ち尽くしていると、ネルレックはやれやれと首を振って、仕方なしに歩き出す。
「ま、いいわ。じゃあ私が代わりに水を汲んでくるから、貴方はここで見張ってて頂戴。絶対に私以外の人を入れちゃ駄目よ」
「は、はい!」
『アルドが呼んでいるから来てくれ』との発言には信用性の問題から拒否を示していたが、結果として彼女をあそこに呼ぶ事には成功したようだ。自分が驚いたのだ、きっとネルレックも驚くに違いない。
と、そう思っていたのだが、五分も経たない内にネルレックは顔色一つ変えずにこちらに戻ってきた。片手にバケツを持ちながら。背中にアルドともう一人の……何だか妙な雰囲気の男を引き連れているが、二人は神妙な面持ちを浮かべていて、さっきまでの妙な余裕は何処にも見えなかった。
「疑って悪かったわね。もういいわよ。貴方は他の所を手伝いに行きなさい」
「え、でも……」
「いいから行きなさい。私はやる事があります」
それだけ言うと、ネルレックは自分の肩を通り過ぎて、二人と共に体調を崩した者達を隔離している部屋へと入っていった。
アルドが本当に居た事には驚いたが、それよりも驚いたのはその傍らに居る人間と思わしき男の発言だった。
「患者を見せてください」
アルドも驚いていたような表情を浮かべていたし、正直自分も驚いた。ユラスを使って呼びに行かせたという事は、この城の何処にも移動していないという事でもある。アルドならばいざ知らず、どうしてこの男が体調を崩したモノ達の事を把握しているのか。少しだけ悩んだが、我らが主であるアルドは何も言わなかったので、案内する事にした。
「こちらです」
ユラスを通り過ぎて、扉を開ける。阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっている訳では無いが、それでも何百人が辛そうに横たわっているのを見るのは、慣れない。
部屋に入った瞬間に男は周囲を一度見遣り、やがて端の方から一人ずつ体に触れ始めた。
「…………どうだ」
手を触り、下腹部や足を触り、最後に頭を触る。男は「やけに血と魔力の流れが悪い」等と呟きながら、一人ずつ丁寧に身体を触っていく。女性に触れようとした時には流石に止めようとも思ったが、途中ぼんやりと彼が言った言葉を聞いた瞬間に、その気は失せてしまった。
この男はきっと、憎むべき種族、人間なのだろう。アルドとは何かしらの関連性があるようだが、それでも人間である事に変わりはない。いや、無かった。この男が確かに「僕は絶対に貴方達を助けてみせます」と言うまでは。
「魔力……五指にかけては問題なし。流れの詰まっている個所は人によって違う……法則? いや、血液の流れの方は恐らく―――――」
男は立ち上がり、アルドに小声で何かを伝えた。アルドはゆっくりと頷いて、男とは真反対の方向から男と同じ事をし始める。
一体何を調べているのだろう。一時間程すると二人の診察は―――何をしているか分からないので、飽くまで便宜上とする―――同時に終了した。
「何か分かったんですか?」
二人に向けられた質問。答えたのはアルドだった。
「一応な。しかしどういう事か私もまるで分かっていない。その……勘違いしないでほしいがな、ネルレック。お前に確信の無い情報を与える訳にはいかないんだ。ここを担当しているのはお前だろう? そんなお前にもし間違った事を言えば、ここに居る魔人はまず全滅する。だから……うん、今は言えないんだ。申し訳ないな」
「そうですか…………」
ネルレックは少し俯いてから、無理に笑顔を作って言った。
「では、確信が持てたら教えてください。出来れば手遅れになる前に」
アルドは何故か、悲しそうな表情を浮かべた。
あの時の繰り返しかと思えば、全然違っていた。これは中々に厄介でしかない。自分も最初、カシルマが何をしているのか分からなかったが、彼に言われて気が付いた。この災害、只の災害ではない。
「先生……良かったんですか? 本当の事を教えなくて」
「アイツに言ったとしても何か出来る問題でも無いだろう。これは部外者たる私達にしか解決できない問題だ」
外の死体と、ここで苦しむ人々。一見すれば関連があるように見えるこの二つの要素。振り返ればすっかり『病』という概念に囚われて、その線を全く考えていなかった。いや、考えたくなかった。その線を考えるという事は、自分が全力で信じた魔人達を疑うという事でもあるのだから。
しかし、気づいてしまった以上致し方ない。この国に広がるこれは『病』等ではない。
これは呪術。病災で人々は死んだのではない。人々は人為的に行われた呪術によって、呪い殺されたのだ。
「あ、あ、あ…………アルド様ッ?」
王である筈のアルドがこんな珍妙な登場をしてきたのだ、驚いてしまうのも無理は無い。声の時点で正体は察していたようにも見えるが、やはり姿が視界に映ると信じがたいモノがあるのだろう。そもそも枯れ井戸でもない所から登場する事に無理がある。
「先生……やっぱり無理があったんですよ。別の井戸から井戸に移動するなんて」
「無理でもやるしか無かった筈だ。これが一番安全な城内への入り方だからな」
それに無理があったとは一般人が言うべき言葉。大陸間を泳いで渡るような奴にそんな言葉を述べる資格は無い。あったとしても今じゃないだろう。自分は只井戸から下に降りておおよその方向に斬撃を加えて壁を破壊したまで。あまり自信は無かったが、結果として息が切れる前にこの井戸を見つける事が出来たし、城内に入る事には成功した。何処にも問題は無い。
「ど、どうしてこここに? 普通に入り口から来れば良いのでは……」
「『こ』が一つ多い。それに入り口はきっちり閉めているじゃないか。それとも私には、扉をぶった切って入ってくる方がお似合いか?」
何とも答えかねる問いに、アルドは暫くしてから「冗談だ」と茶化してきた。自嘲的な質問だっただけに、相手に答えを求めるのは酷いと判断したのかもしれない。
「取り敢えず誰か人を呼んできてくれないか? …………確か、『蝙』の魔人が居たと思うんだが」
「あ、ネルレックさんを呼んで来ればいいんですね! 了解しました!」
「嫌よ」
「ええ!」
即答だった。どうしてなのかは聞くまでも無い事で、一体誰が自分の言葉を信じると思うのだ。『指示に従って水を汲みに行ったら引き上げたのは水ではなくアルドになった』としか言えない状況は、口で説明しようとすると、とてもではないが正気を疑う発言になりかねない。自分の上司たる彼女が拒否するのも、至極当然の事だ。
「というか水はどうしたの。私は確か貴方に水を頼んだはずだけど」
「いや、だから……………あ」
アルドの存在に気を取られて、すっかり忘れていたなんて言っても、きっと彼女―――ネルレックは許してくれないだろう。何せ仮にユラスの言っている事が本当だったとしても(仮も何も本当なのだが)、それとアルドが出てきた事は全くの別問題。幾ら驚いていたからって、職務怠慢は許されるものではない。
自分が口を開けたまま呆然と立ち尽くしていると、ネルレックはやれやれと首を振って、仕方なしに歩き出す。
「ま、いいわ。じゃあ私が代わりに水を汲んでくるから、貴方はここで見張ってて頂戴。絶対に私以外の人を入れちゃ駄目よ」
「は、はい!」
『アルドが呼んでいるから来てくれ』との発言には信用性の問題から拒否を示していたが、結果として彼女をあそこに呼ぶ事には成功したようだ。自分が驚いたのだ、きっとネルレックも驚くに違いない。
と、そう思っていたのだが、五分も経たない内にネルレックは顔色一つ変えずにこちらに戻ってきた。片手にバケツを持ちながら。背中にアルドともう一人の……何だか妙な雰囲気の男を引き連れているが、二人は神妙な面持ちを浮かべていて、さっきまでの妙な余裕は何処にも見えなかった。
「疑って悪かったわね。もういいわよ。貴方は他の所を手伝いに行きなさい」
「え、でも……」
「いいから行きなさい。私はやる事があります」
それだけ言うと、ネルレックは自分の肩を通り過ぎて、二人と共に体調を崩した者達を隔離している部屋へと入っていった。
アルドが本当に居た事には驚いたが、それよりも驚いたのはその傍らに居る人間と思わしき男の発言だった。
「患者を見せてください」
アルドも驚いていたような表情を浮かべていたし、正直自分も驚いた。ユラスを使って呼びに行かせたという事は、この城の何処にも移動していないという事でもある。アルドならばいざ知らず、どうしてこの男が体調を崩したモノ達の事を把握しているのか。少しだけ悩んだが、我らが主であるアルドは何も言わなかったので、案内する事にした。
「こちらです」
ユラスを通り過ぎて、扉を開ける。阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっている訳では無いが、それでも何百人が辛そうに横たわっているのを見るのは、慣れない。
部屋に入った瞬間に男は周囲を一度見遣り、やがて端の方から一人ずつ体に触れ始めた。
「…………どうだ」
手を触り、下腹部や足を触り、最後に頭を触る。男は「やけに血と魔力の流れが悪い」等と呟きながら、一人ずつ丁寧に身体を触っていく。女性に触れようとした時には流石に止めようとも思ったが、途中ぼんやりと彼が言った言葉を聞いた瞬間に、その気は失せてしまった。
この男はきっと、憎むべき種族、人間なのだろう。アルドとは何かしらの関連性があるようだが、それでも人間である事に変わりはない。いや、無かった。この男が確かに「僕は絶対に貴方達を助けてみせます」と言うまでは。
「魔力……五指にかけては問題なし。流れの詰まっている個所は人によって違う……法則? いや、血液の流れの方は恐らく―――――」
男は立ち上がり、アルドに小声で何かを伝えた。アルドはゆっくりと頷いて、男とは真反対の方向から男と同じ事をし始める。
一体何を調べているのだろう。一時間程すると二人の診察は―――何をしているか分からないので、飽くまで便宜上とする―――同時に終了した。
「何か分かったんですか?」
二人に向けられた質問。答えたのはアルドだった。
「一応な。しかしどういう事か私もまるで分かっていない。その……勘違いしないでほしいがな、ネルレック。お前に確信の無い情報を与える訳にはいかないんだ。ここを担当しているのはお前だろう? そんなお前にもし間違った事を言えば、ここに居る魔人はまず全滅する。だから……うん、今は言えないんだ。申し訳ないな」
「そうですか…………」
ネルレックは少し俯いてから、無理に笑顔を作って言った。
「では、確信が持てたら教えてください。出来れば手遅れになる前に」
アルドは何故か、悲しそうな表情を浮かべた。
あの時の繰り返しかと思えば、全然違っていた。これは中々に厄介でしかない。自分も最初、カシルマが何をしているのか分からなかったが、彼に言われて気が付いた。この災害、只の災害ではない。
「先生……良かったんですか? 本当の事を教えなくて」
「アイツに言ったとしても何か出来る問題でも無いだろう。これは部外者たる私達にしか解決できない問題だ」
外の死体と、ここで苦しむ人々。一見すれば関連があるように見えるこの二つの要素。振り返ればすっかり『病』という概念に囚われて、その線を全く考えていなかった。いや、考えたくなかった。その線を考えるという事は、自分が全力で信じた魔人達を疑うという事でもあるのだから。
しかし、気づいてしまった以上致し方ない。この国に広がるこれは『病』等ではない。
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