ワルフラーン ~廃れし神話

氷雨ユータ

己が全てを酷使せよ

 二人を病に蝕ませるのは非常に申し訳ないので、取り敢えず待機を命じた。ダルノアは拒否してきたが、ツェートに無理やり連れて行かせたので問題ない。とはいえ自分の身を案じて追ってきたダルノアが病に罹って死亡……という展開もあり得なくは無いが、その辺りはツェートが上手く抑えてくれるに違いない。何、幾ら隻腕と言っても少女一人を抑え込む事くらいであれば訳無いだろう。
 嗅ぎ慣れた臭いに心を揺さぶられながら、アルドはフルノワ大帝国の城下町を闊歩する。見渡す限り死体死体死体死体死体死体―――耐性の無い者が見れば卒倒してしまいそうな程に凄惨な光景が、何処を見ても広がっている。自分の殺してきた生命の数には遠く及ばないにしても、この光景を見て正気を保てる者が果たして居るのだろうか。いや、そもそもここでは命すらまともに保てないか。アルドは受け取った書類を見て、情報を整理する。
 まずこの病、侵入経路は口……呼吸だ。目では見えないが、きっと今も空中を漂っているのだろう。それを自分は間違いなく吸っている。それなのにどうして平気かと言えば、単純な話だ。アルド。クウィンツの存在は、現在とても不安定な状態で成り立っている。そう、『影人』だ。影人は存在が不安定になったアルドに詰め込まれた自分ではないもう一つの体。魔境の中で出会った『剣の執行者』の体だ。かつての知識を総動員しても執行者なる存在について詳しい事は言えないが、とにかく言える事は『彼らに不可抗力は存在しない』という事だけ。だからどれ程強い人間であろうとも決して抗えない『病』という概念ですら、彼等には通じない。その体を半分持つアルドにも、通じないとまでは言わないが、抵抗する事は出来る。
 アルドが二人を『危険だ』と待機させておきながら、自分だけが足を踏み入れた理由はそういう事だ。今も昔もアルドは全てに抗ってきた。己の弱さに抗って、数の強さに抗って、訪れる死に抗って。そこに今更『病』に対する抵抗が増えようが、大して変わらないだろう。極論かもしれないが、要は耐えればいいのだから。
 次にこの病の症状だが、それは書類を見るまでも無い。体中に黒い痣が浮き上がっているのだ。この痣がどういう原理で浮き上がっているのかは分からないが……死体には一切の例外なくそれがあった事から、この痣は発症すると同時に出るのか、これが出た時にはもう手遅れなのか。そのどちらかである事が分かる。死体の腐り具合を見ると前者にも思えるが、この病が蔓延し始めて直ぐにこの大陸に来た訳ではないので、正確性は皆無だ。もしかすると後者かもしれないし、やはり前者かもしれない。
 これに対しての結論はまだ出せそうにない。
「…………」
 戦場とは違った虚しさがある。原因も分からず、何が起こっているのかも分からないまま死んでいった男性の顔。赤ん坊を抱きしめながら、それを守る様に蹲って息絶えている女性。今まで確かに生きていたように思える死体が幾つも存在していて、とても居心地が悪い。
 アルドは原型を留めている死体を抱え上げて、町の外へと運び出す。皮膚接触に何かしらの心配をするかもしれないが、それは安心。書類には後一行だけ文字が書かれているが、それは全く関係のない事だし、問題があってもやはり耐えられればそれでいいのだから。
「申し訳なかった。私がもう少しこちらの国の事を気にかけていれば、もしかしたらこんな事にはならなかったかもしれない」
 恨むなと言う気は無い。全ては自分の責任だ。ここを統治しているリルティがどんな魔人かは知らないが、病に侵される国を見て何もしない訳が無い。それでもこうなってしまったというのだから、これはきっとアルドにしか解決出来ない問題だったのだ。
「―――好きなだけ恨んでくれ、私を」
 内部の安定化も何もあったモンじゃない。既にこの国には『病災エピデミック』が起きている。これを解決したか否かに拘らず、まずこれを引き起こしてしまった時点で安定化は失敗していると言えるだろう。ナイツ達には申し訳ないが、自分が死ぬまでのビジョンが確かに見えた気がする。この『病災』を解決しようがしまいが、恐らく自分の未来が変わる事は無いだろう。
 しかし、それはそれでこれはこれ。自分の未来が変わる事が無かったとしても、この状態の解決を放棄する理由にはならない。それは英雄的善意でも何でもなく、自分が引き起こした事は自分で収拾をつけるべきという至極一般的な思考である。だから、安定化が失敗して約束通り処刑される事になったとしても、この状況を解決できたのであれば悔いは……無くは無いが、無いという事にしておこう。
 それにもし死ぬ事になるのなら、自分は『彼女』の隣で眠りたい。自分を一途に愛し続けてくれた彼女の隣で。そんな時に周りに死体があったら、彼女は良い顔をしないだろう。
 数十分が経過して、運び出された死体は約三五〇。まだまだ全然終わらない。今日一日で終わる訳が無い。勿論そのつもりは無かったが、流石に連絡も無しに二日も滞在していたら、あの二人が心配してここを訪れてしまいそうなので、人手か、或いはもっと効率的な手段が必要だ。しかしそんな手段も人手も、アルドにはとてもとても用意できそうにない。まずこの城下町に何の問題も無く立ち入れる者が居ない―――
「先生ッ! お手伝いさせてくださいッ!」
「……カシルマ?」
 あまりに都合の良いタイミングでこの街に足を踏み入れた愚か者は、リスド大陸で別れた筈の弟子、カシルマ・コーストだった。死の病漂うこの街に似合わぬ笑顔は、眩しすぎて見えない。










 海賊達が女性を口説く様は、何というかとても新鮮なモノに感じた。いや、新鮮な筈は無いのだが、恐らく我が師―――アルドに出会ったからだろう。彼は尊敬に値する人格者(少なくとも、自分やフィージェントは彼に存在全てを救ってもらったも同然)だが、たった一つだけ欠点がある。恐らくは彼の過去の反動なのだろうが、女性に異常に弱いのだ。
 自分が過去に一度だけ恋愛相談をした時は酷く動揺して、それでも真剣に向き合おうとした結果、倒れ込んでしまった。彼はそれくらい女性に対して耐性が無い。裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏の裏―――くらいでは済まされないくらいの深読みが、それを物語っている。
 自分でも自覚しているが、カシルマは非常に他人に感化されやすい。今までは海賊の良く分からない愉快なノリに感化されていたからそう新鮮味を感じる事も無かったのだが、アルドと出会った事でノリがリセットされてしまった今、その慣れは無い。
「へいへいへいへい! ようよう、俺と遊びに行かねッ? 海の果ての果てまでさ!」
「姐御、街を案内してくださいよ~手しか触りませんから!」
「モフモフ、何処」
「……え? あれって大人? え、小さくね? ……超可愛いんだけど、え? えッ?」
 流石に自由過ぎる。もう何処から突っ込みを入れればいいのやら。自分の目の届く範囲でも船員はかなり自由だが、一体城下町に躍り出た部下達はどんな事になっているのだろうか。これ以上の自由奔放ぶりを発揮されると、たとえ何もしなくても迷惑になる気が…………
「……えっと、どうすればいいんだろうな、こういう場合」
 口説かれた彼女達が満更でもない表情を浮かべていればここまで悩む事は無かったが、自分の目には彼女達が鬱陶しそうにしているようにしか見えない。部下にもそれは伝えてみたのだが『女ってのは素直じゃないんですね!』等と全く取り合ってくれない。絶対に素直とか素直じゃないとか、そういう次元の話では無いと思うのだが。
「姐御ぉ、たのんますよー。俺は姐御の胸を舐めまわし……撫で回したいだけですからッ」
「……大して変わっておらん気がするのは妾の気のせいか?」
「口説いちゃう? 口説いちゃう? え、でも本当に子供じゃないのか? まあ子供でも俺は全然いいんだけど」
 自分の声一つで彼らの動きは全て操作できる。だがそれが自由なのかと言われれば少し違う。一応自分の言い付けは守っている為、これ以上彼等を縛るのも気が引けるというか……もしかして、自分も一緒に行った方が良かったのか? 知り合いとしてはアルドと彼女が居る。アルドが居るのであれば自分が誰かを率いる必要は無いので。感化されやすいとはいえ限りなく素の状態で生活出来たのではないか? 確かに自分はある意味部下達の抑止力だが、それは自分の存在がここにあっても無くても機能する。自分が何処かに居なくなったという事実さえ知られなければ。
「さーて、俺もそろそろ楽しむとするかね!」
 カシルマは転移魔術である『流宮フルスバルツェル』を使用して移動。海を一望できる場所から、アジェンタ大陸の方角を見据える。
 アルドには自分の船を貸してしまったので、今から行こうと思っても、手段が無い。まさかこの国から船を借りる訳には行かないし…………
 あまり使いたくなかったが、原初の海賊船の船長が良くやっていたらしい芸当を、やるしか無い様だ。














 

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